用意されたのは白い着物だった。赤い飾り紐が袂に縫い付けられただけの簡素な薄衣。夏の盛りであればまだしも、冬の明けきらないこの時分に纏うにはどう考えても重ねが足りない。

 「姫様、御支度は整いまして御座いますか?」

 「……こちらにある、白い衣のみで、よいのですね?」

 「さようで御座います。間もなく禊(みそぎ)の刻となってしまいます、お急ぎ下さいませ」

 どう考えても布が足りない、とは思うのだが、やはりこの一枚きりで間違いないらしい。
 禊のことは幼い頃より聞かされてはいたが、甘く見ていた。神へ嫁ぐ為には清い身体で在らねばならない、社に召し上げられる前には潔斎に入る、三日の間、清浄な真綿で編んだ白衣で神泉に浸かり、陽を浴び、必要最低限の食物しか口にしてはいけない。確かにそう教えられてはきたが、このような寒さが残る季節に執り行うものだとは。

 「姫様、お早く」

 「心得ております。もう少しお待ちなさい」

 ふぅ……、と細く息を吐く。この宮の中でさえまだ息が白く染まるというのに、薄衣一重で池に身を委ねるなど正気の沙汰とは思えない。気が触れた者でさえやらないだろう。

 そうは思えども、自分はこの習わしを拒むことは出来なかった。

 真っ白な衣に袖を通す。

 一言、否、と言うだけならば簡単だろう。けれどそれをしたならば、自分は生きる場所を失ってしまう。天皇(おおきみ)の女(むすめ)に生まれ、一ノ姫として宮中で育てられたのは、斎宮(いつきのみや)になるためだ。社に入り、神に嫁ぐ。それが己の役目なのだと教えられ続け、自らにも言い聞かせてきた。今更それを覆すことは出来ない。

 不安がないと言えば嘘だった。禊の儀式は、一人きりで行う。口にするものを運ぶ者とも、言葉を交わすことはならないとされており、ただ一人、泉の中で身を濯ぐ。この寒空の中で入水するなど、如何程の寒さだろう。凍え死んでも不思議はない。孤独に、死んでしまうかもしれない。

 それでも、覚悟を決めねばならなかった。仮に自分が逃げたとしても、今度は妹姫達に役目が回ることになる。人々から隔てられた宮中で、気兼ねなく話せた数少ない者達。そんな可愛い妹姫達に役目を背負わせるにはあまりに不憫で申し訳ない。

 「姫様、」

 「今参ります」

 襟を合わせ、腰紐を結ぶ。存在を示す青銅の鈴の輪を足首に巻くと、深く息を吸い、室からゆっくりと歩み出た。しゃらん、しゃらん、と一歩みするごとに重苦しい鈴の音がまとわりつく。

 「式子内親王の御成、式子内親王の御成」

 先導する斎宮司が声高に告げると、廊下の先々にいた者達が叩頭する様が見えた。その中に一組の夫婦(めおと)を見つけて、ふと思う。私は神に嫁ぐ。嫁ぐということは、神の妻になるということだ。人と人の夫婦とは事情が違い、互いに交わることはなく自分が身を捧げるだけだけれど。それでも、嫁ぐのだから、自分は妻で、その相手は夫だ。相手が神だとしてもそれは変わらない。いいや、本当は意味が変わるのかもしれないが、自分にとってはどちらにしても大して事実に差違はない。

 夫となる神は、どんな御方なのだろうか。厳しい御方だろうか、心穏やかな御方だろうか。おおらかで、楽しい御方だといい。この先ずっと、この身を捧げるのだから。

 斎宮になろうという者が、こんなことを考えていると知ったならば斎宮司や他の者は顔を顰めるだろう。神に対してなんて御無礼な、畏れ知らずな、と。そう考えて、少しだけ気が和らいだ。愉快な気分だと表してもいい。

 自分が、一ノ姫になろうと思って生まれたわけではない。自ら斎宮を望んだこともない。そんな自分が、ほんの僅かばかり、心の隅で想像するくらい良いではないか。


振り向いて、ダーリン



(どうせ手の届かない相手なのだから)

制度と社会が変わるのは、
ずっと先の話。




酸欠/oxeygen shortage】参加作品

2012.02.27 鈴颯 by whim



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