「三名槍が一本、御手杵だ」

桜吹雪と共に顕現した彼を見た瞬間、私は思わず叫びそうになった。
『どうして元カレがここにいるのか!』と。

この人のよさそうな顔と、少しだるそうな声、まさに元カレそのものである。
ジャージで本丸内をうろつく姿なんてどこからどう見ても刀剣男士ではなく、一般人。そして顕現して私を見た最初の言葉が「主って色々と、小さいな」とデリカシーの何もない言葉だった所なんかそっくりである。

あまりにも似すぎているため、私の元カレへの未練が、まさか刀剣男士に乗り移ってこんな形で出現してしまったのかと思い、こんのすけに相談してみるが、

「何を馬鹿なことを言っているのですか審神者様」と無表情で一刀両断されてしまった。

確かに、よくよく見れば御手杵の方がイケメンであるし、体格だって完璧である。しかし、時折見せる笑顔だったり獅子王達とバカ騒ぎする姿が、過去の人物と被ってしまってどうしようもないのだ。
それ故、私は御手杵とまともに会話をすることができないまま、顕現させて一か月程経過している。こんなにも、元カレと似ている事で心を乱されていることも、未練があることも本当なのだが、話しかけられない理由は別にある。実を言うと元カレには思い出すと途端に悲しくなってしまうぐらい、こっぴどい振られ方をしたのだ。
彼の入っていたスポーツサークルに入った、如何にも可愛い今時の女の子。その子を横に連れて、デート当日私の前にやってきたかと思えば「俺、この子と付き合うから」と一言。この一言で私と元カレの付き合ってきた3年間はあっけなく終わってしまったのだ。

大学で彼らを見かける度悲しい気持ちになりながら過ごした大学4年の春…私はそこで間もなくして審神者にスカウトされ、今に至る。


元カレのことを完全に吹っ切れないままにこんな仕事に就き、毎日イケメンに囲まれながら暮らしたせいで、私の中で元カレのことは完全に消化不良のまま残ったままになっていたのだ。無論、御手杵を見るまで、元カレのことをこんなに引きずっていた自分に改めて気づいた部分も大きい。
どうして自分は思い出してしまったのか、どうして御手杵はこんなに元カレに似ているんだ。と何度も考えてみるが、御手杵は何も悪くないのだ。顕現させて以来碌に目も合わせない主を不審がっているに違いない。

現にこの間、和泉守に「お前御手杵のこと嫌いなのか?」と直球で聞かれた程である。

嫌いじゃない、むしろ好きな人に似ているからどう接していいのか分からないのだ。
しかし、これを和泉守に伝えても、何か誤解を受けそうな気がするので「嫌いじゃないよ」とだけ返しておいたが、誤魔化せたかどうかは怪しいものだ。


*


「あーあ…」

今日も御手杵に話しかけることはできなかった。

御手杵に話しかけたって、元カレに向けられたような、うざがる視線を向けらることなどないだろうし、多分気さくに話をしてくれるはずなのだ。だけれど彼の前に立つと緊張で何も言えなくなってしまうし、近距離で顔を見ることなど到底できそうもない。
いい加減このままにしておくわけにもいかないとも思うのだが、「また明日話しかければいい」とどんどん後伸ばしになっている。何を隠そう私は意気地なしなのだ。

夕餉を食べながら、40振以上いる広間ではるか遠くに座る彼の顔をぼんやりと眺める。

魚の皮を綺麗に向いて食べるのを見て違和感を感じたのは、きっとまた元カレと比べたからだ。彼はとにかく食事マナーが悪かった。箸の持ち方がなっていなかったし、特に魚なんてボロボロにして食べていたはずだ。
違いを見つけてほっとすると同時に、御手杵に申し訳ない気持ちばかりが募る。

大勢いる本丸で、私にそっけなくされたからと言って御手杵が拗ねたり気にしたりすることはないのだろうと思う。一か月以上主にこんな態度をとられていると言うのに直接何も言ってこない辺りがまさにそうだ。自分ばかり気にしているのだとは思うが、もうけじめをつけよう、…そう明日から。

夕餉の後片付けをしながらそう決心した私は、明日の心の準備のために早々に寝ることにした。今日言えばいいじゃん、という責めから逃げるためではない。あくまでも明日に備えるためである。
いつもより三時間も早い就寝に、近侍をしていた山姥切が何か言いたそうにしていたが見なかったことにした。彼にはなつかれてはいるのだが、ツンなのかデレなのかはっきりしないなつかれ方をしてしまったので、夜に相手をするには少々面倒なのだ。

電気を消して、もぞもぞと布団に潜り込めば、山姥切が気をきかせたのだろう。近くの廊下でしていた声はぴたりと聞こえなくなった。これならばすぐ眠れそうだと、瞼を閉じた時だった。



「………主」

足音一つしなかったはずの部屋の外から、少し低い、しかしよく通る声が聞こえた。
既に眠るモードに入っていたため、ぼんやりとしていた頭が覚醒する。…今の声は御手杵じゃなかったか?もし御手杵なら尚更返事をしたくない。眠ったふりをしようと黙っていると、もう一度「主」と声がした。

間違いない、御手杵だ。そう確信してしまえば、本当に起きるわけにはいかない。どんな用事だか知らないが、寝ている主人の部屋に勝手に上がり込もうとするような真似はしないはずだ。それに、就寝のための部屋の戸にはまじないがかかっており、私が承諾しなければ戸が開かないという便利な機能つきだ。明日いくらでも話を聞くから早く帰ってくれ…そう心の中で念じていると

ガッ、と障子の戸を開けようとする音が聞こえた。

え?と思わず声を出しそうになるのを抑える。
ガッ、ガッ、ガッ、何度も何度も戸を引こうとする音が鳴りやむことはない。
御手杵はこの部屋の戸が刀剣男士には開けられないようになっていると知らなかったのだろうか?力任せに叩くような音まで聞こえるのだから、いよいよ怖くなってきた。よっぽど大事な用なのか?しかし、それならわざわざ部屋に入るまでもなく戸の前で大声でも出せば私は起きるはずである。それもせずにひたすら戸を開けることだけに執心している彼にぞっとしながら寝たふりを続ける。
流石にこの状況で彼に声をかけるのは躊躇われるし、こんなに音をたてているのに他の刀剣達が様子を見に来ないことも何だかおかしい。数十分か、一時間か、分からないがひたすら戸を開けようとする音が途絶えると、何やら舌打ちのようなものが聞こえて足音が去っていった。

今まで御手杵は私に積極的に関わろうとすることもなかったし、あんな風に乱暴なことをする様子も本丸内ではなかったはずだ。急な変わりように、あれは御手杵だったのか、はたまた妖の類だったのかもしれないとも考えながら頭から布団を被り直す。
あんなにも、明日御手杵と面と向かって話そうと意気込んでいた気持ちは、いつのまにか心の隅に追いやられてしまっていた…


*


翌朝、目の下に大きな隈を作った私は人目を避けるように、わざと遅く朝餉を食べるために広間に向かった。もうほとんどのメンバーが食べ終わり、各々の仕事に入っている中、主がこんな遅く起きてきても文句一つ言わない…皆できた刀剣達である。

既に膳が用意された席に座ると、既に食べおわっているのだろうにわざわざ山姥切が私の隣に座り「隈がひどいぞ」と私の顔をガン見している。化粧も何もしていない顔を至近距離で見つめられているのだから恥ずかしいこと極まりない。

「近い近い」

「アンタが…昨日俺が近侍だったのにすぐに寝たからだ…」

恨めしそうな顔をしながら、ぐいぐいと顔を近づけて来るのは嫌がらせのつもりらしい。確かに汚い顔を近くで見られるのは嫌だが、普段はよく見せてくれない山姥切の綺麗な顔を見られるのはある意味でご褒美である。
傍から見たら何をいちゃいちゃしているのかとどやされそうだが、彼は初期刀として最初から一緒にこの本丸を築き上げてきた仲である。このぐらいの距離感はむしろ懐かしいものだ。そうやって、嫌がらせのつもりらしい彼に付き合ってやっていると、「何してるんだ?」と広間の入り口から声がかかった。

この声は、昨日の夜中震えながら聞いたあの声と同じ…機械のようにギギギと音がしそうなくらいゆっくりそちらを向けば、御手杵が怪訝そうな顔をして私と山姥切を見つめていた。

割と近い距離で彼の顔を直視したのはこれが顕現以来初めてかもしれない。
ああ、やっぱり元カレに似ていると思いながらも、彼と違う所を探そうとぼんやり見つめていると御手杵はどこか悲しそうな顔をして「主、そいつの顔はちゃんと見るんだな」と言い捨てると庭へ出て行ってしまった。

「あ、御手杵…」

制止する声も聞かず、去っていく後ろ姿を追いかけようと思ったが、追いかけた挙句冷たい瞳で見られたらと思うと足が動かない。山姥切は御手杵が去っていった方を見て、眉をしかめているし、まるで追いかけるのを阻むように手を握るものだから、私がその時御手杵の後を追うことはなかった。


それから、昼、夕、夜と皆が集まる場所や厨房、馬小屋などを見に行き、御手杵を探したがどこにも見当たらない。自室にいるのか、と思い蜻蛉切に尋ねたが、朝以降部屋には戻っていないと言うのだから、どこへ行ってしまったのだろうか。

探しに探して、時刻は既に12時をまわっていた。

「どこにもいなかった…」

布団の中に入りながら、何だか様子のおかしかった彼と明日こそは話せるのだろうかと考える。今の時間に槍部屋に行けば会える確率は高いが、蜻蛉切はもう寝ているだろうし、御手杵が夜にも関わらず本丸内の別な場所にいたとすると無駄に蜻蛉切を起こしてしまうことになりかねない。とりあえず明日の早朝に彼と話をしなければ、そう思い直し電気を消す。
途端にすうっと冷えた風が室内に入った気がして身震いをする。すると、足音もなく戸の外に誰かの影ができた。

「主」

…昨日と同じ御手杵の声である。昨日のこの声の主はおかしかったが、朝のことを御手杵が話しに来たというのなら、返事をしないわけにはいかない。

「…どうしたの?」

恐る恐る返事をすると、安心したような声で「ああ、よかった。今日は返事してくれるんだな。なあ、ここ開けてくれ。なんでか開かないんだ」といつもの様子で返事が障子越しに帰ってくる。
その言葉に、やはり昨日ずっと戸を開けようとしていたのは御手杵だったと分かり、背筋に寒々しいものを感じる。しかし、返事をしてしまったし、今朝のこともある。開けないわけにはいかないだろう。もし何かあっても大声を出せば誰か一人くらいは起きてくるだろうし問題ない。

「今開けるね」

そっと障子の戸に手をかけて、ほんの数センチ開けた時だった。

ガゴッ

「え?」

妙な音に恐る恐る自分の左側を見ると、私の横腹すれすれ、障子の空いた隙間から鋭い切っ先を有した槍が顔をのぞかせていた。少し間違えれば私の腹に深々と刺さっていただろうそれに冷や汗が溢れた。
思わず戸の傍から飛び退くと、槍を片手に悪びれのない様子の御手杵が顔をのぞかせた。

「主が開けてくれてよかった。今日も寝たふりなんかされたら、主のこと本気で刺しちまうところだったからな」

口元では笑顔を浮かべているが、瞳は明らかに笑っていない。異様な雰囲気で、しかも片手に武器を持ってゆっくり近づいてくる彼を、元カレに似ているなどとはもう思えなかった。
どうしよう、誰か助けを呼ばなくては、まだ何もされていないが布団の上で縮こまる私の傍に手をついて、今朝の山姥切のように顔を近づけて来る姿に『怖い』以外の感情が浮かばない。
「誰か、」と一言口にしようとした言葉は、彼の大きな手によって防がれた。

「やっと俺を見てくれたな!…………今まで俺じゃなく誰を見てたんだ?主、ずっと俺を誰かと比べてただろ」

嬉しそうな声をあげたと思えば一変、恨めしそうに紡がれた言葉に私は何も言い返すことができなかった。現世にいた元カレに似ていた、と言って理解されるだろうか?いや、こんな据わった目をした彼にこれを告げても、嘘だと返されかねない。

彼の肩手に握られた槍を見て、私は殺されてしまうのだろうかと思うと涙が溢れる。こんなことなら早く彼と向き合って話をしておくべきだった。何か言おうとしても塞がれた口は、もがもがと言葉にならない声を発するばかりで彼に届きそうもない。

御手杵は、私が涙目になっていることに気づくと、べろりと眼球を舐め上げた。
突然のことに何の抵抗もできなかったが、ピリピリと痛む瞳が先ほどされたことが現実だと訴えてくる。

「やっぱり主は小さくてかわいいなあ。なあ、主。俺、最初一目見てあんたを可愛いと思ったんだ。刺したら柔らかそうだし、可愛い声をあげそうだし目が離せなかった。……ここに顕現されて良かったって心底思ったのに。主は俺を一目見た時から誰かと比べてたよな。気づいてたぜ、俺はずっとあんたを見てたんだからな」

言葉を挟む隙さえない、つらつらと語られる言葉の数々に恐怖しかない。元はと言えば好意的だった彼に気づかず、ずっと元カレと比べていた私が悪かったのだ。
思い返せば、三名槍の中でも目立つ逸話がないと、比較されることを気にしていたのは御手杵だったはずだ。それを考慮せずに比較し続けた結果がこれなのだから笑えない。

私はここで殺されてしまうのだろうか、いつの間にか布団に押し倒された体勢になっているのだから、上から一刺しにされるのだろう。
廻る走馬灯を思い返すが、槍を布団の傍に置いて、私の両頬に手を添える御手杵の手は存外優しい。そっと目を開けると、眼前に迫る彼の顔は思っていたよりも穏やかな表情をしていた。

「主、これからは俺だけ見ててくれよな」

あ、これは別な意味で串刺しにされてしまうのかもしれない。それを察したのはあまりにも遅かった。口に押し込められた布により声は出せない、そして馬乗りになる御手杵はどことなく熱っぽい瞳をしている。

…ここまでじっくりと見て御手杵は元カレなんかと似ていなかったことを私はようやく理解した。目の前のこの男の方がよっぽど危険だったのだ。
抵抗など許さず、寝巻の裾から割って入った手を感じ取れば、もう逃げられないことを悟るしかない。
一日向き合うのを先延ばしにしていれば殺されていたのだから、貞操ぐらいで騒ぐことはない…そう自分に言い聞かせて瞳を閉じるしか、私が現実逃避できる術はなかった。







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