いつもいつもお世話になってるキムラさんと今田さんへ、お礼にもなりませんが。
もともと掲載するつもりはなかったんですが、「もったいない」ともったいないお言葉を頂けたので上げさせて頂きます。
キムラさんに書いて頂いた絵をもとに書いております。
是非どうぞtresure部屋のこちらから。

お二人へ、愛を込めて。






カラカラン、と最近付けたドアベルが、控えめに乾いた音を立てた。

最後の客を見送ったルフィは、その音を聞いてなんとなく、それを買った時のことを思い出した。変なところでこだわりを見せる兄は、あまり高くない落ち着いた音がいい、見た目もあまり目立たないものを、とかなんとか言ってほとほとルフィを辟易させた。なんでもいいじゃん、と適当なことを言うルフィは、店の事に関してはほとんど置いてきぼりだ。

まあ名義上はエースの店なわけだし、お前に任せてたら店が廃墟になる、という兄の言い分も一理あるどころかこれ以上ない正論なわけで、兄の背中を見ながらインテリアショップで小一時間あくびをかみ殺していた訳で。

「ルフィ。クローズ。」
「うお!おう!」
「……なに考えてた」
「なんも!」

エースの石頭、そのうちハゲたら嫌だなァ、とか頭の中で呟いたちょうどそのタイミングで、兄があごで入口を指しながら言うものだから、ルフィは軽く飛びあがってカウンターを出た。半目で自分を訝しげに見遣る兄を背中に置いて。
重厚感のある黒いドアを押し開けて外に出て、そこに掛かったドアプレートを「CLOSE」に反転させる。ふと空を見上げると、ぼんやりと白く浮かぶ雲の隙間から、そこだけなにかひどく澄んだ川の底を覗き込むように、どこまでも透明な空気を抜けて夜空の底に沈む星屑がところせましとこちらを見下ろしていた。
ほ、と吐いた息が白く夜のにおいに紛れて行った。

いつもの黒で統一したシャツとスラックス、それに膝下のギャルソンエプロンだけのルフィには、その澄んだ冷たさが少し酷だったから、雲の合間の星の海をもう一度だけ目に焼き付けて、ルフィはあたたかいふたりの店へ戻った。閉じたドアには、鍵を忘れずに。

「―――おかえり、サンキュ」
「どーいたまして!な、エース、今日星すげーきれいだぞ」
「お、そーか、さみーもんな今日。ここらへん意外と星綺麗に見える日あるよなあ」
「なー!帰る時もっかい見ていこーな!」

カウンターの中からやさしく笑った顔が返事だった。その笑顔は、ルフィが大好きな顔で、ルフィにしかあまり見せない顔だったから、ルフィはきゅ、と甘く縮まった心臓を隠して、しし、と笑って応えた。

「…何にする?今日」
「んー、………今日は、おれ作ろうかな。」

グラスを磨いていた手を止めて、エースが顔を上げてまじまじとこちらを見た。消えていた会話の主語は、お決まりの「仕事上がりの一杯」で、それは常ならばエースの担当であるはずだった。

「…珍しいな。なんだ?練習したくなったか?」
「んや、それもあるけど、今日オーダーメイドの注文なかったから、おれあんまりシェイカーさわれてないんだよな」
「ああ、そういえばそうかもな。…おし、じゃあ頼むわ」
「おう!」

エースが最後のグラスを磨き終わったのを合図に、ルフィは店の奥の方からカウンターの中へ。エースはルフィのものより長めのエプロンを外しながら、カウンターの外へ出るためにルフィの方へ歩み寄った。すれ違いざま、言葉を交わす。
「ご注文は?」
「――お任せで。あーでもできれば、」

「テキーラベースで、だろ?」

肩越しに振り返った先で、エースは弟がごくごく自然にこちらを見上げているのを見た。兄の好みをわかっているという得意さも、兄を驚かせたという小生意気な喜びも、そこにはなかった。ただ、当然のようにして、ルフィは、エースを見上げて笑った。
たったそれだけで、仕事中の緊張感に凝ったエースの胸の奥がゆるりとほどけた。
ひとつ微笑んだ兄は、手のひらの重みを弟の細い肩に載せると、そのまま何も言わずにカウンターを出た。その瞬間からその空間を、唯一無二のパートナーに預けるために。


******


スツールに腰掛けて、あまり自分では見たことのない景色を堪能しながら、エースは弟の手元を目で追っていた。
少し考える素振りを見せたあと、ルフィはシェイカーを手に取り、その後は淀みも迷いもない手つきで酒をその中に加えていった。

リクエストのテキーラは程よく熟成されたレポサド。ドライベルモットを同量。冷蔵保管していたスローベリーのリキュール、スロー・ジンも同量を。レモンを少し多めに絞って、トップを閉める。
シェイカーを包んだ両手を、自然な動作で顔の横に。
涼やかな氷の摩擦音に聴き入るかのように、少しだけ伏せられた顔が美しかった。

(……「キス・オブ・ファイア」のアレンジか。無意識でやってんのか、誘ってんのか)

カウンターに頬杖をついてその姿に魅入りながら、エースはどこか浮遊するような思考を重ねた。
数年前なら、間違いなく無意識だと確信していた。ただ、自分も23歳、弟も20歳となった今では、それもよくわからない。時間を追うごとに、変わらないものも、また変わって行くものも見えてくる。弟は知らなかった酒の味を、名を覚え、子供の顔をするりと脱ぎ捨てて、時折艶やかな顔を覗かせるようになった。
愛しさは、増すばかりだ。
グラスの縁に白く粉を纏わせたスノースタイルのカクテルグラスに、落ち着いた紅色の中身をゆっくりと細く注いでいく。
すらりとした指がカクテルグラスを持ち上げたのを見て、エースは肘に預けていた体重をゆっくりと持ち直して、カウンターの向こうのルフィに向き直った。

「―――はい、どーぞ。今日も一日、オツカレサマでした。」

そう言って細い指先がカウンターの上に滑らせたグラスを、ゆっくりと持ち上げる。
暖色の明かりを反射したその一杯が、それだけで極上の芸術品のようだった。
縁に付けられているのは、甘みの強い種類の岩塩の結晶らしい。それを舌の上に溶かすと同時に一口含む。本来のレシピならばウォッカベース、そして粉砂糖であしらわれるはずのそのカクテルは、テキーラの香りと、まだ青いレモンの強いさわやかな酸味でリキュールの甘みが宥められている。ラムなど甘みのある酒を好むルフィが作ったとは思えないほど、エースの舌にするりと馴染む。
美味い、と素直に思った。
エースのための、一杯だった。

「――――うまくなったなァ、お前。」
「まじで?やった」
 
素直に褒め言葉に頬を染めて、ルフィが笑った。そうすると途端に幼く無邪気な笑顔になる。こういうところは、昔から少しも変わらない。

「…名前は?このカクテル」
「んー?…『キス・オブ・エース』?」
「やっぱり確信犯かお前。抱くぞコラ」
「言ってみただけだって。こんな恥ずかしい名前付けらんねえよ」
「カクテルの名前なんか恥ずかしい奴ばっかじゃん」
「おれたちがそれ言っちゃダメだろ」

けらけらと笑う弟も、なんだかんだそれなりに勉強しているらしい。もともと好きなことには惜しみなく努力を捧げるタチだ。呑みこみは早い。
すると、もう一口含んだエースに向かって、ルフィは悪戯小僧の眼をして言った。

「…味見させろよ、エース」

ここで含んだ酒を吹き出すような真似はしない。この弟も、見かけほどかわいらしいだけではないし、きれいなだけでもない、ということを、エースは誰よりよく知っていた。

「…お口に合いますかどうか」
「イヤミ」

スツールに腰掛けたまま、カウンターに乗り出した弟の首筋を掴んで引き寄せる。笑みとともに酒をもう一口含んだその唇で、エースは弟にくちづけた。

*****


絡めた舌を伝って、酒の味と香りが転がり込んで来る。
露骨な甘味を好まない兄を想って作ったカクテル。レモンとスローベリーの爽やかな酸味、テキーラの芳香。最後の一滴を味わうかのように兄の舌を吸えば、戯れのようなそれに煽られたエースが主導権を奪い返す。ルフィが自分の作品を堪能できたのは、ほんの一瞬だった。

カウンター越しのキスは、遠くもどかしい。強く抱きしめる腕の感触も、縋る胸の安心感も、なにもない。首裏を掴む大きな手のひらの強さ、あたたかさ、我が物顔でルフィを翻弄する唇の熱さ、舌の甘さ。それだけ。

だがそれゆえに、その熱が愛しい。まるでこのキスを伝って、炎がこの身体に燃え移るかのように。

ルフィは、疼いた胸から思わず声が漏れたのをリミットと判じて、ゆっくり唇を離した。

これ以上は、火遊びじゃすまない。

「………酔う。」
「……プハハ!お前弱ェもんなァ、バーテンのくせに」

吐息の触れる距離で手短に抗議すると、エースは笑いながらルフィの頬を包み込み、熱を帯びたそこに宥めるようなやわらかさで口づけた。

「ちげえよ、テキーラがあんま好きじゃねえだけ。」
「知ってる。お前いい思い出ないもんな、テキーラに。ショットで潰れたり」
「エースが就活中にずっと一人で飲んでたりな。」
「…………………ごめん、もうしない」
「あたりめーだ」

熱を煽らず、唇をやさしく食むだけのキスは、謝罪のキス。自分からは絶対応えてやらないのが最後の意地だが、それでもこれだけで大体まあいいか、という気になってしまうから、自分も大概だな、とルフィは思う。

「……まあテキーラは苦手だけど、でもおれ、やっぱり自分で作るほうが好きだ。」
「…ん、だろうな」
「自分が好きなもの作るのも、誰かに喜んでもらいたくて作るのも、すげえ好き。」

無邪気に夢を語る少年のような弟の瞳の輝きに目を細めて、エースはその艶やかな髪を撫でた。

「お前は本能で作ってるからなァ。まあ、でもちゃんと定番も作れるようにしとけよ。この店メニューねんだから」
「いいじゃん、大体エースがつくれるんだから」

「お前な、おれがいなくなったらどうするつもりなんだよ」

何気なく言ったその一言がルフィの胸の奥の何かに爪を立てた。それを、弟の一瞬で強張った表情を見て初めて、エースは悟った。
息を飲んだその唇を食いしばるように引き結ぶと、ルフィはつと俯いてその表情を隠した。そのままするりと後ろを向いて、無造作にウイスキーの瓶を片手にとり、残りを確かめるような仕草を見せる。日本で製造されているそのシングルモルトウイスキーは、最近入荷したばかりの25年物。中身は、ほとんど減っていない。

「……おい、ルフィ、」
「例えばエースがいなくなったとして。……そしたらおれは、この店ではやってけないと思う。なんとかバーテンは続けられたとしても、”D”の店には、いられねェ。」

呼びかけるエースの声を遮るようにしてそう言ったルフィの声は、まるで氷のように固く冷たかった。

「…例え話だ、ルフィ。おれはもうどこにも行かねェ。言っただろ。」
「わかってる。わかってるけど怖ェんだ。――おれは一度、エースのいなくなったこの店を見てるから。」
「……。」

瓶に所在無さげに触れた白い手が、震えている。
エースの取るべき行動は、ひとつだった。
客が離れたのを報せるかのように、キィ、とスツールが軋む。ルフィを怖がらせないように、逸る気持ちをを抑えてゆっくりと回りこみ、開き戸を開け、カウンターの中へ。

前髪で弟の顔は見えない。声もない。それでもルフィがそれを望んでいることを、エースは知っていた。
強張る肩に手をかけて、少し強引にこちらを振り向かせ、

力一杯、抱き締めた。

「―――ルフィ…」
細い身体が軋むくらいに。呼吸も止めるくらいに。
それでもルフィはエースの腕の中で、久方振りの呼吸のように詰めていた息を吐き出すと、自分から広い背中に腕を回してしがみ付いた。振り向かせた瞬間、その瞳が耐えきれない涙に揺らいでいたのをエースは見た。その華奢な肩を、小さな頭を、自分が絶対に守ってあげられる領域に囲い込む。

昔からそうだ。怖い夢を見た時。眠れない時。弟は、いつだってこうやって自分の胸の中で泣いた。
それが愛しかった。愛おしかった。
弟の涙の原因が、自分を失うことへの不安であったということを知ったのは、本当につい数年前のことだったけれど。

「……なんかもう、好きとかじゃなくてさ…。おれ、ほんとエースがいなきゃだめなんだ。生きてけねェ。」

「……ごめん、おれ、こんな弱くて、情けねェけど、…大事すぎて、不安になる。いなくなった時のこと考えちまう。失くした時のこと、考えちまう。 …ッ、…大事すぎて、怖ェ…!!」
「――ルフィ、」
「ほんと、何も変わってねえ。ガキのころから。エースにしがみついて、縋って、足引っ張って、」
「ルフィ」
「おれ、おれ、…やっぱりいない方がいいんじゃねえかなって」
「――ルフィ!!」

びく、と腕の中でルフィが震えた。思わず怒鳴り声に近い声が出たのを自覚して、エースもハッとした。それでも止まらなかった。いつかも聞いた、胸を抉るようなそんな台詞を、弟の声で聞きたくはなかった。

「……、ごめ、エース、おれ、」
「謝んな。おれが悪い。…すまねェ、不安にさせること言った。」
「…。」

エースには解かっていた。
ルフィはきっとひとりでも生きていく。自分の強さを、弟はわかっていないだけだ。弱さをさらけ出せる強さに、気付いていないだけなのだ。

本当に恐れているのは、エースの方だ。

肩に顔を埋めなおした弟を、エースもまた抱え直した。癖のない黒髪に頬を押し当てて、もともと無い隙間をさらに押し潰すようにして。

もしもあの時、腹を決めてこの細い手首を掴んでいなかったら。それを考えるとゾッとする。
一度は手放す覚悟をした。この手を離れても愛する覚悟を決めた。だがそれは、この身体のぬくもりを、唇の甘さを、声のやわらかさを、全力の愛情を知らなかったからだ。
それを知った今ではもう、それなしで夜を眠ることも、朝目覚めることも、世界を生きていくこともできそうになかった。どうしようもなく、必要だった。
――――失うことを恐れているのは、エースの方だ。

依存と言われるならそうかも知れない。それでもよかった。生まれた時から、幼い時から、自分たちには何かが欠けていた。それはぬくもりであり、無償の愛であり、絶対の安心だった。
それが自分たちの弱さであると同時に、二人が補い合って生きてきた強さでもあった。

これまでのように、この体温で、声で、なけなしの言葉で。これまでとは違う、さらけだす弱さで、情けない怯えで、この震えを止めることができるなら。

「―――約束だ、ルフィ。おれはどこにも行かねえ。お前から離れて生きていけないのは、おれだって同じだ。」

「お前がいなくなるのが怖い。お前に必要とされなくなるのが怖い。――ここにいてくれ、ルフィ。おれの隣に。お前がいてくれたら、そこにおれはいるから。ずっと隣にいるから。」

「―――愛してる。」


万感の想いを込めた一言に、ルフィが肩に埋めていた顔を傾けてこちらを見上げた気配がした。エースは、抱き締めた腕は解かないまま、その顔を覗きこむ。
肩に頭を預けたまま。下睫毛に溜まった涙は今にも零れ落ちそうだったが、それでも弟は微笑っていた。幸せそうに、微笑っていた。

誰もいない深夜も深夜、閉店後の店なのに、弟は抱きあった二人にだけ聞こえる吐息でささやいた。
おれも、と。

そのまま、まるでなにか神聖な儀式のように交わしたキスは、これ以上なく穏やかで静謐だったが、これ以上なく確かで強い誓いだと、二人だけが知っていた。


「………帰るか、ルフィ。」
「ん、…うわ、すげえ時間」

そう照れて笑って返す顔は、いつもの朗らかな弟の笑顔だった。
安堵に緩んだ気持ちのまま、エースも口を開いた。

「今日は、何もしないでこのまま寝るか。一緒に。」
「…珍しいな、エース…。『抱くぞコラ』とか言ってたくせに」
「抱かれたいのか。いいぞおれは」
「エンリョシトキマス。……な、腕枕してくれ。くっついて寝たい。」
「――ん。そだな。」

明日の朝は片腕が使い物にならないだろうが、それもまた一興だ。帰り道はひどく冷えているだろうから、冷えた身体を弟のぬくもりで温めて眠るとしよう。ああ、星空を見上げながら、手を繋いで帰るのもいい。どうせこの時間では誰も見ていない。遠く彼方の星達以外は。
最後に一つ笑い合って身体を離す。最低限の片づけをしたら、あとは明日の開店前に回そう。

「――帰ったら、ナイトキャップ一杯作るか。お前今日飲んでないだろ。何がいい?」
「んーお任せで!…あ、でも」

「―――ラムベースで、だろ?」

肩越しに笑ってそう言ったエースを見て、ルフィは目を見開いた。
そのまま、少し困ったように眉尻を下げて笑うと、胸をくしゃくしゃにするあたたかい感情のまま、大好きな大きな背中に飛び付いた。

からからと声を上げて笑う兄は憎たらしいが、きっと嬉しくてたまらないルフィの気持ちなんか、とっくにばれているのだろう。












キスオブファイア=ウォッカ+スロー・ジン+ドライベルモット+レモンジュースをシェイク。


キムラさんに描いていただいた絵をもとに書かせて頂きました。
今田さんとお話した二人への気持ちを噛みしめながら書きました。

大好きな大好きなキムラさんへ!
大好きな大好きな今田さんへ!!

頂いたものに見合ったお礼とは到底到底言えませんが、お二人だけに、せめてもの感謝の気持ちと愛を込めて;;;;

「今日も、お疲れさまでした!」


2012.1.20. 花村ジョー@カエルの背中とサンダルウッド