高等部に進学して一年が過ぎた。メフィストさんやアマイモンに振り回されつつも、今までの人生で一番まともに学生生活を送れていた。友達もできて、普通に学校に通って、祓魔師のエの字もない暮らしができている。そこに何の不満もなかった。だから私は油断していたのだ。少なくともこのまま見逃してもらえるのではないか、と甘い考えを持つくらいには。
「これはどういうことですか」
春休み前日。来客が来たと呼び出された理事長室で、私は来客の人物に聞こえないよう必死に声を抑えながらメフィストさんに詰め寄っていた。
「あなたがここにいることを話したら、彼がぜひ会いたいと言うのでお連れしたまでです」
「……理事長」
「では、ごゆっくり」
「まだ話は終わってな、……行っちゃった」
引きとめる間もなく、メフィストさんは憎たらしいウインクをして出て行った。つまり、今ここには私と彼の二人しかいないわけで。当然逃げ場もない。
「会いたかったぞ、名前」
「え、えっと」
「最初はあの悪魔の戯言だとばかり思っていたが……、よかった。本当に」
何を話せばいいのか、言葉が見つからない。視線を彷徨わせながらドアの近くで立ち尽くす。一向に動く気配の無い私を見かねたのか、椅子から立ちあがった彼は私の手を引いて、腕のなかへ閉じ込めた。彼の名は、アーサー・オーギュスト・エンジェル。今はヴァチカン本部に勤務する祓魔師だと聞いている。来客と言われた時点で胸騒ぎはしていたけれど、まさかエンジェルが来るなんて。
「どうした? もしかして俺のことを覚えていないのか?」
「……覚えてるよ、エンジェル」
そんな不安そうな顔をされてしまって無視などできるはずもない。今でこそ彼の方が年上だけど、前世では私の方が年上だったことを思い出す。大きくなったなあ、なんて久しぶりに会った親戚のような考えが頭に浮かんだ。
「進路のことで悩んでいると聞いたが」
「? ううん、進路はもう考えてて」
「もちろん祓魔師になるのだろう?」
「え?」
「必要なら俺がヴァチカンへ話を通しておく。名前ほどの腕があれば祓魔師になるのに時間もかかるまい」
「エンジェル、私はもう祓魔師には」
「ん、すまない。本部から連絡だ」
一番肝心な所で話が遮られてしまった。それにしても私が進路に悩んでるなんて出鱈目な話をどこから……なんて考える必要もないか。そんなことを言うのはあの悪魔一人だけだろう。
「悪いが急用だ。俺はヴァチカンへ戻る」
「わかった。気をつけてね」
「ああ。また近いうちに会いに来るよ、名前」
慣れた動作で私の手の甲に口づけたエンジェルは、それはもう爽やかな笑顔で去ってしまった。ああ、せめて私の進路についての誤解を解いてから帰ってほしかったのに。望まぬ状況に頭を抱えていれば、メフィストさんが狙い澄ましたようなタイミングで部屋へ戻ってきた。
「メフィストさん、エンジェルに変なこと吹き込まないでください」
「はて、何のことですかな」
「悪魔と縁遠い生活を送ることが私の進路希望ですよ」
「存じていますとも」
「……」
ここで私が何を言っても時間の無駄だ。ああもう、物事がこの悪魔の思い通りに動いている気がして頭が痛い。
「失礼します、フェレス卿……あ、」
無言で睨みあっていると、ノックの音がして眼鏡をかけた生徒が部屋に入ってきた。服装から察するに祓魔師だろう。それなら尚のこと、ここにはいない方がいい。二人の顔を見ないように足早に廊下へ飛び出した。
「すみません、取り込み中でしたか」
「構いませんよ。もう用は済みましたから」
エンジェルを呼んで正解でしたね。悪魔の小さな独り言が部屋に溶けて消えた。
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