※るるかさまのリクエストより、「高校生のエースとルフィ」です。

(全2p)



この高校に転校してから一ヶ月。
群れたりはせず、かといって興味津々で寄って来る奴らを邪険に扱うわけでもなく、つかず離れずといったポジションもそろそろ周りに受け入れられてきた頃。引っ掛かることといえば、一ヶ月経っても全く姿を見せない隣の席のヤツ。しかし、誰も特に言及するわけでもなく、入院してるとかなんかそういうことなんだろうと勝手に結論を出し、あとは全く関心ももたず。その日だって、そんな普通の、フラットな一日のはずだったのだ。

しかし悲しいかな、おれの少々騒がしくも平穏かつ平凡な高校生活は、その日あまりに呆気なく終わりを迎えた。



「あ、あの、エースくん、」
「…?」

昇降口をくぐり、気怠い動作で靴を履き替えるおれを呼ぶ小さい声。
あー、たしかこの子はサンジが言ってたA組の、なんかミスコンかなんかで上の方だったっていう、えーと…、……うん、その子。多分。
怪訝な顔で振り向くおれに少し怯んだようだったその子は、しかし後ろに控えた友人らしき数人に、ほら、と背中を押されて顔を上げた。

「………ッ、お、おはよう…っ」

何を言うかと思えば。
だが割とこれはよくあるパターンだったので、おれはおれなりにそれなりの挨拶を返す。

「おう、おはよう」と。

それだけだった、はずなのに。
背中を向けたその後ろ、鞄か何かを取り落とすような音が聞こえたな、と思った瞬間、

甲高い絶叫が、おれの背中にぶつかってきた。



「おう来たか色男。朝からご苦労さんだこと。」
「お疲れエース。また廊下の窓割れたってよ。」
「………おれ、わるくなくね……?」

あまり興味なさ気に、雑誌をめくりながら声を掛けて来るサンジと、その向かいに座って気の毒そうにおれを見上げるウソップに、ぐったりしながら本音を漏らした。そのままよろよろ横を通り過ぎて一番後ろの自分の席へ。全く勘弁してほしい。高校生にもなって転校生がもの珍しいのはわからんでもないけどさぁ。

「……え、ちょ、ゾロ寝てんだけど」
「あ?おれは寝てるとこしか見たことねぇな」
「抜かせコラ。ちげーよよくあの大音響で起きねえなっつー話だよ」
「ゾロは隕石が落ちてきても起きないわよ。おはよエースくん。」

背後から聞こえたハリのある軽やかな声に、おれはげ、とひとつ呻いてぎこちなく振り向いた。この声とラブハリケーンモードに入ったサンジの様子から察するに、

「……おはよ、ナミちゃん…」
「ええおはよう。早速だけど」
「断る」
「まだ何も言ってないわよ失礼ね」
「失礼は否めないがおれはおれの平穏のために断る」
「ェエェスてめコラナミすゎん直々のお願いを断るたぁどーゆー了見」
「サンジ君、ちょっと話ややこしくなるから黙ってて」

ハイ!と良い子のお返事をして自称恋の狩人は呆気なく手なずけられた。コイツ、黙ってりゃ男前なのになぁ。

「頼むわ、エース君が入ってくれたら儲けの桁が違うもの。他に部活入ってないんでしょ?時々写真撮らせてもらうだけでいいわ、お願い!」

この「お願い」にほだされて地獄を見た男が一体何人いたことやら。全く頭の良い美人ほど手に負えないものはねえ。

「こーとーわーる。自分の預かり知らねえトコで写真バラまかれて気分いいヤツなんかいねえだろ」
「儲けの4割は払うわ。4割がわたし、2割は部費に回させてもらうけど、エース君なら一枚500円で売っても一種につき200枚は下らないはずよ。運動部連中からの勧誘も落ち着くんじゃない?」
「そういう問題じゃねえんだよ。おれはとにかく静かに平穏に平坦に暮らしたいの。」

写真部部長美少女ナミちゃんの要求。それは「写真部に被写体として入部すること」。部長がまずもってこの美少女だから、部員数が足りてないとかそういうことでは全くない。要するにそれなりに見た目のいい奴らを捕まえて写真撮って女子生徒に売りつけているわけだ。サンジはあの通り、彼女の言うことなら二つ返事どころか光の速さで従うし、ゾロは恐らく自分の知らないところで何が行われているか気付いてさえいないだろう。ふたりともそれぞれ調理部と剣道部というちゃんとした部活に入っていて、その活動中の姿もターゲットになっているわけだが、ではなぜおれは「部員になれ」なのか。思うに、特に仲の良い友達も作らず、着かず離れずのポジションを保って、休み時間も放課後もさっさとひとりの時間を確保することに全力を尽くしているおれを捕まえる、それが唯一の手段なのだと思う。
つまり適当にファインダーに収まってりゃそれなりに割のいいバイトくらいにはなる訳だが、言っちまえば体のいいカモだ。そこまでわかっていておめおめと言いなりになるほど、おれはお人よしでもなんでもない。

「とにかく、何をエサにされてもおれは食いつかねえから。」

首にかけていたイヤホンを音楽端末の本体に無造作にぐるぐる巻きつけながら、視線もくれずに言い放つ。それを受けてナミが更に言い募ろうとした、その時だった。


「あ?あれ、ここD組だよな?知らねえ奴いるから間違えたかと思った。」

この1カ月空きっぱなしだった隣の机に、ぼす、と無造作に、中身の入ってなさそうなリュックが置かれた。大きめのベージュのセーターに包まれた、細い腕を辿って見上げた先には、澄んだ大きな黒い瞳と、艶やかな濡れ羽色の髪の、

「……―――ルフィ!!!!!!」
「―――!!?」

がば、と音がしそうな勢いで飛び付いたのは、さっきまで金の話でおれに詰め寄っていたナミだった。ええええ。これはサンジが黙っちゃおらんだろう。そう思って恐る恐る振り返れば、

「ルフィ!!?おま、帰ってきたのかオイ!!」
「おー昨日なー!ひっさしぶりだなサンジ!元気だったか!」
「ルフィィイイ生きてたかおれはおまえこんどこそあのじいさんに殺されたかと思っておれはおではぅあうあああ」
「あー?なんだウソップ泣いてんのか―――?」

おれは呆然としながら自分の眼を疑った。割と感情表現が大袈裟なウソップはともかく、ナミがほかの男に抱きついてサンジが黙っているなんて。しかもそのナミはといえばうっすら涙ぐんでいる様にすら見える。状況に着いて行けないおれをさらに突き放したのは、今まで沈黙を保って屍と化していたはずのゾロだった。

「―――ルフィの声がした」
「はァ!!?」

むくり、と顔を上げて何を言うかと思えば。

「おーゾロ!おっまえまーた寝てんのか!変わってね―な安心した!」
「1か月でそんな変わってたまっかよ…。」
「だよな!おはよ!」

きゃらきゃらと声を上げて笑うソイツの周りに、見る見るうちにひとがわらわら集まっていく。クラスどころか、ほかのクラスの奴らも廊下から顔を覗かせて、ルフィだ、ルフィが来た、とか何とか言って手を振っている。それに朗らかに手を振って応える渦中の「ルフィ」とやらは、ナミやらサンジやらウソップやらにもみくちゃにされて楽しげに笑っている。何だこれ。なにが起こってるんだ。
完全に状況に取り残されたおれが呆然としていると、もみくちゃにされるその合間に、ごくごく偶然ソイツがするりとこちらを向いた。つぶらという表現がこれ以上ないくらいひたりと当てはまる黒く艶やかな瞳。きれいな肌に無粋に刻まれた目の下の傷すら、まるであるべくしてあるような。一瞬のうちに、おれの目はそれらすべてを捉え、そして、あいつの目も、おれの目を捉えて離さなかった。

そうしてひとつ、そいつは人の渦の中から、確実におれを捉えてにかりと笑った。

ただ目を白黒させるしかなかったこの時のおれには知る由もなかった。まさかこれが、おれの人生を変える出会いの、まさにその瞬間だったなんて。



「エースみっけ。」
「……お前…。」
寝ぼけた目をかろうじて開いてみれば、満面の笑みでこちらを見下ろす「ヤツ」がいた。
雲一つない秋の青い空を背景に、しし、とご機嫌にひとつ笑うと、ルフィはそのままおれの横に寝転んだ。ちなみにここは屋上の、さらに一段高くなっている通用口の上。絶対に見つからないはずの、おれの密かな特等席だったのに。

「……くそ、よく見つけたな、お前…」
「大体わかってきたぞ、エースの行きそうなとこ。次はどこだ?」
「もうねえよストック」
「まじ?やった」

空き教室のベランダ。体育館裏の倉庫の上。裏庭の芝生。シーズン外のプールサイド。
幼いころから転校を繰り返してきたせいで、人付き合いはそれなりに薄く浅くがモットー。人の気配を感じずに時間を過ごせる場所を探すノウハウは人より長けているはずだったのに、それらはこいつと出会って以降、次々と踏破されてしまっている。それどころか、こいつはことあるごとにおれのまわりをころころと付きまとう。調子が狂うなんてもんじゃない。

「…なんなの、お前。」
「ん?」
「なんで、おれに構うの」

目は合わせないまま、空を見上げて問う。見えてはいないけど、きっとルフィも同じように、空を見上げている。吸い込まれそうな空の青を見ている。

「…なんか、似てる気がした。」
「……?」
「エースと、おれ」
「…は…?」

思わず顔を傾けてルフィを見た。すると、ルフィも少しだけ顔を傾けて、あの澄んだ瞳でおれを見た。唇の端で少し笑むと、身体ごとこちらに向きなおる。少し近づいたからだの気配に、心臓があまり感じたことのない種類の疼きを覚えた。なんだこれ、いくら可愛いっつっても、こいつ男だし。いやいやまず「可愛い」ってどういう、

「おれじいちゃんと暮らしてるんだけどな、じいちゃん冒険家なんだ。おれも強い男に育てるっつって、昔からすぐどっかに連れてかれて、転校とか1年単位でころころするし、こないだみたいにジャングルに1か月放り込まれたりとか」
「……おまえそれマジで言ってんの」
「マジマジ」

引くだろー、といってルフィはけらけら笑っている。

「…だからな、友達は大事だし、一緒にいれば楽しいし、大好きだけど、いつ何があるかわかんねえ、って思うとな、」

そこまで言うと、ルフィは、頭の下に敷いていたおれの片手を引っ張り出して、

「ここ。」

自分の心臓のあたりに、当てた。

「ここから先は、だめなんだ。」

手のひらに感じる、体温。身体の感触。少しはやい、鼓動。

「……ここから先は、つらい。」

そうして、おれの手を捉えたのとは反対の手で、おれの胸に、手を当てた。

「エースも、おんなじだろ?こっから先に、行かせないようにしてるんだろ。」

転勤族の親父。親父にゾッコンのお袋。転校なんかいくらしたかわからない。どうせすぐ失うなら、離れるしかないのなら、

「…そこまでわかってて、だったらなんでこんなことしてんの」
「……それがわかんねえんだよなあ。でも、リクツとかリユーとか、そういうんじゃなくて、」

手のひらに感じるルフィの鼓動。胸に感じるルフィの手のひら。同じ、リズムを刻む。振り払えないのは、振り払わないのは、なんでだ。

「そばに、いたい。エースのそばにいたい。エースといると、楽。安心する。」

そこまで言って、勝手に満足したみたいに笑うと、ルフィはそのまま、日溜まりでぬくもる猫のようにからだをまるめると、おれの肩の辺りに顔を寄せて、目を閉じた。胸のあたりに抱きこんだおれの左手も、おれの胸に置いた手も、そのままに。よくわかんないけど、これはズルくねえか。

「……わけわかんねえ。」

ぼそりと呟いたおれに、ルフィは目を開けないまま、吐息だけで小さく笑った。しってる、とでもいうかのように。でも、手の甲を包むルフィの手がしっとりとあたたかったし、肩と心臓の上に感じるぬくもりがよくわからないけど大事に思えたし、空は青いし、ゆるく吹く風が気持ち良かったから、なんだかどうでもよくなった。
少しだけ顔を傾けて、ルフィの髪を頬に感じて。午後の始業のベルをBGMに、おれももう一度目を閉じた。


******


「……なに、これ」
「…抜かったわ。こういう市場もあるってこと忘れてた。しかも、よりにもよって、ルフィが。」

放課後の空き教室。ナミに呼び出されて行ってみれば、彼女に加えゾロとサンジ、ウソップといういつものメンツが、だがしかし険しい、嫌悪感を露わにした表情で、机の上に置かれたものを見つめていた。透明なビニール袋に入ったそれ。呼びかけられた振り返りざま、明るく笑う、いつもの笑顔。ベランダの影で眠る、穏やかな寝顔。ルフィの写真。おそらくナミが撮ったもの。何の変哲もない、数枚の写真。

―――白く濁った液体が乾いてこびりつき、表面を穢されている。それだけをのぞけば。

「…ルフィ、は、このこと…」
「知らないわ。言えるわけないじゃない」
「―――マジ殺す…。ナミさん、これどこで」
「体育館倉庫の奥に落ちてたそうよ。女子体操部の友達が教えてくれたわ。一人じゃない可能性も、充分あるわね。」
「ナミ、この写真お前が売ったのか。」
「いいえ。少なくとも私から男に売ったことはないわ。あくまで女子のニーズを満たしてるだけ。譲られたか、……転売されたか。」

ウソップたちの会話を聞き流しながら、震えそうな手で、触りたくもないそれを手に取る。胃の辺りから、沸々と沸き上がってくる熱いもの。胃液が逆流するような、これは一体なんだろう。自分の意志に反してばくばくと上がる心拍数と体温、それを自覚し始めたその時。
ガラリと唐突な音を立てて、教室の引き戸が開けられた。

「こーんなトコにいた!! なんだよおまえらだけで何やってんだ?」
「――!! ル、」

とっさに隠そうとした。その動きを、逆に見咎められた。意外なほどの敏感さでなにかいつもと違う空気に気付いたルフィは、ゆるぎない足取りでつかつかと歩み寄ると、動けないおれの手から忌まわしいそれを奪い取った。ルフィの澄んだ瞳が、汚らしい欲望にまみれたそれを捉えている間、誰も、何も言えなかった。動けなかった。

「…ふーん。なんだ、またか。」

淡々としたその一言に、ひゅ、と息をのんだのは、おれか、それともほかの誰かか。

「……『またか』って、どういう、ことだ。」

絞り出したおれの声に、ルフィはゆるりと顔を上げてこちらをみた。見たこともない、ごくごくフラットな笑みを浮かべて、おれを見た。
ぞっと、背筋を何かが駆け抜けた。

「はじめてじゃない。こんなの。机に入れられてたり、靴箱とか、ロッカーとか。置きっぱにしてたジャージにぶっかけられてたときは、さすがにちょっと腹たったけど」


何か大きな音がして、ああ机を倒したんだな、と思ったのは、ルフィの胸倉を掴んで黒板に叩き付けたその後だった。

「エース君!!」
「エースてめぇ!!」
「るせェ!!!!」

ナミの悲鳴とサンジの怒声、それに怒鳴り返した後、おれはルフィに向き直った。チョークを置く棚状の部分が腰骨にまともに当たったのだろう、ルフィが痛そうに呻いたが、それでも感情が収まらなかった。ここではじめておれは、この熱い熱い血が沸騰するような感情の名前を知った。
これは、憤怒だ。

「てめえ、なに淡々と言ってんだよ…。わかってんのかよ、抜かれてんだぞ、遊ばれてんだぞお前で!! それだけじゃねえ、それをお前本人に見せつけて楽しんでる!! それを、」
「実際にヤられた訳でもないし、変態野郎が直で来たっておれ簡単に負けねえぞ?」
「相手が複数だったらどうすんだよ!!」
「何怒ってんの?おれのことじゃん、エースがなんかされたわけでもないのに」

心底わからない、といった顔で戸惑ったように言うルフィに、はらわたが煮え返りそうな怒りを覚えた。もういい。わからないならわからせてやる。境界線を越える、「ここから先」を越える言葉を、突き付ける。

「いい加減にしろよ!! 何でわかんねェんだよ!! 大事なんだよお前が!!!!」

頭の端では、おれとルフィ、そのほかにも人がいることはわかっていたような気がする。それでもどうでもよかった。おれはこんなにこいつが大事なのに、いつのまにか「ここから先」に入りこんできたのはこいつの方なのに、その当人が自分のことをエロ本の薄っぺらい切れ端かなんかみたいに扱う。堪らなかった。だから、

「お前が自分のことどう思っててもそりゃお前の勝手だけどな、お前をどうでもいい存在みたいに、好き勝手しても許されるモンみたいに扱われんのは我慢なんねェんだよ。たとえそれがお前自身でも、お前がそれを許しても、おれが絶対に許さねェ!!」

「覚悟しろよルフィ。おれの『こっち側』に踏み込んできたのは、お前の方だ。」

零れおちそうなルフィの瞳。それを真っ直ぐ見詰めて、言いきった。そういえば、こんなに近くで真っ直ぐ誰かの目を見て物を言ったのは、生まれて初めてかもしれねえな。

「…ナミちゃん」
「――…何。」
「おれ写真部入るわ。顧問だれ?」
「は?こんな状況で何言って、」
「ただし条件がある」

会話が繋がっていないのはわかっていたがどうでもよかった。呆然としたままのルフィの胸倉から手を離し、そのまま細い腕をつかんでゆっくり振り返る。怪訝な顔をしているナミ。戸惑いを露わにするウソップ。何か言いたげに睨むサンジとゾロ。構わず要求を突き付ける。断る理由は、ないはずだった。

「おれと、それからルフィも、以降単体の写真はナシ。――全部、コイツと2ショ。それが条件だ。」

それと、もうひとつ。