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12月も末。ついこの間までの昼間はあたたかくて、暑がりのおれは半袖で働いていたりしたのに、最近はもう長袖シャツの上に日没以降の配達はジャケットが必須になった。
師走と呼ばれるこの月は、その名の通りどこもかしこもあわただしい。配達業者であるうちの会社は特にお歳暮シーズンやら何やらが重なり、ここのところ忙しい日々を送っている。

「ありがとうございましたー」

ビルのエントランスをくぐり外に出ると外は真っ暗。一気に襲いかかる冷気に、思わずうお、と声が漏れた。ビルの横の植え込みを飾るささやかなイルミネーションを眺める余裕もなく、軽くダッシュで車に向かう。エアコン壊れたのが夏で良かった。色んな意味で。

この季節は人肌が恋しくなるから堪らない。
ああもう今すぐここにルフィがいればいいのにむしろ持ち運び用ルフィがあればいいのに。恋は人をダメにする。よかろう。ダメ男上等だ。ルフィルフィルフィ!
仕事が終われば電話ができる。ここのところまともに会う時間も作れなかったが、それも明日の仕事が終われば解禁だ。そう気合を入れ直して次の配達を確認しにかかったが、そこでふとここからの勤務予定を思い出して、浮きかけた気持ちがあっけなくしぼんだ。明日になったら、ちゃんとルフィに話さなければならない。萎んだこころから抜け出た空気が、溜息となって口から出ていった。


**********


「……どうしたルフィ、溜息なんかついて」
「サボ…。……だって〜〜〜〜…!」
「んーまあなあ、確かに申し訳ないよなお前からすりゃ」
「じいちゃんのバカやろ…」

もう申し訳なさと悔しさと拍子抜けした虚脱感で抜けがらのようなおれは、うつ伏せのままソファに横たわった。原因は、さっきの実家からの電話だ。ただでさえじいちゃんと話すのはビクビクなのに、もう最悪だ。サボがソファの肘置きの部分に腰掛けた気配がして、ゆっくりと頭を撫でられる。よしよし、って感じ。宥めてもらえるのは嬉しいけど、それでも気分は沈んだままだ。

サボには悪いけど、今はどうしようもなくエースに会いたい。抱き付いて抱き付いてごめんなって謝りたい。でも同時にどんな顔して謝ればいいのかもわからない。多分今日も仕事が終わったら電話かメールしてくれるんだと思うけど、そこでも多分言えない。
明日になったらエースに会える。あした会ってちゃんと言おう。怒られるのも覚悟で。またフキゲンになっちゃうのも覚悟で。

はああ。


**********

「―――もしもし、ルフィ?着いたぞ。もういる?」
『いるぞ!でかいカンバンの前!』
「…んー…看板の……あ、見っけ」
『え、まじ?どこどこ、』
「オイこら動くな!」

最後の方はもう携帯を耳から離して、直接声をあげると同時に駆け寄って首根っこを引っ掴んだ。ただでさえ帰宅する人と飲み帰りのサラリーマンで溢れている駅前だというのに、全くこいつときたらすぐくるくる動き回る。そこもかわいいんだけど、でも心配で気が気じゃない。ここは一発ちゃんと言い聞かせないと、

「ルフィお前な、待ってろって言ったらちゃんと」
「へへ、わり!お疲れエース!」
「ハイありがとうございます」

コロッという効果音が聞こえたら発生源はこのおれだ。しょうがない。vsルフィにおけるおれの対戦スキルは最低クラスだ。必殺「太陽の笑顔」の前には手も足も口も出ない。

「うーさみ!よし行くぞ、つかまってろよー」
「ん!よろしく!」

そのままバイクのもとまでじゃれあいながら辿りついて、メットを渡してふたり跨る。すると、寒さから逃れるように、それともおれを冷たい風から守るようにか、ルフィがおれの腹に腕を回して強くしがみついた。これだけで、もうなんでもかかってこいって気になる。いやだからってバイク飛ばしてこいつを危険に晒すような真似はしないけど、なんだかこのまま空でも飛べそうな気になる。
ルフィも、そう思ってくれてたらいい。おれの背中を、すこしでも愛しいと思ってくれてたらいい。

言葉には出さなかったその想いに応えるように、ルフィの腕の力が少しだけ強くなった気がした。



「―――エース、今日も忙しかったのか―?」
「んー、まあなー。この時期だからなー」
「そっかーこの時期だからか―」
「うん、まあお前はそういう大人の付き合いとは一生無縁でいてくれよな」
「おう任せろ!」
「はは」

ルフィのたってのご希望で買った小さいこたつに二人で入って、おれはルフィが持って来てくれたサボお手製のおでんで夕飯を食う。みかんをつまんでいたルフィは、芯まで煮込まれた大根を箸で切り分けていたおれに向かって、あ、と口を雛鳥のように開けた。なんも言わずにそこに一番大きい一切れを放り込んでやると、心底うまそうな顔をしてもぐもぐしながら、小さく声を漏らして笑った。おれもそれを見てるだけで自然と笑顔になれる。幸せだ。

「ん、ごちそーさん。うまかった!」
「!エース、食い終わった?」
「おう。…くるか?ルフィ。」
「やった!」

いつもの身軽さでするりとこたつから抜けだしたルフィは、そのまま再びするりとこたつに潜り込んだ。ただし今度は、おれの脚の間から。

「しし。あったけー!」
「お前があったけーよ。なんでこんなぽかぽかしてんの」
「んー?エースといるから?」
「………サボに仕込まれただろお前」
「ばれたか」

どきっとしたか?なんて小さく振りかえって無邪気に腕の中から見上げるルフィが小憎たらしい。ええしましたとも盛大に。サボの野郎いつかひと泡吹かせてやる。(思うだけならタダだ。)

「ルフィはさあ、いつになったらおれに『あーんして』って言ってくれんの?」
「だーからー、他人にハシでもの食わせるスキルなんかおれ持ってないんだってば。おれがどんだけ不器用か知ってんだろエース」
「じゃあ箸じゃなくていいよ。むしろ口移しで」
「サボに言うぞ」
「…。」

こいつ最近変な技ばっかり覚えてくるな。けらけら笑いながらルフィは前に向き直って、もうひとつみかんを剥きだした。そのつむじのあたりに顎を乗っけて、悔し紛れに脳天をぐりぐりしてやった。いたいってば、エース、というルフィの抗議も、笑い混じりでどこか甘い。しょうがない、まあこいつも男なわけだし、そこまでベタベタな展開期待する方が申し訳、

「エース」
「ん?」
「みかん食う?」
「おう、珍しいな、お前が食いもんくれるなんて、」

目の前につい、と突き出されたみかんの一房。無邪気ないたずらっ子の目で、なにかを含んだようにルフィが笑う。ゆっくり開かれた口から滑り出た台詞は、夢にまで見た魔法の言葉だった。

「……『あーん、して』?」

さてこの状況、他の奴ならどうしただろう。ここで笑って流したりできればオトナなのかもしれないが、おれに言わせりゃそんなの男の風上にも置けやしない。おれの答えはひとつだ。つまり、
いただきます!

**********


「ちょちょちょま、まてって、ちょ、エース!!…ッや!」
「安心しろルフィ、残さず食べるから」
「何言ってんだよ!!ちょっと落ち着けって、…あ、…あ…!」

あっという間に押し倒されたかと思ったら、ライオンが獲物の息の根を止めるみたいに、がぶ、と大きく喉に噛みつかれて、広い肩を押し返していた手から魔法みたいに力が抜けた。
そのまま体重を掛けられて身動きが取れなくなって、動物的な本能で恐怖を感じたおれを宥めるように、エースの大きな手のひらが前髪をかきあげて額を露わにして、そのままゆっくりと頭のラインに沿って何度も撫でる。
歯をたてられた喉には、それを謝るように舌が辿って、唇が吸いついた。フリーな反対側の手は、一瞬でシャツをズボンから引き抜いたかと思うと、すぐさまそのなかにするりと入り込んで腹を這ったりない胸を揉んだり突起をかすめたりしている。

正直言ってもう勃ってる。抵抗する気も殺がれるほどに、キモチイイ。からだを重ねるごとに、エースはおれのキモチイイとこを覚えてくれてるみたいで、最近ではこうなったらもうおれは成す術はない。こんなはずじゃなかったのに。ちゃんと言いたいことがあったのに、もうだめだ。こんな風にやさしく口づけられて、ぢう、と音を立てて舌を吸われてしまったら、もう広い背中に腕を回して受け入れてしまうしかないじゃないか。

なのに。

「ッあ゛ああああやっぱだめだ!!」
「!!?」

がば、と音がするくらいの勢いでエースが起き上がった。何が起こったのかよくわからないから、おれはひたすら目をぱしぱしさせるだけ。え、やっぱだめだって、まさか、
「ルフィ!」
「!?ハイ!!」
押し倒されたまま肩を両手でがっしと掴まれる。かと思ったら、背中に右腕を滑り込ませて、ほぼ腕の力だけで上体を起こされた。なんだなんだなんなんだ。ってかそんな軽々扱われるのも男として癪なんだけど!

「ルフィ、ごめん。このまま気持ち良くしてあげてから話そうと思ってたんだけど、ってかわけわかんなくさせてその間に言っちまおうとか最低なこと考えてたんだけど、やっぱ無理だ。ごめん、おれ、ルフィにちゃんと謝らなきゃなんねえことがある。」

エース何言ってるんだろ。それっておれが考えてたことだ。お詫びじゃないけどもういっそこのままエースの好きにしてもらって、その後でさりげなく言ってしまおうとかズルイこと考えてたのはおれのほうだ。謝らなきゃいけないのは、
「――ルフィ、おれな、」
「―――――待った!!」
ばしん、と結構な音がしたのに気付かない訳ではなかったが、おれはエースの口を塞いだ手をどかさなかった。
「―――ッ!!」
「エースごめん、おれも謝りたい!!おれの方が最低だから先に謝らせてくれ!!あのな、おれ、」
そこまで言った時、ちょっと涙目(痛かったんだろう)だったエースが慌てておれの手首を掴んで離した。
「ちょ、待て、色々言いたいことはあるけどちょっと待て!おれの方が最低な自信あるから先に言わせてくれ」
「やだやだ絶対おれのほうがヒドいエースが思ってるより絶対ヒドい!!おれが先!!」
「いーや絶対お前聞いたら怒る」
「うそだおれの聞いたら絶対エースのが怒る!!」
「―――っ、くそ、こうなったら」

言っちまったもん勝ちだ、とエースが呟いて口を開いた瞬間、おれにしてはめずらしくカンが働いた。これはマズイ、と慌てておれも口を開く。ごめん、と切り出した声は、多分同時だったはずだ。

「「おれ、(クリスマス)(誕生日)一緒にいられねえ!!」」


**********


え?と聞き返した声も多分同時だったはずだ。

「クリスマス?」
「…誕生日…あ、おれのか」
「えええ何だよその反応!」
「お前こそなんだよ、一緒にいる気なかったのかよ!」
「ちげーよ違うけど!エース仕事忙しいし別にそんな無理して一緒にいる意味なくね?」
「…お前の中でクリスマスは何な訳」
「牛と鶏とどっちも食える日」
「うんよくわかった」

そうだこの子はそういう子だった。怒られはしないまでもちょっとした非難を覚悟していたおれは、安堵と同時に肩すかしをくらって複雑な気分になった。ルフィに嫌な気持ちさせなくて済んだのはよかったのかもしれないけど、少しくらい残念がってくれたっていいじゃないか、とか思うのは我儘過ぎるだろうか。

「エースこそ…。なんでそんなあっさりしてんだよ、自分の誕生日だぞ?」
「いや、ここ数年ちゃんと祝ったことなかったし…。それにお前正月だしどうせ実家だろ?じいさん楽しみにしてんだろうからちゃんと帰ってやれよ」

ここ数年付き合った彼女とは、誕生日を待たずに別れたり、誕生日を教えなかったことで喧嘩になって別れたりしていたから、祝ってもらうという感覚がおれはよくわからない。大体にして正月一日だし、正直誕生日おめでとうより世間様の風潮は「明けましておめでとう」だ。なんでルフィがこんなに不満そうな顔をして黙り込んで俯くのかわからない。
ルフィの不機嫌な顔に気まずさを感じる一方で、クリスマスに一緒にいられないことをあっさり流された不満もじわじわ大きくなっていく。ただのイベントと言われればそれまでだ。それまでだけど、初めて一緒に過ごすクリスマスを、ちょっとくらい楽しみにしてくれていてもいいではないか。

おれたちの間に流れる空気は一気に冷たく下降していった。お互い本来とは違うポイントで不満が募ってしまったから、予想外の事態にどうしたらいいかわからないし、謝ろうにも理由が理由なだけに引くに引けない。

「……エース、おれからのお祝いなんて楽しみにしてないんだな。」
「…何だよその言い方。そんな訳ないだろ。ただおれよか実家優先すべきだし実際そうするしかないんだから、これ以上おれにどうしろっていうんだよ。」
「エースは、おれがどんだけ頑張ってじいちゃん説得しようとしたか知らないだろ!ちゃんと祝ってあげたくて、おれひとりで頑張って電話したのに」
「お前がそれ言うわけ?おれだって最近忙しくてほっといてばっかだったから、せめてクリスマスくらいはどっか連れてってやりたくて必死に調整してたんだよ。それを、『無理して一緒にいる意味無い』はないだろうが」
「違うだろ!エースに無理させてまで一緒にいてもらわなくていいって意味じゃん!!」
「何が違うんだよ!!同じだろ!!」
「全然ちげえよ!何でわかんねえの!!」
「こっちの台詞だ!!お前にとっておれってそんなもんかよ!!」
「そんなこと言ってねえよ!!」

どんどんヒートアップしていく言葉のぶつけ合いは、噛みあわないままその激しさだけを増してゆく。何ひとつ状況は良くならない。悪化していくばかりだ。
ごめん。楽しみにしてない訳じゃない。それより大事なことを優先してほしいだけだ。やさしく抱きしめてそう言ってあげるだけでいいはずなのだ。それなのに、一番言いたいことは胸ん中の激しい波に呑まれて、ルフィを傷つけるために、ルフィに不満をぶつけるために編み出された言葉だけがいとも簡単に外へ飛び出していく。

お互い様なのだ。どちらも悪くなくて、きっとどちらも悪かった。頭のどこかではそれをわかっていたはずなのに、今はどうしてもルフィを傷つけたかった。傷つけて、その隙間におれがどれだけこいつを想っていて、こいつのさりげない一言に傷ついたか擦りこんで思い知らせてやりたかったのだ。

「よくわかった!その程度なんだなお前には!!どうせお前が惚れたのは制服着てるおれで、おれ個人にはたいして何も思ってないんだろ!!」

これが、おれの最大の失言だった。

それまで頬を紅潮させて言い返してきていたルフィが、その一瞬で微かに目を見開いて顔色をなくした。開きかけていたくちびるをゆっくり閉じて俯くと、その表情は前髪で隠れて見えなくなってしまった。
ここが最後のチャンスだったのだ。ごめん、言いすぎた。お前がちゃんとおれを大事に思ってくれてるのわかってる。そういってやれる最後のチャンスだったのに、未だ荒れ狂ったままの感情の波と、おれの愚かな意地とちっぽけなプライドがそれを阻んだ。

俯いたまま、ルフィはゆっくりと後ろを向いて立ち上がり、荷物を手にとって歩き出した。玄関の方向へ。
「……今日は、帰る。疲れてるのに、ごめんな。お邪魔しました。」
「………送ってく。」
「いらない。……要らない。ひとりで、帰れる。」

じゃあな、と小さく告げた声が掠れて震えていたことに気付けば、おれはここでルフィの小さな背中を抱きしめてあげられたかもしれない。馬鹿なおれは、自分の正当性を探すのに必死で、それを聞き逃した。
ぱたん、と玄関が閉まった音がして、外の階段をゆっくりゆっくりルフィが降りて行く音を聞きながら、おれは髪をかき回してうなだれた。さっきまであんなに幸せだったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。そんなことを考えている暇があったら、すぐにルフィを追い掛けてその華奢な肩を掴まえて抱きしめてやるべきだったのだ。そうすれば、ルフィにあんな切なく悲しい思いをさせなくて済んだのだ。

冷たく暗い夜道をひとり歩いていたルフィが、ついにしゃがみこんでそのまま泣きだしてしまったのを、おれは知らなかった。