遠くで蝉の鳴く声が聞こえる。
皆遠征に行っていて本丸が静かだからだろうか。縁側に座り、薄く目を閉じてやけに耳に残るその音にじっと耳を傾けていると、不意に耳元で「鶴丸」と俺を呼ぶ声がした。
「ああ、君か」
目を開かずにそう答えれば、君は「スイカを切ったよ、食べよう」と少し声を高くして、どこか嬉しそうに笑い声をあげた。
「西瓜か…いいな。君は西瓜が好きだったな」
目を開けて隣を見ると、君は西瓜が待ちきれなかったのだろうか。もうどこにもいなかった。遠くでまだ蝉が鳴いているな、と少し遠くに目を向けながらも立ち上がり、君が行ったであろう台所を目指した。
「君」
声をかけるが台所はがらんとしていて誰もおらず、飲みかけの麦茶のコップが水滴ばかりをつけてテーブルに放置されている。燭台切がまた小言を言うぞと彼が眉の端をあげて怒る顔を想像して、コップを片付けるために流し台に近づく。そうすると、氷水に浸かった大きな丸い西瓜がぷかぷかと洗面器の中で浮いているのが見えた。
「…まだ切ってないじゃないか」
君はまた早とちりをしていたと注意しなければいけない。ぼんやりと西瓜が右へ左へおだやかに揺れるのを見ていると、後ろから低い声がかかった。
「鶴丸さん、台所にくるなんて珍しいね」
「…ああ、西瓜が……あると思ってな」
「よく分かったね!今日皆に内緒で買ってきたんだよ。遠征の皆が帰ってきたら切ってあげるからまだ食べちゃだめだよ」
「分かってるさ」
今年初めての西瓜だからみんなにはまだ内緒だよ、と念を押すように背中に声がかかるのを聞いて台所をあとにする。西瓜が食べられないなら、どこで涼もうかと辺りを見渡せば井戸が目に入った。
少し水浴びでもしてやるか、と地面に降り立つとむっとした暑さが余計に肌にまとわりつく。
「これは暑いな…」
肌をちりちりと焼くような日差しに耐えられず井戸にもたれかかって、少し目を閉じると「鶴丸は暑さに弱いんだから、部屋で涼まないとだめだよ」と耳元で君の声が聞こえた。
「…水浴びをするから平気だ」
地面に思わず座り込んで井戸に手をかけると、柔らかいけれど少しひんやりとした君の手が俺の手を掴んで「大部屋の方が涼しいから」と優しく手を引いていった。暑くて、日差しが眩しくてチカチカと白む視界のせいではっきりと君の姿は見えないが、目の前でゆらゆらと揺れている小さな頭はきっと君だろう。
薄く目を閉じ、引かれるがままに進んでいけばあっという間に大部屋にたどり着いた。
「膝枕してあげる」
声に誘導されるがままに頭をのせれば、優しい手は俺の髪を梳き、ぽんぽんと心地よいリズムで俺をあやし始めた。
「ねーんねーんころりよ、おころりよー…つるまる、よいーこだ…」
「…俺は子どもじゃないぞ」
「ふふふ」
不満気に言ってやるが、彼女は気にした様子もなく再びねんねんころりよと歌い始める。子ども扱いは嫌だと思うのに、その意思に反して瞼はどんどん重く、視界は暗くなってゆく。
「…まだ、君と………」
完全に目を閉じても、夢か現かどこかから聞こえる子守唄を聞きながら俺はしばしの眠りについた。
「――――さん、…るさん」
「ん…」
「鶴丸さん!」
「あ、ああ…」
しょぼしょぼとする目を開けてみれば、眼帯をつけた男が俺の顔を覗き込んで困り顔をしている。少し外に目をやれば、もう夕方のようだった。どたどたと廊下を走りまわる音からしても遠征組が帰ってきた様子が伺える。燭台切が持った膳を見るに、もう夕餉になる前らしい。
「こんなところで寝ちゃって…準備の邪魔になるから起きて起きて!」
「…分かったから、おい、蹴飛ばすな」
寝起き早々足蹴にされた背を擦りながら、既に準備された膳をひとつ持ち部屋の外へ逃げれば「手伝ってよ!」と叫ぶ声が聞こえた気がしたが知らぬふりをしておいた。
一人分の夕餉をもって君の部屋へと向かう。廊下は夕明かりで染まっているが少し薄暗く、少し先はあまり見えない。西瓜が乗っているから君は喜ぶだろうな、と君の笑顔と笑った声に思いを馳せていれば、後ろから急に声がかかった。
「鶴」
「三日月か。俺は今夕餉を持っていくところなんだ。あとにしてくれ」
後ろを向かず、足を止めずに答えれば、三日月は深いため息をついて俺の肩を掴んだ。
「…主の部屋はこちらの方角だったか?」
「…」
ぐっと、力がこもった腕を振り払おうとすると思わず手が滑り、あっけなく夕餉は廊下に散らばった。
「あ、」
ころりと縁側を通り越し、地面に落ちた西瓜には土がついてしまい、水分の多いそれはあっというまにぐしゅぐしゅと気味の悪い色へと変色した。
「…西瓜を取り換えてこないといけない。…は西瓜が好きだからな」
きっと余りがまだあるはずだ、早く台所に、と呟きながら隣をすり抜けようとした俺を見る三日月の顔は憐憫そのものであった。君が夕餉をこんなにしてしまったのに、何故そんな顔をするのか俺には全く、訳が分からなかった。
「主様!今日は僕が誉をとったんですよ!」
「そうかそうか、よくやったなあ」
わいわいと短刀達が誉を報告しながら食事をする声が聞こえる大部屋の前を抜けて、暗い台所へ足を踏み入れる。
鳥目のせいであまり視界はよくないが、テーブルの上に余った西瓜が乗っているのをようやく見つけた。
「よかった、…よかった」
胸に手をあててずるずると座り込むと耳元で「鶴丸」と俺を呼ぶ君の声が聞こえる。
目を開かずにじっと次の声が聞こえるのを待っていれば、君は「スイカを切ったよ、食べよう」と少し声を高くして、どこか嬉しそうに笑い声をあげた。
「西瓜か…いいな。君は西瓜が好きだったな」
…次に返ってくる答えを待つが君は何も言わずに押し黙ってしまう。
「…何か言ってくれ」
「…」
「何か、」
「…」
「、鶴丸さん」
ぱっと明るくなった台所と声の主を見ると、扉にもたれかかるようにして燭台切が曖昧な笑みを浮かべていた。
「西瓜食べたかったんでしょ。好きなだけもっていっていいよ」
「ああ…ありがとう」
笑みを浮かべたまま彼は何も聞かずに西瓜を切り分けている。大皿にたんまりとのせられた西瓜はおそらく二人分のせられているのだろう。
もう一度礼を言って明るい台所を逃げるように出る。再び大部屋の前を通りかかると「鶴丸国永」と渋い男の声が俺を呼び止めた。
「たまにはこちらで食べなさい」
「…ひとりで食べるのが好きなんだ。気にしないでくれ」
「…私はいつでも待っている」
「…」
唸るような声を頭から追い出したくて足早に暗い廊下を目指す。本殿から少し離れた縁側に腰をおろして息を整える。自分の右側に西瓜の皿を置き、1つ手にとって口に含むが青臭い味しかせず、とても美味しいとは思えなかった。
「なんで君はこんなものが好きなんだろうなあ」
俺は縁側に1人で座っている。当然誰から答えが返ってくるわけもない。
暗い夜空を見上げれば、小さな星々が瞬いていたはずなのに突然それらはぐにゃぐにゃと歪み始めた。不思議なこともあるものだと青臭い西瓜をもう一つ手にとり口に入れる。
「しょっぱい」
今度は塩の味がした。