※涼風さんのリクより、「ピンポンシリーズで、エースとサボが仲良くて
ルフィが二人にヤキモチを妬く話」です。
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(……―――まだ5時か…。)
喉の渇きを覚えて目を開けると、青色に光って枕元に浮かび上がるデジタル時計の文字が、まだ起き出すには早すぎることを教えてくれた。
春も最中。だいぶあたたかくなったとはいえ、やさしくぬくもってまだ出るには名残惜しさが残る布団。
まだ暗い道路を、こんな時間だというのに通って行く車のライトが、カーテンを淡く照らす。
腕の中に抱え込んだルフィは、おれの顔のすぐ横で安らかに寝息を立てている。
真っ暗なはずの部屋に、ルフィの肌がぼんやり発光しているように見えた。
(……起こしちまうかな…。)
目を閉じると意外なほどにきれいな顔立ちをしていることがよくわかる。
肌に直接感じるルフィの寝息。直に触れ合った肌のぬくもり。小さな子供のような、太陽の光にさらしたばかりの洗濯もののような、どこか懐かしいやさしいにおい。
それら全てが愛しくて、抱き締める腕に力を込め、さらさらの髪の毛に鼻先を埋めた。
一度気付いてしまった喉の渇き。それをごまかして再び眠りに入ることはできそうになくて、ごめんな、と胸の内で謝ってやわらかな額に口づける。
そのままできるだけ静かに、枕になっていた左腕を細い首の隙間から抜き去って、ルフィを起こさないように起き上がった。
いや、起き上がろうとした、その時。
「…――、ルフィ?」
「……んん…」
するり、と音も立てずにむきだしの腕が腹に巻き付いた。
おれが動いたせいでできた隙間に、冷えた空気が滑り込んできたのに気付いたらしい。スウェットを履いたおれはまだしも、一糸も纏わないルフィには少しかわいそうなことをした。
「……ごめん、ルフィ。起こしたな。まだ寝てろ、全然早ぇから。」
「…やだエース…行くな…。」
「仕事じゃねえよ。水飲みに行くだけ。」
「……んー…だめだ…」
「はは、寝ぼけてんだろお前。…はなせよルフィ。すぐ戻ってくるから」
まだ眠りの世界に片足突っ込んだままのルフィ。刺激しないように、顔を近づけて低くやさしく言って、ご機嫌伺いにキスをする。こんな甘ったるい声音、ルフィ以外に聞かせられねえってくらいに。
「…ルーフィ。頼む。30秒だけ。」
「……さんじゅうびょうな…」
「うん」
「…すぐな…」
「うん。すぐ。」
「ん。……いーち…」
「おいおいスターターなしかよ」
唐突にはじまったカウントダウンに笑いながら、文句を付けている余裕はないと判断したおれは早速布団を出て立ちあがった。狭い単身向け安アパートの間取り。ミネラルウォーターのペットボトルが収まる冷蔵庫はすぐそこだ。
バカリと開けた冷蔵庫の明かりが寝起きの目に沁みる。網膜で受け止める光量を減らそうと目を細めて、おれは目的のペットボトルを手に取る。
「…はーち、…きゅー…」
ゆるいふにゃふにゃの眠そうな声。今にも途切れそうなルフィのカウントダウンを笑い混じりに聞きながら、おれは冷たい水を喉に流し込んだ。
渇きは癒えた。これでようやく、全てに優先してルフィを甘やかすことができる。
「…じゅーさーん…、じゅーよーん…、……にじゅうごー」
「おいおいおい!」
慌ててペットボトルを冷蔵庫にぶち込んで扉を閉める。小さな王様の手にかかれば、おれの時間すら思いのままだ。
「…にじゅーはーち、にじゅーきゅー…」
「30!!あぶねー!!」
最後のカウントと同時に王様の待つねぐらへ滑り込む。
半分も目の開いていないまま、小さくくすくす笑っておれに手を伸ばす可愛い恋人を、滑り込んだ勢いのままおれも笑いながら抱き締めた。
明け方だってのに、真下のおっちゃん足音うるさかったらごめんな。おれは幸せだから許してくれ。
「お前なにズルしてんだ」
「しらねえ…。さみーしまくらなくなるし、おれ置いてこうとしたエースがわるい」
「はいはいゴメンな。お前ホント可愛いな」
もう目も開かないくせに、つらつらと小憎たらしい文句を並べる口をやさしく塞ぐ。数時間前のような、熱を煽るキスじゃなく、どちらかというと「ごめん」のキスに近い啄ばむようなキスを、唇だけじゃなく頬や鼻の頭にも落とす。
このまますんなりと眠りに落ちていけばいい。おれは手を引いてルフィを夢の中に連れ込むように、もう一度大切に腕に包み込んでそのむき出しの肩や背中、さらさらの髪の毛を撫でた。
もともと夢と現実の狭間をふらふらしていたコイツだから、すぐにすとんと眠りに落ちるものだと思っていたのに、だがしかしルフィはもう一度小さく口を開いて言った。
「……エース、しごとあとどんくらい…?」
「…はは、だからお前寝ぼけてんだろって。今日は休み。おれもお前も。…それからサボも。サボと昼飯食いに行くから、それまでに起きればいいよ。」
「……あ―…、そうだったなあ…」
「そうだよ。――だから寝ろ。もうどこにも行かねえから。」
「…ん…。」
子猫が飼い主の腕の中でベストポジションを探して身じろぐように、ルフィはおれの腕の中で身じろいで胸板に額を擦りつけた。
そのままひとつだけ深く深く呼吸をすると、静かに細い寝息を立て始める。力も入らない、くたりとわき腹から背中にかけて巻き付いたしなやかな腕は、これ以上なくやわらかくやさしく、それでいて強固な鎖に思えた。
絶対の王にとらわれた心地よい敗北感を感じながら、おれもルフィの寝息に合わせるように呼吸をし、眼を閉じた。
春眠暁を覚えず。
おれたちの朝は、今少し遠い。
******
「エース!エースおれあれ食いたい!」
家族連れやカップル、友人同士、さまざまな人びとの行きかう週末の中心街。
ひじの辺りを掴まれたのに気付いて振り返れば、つやっつやの瞳がおれを見上げてきらめいていた。
もうこれだけで一軒家くらいホイホイ買ってやりたくなる。のを隠してちょっとだけひねくれた答えを返す。
「ん〜?クレープ?お前もほんとよく食うな、さっき昼飯食ったばっか、」
「社会人先輩ありがとう。おれブルーベリーカスタード」
「おれイチゴと生クリーム!なーサボちょっと交換しような!」
「ん、そだな。そうしような。」
「ヘイヘイヘイアテンションプリーズ」
クレープの屋台に向かって歩き出そうとしたふたつの肩を、両手を使ってがしりと掴む。
「なんだエース、だめか?ちゃんとエースにもひとくちやるぞ?」
「ルフィは優しいなー。兄ちゃん嬉しいぞ」
「うんよしルフィのナチュラル俺様っぷりはまあいいとして問題はサボおめーだよ。なんでお前がおれの財布から食おうとしてんだ」
しかも追い抜きざま後ろのポケットから財布スって行くのやめてくれ。頼むから。
今日は日曜日。
珍しくカレンダー通りの休みをもらえたおれ。院も始まり実験にも一区切りがついたサボ。それから、言い出しっぺのルフィ。
割とよく一緒にいるような気がしているこの組み合わせでも、実は3人そろってどこかに出かけるのは初めてだったりする。出かけるっつっても街中でぶらぶらしてDVD借りて帰るくらいのもんだけど、まあその無計画さとゆるさが楽しい。兄弟で遊ぶってこんな感覚なんだろうか。
「なんだよ学生から金取る気か?つめてぇなあ」
「どの口がそんなしおらしいセリフ吐くんだよ」
「おっちゃんクレープふたつ!ブルーベリーなんちゃらとイチゴと生クリームのやつ!」
「「……。」」
つまるところ、ふたりでいようが3人でいようが、おれもサボもルフィには敵わないのだ。
「…――ん、エースパス」
「あ?何、くれんの?」
「うん。甘い。」
そういうと、まだ半分以上残ってるクレープをおれに手渡して、サボは少し足を速めて歩いた。おれの数歩先まで進むと、ちょろちょろと人の波間を縫って消えていきそうなルフィの首根っこを引っ掴む。純粋に飽きたもんを押し付けたのか、はたまたなけなしの優しさか。いずれにせよ、本人が本心を言うわけもないのはわかっているので、黙って自分じゃ絶対買わない食いものを一口食む。
もったりとしたカスタードの甘みと、ブルーベリーのちょっと強めの酸味がちょうどいい。卵の風味と甘さが少し重いけど、たまにちょっと食べる分にはうまいもんだ。
意外と食いもんの好みも似てるのかも知れない。おれとサボ。
「全く、勝手にどっか行っちゃダメだろルフィ」
「だってそげキングのフィギュアが――!」
「なんつーかあれだな、お前がいるといつもの役目が半減されて楽だな」
「ルフィのお目付け役?んー、ちょっと癪だけど同感かな」
「なーサボー!エースー!!たのむ見るだけだからー!!」
「「ダーメ」」
両脇からぎゃんぎゃんわめくルフィを抱え込み、おれとサボはずんずん大股で歩き出した。すれちがう女の子たちがくすくす笑いながら通り過ぎて行ったけど、おれやサボが愛想笑いを浮かべると、慌てたように目を逸らして足を速めた。ちょっと顔が赤かったのは気にしないことにする。
仲のいい三兄弟です。どうぞよろしく、という感じで堂々と腕組んで(まあパッと見完全に連行される宇宙人の図だけど)、おれたちは昼下がりの通りを闊歩した。
さっき泣いたカラス、もといさっきまでわめいていたルフィも、いつの間にか今度はショーウィンドウを彩る新しいモデルのスパイクに目を輝かせていたから、今度は3人そろってそのスポーツショップに足を踏み入れる。
もちろん、サボとはアイコンタクトでお互い了承済み。
つまるところ、おれもサボもルフィの喜ぶ顔には逆らえないのだ。
******
(…――たのしそー。サボも、…エースも。)
二人の喜ぶ顔や楽しそうな笑顔は大好きなはずなのに、いまいちそれが面白くないのは、今日一日を通して、気の合う二人の会話になんとなく入っていけないからだと思う。
おれは、前を歩くふたつの大きな背中を見てため息をついた。
サボとエースは、今夜観たい映画の話から始まって、今はよくわからない女優さんの話題で盛り上がっている。名前なんかわからないし、出てる映画の名前なんかもっとわからない。おれが好きなアクションものによく出てくる、強い感じの女の人じゃないことは確かだ。
そういう人は、いくらおれでも聞けばなんとなく聞き覚えあるな、って程度には話に参加できる。
でも今ふたりが話してるのは、なんとか映画祭だとかなんとか賞だとか、あとは全く聞いたこともないようなオシャレっぽい名前の映画のことばっか。ついていけるわけがない。
(……おれが、ガキだからかな。)
今日一日何度もあった、ふたりの会話に入っていけない、なんとなくつまらなくて面白くない瞬間。おれにはよくわからない、ふたりだけで何か通じ合ってるみたいな素振り。そのさみしさが積み重なって、おれの胃のあたりにずっしりと溜まり始めた。
会話に加われず、遠慮も気兼ねもなく楽しそうにぽんぽん言葉を交わすふたりの背中を見ていたら、自然に考える時間が増えてしまう。そこでふと思ったのだ。
あれ、おれいつもエースと何話してたっけ?
サボは、おれに何を話してくれてたっけ?
おれ、いつも自分のことばっかりで、ふたりの話したいことちゃんと聞いてあげられてただろうか。
今まで、サボは、エースは、おれと一緒にいて楽しかっただろうか。
サボは兄ちゃんだから、おれに付き合って笑ってくれてたけど、エースは?
たった3歳。その距離がひどく遠く冷たく感じて、おれの足はゆるゆると速度を落とし、ついには止まってしまった。
気付かず楽しげに言葉を交わすふたりが、どんどん遠ざかっていく。人波に呑まれて、見えなくなっていく。
ふたりの背中が見えなくなっても、おれはそれを追いかけて捜す気にはなれなかった。
「…――でよ、その子の何がいいって頑なに黒髪ショートで通してるトコな訳よ」
「あはは、すげーわかる。なんかあの子見てるとルフィ思い出さない?」
「それなんだよな要するに、…って、あれ?ルフィは?」
「え?」
「…――ルフィ!?」
おれが近くにいないことに気がついたこの時のふたりが、どれだけ血の気の引いた顔をしていたか。
それを知っていたらすぐにふたりの処へ飛んで帰ったのに、もうすでに背を向けて歩きだしてしまっていたおれには、それを知る方法なんかなかった。
******
「…――エース、電話は!?」
「さっきから掛けてるけど繋がんねえ…!そういやアイツ昨日充電し忘れたんだよ。電源切れてるかもしれねえ!」
「ああ、もうなんでこんな時に…!トラブルに巻き込まれたんじゃないといいけど」
額を手のひらで覆って、焦燥感を隠しきれない顔色のサボが言った。
それを聞いて、悪い想像が頭をよぎる。今までなら、あいつが目を奪われそうな店を当たってみればすぐに見つかるずだった。それが今日は一向に見つかる気配がない。もう捜し始めてから数十分が経つ。
自分の意志でおれたちから離れたか、…さもなくば、あいつの身に何か起こったか。
それを考えるとゾッとして足が竦みそうになる。
「…くそ、何でおれはあいつほったらかして…!!」
「それを言うのは後だ、エース。…おれだって同じだけど、今はルフィを捜さなきゃ」
「だけどどこ捜せって言うんだ…!もうこの辺りは散々、」
ぽつ、と頬に冷たいものが当たった。
気のせいかと思って空を見上げると、次々と大粒の雫が鉛色の空から降る。
強い、と思った瞬間、見る見るうちに足元のアスファルトがまだら模様になって、周りの人たちが溜息をつきながら足を速めた。
「…――手分けして捜そう、エース。ルフィの奴、傘なんか持ってない。」
「見つけたら電話する」
それだけ言うと、おれは突然の雨に色褪せたような街中を走りだした。
心当たりなんかない。髪が夕立に打たれて濡れていくのがわかったが、それでもどうでもよかった。とにかく走りだしたかった。
ルフィがこの冷たい雨に打たれていたら。それを考えるだけで、もうじっとしてなんかいられなかった。
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