「主、今日は何をいたしましょう」


営業スマイルともとれるような、あまりにも綺麗な笑顔を浮かべて、彼へし切長谷部は今日も主命を貰うために主の部屋に通う。別に主命なんてないんだけどな、と言えばあからさまに気を落とすことは目に見えているので「歌仙が食事の準備をしているから手伝ってきて」と適当な指示を出しておく。初期刀の歌仙は、長谷部を面倒くさい男だと嫌な顔をするのだが仕方ない。

歌仙に及ばないまでも、比較的初期の段階で鍛刀された彼は練度も高く、今では立派な部隊長を務めている。人に尽くされることに慣れていない私は、当初彼のことが苦手であった。鍛刀してすぐに「なんでも切ってさしあげましょう」だの「家臣の手打ち?寺社の焼き討ち?ご随意にどうぞ」なんてのたまうものだから寒気がしたのを覚えている。この私に第六天魔王ばりの主命を出せるわけもない。「え?これが主命?この主大丈夫なの?」と言われてもしかたないと思いつつも、その日のおやつだった羊羹を切らせ、短刀達のために焼き芋を焼かせた時のことは今でも鮮明に思い出す。
これ絶対主として幻滅された…と思いつつも庭で芋をやく長谷部の姿を見ていると、あまりにも生き生きとしているものだからこちらが唖然としてしまった。

それから私は主命の難易度が下がったことをいいことに雑用を長谷部にやらせることが多くなった。とは言っても世話焼きな刀剣はまだまだいるため、書類整理など近侍が行うことはあまりさせてあげられなかったが彼が嬉しそうなのでそれでいいか、などのんきに考えながら毎日を過ごしていた。



「主、今日の主命はまだですか」

お前はデイリー任務かと言いたくなるが、彼は1日最低3つ主命を貰わないと生きていけないらしい、これは光忠談である。さすがに死にはしないだろうが、今日はまだ何も「主命」をあげていないことに気づき、万屋に一緒に行こうかと誘えば「俺で、いいのですか」と目を大きく見開いた。
そういえば彼を外に連れ出すのは初めてかもしれない。万屋に連れて行くのはだいたい光忠か歌仙の二人だった。それ故に刀剣達の間では外に連れていってもらえる=主からの信頼の証、であると広まっているらしい。そんなかしこまったものではないのだが、確かに信頼ができる人(財布の紐を締める意味で)しか連れていっていないからあながち間違いではないだろう。長谷部は私の散財も許してしまいそうなので少し心配だが、あまり小判を持っていかなければ大丈夫だろう。

申し訳程度の化粧をして町に出れば、長谷部がそわそわとしているのがよく分かる。初めて外に出してもらった犬のようだ。なんだか可愛いな、と初めて彼を微笑ましく思っていると彼がきょろきょろしすぎて人にぶつかりそうになっているのに気付く。迷子になりそうだと長谷部の右手を握るとあっという間に彼の端正な顔が赤に染まった。

予想外の反応にこちらまで恥ずかしくなり握った手を離そうとすると、ぎゅっと指を絡ませられてしまった。いわゆる恋人繋ぎであるが、どうしてこうなったのだろう。

「あ、あの、長谷部」
手を離して、という言葉は続かなかった。いつも笑顔を張り付けているか、仲間相手に眉間に皺をよせているかしか見せたことがなかった彼の顔はあまりにも穏やかで、今手を離せと言ってしまうのはあまりにももったいないと思ってしまったのだ。

まあ、いいかと自分の中で適当に落とし込む。自分と長谷部の間にあるのはただの主従関係だ。恋愛感情などはない。歌仙に刀剣との距離が近いことを注意されたことはあったが、それは誰にでも愛想を振りまいてやろうという意味ではないし、それをすることによってあの美しい刀剣達が私を恋愛的な意味で好きになるとは到底思えない。あくまでも彼らは私にとって子どもであり、家族の一人なのである。

万屋についてからも彼は手を離すことはなかった。しかし、顔が赤い以外には別段変わった様子もなかったため私も別段何も言うことはなかった。買い物を終え、そのまま本丸に帰った時の歌仙の顔が般若のようであったのは今でも忘れない。






「歌仙のばか!」

「君こそ!雅じゃないことには目を瞑ってきたがいい加減にしたらどうなんだい!?」

今日の本丸は雨のようだ。この特別に造られた空間にも雨は降るのだなあとぼんやりと縁側に座る。歌仙と今までで一番大きな喧嘩をした。
どちらが悪いと言われれば圧倒的に私が悪かったし、すぐに謝ろうと思ったが今までの小さな鬱憤が溜まっていたのだろう。歌仙がいつも以上に辛辣な言葉をぶつけてくるものだから、謝罪の言葉はどこかに引っこんでしまっていた。

「歌仙のばか…もっと優しくしてくれればいいのに」

そう呟くものの、この本丸で本当の意味で私に一番優しいのは歌仙兼定であると分かっている。悪いことは悪い、良いことは良いとはっきり言ってくれて、私をいつも支えてくれたのは彼だった。
だけど、だけれどもたまには砂糖に浸かったようにどろどろに甘やかされてみたいという欲が出て来るのだから本当に私は救えない、愚かな人間だ。

涙を拭いながらすん、と鼻をすすると「主」と長谷部の声が聞こえた。

彼は私の隣にぴったりと座ると「体が冷えます」といって自室においていたブランケットを肩にかけた。こんな風に長谷部がくれるのは分かりやすい優しさである。彼を近侍に固定して全て委ねてしまえば楽だろうに、そうしないのは私の頭がどこかでそれではいけないと分かっているからだ。

「長谷部は、優しいね」

「そうでしょうか。主を思えば当然です」

彼はにっこりと優しく微笑む。弱っている時のこの優しさはよくない。ああ、だから彼を常に傍に置くのはよくない…歌仙と比べてしまって愚痴ばかりが喉にせりあがってくる。

「歌仙も長谷部みたいに優しくしてくれればいいのに」

そう言えば、彼は少し思案するように目線を外にやり黙ってしまった。彼の横顔を見つめていればややあってからその美しい色の瞳が私を真っ直ぐに見据えた。

「歌仙兼定に主に優しくするよう進言します」

「え、いいよ。どうせ変わらないし」
その言葉に自分に能力がないと告げられたように思ったのか、彼は少し傷ついた顔をした。私は彼のこの顔に弱い。思わず「じゃあ!…とりあえず言うだけ言ってみて!」と付け加えると、先ほどの表情はまるで嘘であったかのように明るくなった。

「…っ、主命とあらば!」

主命、とは言っていないんだけどなあと少し笑うと気持ちが多少であるが楽になった。よし、明日になったら歌仙に謝っていつも通り叱咤されながらがんばろう。そう決めて長谷部に向き合いお礼を言えば、彼は「当然です」とあの万屋で見せたような笑みを浮かべた。



部屋に戻り、歌仙に怒られた布陣編成とその他書類を書きあげていく。これならば何も文句は言わせまい。長谷部と話し終わってからずっと座っていたために凝り固まった体を伸ばすと、本丸が普段よりもやけに静かなことに気づいた。この自室は離れにあるため、普段も刀剣達の声が聞こえることはあまりないのだが、雨の音以外何も聞こえないのが不気味である。

時計を見ると15時。今日は出陣も遠征も出していないので、短刀達はおやつの時間だろうか。今日の料理担当は歌仙だったか、お菓子をつまむのと一緒にもう謝ってしまおうと立ち上がり、ひたひたと冷たい廊下を歩いていく。
雨の音しか聞こえない、まるで本丸に一人になってしまったかのような錯覚に陥りながら、歌仙への謝罪の言葉を考えていた時だ。先ほど座っていた縁側を見ると歌仙が内番の時に髪を結んでいる髪紐が落ちているのが目に入る。

なんであんなところに、縁側に足をすすめれば…


「っ!!!!歌仙!!!!」

破壊寸前、もしくはもう破壊されているのかもしれない。血まみれの彼が雨の中倒れている。頭の中が真っ白になりながら裸足のまま庭に出て駆け寄ると、まだ彼が口をはくはくと動かしているのが分かった。

「歌仙…歌仙っ!!大丈夫、いま、いま手入れ部屋に、」
立つことなど到底できないであろう彼を必死に肩に担ごうとすれば、ずしゃりと彼の左腕が落ちる。一層強くなる血の臭いに吐きそうになるが、そんなことは言っていられない。もしかして歴史修正主義者が乗り込んできたのか?結界は?他の刀剣達は無事なのか?いくつもの憶測が脳内を飛び交うが、ひとまず歌仙を助けなければ――――、一歩踏み出した時だった。


廊下に長谷部がいるのが見える。それに、隣にいるのは…歌仙?
なんで、歌仙は今ここに、と血まみれの歌仙の顔を見るとギラギラとした目で長谷部を睨み付けている。
長谷部は雨の中にいる私に気づくと、不自然なぐらい笑顔でこちらに近づいてくる。仮にも仲間がこんな姿になっているのに何故、と考えていると長谷部は血まみれの歌仙を見て「まだ生きていたのか」とあまりにも冷たい声で言った。

「…貴様に殺されてやる、義理はないね」
苦しそうに言い返す歌仙の発言は強気であるが、それに反比例するように顔色はどんどん悪くなっていく一方だ。その言葉に長谷部は嘲笑を浮かべて無言で刀を抜き、歌仙に向けている。
おかしい、なんで、こんなの長谷部が歌仙を殺そうとしているようではないか。

「主、そのような死にぞこないは捨て置きましょう。どうです?主のために優しい歌仙を連れてきましたよ」

『優しい歌仙』という言葉に廊下に立ち尽くす歌仙兼定を見るが、その目に生気はないように見える。歌仙兼定の人型だけがそこにあると言った方が正しい。


「優しい歌仙って何なの?!私の歌仙はこの歌仙だけだよ!」
そう叫べば彼は無表情から一変、悲しげに目を伏せ泣きそうな顔をした。

「…そうですか。ではあの歌仙兼定はいりませんか」

「あ、当たり前でしょ!?」


当たり前、と言ったと同時だったろうか長谷部は廊下にいた歌仙の首をいとも簡単に刎ねた。まるで玩具のように崩れていく彼の姿に、酷い痛みが頭を襲う。あまりの痛みに怒りも悲しみも全て上塗りされていくような気分になる。

全身の力が抜けていき、思わずしゃがみこめば、血濡れの歌仙も私と同じように自分と同じ顔がごろりと庭に転がるのを蒼白の表情で見ている。


「主は優しい歌仙がほしいと言いましたよね?そこの死にぞこないは主に優しくするつもりはないとほざきましたので破壊して新しい歌仙兼定を主に献上しようと考えたのですが…俺は主命を違えましたか?」

悲しげな表情を浮かべているが、それは同じ刀剣を破壊した故の罪悪感などでは到底ない。ただ、私が言った言葉の意味を違えていたことに対する自分の無力さを嘆いているだけだ。刀の血を拭きながら彼がもう一度私の前に立つ。雨と、血と、全ての臭いが混ざり合って気持ちが悪い。目の前の彼が、この状況が恐ろしくて頭の痛みが先ほどの比にならないくらい痛む。

「主、主命を違えたことをお許しください」

「長谷部もういい…どこかへ行って」

とにかく彼の異様さから離れたかった。まず歌仙を手入れして、その後で話を、




「主命ですか。ご随意に」

長谷部は刀を持ちかえると何の躊躇いもなく自分の首筋に思い切り、自身の刃を入れた。

「あ…」

止める隙なんて、なかった。文字通り血の雨が私の顔を、手足を濡らしていく。呆然と何もできないでいる私の目を見つめたまま、へし切長谷部はいつもの笑顔を浮かべて唇だけで私に告げる。


「どうです。俺は主命を果たしましたよ」




雨はまだ止まない





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