今の主人を殺せば、信長様は生き返るぞ


今にも焼け落ちそうな本能寺で敵総大将の首を討ちとる寸前だった。耳元で俺にだけ囁かれた言葉は酷く鼓膜に焼き付いて離れない。
世迷言を呟いた敵はその場では早々に切り捨てたが、ほんの一瞬刃を止めそうになった自分がいたのだ。最後動きが悪かったな、と仲間に声をかけられるが曖昧な返事を返すことしかできない。敵が死に際に囁いた言葉など俺達刀剣男士を迷わせるための戯言であり、信じるに値するものではないのは一目瞭然のはずだった。
主への忠誠が揺らいでいるわけではない、ただ…本丸に戻るゲートをくぐる間際に、燃える本能寺を見ていると魔王と称されたあの人が、今もあそこにいるような気がしただけ。
ただ、それだけのことなのだ…


その日から俺は本能寺への出陣は控えることにした。あれは世迷言であると信じているが、時折耳に焼き付いたあの言葉が俺に囁くのだ…『主人を殺せ』と。術をかけられたのかどうかは知らないが、こうもしつこく声が聞こえると信長様のこと、燃える本能寺のこと…遠い場所で信長様がもう一度俺を迎えに来て下さることを信じて待っていたあの日々を思い出して辛くなる。
俺が主を殺すわけがない。あの敵も術をかける刀剣を間違えたな、と自嘲を漏らすが、自身の思いに反して過去の日々を思い出すことが増えたことは否定できなかった。


「長谷部くん最近主、主って言わなくなったよね」

燭台切から何となくかけられた言葉に、俺自身が一番驚いた。
ああ、そうだ思い返せばここ一週間は一度も近侍を務めていないじゃないか。他人に指摘されて初めて気づくなど、俺はどうかしているのだろうか。

「…そうか?近頃は調べものをしていて…」

そこまで言いかけて気づく。俺はこの一週間、主が歴史を学ぶために持ち込んでいた書物を借りて、自分がただ刀として振るっていた時のことや信長様のことを思い返していたのだ。そして、あの人を思い出してはもう迎えに来ることはないのだと肩を落とす。

顕現されて、今の主に尽くそうと決めてからは考えもしなかった行動をしている己が確かにいたのだ。

「主が何だか寂しそうにしていたよ。明日は近侍やるだろ?」

「あ、ああ…」

煮え切らない返事に目の前の男も不思議そうな顔をしている。しかし、一番驚いているのは俺…自分自身なのだ。今までなら喜び勇んで引き受けていたはずのその仕事を、心の底から嬉しいと感じなかったのだから――――


*


主の采配が上手くいかないと、あの人と比べてしまう。
主が護身用にと始めた剣術を見て、あの人と比べてしまう。
主が俺を褒める言葉を聞いて、あの人と比べてしまう。

今の自分が今までと別人のような思考回路になっていることには気づいている。気づいているはずなのに修正することができないのだ。
鼓膜にこびりついた言葉が、耳から離れない。

『主人を殺せば、信長様は生き返るぞ』 

だから、聞こえたこの言葉に、「そうかもしれないな」と返事をしてしまったのだ。



夜中、主の部屋の前に立つ。「主」と声をかければ、彼女は驚いた顔をしながらも快く戸を開けてくれた。
ああ、愚かな主。どんな忠実な家臣だと思っていても、いつかは裏切る時が来ると警戒していなければいけないのに…。簡単に開かれたその戸から滑り込むと、彼女は俺の様子がおかしいことにも気づかず小さなお守りを差し出した。

「長谷部はいつも頑張っているから、私からご褒美!皆にはないしょだ…」

最後まで彼女が言い切る前に、俺の腕は自然と動いていた。

首についた大きな傷は赤い液体をまき散らしながら障子や、畳、小さな白い手に握られていたお守りを汚していく。
苦しむ暇などなかっただろう、どさりと倒れこんだ体はぴくりとも動かない。

黒い靄のかかった頭の中に「どうだ、主人を殺したぞ!!!!」と問いかけるが、返事など返ってこない。
おかしい、主を殺せば信長様が生き返ると言ったのに。
何度も何度も、信長様はどこだ!?と問いかけるが、刀から落ちる血がぽちゃん、ぽちゃんと血だまりに跳ねる音しか聞こえない。
何故、どうして、俺は大切な主を殺してまで従ったのに。

柱をめちゃくちゃに切り付けながら、脳内で聞こえていたはずの声を呼ぶが、今までのことが嘘のように何も聞こえてはこない。


血の臭いと、騒がしい音を聞きつけた他の刀剣達が集まってきて、俺を床に押さえつけた。

『主!』『長谷部どうしてこんなことを』『死んじゃいやだ』『くそ、政府を』

思い切り鞘で殴られた頭がぐわんぐわんと揺れている。床に伏した俺を気にかける者などおらず、眼前をバタバタとせわしくなく足が動いていることだけが分かる。

畳に顔を擦り付けながら、必死に主の方を向くと血だまりに青いお守りが落ちていた。
主が死んで、俺が死んでも信長様が生き返るならそれもいいかなあ、そんな考えが頭をよぎるが、刀を振るう直前、俺にお守りを差し出した彼女の顔はまだ覚えている。

ねえ、主。俺は何か間違っていましたか。どうしてこんなに胸が痛いんでしょう。

そう問いたくて、血濡れになった彼女の手を握ろうとするが、『主に触るな!』という誰かの声と共に振り下ろされた刀によって、それが叶うことはなかった。







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