今にして思えば、これが始まりだったのかもしれない。
バイト先によく現れる男性客が来なくなった。その人は必ず毎週水曜日にやって来て、女性店員にばかり絡んできた。店長が何度注意しても聞き入れず、いい加減迷惑だったので本部に相談しようと店長と話していた頃だったか。毎週やって来ていた彼が突然来なくなった。来なくなった理由はわからないままだったけれど、バイト仲間と「良かったね」と安心したのを覚えている。
おかしいな、と思ったのはゼミで仲良くしていた山崎くん、そして上田くんが大学に来なくなった時だった。二人とも大学をサボるようなタイプではなかったので、何かあったのかもしれないと何度も連絡をしたけれど、一度も繋がることはなかった。やがて彼らは構内の掲示板に「探しています。心当たりがある方はこちらまで」と貼り紙が貼られるようになった。家にも帰っておらず行方不明らしい。学生たちの間では喰種に襲われたんじゃないか、という噂まで流れている。
そしてごく最近、また知り合いが姿を消した。こちらも大学の同級生で、男性だ。学部は違うけれど共通の講義で頻繁に顔を合わせていて、向こうから声をかけてきたのが話すようになったきっかけだ。よく連絡をくれていたのだけど、他の彼らと同じようにいきなり連絡が途絶えた。大学にも来ないし、誰の連絡も繋がらない。これで四人目だった。
ただの偶然かもしれない。でも身近な人間がこれほどの短期間で何人も行方不明になるだろうか。学内の掲示板に増えていく貼り紙を見るたびに胸騒ぎがした。
「あれ、名前?」
大学も終わり、駅の近くにある喫茶店に入るとカウンター席にいた男性と目が合った。見覚えのある顔だったので誰だろ?と考えていると、すぐに高校時代の同級生だと気がついた。
「わあ、原くん久しぶりだね」
「おう! 元気にしてたか?」
促されるまま隣の席に座り、お互いの近況を話し合った。すると同じ大学に通っていることがわかり、会話もますます弾んでいく。学部が違っていたので今まで気がつかなかったのだろう。思わぬ再会と偶然を喜び、その日は連絡先を交換して別れることになった。
「……うそ」
再会した日から二ヶ月ほど経った頃。原くんと連絡がとれなくなった。嫌な予感がした。それから時間の経たないうちに、掲示板にまた貼り紙が増えた。知り合いの顔ばかりが並ぶ異様な光景に、もう言葉も出なかった。
「山崎と上田、まだ見つかってないんだな」
隣で聞こえた声に顔を上げると、永近くんが顎に手をあてて真剣な表情で貼り紙を眺めていた。こんなところで会うなんて珍しい。
「うん、しかも原くんまで……」
「……なんとなくだけどさ、同一犯のような気がするんだよ」
「同一犯?」
「ここだけの話、俺は喰種の仕業じゃないかと思ってる」
「喰種……」
喰種。その単語を聞いたときにウタさんの顔が浮かんだ。彼は私にとって一番身近な喰種だから、そのせいかもしれない。でも、それだけじゃないような――
「名前ちゃんも気をつけて。何かあったらすぐ相談乗るから」
考え込む私を気遣ってくれたのか、永近くんは私の肩をぽんぽんと叩いて「次の講義があるからまたな」と走って行く。いくらか心は軽くなったけれど、彼の言葉がぐるぐると頭の中を巡って離れなかった。
ベッドに横になり、行方不明になった彼らの共通点について考えていた。思いついた共通点といえば「男性」「私と何かしらの関わりがあること」、そして「彼らの話をウタさんにしていたこと」だ。そこまで考えて自分の考えにゾッとした。今、何を考えていた? そんなことあるはずがない。でもウタさんに話した後、少しの期間を置いて彼らは姿を消している。疑いたくないのに永近くんの言葉がやけに腑に落ちている自分がいる。同一犯の喰種。もしもウタさんだとしたら。
「難しい顔してるね」
「……っ、ウタさん」
「何かあったの?」
考え事に夢中になっていたせいでウタさんに気がつかなかった。合鍵を使って入ってきたのだろう。私の隣に寝転んだウタさんに抱き寄せられる。今日は彼と顔を合わせづらくてお店にも行かなかったのだけど、向こうから来られてしまってはどうしようもない。せめて顔を見られないようにウタさんの胸元に頭を寄せた。
「……この前話した原くんが行方不明になってて」
鼓動が早まる。私が疑っていることは知られていないだろうけど、それでもどこか落ち着かなくて心臓が痛くなる。
「心配だね。早く見つかるといいけど」
普段通りの穏やかな声音でウタさんは言う。やっぱり私の考えすぎかな。一人で先走って物事をマイナスに捉えてしまう癖があるので、今回もそうだったのかも……
「ところでさ」
「?」
「掲示板の所で話してた彼、友達?」
どきり。また心臓が嫌な音を立てた。「大学の近くで用事があったから、名前さんに会えないかと思って少しだけ探したんだ」というウタさんの言葉に胸がざわついていく。永近くんと一緒にいる所を見られていたんだ。彼のことはまだ話したことがないから、ウタさんは永近くんを知らない。
「ううん、知らない人。研究室の場所を聞かれたから教えてただけ」
嘘をついた。声は震えていなかっただろうか。怪しまれていないだろうか。冷たい汗が背中を流れ落ちる。
「優しいね、名前さん」
「私も一回生の時によく教室を間違えたから」
「大学って広いから迷いそうだよね」
それ以上永近くんについて聞かれることはなかったので、納得してもらえたらしい。ウタさんを信じたいのに、どうしても永近くんのことを話せなかった。だって、もし私が話したあとに永近くんまでいなくなってしまったら……。私はどこかで疑っている。目の前の彼が何かをしたんじゃないかと。考えれば考えるほど恐怖が増していく。ウタさんの腕の中はこんなにもあたたかいのに、背中を這うような薄ら寒さはいつになっても消えなかった。
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