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朝起きると、頭が重かった。風邪を引いたのかと思ったが、のどの痛みも鼻詰まりも熱もないから、これは多分久しぶりに泣いてしまったせいだ。
布団の中でもぞりと動くと、枕元の携帯を開いて画面を確認する。メールは、来ていなかった。

エースと喧嘩した。おれも悪かったけどエースも悪い。サボの勧めでルフィが聞かなかったら、彼はきっと誕生日を教えてさえくれなかった。エースがそんなつもりないことはわかっているはずなのに、どうしても、その程度なのかと思ってしまった。ルフィの祝いは、ルフィの「おめでとう」は要らないのかと、思ってしまった。
どっちにしろ一緒にいられないのなら、なんだよ側にいろよって、拗ねてもらった方が嬉しかった。

それでも、自分が同じ思いをさせたことも、今になってみればルフィにはわかっていた。

年間通してみても、この時期が一番忙しいのだと彼は言っていた。仕事は楽しいけど、力仕事だから体力に直結するのがちょっとつらいな。いつもの配達の合間にふたりで話している際、彼はそう言って少し疲れたような顔で笑った。ルフィは、何にも言わないでエースの身体に腕をまわして力一杯抱きしめてあげた。おれの元気、分けてあげられればいいのに。そう思った。
エースも何にも言わないでルフィを抱きしめた。そうして深呼吸をして、充電中、と茶化して言うから、ルフィも笑ってそのままにしていた。

それも、ほんの数分。忙しなくルフィとサボの部屋を後にしたエースは、その後も毎日毎日忙しく働いていた。電話もメールも返ってくるのはいつも夜中。それも、途中でごめん限界、と言って早々に打ち切ってしまったり、いつの間にか寝てしまったエースに、ルフィがおやすみ、とメールを送って終わる、そんなパターンが定着してしまっていた。

それでも、朝になれば「寝落ちたゴメン。おはよう。いってきます」とメールをくれていた。そのメールを見つめながら、おはよう、いってらっしゃい、と心の中で呟いて、ルフィはエースを送り出しているつもりでいた。
だから別によかったのだ。クリスマスを空けるということは、その分どこかでエースが無理をするということなのだ。クリスマスにどこにも行けなかろうが一緒にいれなかろうがなんだろうが、エースがその分休んでくれる方が良かった。だから。なのに。……だけど。

今日は、味気ない待ち受け画面がルフィに現実を突き付けるだけ。
ルフィは、ゆっくりと携帯を閉じると、もう一度もぞもぞと布団の中に潜り込み、身体を丸めて小さくなった。出尽くしたはずの涙が、再びじわじわと閉じた目の内側で体積を増していった。

今日は23日。夜には大学の友人たちとの忘年会が待っている。行かない訳にはいかない。女々しい自分が嫌いだが、誰も見ていない今だけは。閉じた目から、涙がひとつぽろりとおちた。


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『―――なにか言うことは?』
「……。」

電話に出るなり切り込むように問いかけられる。予想はしていたが、中々つめたい声音だ。

「…ルフィ、は、どうしてる。」
『自分で聞けば、って言いたいとこだけど、第一声が「ルフィ」だったことに免じて教えてやるよ。超落ち込んでる。おれには愚痴の一つも言わないし、友達と遊びに行ったりもしてるけど、夜になったら隠れて泣いてる。寂しいんだろうな。』
「……。」

無言のままちゃぶ台に突っ伏した。ゴン、と結構な音がして額に痛みが走ったけど、そんなもの痛みのうちにも入らない。後悔で胸が痛かった。心臓が潰れて口から出そうだ。絶対向こうにも聞こえたであろうその音には触れないまま、サボは切り出した。

『ルフィな、あの日終電で帰ってきたんだよ』
その言葉の意味を一瞬反芻して、おれは突っ伏したばかりのちゃぶ台から飛び起きた。

「―――……!?何で、おれんち出たの11時前だったはず、」
『目が真っ赤だった。おれもてっきりお前んとこ泊るんだと思ってたから迎えにもいかなかったし。……泣いて泣いて、電車乗れなかったんだろ。』
「……どこで、まさか、ずっと外で、」
『あいつにお前んとこ以外で泣くとこなんかあるわけねえだろ。冷え切って震えてた。思い知れ馬鹿野郎』

ぞっとした。自分のしたことの非道さ酷さを思い知って、身体が震えた。
風邪を引かなかっただろうか。夜中の屋外でたったひとり、あの子に何かあったら、誰が助けてやれたんだろう。そんなことにも気が付かないくらい頭に血が上っていた。最低だ。最低だ!!

『―――って言っても、お前の気持もわからなくはないんだよ、エース。あいつ、変なとこ無頓着で鈍いから、どうせ「無理して一緒にいなくていい」みたいなこと言ったんだろ?』
「……でも、それは、」
『そうだよ、あいつずっと心配してた。お前のこと。電話してもメールしても寝落ちするし、話せても絶対夜遅くて、「落ちてごめん、またな」ってメールくるのも朝早くて、ちゃんと寝れてんのかな、絶対疲れてるよな、会いたいけど我慢するって、ずっと言ってたんだよあいつ。』

『……お前のこと心配して、お前に無理させるくらいなら自分が会いたいの我慢するくらいなんでもないから、だから大丈夫って言いたかったんだ。お前もそれ、ちゃんとわかってるんだろう?』

色んな感情で詰まりそうな胸を無理矢理こじ開けて吐き出した息は、情けないくらいに震えていた。ルフィ。胸の中だけで祈るように呟いたつもりだったその名前も、震える吐息と一緒に零れ落ちた。

『……おれたち、25日の夜行で帰るから。ジジイ、実は今ぎっくり腰やっててな。そのこともあって、あいつも無理言えなかったんだ。わかってやってくれ。』

25日。25日の昼間も仕事だし、もう23日と24日の日付を跨いだ後だから、今日の夜を逃したらもうチャンスはない。もう来年まで、ルフィに会えない。今年のルフィとは、喧嘩したまま別れてしまうことになる。そんなのはまっぴらごめんだ。

「―――サボ、ルフィは」
『悪い、もう寝てるんだ。今日忘年会だったらしくて、もうべろんべろんに酔っ払って帰ってきて。ただでさえ弱いくせに、悪い酒飲んできたな、ありゃ。』
「…そ、か。」
『……何か、言っとこうか。』
「………いや、いい。自分で、なんとかするわ」
『ん。――任せたぞ』
「…おう」
明日も頑張れな、と言って、サボは電話を切った。できる男で、いい兄で、そして唯一無二の友だった。
画面を閉じないまま、おれは新規のメール画面を開いた。宛先は、ルフィ。

今日夜、仕事終わったら迎えに行く。どんなに遅くなっても絶対行く。全部全部謝らせてくれ。

それだけを送って、祈るように携帯を握りしめた。届け。ルフィに、届け。ああでもできるなら、この着信でルフィが起きてしまいませんように。朝起きて一番にこれを見て、できるなら、待っていてくれますように。

届け。


**********


「――――あ、」
「ん?どしたエース」
「…いや、ルフィのマンションだと思って。配達先」
「あー、違う部屋?」
「みてえだな。階まで一緒なのに、…会えるかな」
「……仲直りしたのか?」
「は?」

リストに落としていた視線を、サッチに向けた。喧嘩中、確かにそうだが、コイツにしゃべった覚えはない。何で知ってるんだ、コイツ。

「いやだってお前明らかにテンション低いから。お前があんな死にそうな顔するの、ルフィにフラれたかルフィとケンカしたかどっちかだろ」
「こええこと言うな馬鹿!フラれたらテンション低いじゃ済まねえよ!」
「おお、通常運転だ。大丈夫そうだな」
「判断基準はどこなんだソレ。……正確には、まだ仲直りできてねえけど。するよ、絶対。今日。」

眼を逸らしながら小さくそういうと、いいね、その意気だ、といってサッチが笑った。

「頼むぜ、ルフィに会えなくなるのおれも寂しいからよ」
「馴れ馴れしくすんな」
「うん、完璧だな。安心した」

わはは、と大口を開けて笑うと、サッチはそのまま背を向けて自分の車に向かって行った。その制服の背中を少しだけ目で追ってから、おれもドアを開けて乗り込んだ。


ピンポーン。

『はい』
「白ひげ宅配便です!お荷物お届けに参りました!」
『アラ!パパ、きたわよ!ハーイ、どうぞ!』

来訪を告げた途端、インターフォンの向こうが少しあわただしくなった。今回の荷物はちょっと大きくて、運べなくはないが念のため台車で運んでいる。子供用のおもちゃのようだ。サンタさんは大変だなあ、なんて苦笑しながら、いつものエントランスをくぐる。
え、あ、うそ、警備さんサンタ帽子被ってる!!!!

エレベーターを5階で降りる。ルフィたちの部屋の手前、502号室。もう一度ベルを鳴らすと、奥からハイハイ、と今度は男の人の返事と、少しあわただしい足音が聞こえた。

「こんにちはーお荷物です、少し大きいんですけど…」
「御苦労さまです、すみませんありがとうございます。えーと、どこに置こうかな…」

心なしかパパさんの声音がひそめられている。奥から子供の声が聞こえる。なるほど、そういうことか。確かにこの大きさは隠し場所に困る。つられておれも小声になりながら、どうしましょうかね、ええ困りました、なんて相談に乗り始めてしまう。サンタさんは大変だ。
その時。

「パパー!だれかきたの!?」
「あ、こらちょっとユウタ!!待ちなさい!!」
 
奥からとたとたとた、と軽い足音を立てて、5歳くらいの男の子が駆け寄ってきた。
パパさんがうわ、と声をあげたのと、おれがげ、と呻いて急いで台車をドアの陰に隠したのはほぼ同時だった。ダンボールの箱には思いっきり商品名が書いてある。これはまずい。非常にまずい!子供の夢をここで壊すわけにはいかない!しかしどうやっても絶体絶命のピンチであることに変わりはなかった。

「たっきゅーびん?何かきたのー?みせて!」
「いやユータ、これはパパの大事なものだから」
「だいじなものってなにー!?みせて!!」

うわああああああ。全然関係ないおれまでダラッダラ冷や汗をかいている。ママさんが必死で連れ戻そうとしているが、「ユータ」はもう意地になっちまって絶対引かない。最悪だ。一旦車に戻ろうか、とおれが顔を上げた瞬間、

「あ、」
「…あ…!」

そこに、どこかから帰ってきたのであろう、ルフィがいた。

あの日以来のルフィだった。厚手のパーカーの上にダウンベストを着て、下は半端丈のパンツにノルディック柄の靴下、それにいつものマウンテンブーツ。コンビニに寄って帰ってきたのだろう、小さな袋を提げている。よかった。元気そうだ。
その時、「ユータ」が玄関から顔だけ出しておれの視線を追った。ヒッ!ユータ、こっちみんなよ頼むから!その小さな後頭部を見つめて祈る。

「あ、ルフィだ!ルフィ!!」
「―――おーユータ、ひさしぶり、元気かー?」
「げんき!あんな、おれな、サンタさんに『はいぱーサッカーすたじあむ』たのんだんだぞ!日本だいひょうのやつ!!あしたくるんだぞ!!」

しゃがみこんで、ユータにおーすげーいいな!と応じてやっているルフィが、さりげなく視線をめぐらして、冷や汗ダラダラのおれとパパさん、祈るような顔をしているママさん、そして最後におれの陰に隠れている段ボール箱(ドンピシャの商品名入り)をみつめた。状況を理解したのだろうルフィは、満面の笑みをひとつ零すと、ユータに向き直って言った。

「な、ユータ、久しぶりに公園でサッカーしねえ?ボール持ってるだろ?」
「ルフィと!?する!!まって、いまもってくる!!」

ルフィ、ファインプレー!!
身をひるがえして奥に走って行ったユータの姿が消えると、パパさんとママさんがそろってルフィを拝む素振りをした。ルフィはゆっくり立ち上がると、笑って親指を立てて見せた。

そのままルフィは、ユータの手を引いてエレベーターに乗り込み、下に降りて行った。エレベーターのドアが閉まる瞬間、ほんの一瞬、目が合った。
ルフィは、やわらかく笑って頷いてくれた。あのメールの返事だ。おれにはわかる。
届いたんだ。よかった。

ふたりの姿が消えた後、おれは荷物を無事引き渡してハンコをもらい、502号室をあとにした。ほらパパ、ベランダベランダ、と段ボールを抱えたパパさんをママさんが急かしていたから、隠し場所はなんとかなるだろう。ユータ、喜ぶだろうな。よかった。

「御苦労さまです」
「ハイ、ご苦労さん」
「よくお似合いッスね、帽子。」
「そうかい?兄さんも似たようなもんだろう」
「ハハ、確かに」

警備さんに笑いながら頭を下げると、警備さんも笑って見送ってくれた。サンタさんがほんとにいるなら、きっとあんな感じの優しい顔で笑うんだろう。おれも少しだけサンタさん気分。この仕事やってて、よかった。

車に乗り込む寸前、裏の公園でユータと遊んでいるであろうルフィに会って行こうかどうか迷った。正直言うなら、会って少し話したかったけど、ユータを待たせるのもかわいそうだし、何より、早く仕事を終えてルフィを迎えに行きたかった。
公園の方を少しだけ見遣って、おれはトナカイの引くソリ、もとい、会社のロゴが入ったワゴンに乗り込んだ。