僕と三郎は名前が幼い頃からずっと傍で見守ってきた。それがお婆さんの願いだったからというのもあるけど、なにより僕自身が名前を好いていたのもあるだろう。だから多分、お婆さんに頼まれなかったとしても、僕は彼女を見守っていたと思う。
名前に近づこうとする悪霊や妖怪は少なくない。妖怪が見える人間の魂は価値があり、その魂を食らえば特別な力が手に入ると信じられているためだ。とはいえ、そんなものは狙われる名前にとって迷惑な話でしかないだろうけど。
それでも名前は強い子だった。昔は怯えて逃げてばかりだったのに、成長するにつれて雑魚妖怪相手なら自分で蹴散らせるようになった。しつこい!と妖怪をぶん殴る姿はなかなか様になっていて、三郎と「将来有望だね」なんて冗談を言い合うこともあるくらいだ。それでも名前だって人間だ。いくら強く見えたって実際は純粋で弱くて、脆い。
ある朝のことだ。まだ太陽も姿を現さないような時間に、名前が一人で神社にやって来た。こんな時間にどうしたのかと問えば、ただ一言、「おばあちゃんに会いたい」と。
お婆さんが亡くなった当時、名前は涙を見せなかった。その姿を見た周囲の大人は彼女を酷く非難した。あれだけ面倒を見てもらったくせに涙のひとつも見せないのか。なんて薄情な孫だ、と。でもそれは違う。名前は泣かなかったわけではなく、泣けなかったのだ。一番身近で愛してくれていた人間の死は、幼い名前にはショックが強すぎた。それこそ言葉も涙も失ってしまうくらいには。大人ならそれくらい容易に想像できそうなものだが、名前を避ける彼らには分からなかったらしい。
「名前、おいで」
ここに来るまでに冷えてしまったのだろう。冷たくなった身体を抱き上げ、その小さな背中を撫でた。名前はしばらくされるがままになっていたが、やがてぽつりぽつりと話始める。どうやらあのお婆さんの夢を見たらしい。いつものように手を繋いで近所を散歩をしていると、途中でお婆さんはどこかへ消えてしまう。そして一人残された名前の周りは、いつ現れたのか、心ない言葉を投げかけてくる大人達で埋め尽くされている。そこで目が覚めたそうだ。なんとも寝覚めの悪そうな夢だ。
「う、おばあちゃんに会いたい……、どうして、なんでいなくなっちゃったの」
寂しい、会いたい、置いていかないで。今まで溜め込んでいた感情が堰を切ったように溢れ出す。この時、初めて名前は声を上げて泣いた。彼女は薄情なわけでも、ましてや強いわけでもない。そこらにいる子供と何ら変わらない、ただの優しい人の子なのだ。それを理解してやれる人間が周囲にいないことが非常に残念でならない。
だから、いつか彼女が心から信頼できる人間に出会えるまでは。僕は名前にとっての心安らげる居場所として在り続けようと決めた。
「大丈夫だよ。僕が必ず守ってあげるからね」
泣き疲れて眠る名前をそっと抱き寄せ、赤くなった瞼に口づけた。
「雷蔵聞いて! 神社に来る途中で凄く可愛い猫がいて、」
あれから十年以上経ったけど、名前は変わらない。むしろ変わったのは僕のほうだ。あの幼子に恋をするなんて、お婆さんが知ったらどう思うだろう。もしかしたら怒られてしまうかもしれない。
「聞いてる?」
「うん、今日も名前は可愛いね」
「もう、ちゃんと聞いてよ」
僕はね、一分一秒でも長く君の傍にいられることを願っているんだ。あの日は「君が心から信頼できる人間に出会えるまで」と考えていたけど、今は少し違っていて。仮にそんな人間に出会えたとしても、僕は変わらず君の心安らげる居場所として在り続けたいと思う。ごめんね、君の隣はまだまだ誰にも譲ってあげられそうにないや。
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