※時系列的には「オブザーバーズピンポン」の後です。
唐突で申し訳ないが言わせてくれ。おれの恋人は可愛い。そりゃもう文句なしに可愛いしこれでもかってくらいいい子。最初は単なる仕事上のお得意さんだったあの子に、紆余曲折を経て玄関先で制服脱いでアンダー一枚で90°頭下げて告白するくらいには惚れている。
自慢っぽく聞こえるだろうがまあ大目に見てくれ。だって自慢だからな。
さて、そんな自慢の可愛い恋人ルフィだが、おれにはひとつ不満がある。不満というと語弊があるか。気に食わない?いや、あのルフィをつかまえてこれはいくらなんでも世の中の皆様にボコられる。まてまて拳はしまおうな。
うん、そう、面白くないんだ。ルフィに関して面白くないことがひとつある。
それは、
「…―――そんでなー、別に大丈夫だっつったのにゾロにつかまって医務室連れてかれちゃって。それで昼飯食い損ねたからサンジん家でメシおごってもらってなー、」
平日の仕事上がり。おれの部屋。散々だったんだぞー、なんて言いながらルフィはけらけら笑っている。ちなみに何の話かというと、何気なくルフィが腕をまくった時に見えた肘の大きな絆創膏に、どーしたんだコレ、痛かっただろ、と聞いたことに始まる。どうやらいつものフットサル仲間と遊んでる内に接触して転んだらしい。
「ゾロ」と「サンジ」、ね。ふーん。
おれは適当に相槌打って黙々遅い夕飯を食う。今日はちょっとめんどくさいお客さん、いわゆるクレーマーの人に当たっちまって、段ボールの角当てたとか当てないとかいちゃもん付けられて正直ちょっとテンション低い。ルフィに会えばHP回復するかなーと思ったんだけどな。ちなみに今日のおかずは、泊まりに来たルフィが持って来てくれた、サボお手製牛肉コロッケとスーパーの漬物。まじうまい。おふくろの味ってこれだなきっと。
なんて思いながらも気分は下り坂。原因はわかってる。ルフィの口から男女問わず次々出て来るおれの知らない名前だ。
大学の友達だけでもナミ、ウソップ、チョッパー、ビビ、ロー、キッド、ボニー。そのほかにも図書館のおねーさんロビン、近くの自動車整備会社のフランキー、近くのクラシック喫茶のマスターブルックなどなどなど、一体どうやって知り合ったんだかという様な奴らもちらほら。
特に件の「ゾロ」と「サンジ」は他学科にも関わらず妙に出現率が高い。例のフットサル仲間であることは確かだが、それにしても。
「……消毒してもらってる時もゾロずーっとついててくれたし、サンジは家まで送ってくれたし、なんか悪いことしたなー。」
「……。」
おお、危ねえ箸折るとこだった。
おれはひとつ深呼吸をして親の敵の如くコロッケを一刀両断した。機嫌は今度こそまごうことなく急降下。もやもやした真っ黒い塊が胃の辺りにわだかまってくるのを何とかしたくて、とりあえず引き続き黙々と晩飯を流し込む。もう味なんかしない。
弁解しておこう。友達が多いのはいいことだ。それは認める。
何よりこの天真爛漫で素直なルフィの事だから、この子の傍に人が集まるのは当然のことだ。しかもそこに末っ子の愛され体質が加われば、これはもう最強だ。
それだけじゃない。先日、会社の同僚、マルコとサッチにキス現場を目撃されてしまった時。あの時見せた凛とした一面に、おれはもう完全に落とされた。惚れ直したなんてもんじゃない。もう泣きたいくらいの感激と愛しさで爆発しそうだった。この子のためなら死ねると思った。ウソじゃない。
サッチとマルコと別れた後、おれは一言も言えないままバイクでルフィをマンションまで送って、いつもの裏の公園にルフィを連れ込んでもう一度強く強く抱きしめてキスしまくった。酸欠とたぶん感じちゃったのでルフィの膝が抜けるまで。感謝と、愛情と、それ以上の言葉にならない想いが、これで全部伝わればいいのにと思った。よくお持ち帰りしなかったもんだと自分でも思う。
世界中に叫んでやりたかった。この子がおれの恋人だ。この子がおれを好きだと言ってくれる。
だがそれと同時に、おれは思い知った。おれはもう二度とこの手を放せない。「離さない」んじゃない。「放せない」。
もう逃がしてあげられない。例えばこれからルフィがおれ以上に好きな奴ができたとして。例えば目が覚めて普通に女の子と結婚して子供が欲しいと思ったとして。そうなったときに、おれは絶対にこの子を放してあげられないと思った。
そして戸惑った。
こんなに誰かを求めたのは初めてだったし、こんな風に誰かを欲しいと、放したくないと思ったのは初めてだったからだ。いわゆる嫉妬。こんな粘着質な、コールタールみたいに真っ黒いどろどろした感情がまだ自分の中にあったのかと、驚きすら覚える。欲しいものなんか、欲しがる前に全部おれの前から消えて行った。欲しがることなんか、とうの昔に忘れたと思っていた。
だから、正直こんなときどうしていいかわからない。
こんなどす黒い感情を見せたら、途端にルフィは逃げてしまうんじゃないだろうか。それも怖い。そしてそれ以上に、そうなったときにおれはこんなに大事なこの子に一体何をしてしまうだろう。それが一番怖かった。
「………。」
箸を置いた。冗談じゃなく、今度こそ折ってしまいそうだったからだ。サボにゃ悪いが、今日はもうこの胃はどろっどろの真っ黒いもんで占領されてしまったようだ。ルフィはまだ楽しそうに何か話しているが、正直もうそれに付き合ってやる余裕はなかった。
「……エース?もう食わねえの?」
「…おう。悪い、先に風呂入ってくる」
目も合わせないまま立ち上がる。少々荒々しい手つきでタオルと下着を手に取ると、足早にルフィの脇を通りすぎて廊下に向かって歩き出す。お湯も張ってないがしょうがない。冷水でも浴びて無理矢理にでも頭冷やせば、ちょっとはマシな顔でこの子に向き合えるかもしれない。
「………なあエース、やっぱなんか顔色悪いんじゃ、…っ!」
おれを気遣ってくれるルフィの声が、不自然に途切れた。
理由は分かっている。膝立ちでおれの手首を掴んだすんなりした手を、おれが振り払ったからだ。自分でも驚くくらい、冷たい行動だった。ルフィに対してこんな、拒絶する反応をしたのは初めてだったと思う。はっとして思わずルフィを振り返ると、透明感のある黒い瞳をまんまるくして、からっぽの表情でおれを見上げていた。
その瞬間、ざわ、と鳥肌が立つくらいの後悔と戦慄が身体を駆け抜けた。
反射的にタオルと下着を布団の上に投げ出した。ふすまを開けて玄関に向かう。靴箱の上のキーケースを掴んでスニーカーをつっかける。
駄目だ。これ以上一緒にいたら、おれは本当にこの子を傷つける。逃げるように、ドアノブに手をかけたその瞬間、
「―――…やだ、エース!!」
どん、と背中にぬくもりがぶつかってきた。腹に強く強く細い両腕が巻き付く。
「……離れろルフィ。ちょっと、出てくるだけだから。」
「………いやだ!行くなよ!なあ、なあおれなんかした!?」
地を這う様なおれの声に少し怯んだようだったが、それでもルフィは引き下がらなかった。背中にぴたりと貼り付いたまま、必死な声で縋りついてくる。顔は見えないけど、きっと辛そうな顔してる。傷ついた顔してる。
怖いだろうな。悲しいだろうな。今までこんな風に冷たく接した事なかったもんな。お前に好いてほしくて、喜んでほしくて、笑ってほしくて、そればっかりだったもんな。
ごめんな。そんな顔しなくていい。お前は何も悪くないから。
笑ってそういってやれる「大人のエース」は、今はもうどこにもいない。
「……悪い、おれが勝手に腹立ててるだけだから。放してくれ。頭冷やしてくる。」
「…! やだ、やだよなんで!おれのせいだろ!?言えよ、何でそんなきつそうな顔すんだよ!なんでエースがそんな痛そうな顔すんだよ…!!」
ああ、声が潤んできた。また泣かすのか。最低だなおれ。
もっと最悪なことに、泣けば済むと思ってんのか、なんて思ってる自分もいる。最低だなおれ。死ねばいいのに。
「言えよ…!なんで怒ってんだよ!いってくれなきゃわかんねえよ…!!」
「なあ、おれがコドモだから!? 言っても分かんないガキだから!? なあ、おれエースのコイビトじゃねえの!? おれ、エースのもんになれたんじゃねえの!!」
「―――だったら何でほかの男の話してヘラヘラ笑ってんだよ!!!」
堰が切れた。無理矢理振りほどかれた腕を浮かせたまま、ルフィが呆然とこちらを見ている。その瞳が薄い涙の膜で潤んでいるのが見えても、もう止まらなかった。むしろ、それがたちの悪い加速器であったかのように、感情の波は荒さを増すばかりだった。もう止まらない。
「お前をコドモだなんて思ったこと一度もねえよ!! 当たり前だろ!! コドモだと思ってる奴とこんな本気で付き合うと思ってんのか!! お前の事コドモだなんて思ったことねえしおれだってお前が思ってるほど大人じゃねえんだよ!! わかれよ!!!!」
「おれのもんだっていうんなら、何でおれの部屋まで来てほかの男の名前ばっかぽんぽん出すんだよ!! 意味わかんねえ!なあ、おれもそいつらとおんなじカテゴリーか!? だからわかんねえのか!!? 心底惚れてる奴に自分の前で、知らない男の話延々されてどんな気持ちになるか、お前にはわかんねえのかよ!!!!」
はあ、と大きく息を吐く。初めてルフィに思いっきり怒鳴りつけた。ルフィにどころか、今まで付き合った女の子の誰一人として、こんな風に怒鳴りつけたことなんかない。
ぐしゃ、と握りつぶすように前髪を掴んだ。最悪だ。何なんだもう。最悪だ。ごめん、ルフィ。ごめんな。
束縛する男は嫌われるよい。
そんなマルコの何気ない台詞が頭をよぎる。どん、と情けなくも無力感たっぷりの音を立ててドアに背中を預ける。あーあ。ルフィに嫌われたら、引かれたら、おれまじで死ぬしかねえな。
そこまでマイナス極まりない内容をぐるぐる考えていた時。おそるおそる、といった感じでルフィが前髪を掴むおれの手を包み込んできた。目線も上げないまま、ゆるゆると力なく手を降ろす。その手がそのままゆるりと繋がれると、拒絶がない事を確かめるかのような間の後、反対の手も、そろそろと柔らかい手に包み込まれた。
「―――………なあ…、おれ、それよろこんでいい……?」
は、と息をのんだ。反射で顔を上げると、ゆらゆらとゆれる艶やかな瞳と目が合った。どこかすこしぼんやりとしたまま、それでも真っ直ぐこちらを見つめる、澄んだ瞳。
「……なあ、嬉しいって言ったら、怒る?喜んだら、怒る?」
この子、なに言ってんだ? だっておれ、あんなに勝手な、理不尽なこと、
「なあ、それって、やきもちやいてくれたってことだろ?おれのこと、おれのもんだって、エース、そう思ってくれたんだろ?」
とん、と音を立てて、肩から胸の辺りにルフィが顔を埋めた。きゅ、と握られる手を、おれはまだ握り返せない。
「うれしい、エース、ありがとう。ごめんな。鈍くてごめん。嫌な思いさせてごめん。…ごめんな…。」
ごめんな。ありがとう。ごめん。ごめんな。
そうゆっくりゆっくり、繰り返し繰り返し、胸の辺りで噛み締めるように伝えてくれる。
こんな自分勝手な独占欲を、こんな理不尽な束縛を、嬉しいといってくれるのか。受け入れてくれるのか。こんな汚いおれを、守ってくれるのか。許してくれるのか。愛してくれるのか。
なあ、愛していいのか。
「……………ルフィ……!!」
ごめん。細い肩に顔を沈めて、呻くように言った。
おれから抱き締めるには申し訳なさすぎたから、繋いだ手に力を込めるだけにして。
「……おれこそごめん。ホントごめん、気をつける。でも、おれほんと頭悪くて鈍いから、またなんか嫌なことしちまったら、怒っていいから、怒鳴っていいから、すぐ言ってくれ。教えてくれ。」
「サンジとゾロとはほんと何でもないんだ。でも、すげえいい奴らだから、エースにも知っといてほしかった。今日あったこととか、楽しかったこととか、すげえむかついた事とか、エースに聞いてほしいんだ。嬉しかったこと、エースに一番に教えたかった。それだけ。」
そこでルフィが顔を上げた気配がしたから、おれものろのろルフィの肩から離れた。もー恥ずかしくて情けなくてルフィの顔もまともに見れないのに、ルフィは無邪気に俯くおれの顔を覗きこんできたかと思うと、両手でこの顔を挟んで、下からごつん、と思いっきり額同士をぶつけてきた。
「…ッてえ!」
「ししし!おれも!」
痛いといいながら、しかしそのまま、動物がそうするように前髪ごと額を擦りつける。
「――はじめてエースに怒られた!はじめてエースとケンカした!はじめてエースと仲直りした!」
「な、おれたちまだまだだな。まだまだベンキョーすることいっぱいあんな!」
にしし、と、心底嬉しそうな顔をしてそんな可愛い事を言う。
でも、ほんとその通りだ。自分の中にすら、ルフィと出会って初めて知った感情がたくさんある。ルフィと出会って生き返ってきた感情がたくさんある。自分の事ですらそうなんだから、きっとルフィの事だってまだまだ知らないことがたくさんある。おれだって、ルフィに言ってないことがまだある。まだ言う勇気は出ないけど、きっとルフィなら受け止めてくれる。おれも、ルフィなら、きっと。
まだまだだ、おれたち。始まったばかりだ。これから、色んな事知っていくんだろう。きっと、ずっと。
「――…ルフィ。ホントごめん。怒鳴ったりして」
「ちょーびびった!めっちゃ怖かったぞエース!」
「う…すみません…」
「キスしてくれたら許す。すんげーやさしいやつ!」
びっくりしてルフィを見つめ返す。いたずらっ子のような顔をしてこちらを見るルフィは、しかし本気の眼だ。
負けた。こいつにゃ適わん。
「……おーせのままに。」
空いていた両手を柔らかな頬にひたりと当てて包み込む。手のひらにすっぽり収まる小さな顔は、まるでおれの手に合わせて作られたようだ。なんて思うのは、思いあがりだろうか。
ルフィが、する、と瞼を閉じたのを最後に捉えて、おれも目を閉じた。それと同時に、ふに、とやわらかいくちびるの感触。初めてキスした時みたいに、大事に大事にキスをする。そのまま、上くちびるを食んだり、角度を変えて何度も何度も吸い付いたり、思いっきり優しく口づけた。
なんたって、記念すべき、初めての「仲直りのちゅー」ですから。
まあ結局そのまま止まらなくなっちまって、おれもルフィに一番聞いてほしかったクレーマー様への愚痴を布団の中でぶちまけて慰めてもらったわけだけど、自慢っぽく聞こえたら許してくれ。
だって自慢だからな。
ピンポンビギナーズ
ハイハイ。
…………えー…というわけで…。リコさんの、リクエストから、「ピンポンでルフィにヤキモチを妬くエース」、でした…。
すみませんリコさん、「勝手にやってろ」ってきっと花村が一番思ってます
やることやっときながらまだまだですよっていうね!
あーあわたしもルフィによしよしされたい
すみません黙ります
とはいえ第一関門突破というか、社会人エースもだんだん甘え始めたというか。書いててとても楽しかったです!素敵な原案をどうもありがとうございました…!
20110930 花村ジョー
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