(2/2)
「……あ、」
雨だ、とつぶやいて、おれは灰色にどんよりと曇った空を見上げた。
最悪だ。絶対心配してる。エースとサボ。よりにもよってこんなときに携帯の電池も切れてるし、見つかったら絶対怒られる。
戻ろうにももう自分が今どこにいるのかもわからない。
それでもここにいて動かなければ、いつかエースとサボが見つけてくれる。今までだってそうだった。
結局、ふたりがいなければどうにもならない自分が嫌になるけど、さすがにこれ以上ふてくされて迷惑をかける訳にはいかないことくらい、おれでもわかる。
せめてどこか雨宿りできる場所を探そうと、おれはたまたまたどり着いた公園内を駆け出した。
雨に濡れて鮮やかさが濃くなったような並木道を抜けた先。一際大きな木が枝を広げて立っていて、ここにおいで、と呼んでくれてるように見えた。
ちょっとジャマするな、と固い幹に手を触れながら話しかけて、その軒先を借りることにした。もう髪の毛は濡れて、毛先から雨の雫がつう、と顔や首筋を伝っていたし、たまに葉っぱの先からぽたりぽたりと雫が降ってきたけど、枝の外の雨の激しさを見ればよっぽどましだ。
しばらくじっと雨の音を聴きながら、滲んでぼやけたような景色を眺めていたおれは、ふとなんとなく上を見上げた。
「…桜、か?」
遠くからは見えなかったが、どうやら満開の時期もとっくに過ぎ去った桜の木のようだった。
立派な木だ。満開の時期はさぞかし見ものだろうと思えたけど、葉桜もいいところのこの時期じゃ、もうおれ以外にこの木のもとを訪れる人はいないようだった。
(……最後の桜、散っちゃうな。)
低いところまで張り出した枝から伸びる細い小枝。青々と茂る葉っぱの中で、少し肩身が狭そうにぽつりと咲く、最後の花。
(―――お前も、置いてきぼりなんだな。)
そのさびしそうな咲き方が今のひとりぼっちの自分と重なった。枝にしがみついているその花びらに雨の雫がずしりと纏わりついているのが嫌で、おれは盛り上がった根っこの上につま先で立ち、もう少しで届きそうなそれに手を伸ばした。
指先に触れる枝は、だけどあと少しの所で届かない。
別に、届いたからどうしようという訳でもないのだ。ただ、その重たそうな雫を払って、せめてもう少し長く、咲かせてやりたかった。
せめてもう少し長く、この木と一緒にいさせてやりたかった。
それだけなのに。
(……やっぱり、おれじゃだめかな。)
やっぱり、おれじゃ足りないのかも知れないけど。それでも。
ここで諦めたら何かが折れてしまう様な気がして、不安定な足場でさらに身を乗り出した、その時。
ずる、と足元が滑って、平衡感覚が崩れた。
(あ、)
倒れ込む。間に合わない。濡れた地面に叩きつけられる衝撃に構えて、身体を強張らせた瞬間、
よく知る力強い腕が、広い胸が、おれを包み込んで支えてくれた。
「…―――この、馬鹿…!何やってんだ…!!」
ぎゅうう、と遠慮ない力で抱き締められる。
エースのお気に入りのジャケットがぐっしょり濡れている。肩のあたりに押し付けられた髪から、ぽたりぽたりと雫が落ちる。
ずっと捜してくれてた。心配かけた。それがわかった。
「……ごめんなエース。エースに助けてもらうの、2度目だな。」
「そういうこと、言ってんじゃねえよ…!何勝手に、おれ、お前に何かあったんじゃねえかって、…何で、ひとりで…!!」
「うん、ごめんな」
ほんとに心配かけたんだって、その腕の力で文字通り痛いくらいにわかった。
ひでえな、おれ。ふたりが仲良いのが羨ましくて、勝手に仲間外れにされたみたいに感じて、拗ねて、逃げて。
ふたりがそんなつもりないことも、大事に大事にしてくれてることも、ちゃんと解ってるはずなのに、それでもこういうことになっちゃうのは、おれがガキで心せまくて頭悪いからだ。さいあく。ほんと、最悪。
「…ごめんな。エースまで濡れちまったな…。ごめんな、」
「……ほんと、勘弁してくれ…。なんで、急にいなくなったりすんだ…。」
「ごめん。おれがコドモなせいだ。」
「…?」
「…おれ、エースとサボが仲良いのが羨ましくて、おれ、頭悪いから世の中のこととか全然わかんねえし、いっつも自分のことばっかりだし、もしかしたら、エースとサボ、おれと一緒にいても楽しくなかったんじゃねえかなって、思って、」
自分で言ってて笑える。どんだけ欲張りなんだろ、おれ。
「…ごめんな。おれ、エースのこと大好きすぎだから、サボのことも大好きだから、ふたりとも一緒にいてほしいとかすんげえわがままなこと考えてた。」
「――ごめんな。一緒にいて楽しいように、おれ頑張るから、だからもうちょっとだけ、」
一緒にいてくれ、と続けようとした言葉は、強く荒いキスに飲み込まれた。
感情の全てをぶつけられるようなキスに口内を荒らされて、息のできないおれは思わず、苦しさを訴える呻きをもらして身じろいだ。
「んぅ、…ッ、」
「―――ふざけんな。お前、おれが我慢してお前と一緒にいると思ってたのか。」
「…エー、」
「ふざけんな。ナメんじゃねえぞ。まだわかんねえのかよ!おれがどんだけお前が大事かまだわかんねえのかよ!」
「こんな必死になって雨ん中捜すほど、ちょっといなくなっただけでこんな血の気が引くほど大事にしてる奴、お前以外にいるわけねえだろ!!」
本気で怒ってるのがビリビリ伝わってくる眼で一気に怒鳴ったエースは、無理矢理激情を抑えるように、はあ、とひとつ深く呼吸をした。
もう何も言えないおれをまた強く強く抱きしめて、くぐもった声で続けて言った。
「…さみしい思いさせたのは、謝るけどさ。でもお前、おれたちの話聞いてろよ、ちゃんと。お前の話しかしてねえよ、おれとサボ。冗談抜きでさ。」
「あとさ、お前、変なとこで謝るなよ、頼むから。…お前と一緒にいてつまんねえことなんか一回もねえよ。…コドモだとかさ、頑張るとかさ、そんなの要らねえからさ。」
「そばにいてくれ、頼むから。おれ置いてどっか行ったりすんな。急にいなくなったりすんな。…ほんと、頼むから。…ルフィ。」
さっきのお前、妙に綺麗で、あのまま消えちまいそうでゾッとした。
らしくない弱弱しい声でそういうと、エースはもう何も言わずにおれを抱き締めた。二の腕や腰のあたりを掴む手のひらの力がいつになく強い。やさしく守るように触れてくれるその手が、今はそういう配慮をかなぐり捨てて、まるで溺れる人が縋りつくような強さで抱き締める。
その荒々しさが、今はどうしようもなく嬉しかった。
「…エース、うそついてないか?おれと一緒にいて楽しいか…?」
「何回でも言う。嘘なんかつかねえ。お前がいい。お前以上に一緒にいて楽しい奴なんかいない。お前より一緒にいたい奴なんかいない。ルフィがいい。ルフィがいなきゃ駄目だ。」
「……エース、」
「ルフィの話が聞きてえ。ルフィのこと全部知りてえ。ぶっちゃけ面白くなかろうがなんだろうがお前の声きけりゃなんでもいい。」
「エー、」
「ルフィがいなきゃ息できねえ。ルフィがいなきゃ眠れねえ。ルフィじゃなきゃ勃」
「エース!!何言おうとした今!!」
厚い胸板に手をついて身体を離し、たまらず言葉を遮った。
悪びれもせず、けろっとした顔で言いなおそうとするその口を、もういいわかったと頭ごと抱き締めて抱え込んで封じる。言わせねえよ!
「…――いやでもほんと、真面目な話さ、頼むからもういなくなったりすんなよな。おれには行くなって言うくせに、お前はすぐどっか行っちまうんだから」
「…うん、ごめん。めっちゃ捜してくれたよな。」
「超捜した。マジ焦った。つか今もサボ捜してるはず。電話しろお前」
「うわー、やべえ怒られるー」
エースの携帯を借りて、サボに電話する。
プルル、とワンコールもしないうちに通話が繋がって、もしもしエースかルフィ見つかったか、と物凄い勢いでまくしたてる兄の声が聞こえた。
「…――サボ、ごめん。おれ。」
『……ルフィ!?―――ばか!!どこ行ってたんだよ!!ああ、もう良かった…!!エースと一緒だな!?今どこだ動くなよ兄ちゃん今から行くから絶対動くなよそこにいろよ1ミリも動くなよ絶対だぞ!!』
「ハイ…。」
説教は後だ。どうせお前今どこにいるかわかんないんだろエースに代われ、とさすがの洞察力で言ってのけた兄にハイ、と神妙に返事をして、ホレ見ろ、という顔をしているエースにうなだれて携帯を返す。
「…サボ?おれ。…うん、うんちょっと落ち着けお前、ルフィなんともねえから。公園わかるか?でかい池とかある…、…うんそう、もう隣駅のが近ぇわ多分。そこの並木道で合流しよう。…おう、任せろ一瞬たりとも離さねえから」
お前の方が気ィつけて来い、と最後に一言言い置いて、エースは電話を切った。
じとりとこっちを上から睨みつけて、お前サボ来るまでに覚悟決めとけよ、などと恐ろしいことを言う。ちなみにこの電話の間も片腕でがっちりホールドされている。もう少なくとも今日一日は絶対離してもらえない。
固く太い鎖のようなその腕は、でもきっと、これ以上なくやさしくてあったかくて幸せな鎖だ。
逃げようなんて、もう思えないくらいに。
「……ああ、そういやお前さっき何取ろうとしてたんだ?桜か?」
「あ、いや、取ろうとしてたわけじゃねえんだ。…あの花、この雨で散っちゃいそうだったから、だから、せめて水払ってやりたくて」
言ってるうちに、ほんとに全然大したことじゃなくて恥ずかしくなってくる。
ごめん、気にしないでくれ、といって眼を逸らしたおれをしばらく黙って見ていたエースは、ゆっくりとおれをホールドしていた腕をほどいた。そのまま、おれの右手を取って繋ぐ。
こんな白昼堂々外で手を繋ぐなんて、実は初めてのことだって気がついた途端、どくん、と心臓が一気に熱い血を身体に送りだした。
「エース、」
「そのまま。…逃げるなよ。」
ぎゅ、と繋いだ手に力を込めると、エースは長い腕をひょいと伸ばして、いとも簡単にその枝を捉えて見せた。おれがどうしても届かなかったその枝を、エースの大きな手がするりと掴む。
花を振り落とさないように慎重に、枝をゆすって雫を払い落す。
水の重みを振り払った花が、少しだけ背筋をぴんと伸ばして花弁を開いたように見えた。
「…これでいいか?」
そう言って笑ったエースが、なんだか無性に頼もしくかっこよく見えた。
それがむずがゆくて悔しくて、おれは繋いだ手を力一杯握り、その広い肩に額をぶつけてくっついた。
いてえよ、と言って笑ったエースがやさしく頭を撫でてくれるから、おれはもう色んな気持ちをぎゅうぎゅう詰めに詰めて、ありがと、と小さく言った。
エースは何も言わずにぽんぽん、と頭をやさしく叩いてくれて、そのまま行くか、とだけ言ってゆっくり歩き出した。
手を繋いで歩くと、いつもより距離が近い。
よく知ってるはずの背の高さとか、肩のがっしりした強さとか、すっぽりとおれの手を包んでしまう大きな手のひらとか、そういうひとつひとつが、何だか、無性に好きで好きでたまらなかった。
このひとと一緒にいられてよかった。このひとに望んでもらえてよかった。そう思った。
雨は止んだ。雲間から太陽が顔を出して、並木に纏わりついた雫をキラキラ光らせる。このまま誰もいない並木道を手を繋いでゆっくり歩いて、サボを待とう。
いっぱい怒られるだろうけど、サボに抱きついて全力でごめんなって謝って、でももう仲間外れにすんなって言って、そして、エースとサボの間にはさまって帰ろう。どうせ今日はもう離してもらえそうにないんだし。
特に意味はないけど、隣のエースの顔を見上げた。
ん?という感じでエースが見つめ返してくれたから、おれは見つけてくれてありがとな、と言って、大きな手を握った。
それにちょっとだけ面喰ったあと、エースが当然、とちょっと誇らしげに笑うから、それが嬉しくてそんでちょっと照れくさくて、おれも笑ってごまかした。
いつもならすんなり出てくる「大好き」が、明るい太陽の下ではちょっと出てきづらくて、言葉の代わりに強い肩に一瞬頭を預けてみる。
やさしく握り返された右手が、その答えだった。
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(…――参ったなあ…。)
並木道に入ったところで、サボは足を止めた。
雨上がりの土のにおい。澄みきった光の中で、弟とその恋人はしっかりと手を繋ぎ、青い空を見上げながら寄り添って立っていた。
(おれの、役目だったのにな。)
ひとりで冒険に出たがるルフィを繋ぎとめるのは、いつだってサボの役目だった。
迷子になったルフィを一番先に見つけるのだって、サボの役目のはずだった。けれど。
(負けちゃった、なあ。)
けれど不思議と、思ったほどショックを受けていない自分がいることにもサボは自分で気がついていた。
寄り添う二人の姿があまりに自然で、隣を見上げて笑う弟の顔があまりに信頼に満ちていて、弟を見つめて笑う男の眼が、あまりに優しかったから。
(…大丈夫だよな。)
おれがいなくても、もうだいじょうぶ。
兄は確信していた。あの男なら、愛する弟を任せられる。
(―――大丈夫、だよな?)
兄は知っていた。自分の選択が、ふたりの間に波紋を呼び起こすであろうことを。
兄は信じていた。ふたりなら、それをきっと乗り越えると。
兄は知っていた。この時間が、もう長くは続かないことを。
兄だけが、知っていた。
ピンポンディサイダー
(――それは、いつかきっと必ず来る、)
涼風さん、長らくお待たせして申し訳ありません…!
素敵なリクエスト、どうもありがとうございました。
以前からいつもやさしく見守ってくださってる涼風さんに、気に入って頂けますように。
2012.04.22. Joe H.
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