「らっしゃっせー」
深夜のコンビニ、やる気のない店員の声と共に妙に軽快な音楽が鳴る。今日も買うものは決まっている。一直線にエナジードリンクが置いてある棚まで足を進め、いつものメーカーのものを2本手に取る。もはや日課となっている一連の行動は、ここまで一分もかかっていないだろう。あとは、いつもいる同じやる気のない店員に会計をしてもらうのみだ。
店員がだらだらとレジを通す間に既に財布を開き、おつりのないように小銭を用意する。ぬかりはない。…そうぬかりはないはずだった。何故か店員が無言で私の顔をじっと見ている。
深夜の女性の顔をじっくり見るなど失礼千万、帰るだけなのに化粧崩れなどいい加減気にしていられないのだ。品物を渡さない店員にイライラしながら、こちらも睨みを効かせる。アイシャドウが崩れ、黒ずんでいる目元はいつもの倍ぐらいの迫力はあるはずだ。無言ながらに『早く商品を渡せ』と手を軽く差し出すと、店員の男は「おねーさん、死にたい人だったりするか?」と尋ねてきた。
「はあ?」
男の言葉に私のイライラはMAXに到達した。ドスのきいた低い声で反応すると店員は「あれ、違うのか」と頭をぽりぽりとかいて商品をいつものように手渡し、「ありがとうございましたー」と気の抜けた声でいつものセリフを吐いた。
もう私には興味がない、というかのようにレジ周辺の機械をいじり始める男はますます意味が分からない。次こんなことがあったらクレームをいれてやる、と気にしたことがなかった男のネームプレートをちらりと横目で見ながら店を出る。
『御手杵』
…どこが名前で名字なのだろう
「らっしゃっせー」
「…」
数日ぶりの残業、今日も深夜のコンビニに来てしまった。タイミングの問題なのかいつもこの時間帯の客は私しかいない。それを店員も分かっているようで、入店音に反応して声だけはあげたもののレジの下に雑誌を隠して読んでいるのがバレバレだ。いつものエナジードリンクを今日は3本とってレジに向かう。
男は退屈そうな顔をしてレジを通すと、ふと気づいたように「1本多いな」と呟いたが、こちらの反応を見るつもりもないらしく「ありがとうございましたー」と雑に商品を突っ込んだ袋をいつものように手渡した。
いつもの私ならこのままさっさと帰路につくが、今日はこの男に話があるのだ。前回の「死にたい人」発言から私は自分があまりにも酷い顔で仕事をしているのではないか、という分析に至ったのだ。ただでさえ平凡な顔をしているのに、愛想の悪い顔をしているなど最悪である。だからどういうつもりであの発言をしたのかを、この男に問い詰める必要があった。
手間賃かわりのドリンクを男の目の前に置くと、『御手杵』さんは私の顔とそれを交互に見てきょとんとした。
「俺にくれるのか?」
「…あげる。その代わり、こないだ私に言った言葉どういうことか教えて」
「あー…」
なんのためらいもなく早々にドリンクの蓋をあけ、飲みはじめると男は言いづらそうに頬をかいた。
「それ、言わないとだめか?」
「当たり前でしょ!ていうかそれ飲んだなら教えて!」
やべ、とドリンクから手を離した男は残量を確認するが、既に半分以下。ものの数秒で飲みすぎである。早く言え、と目線で訴えると男は「誰にも言わないか?」と言ってようやく口を開いた。
「殺す相手を探してた」
私を真っ直ぐに見て、少し微笑みを浮かべながら言い切った彼はなんてことないかのようにドリンクの缶を片手で潰した。べこっと間抜けな音を立てながらどんどん小さくなっていく缶は、次はお前がこうなる番だという比喩なのか。
少し視線を逸らすと見えた、ガラスに映りこんだ自分の顔はさっきまで意気込んでいたのとは正反対に真っ青である。後ずさりをしながら逃げる算段を立てていると男は困った顔をしながら「もうおねーさんのことは殺すつもりないんだけどなぁ」と笑っている。
その言葉にほんの少しだけ安心するが、「あーでも逃げたら殺すかも」というセリフに私の足は完全に固まった。初めて会話をする相手にあんな言葉をぶつけてくるような人間に関わるべきじゃなかったと、数分前までの自分を猛烈に責める。
まだ20と数年の人生、ここで終わらせてしまうなどあまりにもあっけない。男がレジから出てこちらに来ようとするのが分かり、頭の中はもうパニック状態だ。
もうどうにでもなれと目を固く瞑ると、突然店の自動ドアが開き軽快な音楽が店内に響いた。
神はいたのだ!突然の救世主に感謝しながらドアの方を見ると、金髪や銀髪、顔にピアスをたくさんつけた男たちがわらわらと店内に入ってきており、深夜のコンビニはまるで別の店かと思うぐらいに騒がしくなった。どさくさに紛れてこのまま逃げてしまおうと、そっとドアに近づくと、サングラスをかけた1人の男の体に少しぶつかった。
「いってーなー」
男は私を見て舌打ちをすると、ぶつかったのと数倍以上の力で私の肩を押した。それに私の体はあっという間に傾き、傍にあった棚にぶつかると認識した時には遅かった。
「っ…」
当たり所が悪かったのか、棚の角にぶつけた額はぱっくりと切れてしまい、長年使ってきたスーツにはだらだらと流れた赤がどんどん染み込んでいく。出ている血の割に傷は浅いのかもしれない、頭はやけにはっきりしていて――――
そう、血を流してこのままぶっ倒れてしまっていれば何も見ることはなかったのに、やけに冴えた頭は、凄惨な殺害現場をしっかりと見届けてしまったのだ。
しん、と静まり返った店内で息をしているのは私と店員の彼だけ。先ほどまで騒がしくしていた数名の男たちはもれなく首がひしゃげて床に転がっている。そして、サングラスの男の姿は探さなければよかったと心底後悔した。
アイスピックを持った御手杵が男をめった刺しにしている。きっともう男の息はないだろうし、彼もそれを分かっているはずだ。
「…もうやめて」
やっと絞り出した声で告げると、彼は血濡れの顔をこちらに向け、非常にいい笑顔で「大丈夫か?」と笑ったのだ。
まるで社会奉仕活動をした、とでも言うような爽快な笑みを浮かべながら彼は私に近づいて、先ほど切れた額をまじまじと見た。
「酷いもんだなぁ。絆創膏で足りるか…?」
彼は赤で濡れた手でズボンから少しよれた絆創膏を引っ張り出した。大きな手は不器用そうに私の額にそれを貼ると、非常に満足げな様子だ。
「いや、私より…あの、なんで殺して…」
人を殺したというのに彼のテンションはおかしい。そもそもお店をこんな血濡れにして、死体までもがこんなにごろごろと転がっていたならばすぐにでも警察がきてしまうのではないだろうか。
…もし私が怪我をしたのを見て、御手杵が助けようとしたためにこんなことになってしまったのならば責任は私にある。いや、助け方に問題が大有りなのだが、顔に血をつけてにこにこ笑うこの男がサイコパスだとかそういう類の人間で、人を殺す機会をうかがっていたとするなら、その機会を作った私には尚更責任がある。見たところこの男はまだ18,19歳ぐらいだ。警察に行ったとしても未成年としてどうにか―――いや、何のためらいもなく2,3人殺してしまうのはどう考えても異常だし、アイスピックを持っているのも問題だ。
擁護の余地なし、と頭を抱えると彼は「この店は知り合いのだから問題ない。人を殺すのも初めてじゃないしなぁ」と笑うのだから救いようがない。
「それに今死んでるのは、世の中にとっていらないやつだろ?じゃあ、いなくなってもいいじゃないか」
彼は心底彼らを死んでもいい人物だと思っているのだろう。罪悪感など微塵も感じられない声音に私の背筋に嫌な汗が流れる。
「俺は刺すしか能がないんだ。…なのにここでは人を殺したらいけないなんて生きづらいもんだなぁ」
どうして俺は人になったんだろうな、と続ける彼に私は何も言えなかった。
彼がどうしてこんな風に育ったのかも、刺すしか能がないという理由も私には知る由もない。人を殺すのがどうやったらごく普通の生活になるかは分からないが、彼には彼の事情があってそういう生活を送ってきたのだろう。
まだ若いのにやけに達観した瞳を持つ彼に、恐怖よりも関心が強く湧いた。
「ねえ、私と生きてみようよ」
ほぼ初対面の男にこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、何故か私はこのセリフを言うのは初めてではないと感じていた。それは彼も私と同じだったらしい。どこかで聞いたセリフだというように目を見開き、少し口の端を歪めて笑った。
「…そうだな」
珍妙な関係の始まりになるが、この店内の惨状を見る限り障害は大きいと息をつく。
まずは『人として』正しい道徳観念を教えなければいけないねと笑いかければ、彼もそれにつられるように笑顔を見せた。