※宮さまのリクより
「ピンポンシリーズのふたりのすれ違い」


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「ひー、あちー!」
「おーエースお疲れー」
「おうお疲れ!やべーな今日、暑すぎじゃねぇ!?」
「配達しがいもあるってもんよ」
「はは、だな!」

シャツのボタンを外しながらロッカールームに駆け込むと、おれと同じように太陽の下、汗を流して働いてきたであろう同僚たちが一斉にねぎらいの声をかけてくれる。
疲れは少なからず滲ませてはいても、その顔は一様に達成感と仕事に対する誇りで明るい。

「いよいよ夏が来るって感じかー?」
「まだはええよ、その前に梅雨だ梅雨」
「うわーそうだー。雨の日の配達って気遣うんだよなー」

特に頭も使わない気楽な会話を交わしながら制服を脱ぐ。今日も一日頑張った。
配達の車の中で聞いたラジオでは、各地で真夏並みの気温、とかなんとか騒ぎ立てていたが、とりあえず平和で暖かくて天気が良くて、おれにとっちゃ配達日和のいい日だった。
しかも朝は昨夜おれんちに泊まっていったルフィに満面の笑顔で送り出してもらえて、半強制だけど「いってらっしゃい」のちゅー付きで、給料も入ったし、これからルフィと飯も食える。
最高だ。

「ん?何だエース、これからルフィと会うのか?」
「お?わかる?」
「顔に出すぎ。機嫌良すぎ。その堂々っぷりも腹立つわ」
「元気出せよサッチ、春が来ねえのはお前だけじゃねえから。多分。」
「調子に乗んなバーカはやく帰れ!!」

半泣きのサッチに危うく半裸のままロッカールームから蹴り出されそうになる。
年長の奴らに取り押さえてもらって、ついでに軽く脳天に拳を喰らって小学生みたいなことすんな、と笑い混じりに怒られた。実に平和だ。

「いってージョズのゲンコツ!」
「エースお前な、いくら機嫌いいからってサッチで遊ぶのもほどほどにしろよ」
「なんだジョズおれ『で』って何だ!!『で』って何だ!!」
「エースはあれだろ、ルフィの誕生日休み取れたのが嬉しくて仕方ないんだろ」
「え?なになにルフィ誕生日?いつ?」
「こどもの日」
「おいイゾウお前何で知ってんだ!」

さらっと個人情報漏らしやがってイゾウの奴。誰だこの冷血漢を人事部なんかに回したの!

「そうかー、じゃあゴールデンウィークは勝負なわけだ」
「もうプレゼントは決めたのか?」

う、と思わずTシャツを着ようとしていた手を止めて呻く。
おれの表情が一瞬にして強張ったのを目ざとく見咎めたサッチが、ここぞとばかりに喰らい付いてくる。

「――なんだ!?まさかまだ何も考えてないとか!?ひでー!!彼氏ひっでー!!」
「ッせぇなもーやつ当たりすんな!何も考えてねえんじゃなくてコレってもんが思い付かなくて悩んでんの!」
「初めての誕生日だもんなあ」
「お前は何もらったんだ?誕生日」
「教えねーよもったいn」
「手帳だよ。ホラこいつが命よりも大事そうにしてるあの革のカバーの」
「……だから何でイゾウがそんなことまで知ってんの…!?」

ふ、と無言のまま流し眼で冷たい笑みを浮かべられて、ぞぞぞ、と背筋が凍る。コイツだけは敵に回せない。コイツとサボだけは。

「まーでも候補くらいはあるんだろ?女の子のプレゼント探すよりかは選ぶの難しくないんじゃねえ?」
「んー、まああるっちゃあるんだけど…色気も何もねえっつーか…」
「例えば?」
「…新しいモデルのスパイクとか。サッカー代表戦のいい席取るとか。」
「少年だ」
「少年らしい」
「少年だもんな」

うん、と納得の表情でしみじみ頷いたおっさんたちを見て、おれはひとつ溜息をついた。
どうせなら喜んでくれるものをあげたいし、ルフィならなんでも喜んでくれるとは思うものの、いまいちこうなんというか、インパクトというか、ムードに欠ける、というか。

「旅行とかは?」
「ゴールデンウィークでどこも混んでんだよ。よさそうなところはもう埋まってるし」
「あーなるほどなあ」

不定期な仕事だから、そもそもゴールデンウィークという発想がなかったおれは完全に出遅れた。おれとしたことが。来年はもっと早めに計画立てねえと。

「まあなんにせよ、本人が喜ぶものあげればいいじゃん。要は気持ちだ気持ち!むしろ下手に気取ってもあのルフィ相手じゃ大して効果ねえぞ」
「確かに。高級和牛食い放題とかのほうが喜びそうだもんなあ」
「デスヨネー…」

自分でもなんとなくそう思っていたところをドンピシャで肯定されて、もうぐうの音も出ない。
自分の誕生日がとんでもない感動の嵐だったもんだから、なんとか少しでもお返ししたくてなけなしの経験値と思考力をフル動員してはみたものの、やっぱり自然体が一番、ということなんだろう。
幸いにも一日休みは取れた訳だし、うまいもん食わせて、たくさん笑わしてやって、4日の夜からもう丸一日かけて散々甘やかしてやることにしよう。

「ま、まだ時間あるし、もうちょい考えてみるわ」
「おーがんばれー。ルフィによろしくー」
「おう。じゃあな、お先。おつかれ!」
「お疲れー」

悩み事は後回しで、あとはわき目もふらずルフィの待つ駅前へ。相変わらずの猪突猛進っぷりに後ろで同僚たちが苦笑いを交わしていようがなんだろうが、もうルフィしか見えてないおれの知ったことじゃない。


******


「ぶはー、食ったー!」
「食ったなー。値段の割にはうまいなここ」
「なー!また来ような!」
「だな」

そのままなんとなくぶらぶらと街中を歩く。無意識に、駅から離れた人気の少ない方へ。
街の明かりが少なくなって、すれ違う人も少なくなる。それにつれて、ルフィとの距離が少しずつ狭まっていく。

肩が触れる。手の甲が触れる。指が絡まって、どちらからともなく指先だけで手を繋ぐ。
どんな顔してんだろ、と思ってこっそり横を覗き見ると、視線に気付いたらしいルフィが、前髪を風に揺らしておれを見上げた。
そのまま大きな瞳でじっとおれの眼を見たかと思うと、しし、と少しだけ照れたようにはにかんで笑った。

ちょうどその時。すぐ目の前の店のドアが開いて、客が中からどやどやと吐き出されてきた。
は、と肩を強張らせて、瞬時に繋いでいた手をほどいてしまったルフィ。
逃げるその細い手首を掴む。

「…! エース、」
「こっち」

低く言って、そのまますぐ脇の細い路地裏に潜り込む。ビルの陰にルフィごと隠れて、酒に浮かれて大きな声で笑う集団が通り過ぎていくのを待つ。
上機嫌の酔っ払いたちの眼に留まる心配なんかほとんどないのに、更に自分たちの影を小さくするように、ぎゅう、とルフィの身体を抱きしめる。

突然のおれの行動に身体を固くしていたルフィが、見つかる気配がないことを知って肩を緩めた。そのまま寝てしまいそうにくたりと力を抜いて、全てをおれに預けるように肩のあたりにもたれかかる。
ざわめきが通り過ぎてやがて遠くに消えて行っても、おれたちはそのまま動かなかった。

「……――しし、びっくりした」
「な。別に見せつけてもよかったけどな」
「だめだぞエース、あの中にお客さんいたらどうすんだ」
「おれは別に構わねえけど」
「うそつけ」
「嘘じゃねえよ」

くすぐったそうに小さく吐息のような笑い声を零したルフィは、もう何も言わずにおれの背中に腕を回した。
家の中で抱き合うのとは少し違う、薄くスリルを纏ったハグ。人の眼から逃げた時の緊迫感が、そのまま大好きな相手と隙間なく触れ合う高揚感に変換されて、心拍数を上げる。
穏やかな安心感と、体温の上がるような高揚感。きっとルフィも同じだと、抱きしめた身体の温度でわかる。
あーあ。参った。離したくない。帰したくない。

「…――ルフィ、今日も泊まってけよ」
「……んー…。そうしたいけど、今日は、帰んなきゃ。」
「どうしても?」
「………どうしても。ごめん。」

少し長い逡巡。ぎゅ、と強くなった胴を締めつける腕の力。こいつだって、おれと離れがたいと思ってくれてるのはわかるのに、ルフィは頑なに二晩続けておれの部屋に泊まらない。
こんなに名残惜しそうにしてくれてるのに、それでもルフィが2泊以上できないその理由。それは、「サボをひとりにするから」だ。

「…くそ。サボの幸せもんめ。」
「……ごめんな、別にサボがダメだって言ってる訳じゃなくて、おれの勝手な自分ルールっていうか、」
「わかってる。…いいよ、気にすんな。家まで送る。」

あんまりお前ひとり占めしてもバチ当たりそうだしな、と茶化して言う。申し訳なさを滲ませた顔でおれを見上げていたルフィが、それを聞いて少し気が楽になったように小さく笑ってくれた。
おれも大人になったなあ、と柄にもなくしみじみ思うのはこんな時。

それもこれも、ルフィが心底申し訳ないと思ってくれるのが切ないくらいに伝わってくるからだし、ルフィとサボがどれだけお互いを大事に思っているかよく知っているからだ。
家族も兄弟もないおれでも、ルフィとサボの間に横たわる絆がそこらへんの兄弟姉妹に比べて強く深いものだということはわかる。一体何がそこまでの絆を生んだのか、おれにはわからなかったけれど。

「……ま、今日泊まれない分はキスで手を打とう」
「…ん、りょーかい」

何の含みもない笑顔で嬉しそうに笑ってくれちゃって。その笑顔のためだったら、おれは仏にも鬼にもなろう。
恋は盲目とはよく言ったもんだ、なんて他人事みたいに考えながら、おれはルフィの引力に逆らわずに、体を屈めてキスをした。


******


しゅん、という音と同時にエレベーターのドアが閉まる。
くん、と重力に逆らって箱が上昇し始めたのを感じて、おれは壁に背中を預けた。

「……はあ…」

顔が熱い。身体がスカスカする。心臓がぎゅう、と痛んで音がしそうだ。
別れる間際、強く抱き締めてキスしてくれたエースの、おやすみルフィ、という低い声が耳に響いて消えなかった。
おれがエレベーターに乗り込むのを見届けるまで見送ってくれた、やさしい笑顔がもう恋しかった。

(――ビョーキだろ、こんなの。)

ホントは、今夜もエースの腕の中で眠りたかった。
身体を重ねなくてもいい。エースのいる空間で、エースに触れて眠りたかった。一緒にいたかった。
それでも。

(…サボをひとりにしちゃだめだ。)

いつからかはわからないが、それはおれの中での絶対ルールだった。
サボだってもう一人前の男だし、寂しいと泣いて喚いたりするわけでもないし、なにがきっかけかもわからない。それでも、サボをひとりにしない。それはおれの決して破ってはいけない誓いみたいなものだった。

それに、今日は珍しく「何時に帰ってくる?」とサボからメールが入っていた。
おれがエースと会ってるときにサボがわざわざこうして予定を聞くのは珍しい。泊まる時は連絡する、と約束しているのもあるけど、基本的にサボは意味もなくおれの行動を把握しようとしたりしない。何か用があるんだ、と判断したおれは、エースと飯食ったら帰るな、と返事をしていた。
少し遅くなっちまったけど、いつもならサボも起きてる時間だし、部屋の明かりもついていた。おれはもう一つ深呼吸して心臓の疼きを吐きだすと、手のひらで顔の熱を誤魔化してエレベーターを降りた。

「――ただいまー、サボー?」

あれ、とおれは玄関先でひとり首を傾げた。いつもなら、ドアのカギを開ける音で気づいて、「おかえりルフィ」、とあのやわらかい笑顔で迎えてくれるはずのサボ。そのサボが、今日は返事をしてくれない。
(…寝てんのかな?)
靴を脱いで廊下にあがったおれは、明かりのついたリビングにまっすぐ歩いて、サボの姿を捜した。

「…――れ?なんだ起きてんじゃん」

ソファに腰掛けて、テレビもつけずにぼんやりしていたサボは、おれが声をかけて初めて気付いたように、勢いよく振り返った。

「―――、あ、ルフィ帰ったのか。ゴメン、ぼーっとしてた。おかえり。」
「ただいまサボ!珍しいな、サボがぼーっとしてるなんて。疲れたのか?だいじょぶか?」
「……ん、大丈夫だよ。ありがとう。…楽しかったか?」
「おう、楽しかったぞ!エースとな、こないだ言ってた新しくできた店に行ってきてな、うまかったしそんなに高くなかったからまた来ようなって!サボも行こうな!」
「…うん、そだな…。」

ここでおれは、やっぱり何かサボの様子がいつもと違うことに気がついた。
いつもと同じように、やさしく話を聞いて相槌を打ってくれる。それは変わらないのに、どこか笑顔が固い。何か別のことを考えている様な、ふわふわした声。
おれは荷物を適当に床に放り出すと、ソファに座ったままのサボの前に座り込んだ。
膝のあたりで組まれた手に触れて、表情の薄い顔を見上げて言った。

「―――サボ、何かあったのか?なんか変だぞ?」

いぶかしんで顔を覗きこむおれを、サボはゆっくりと焦点を合わせるように見つめていた。
何か言う前から、ごめんな、と謝るような顔をして。

「……ルフィ、」
「ん?」
「話があるんだ」

サボの様子に気を取られて気付かなかった、テーブルの上の書類。
成績優秀で、院に進む事もとっくに決まっていたはずのサボが、ここ数日ずっと忙しくしていた訳。
そうしてサボが告げた、決断。

―――――ごめんな、ルフィ。
サボは、最後にそう言った。
その後どうやって眠りにつき、次の朝を迎えたのかをおれは覚えていない。当たり前のあしたが、今日が、もうやって来ない。それだけは、わかった。