朝特有の澄んだ空気に包まれながら、私は不破雷蔵に変装して三郎を探していた。変装した三郎には普段から嫌になるくらい驚かされているので、たまには私も驚かしてやりたい。そんな気持ちで雷蔵の顔を借りている。とはいえ相手は変装の達人だ。気を張っている昼間はあっさり見破られてしまう確率が高いので、起きて間もないこの時間帯を選んだ。
学園内を彷徨うこと数分、想定していたより早く三郎を発見した。顔を洗っている最中だったらしく、屈んでいる三郎の前には水の入ったたらいが置かれている。あれ?水にマスクが浮いている。裏返っているから断定はできないけど、それはいつも彼が身につけている雷蔵のマスクのように見えて。
「……ん?ああ、雷蔵か」
私の気配に気づいた三郎がこちらを振り返る。振り返った顔に私は言葉を失った。そこにはいつもの雷蔵の顔ではなく、この五年間に見た様々な顔でもない、私の知らない鉢屋三郎がいた。まさか、もしかして、この顔は三郎の、
「はは、今ちょっとスランプなんだ。この顔を見せるのも久しぶりだな」
「!」
「そんなに黙り込んでどうした?私の素顔なんて今まで何度……も……」
やっぱり素顔なんだ!全く想像していないタイミングで見てしまい、私は「三郎を驚かせる」という当初の目的を忘れて後ずさる。なんてことだ。この五年間、一度たりとも見られなかった彼の素顔が、今、ここに。
「あっ、待て!お前雷蔵じゃないな!」
声を出せばすぐに私だとバレてしまう。正体をバラしても構わないけど、私自身動揺していてうまく話せる気がしない。一回冷静にならなければ。三郎が雷蔵のマスクをつけている僅かな隙を見計らい、くのたま長屋へと逃げるようにその場を離れた。
「ようやく捕まえたぞ。随分逃げてくれたじゃないか」
「べ、別に逃げてたわけじゃ……」
今日の授業を終えて、なるべく人目を忍んで食堂に向かっていると笑顔を浮かべた三郎に捕まった。朝のあれが私の変装だということはとっくにバレていたらしい。そりゃそうか、相手は変装の達人だもんね。
「へえ? あからさまに私を避けていたのも偶然だっていうのか」
「……」
逃げようにも私の顔の両サイドの壁には三郎の手があって逃げられない。これが町で流行りの壁ドン……!なんて呑気に喜んでいる場合じゃない。無理やり暴いたわけではないにせよ、三郎が隠し通してきた素顔を見たのは事実だ。きっと内心では私以上に動揺しているに違いない。だから私もそれ相応のお詫びをする必要がある。今日一日、三郎を避けながら考えたお詫びを。
「素顔を見た責任はきっちり取らせてもらいます」
「?」
「卒業したら結婚しよう、三郎」
「はぁ!? お、お前は馬鹿か!」
そう。一日中考えて出した結論とは、結婚だ。もうこれしかない。三郎の素顔には、私の人生をかけても足りないくらいの価値があると思ってる。だからこれが一番良い責任の取り方ではないだろうか。まあ三郎に結婚を断られたらまた別の案を考えないといけないけど。
「だって誰にも見せないようにしてる素顔を見ちゃったわけだし、それなりの責任を取るべきかなって」
「いやいやいや! いくらなんでも話が飛躍し過ぎだろ。というか、別に私は責任を取ってもらいたいわけではないし……」
「あれ、そうなの?」
「……私の素顔を見て、どう思った」
「普通にいい男だと思ったけど」
「!? な、何を言い出すんだ馬鹿!」
すぱーん!どこから取り出したのか分からない大きなハリセンで頭を叩かれた。私は真面目に話してるのに。なぜ。
「褒めたのになんで怒るの!」
「とにかく!私の素顔のことは誰にも言うなよ!いいな?」
「うん、わかってる」
「それじゃあこの話は終わりだ。食堂行くぞ」
今度はあっさりと解放され、腕を引っ張られながら歩く。本当におとがめ無しのようで、私のほうが困惑している。こんなにあっさりお許しが貰えるなんて完全に予想外だ。まあ雷蔵も三郎の素顔は知ってるらしいし、そう考えると許されても不思議じゃない…のか…?
「三郎、本当に責任取らなくていいの?」
「ああ」
「私なら結婚の心構えできてるよ?三郎が嫌なら無理強いできないけど」
「お詫びの結婚など不要だ。私の素顔を他人に口外しなければそれで構わない」
「そう……」
これはこれでなんだか申し訳ない気分になってしまう。うーん、今度の休みに団子でも好きなだけ奢ってあげようかな。あ、そういえば朝のハプニングですっかり忘れてたけど、今日も結局三郎を驚かせられなかったなぁ。ある意味では驚かせられたけど、それは私の望む驚きとは違うからダメだし。このリベンジはまた今度になりそう。心なしか耳を赤らめた三郎に引きずられつつ、私は次の作戦に頭を悩ませていた。
prev next