こじんまりしたいつものマンション。エントランスのインターフォンでいつもの部屋番号を押して、いつものベルを鳴らす。ピンポン、という軽い音の後に続くのは、いつもの明るい、弾むような声。

『はいもしもし!』
「毎度どうも、白ひげ宅配便です!」
『はーい、ごくろーさん!ちょっと待ってな!』

開いたエントランスをくぐり、ご苦労さん、と声をかけてくれる顔見知りの警備さんに笑顔で会釈を返す。エレベーターで5階、降りて左の506号室。ドアはいつものようにちょっとだけ開けてくれている。

「エース、お疲れさん!いつもありがと!」
「いーえこちらこそ毎度どうも。今日もなんかいっぱい入ってんな―」
「じいちゃん今日はじゃがいもいっぱい入れたっつってた」
「道理で中でやたらゴロゴロしてるわけだ」
「あはは!」

ドアを開けてくれているルフィの横を通って廊下に段ボールを降ろす。ハンコをもらい、お客様控えを渡す。いつもの手順、いつもの会話、いつもの笑顔。いつもと変わったのは、秋に入ってだいぶ涼しくなった空気、心なしか薄くなった空の青、長ズボンになったおれの制服。それから、

「…仕事はおしまいか?エース。」
「おう、とりあえずな。」

嬉しそうに笑ったルフィはおれの左胸に手を伸ばし、社名と名前が入ったネームプレートのクリップを外した。そのまま外した名札を手の中に隠して、

「……お疲れさん、エース。」
「…ん、ありがとな。」

おれの胴体にするりと腕をまわして寄り添うと、鎖骨のあたりにぴたりと頬を乗せて抱き付いた。
ルフィが名札を外すのが合図。配達が終わった後の数分間、ルフィがおれに触れること。おれも、抱きしめたい衝動を抑えずに、思いっきり優しくルフィを抱きしめること。ルフィの髪や頬に触れる回数が増えたこと。その後の会話は、いつもよりちょっとだけ甘いこと。
これが、数週間前のあの日以来、おれたちに訪れたちょっとした、しかしとんでもなく幸せで幸せで幸せな変化だ。


「なーエース、あさってほんとに大丈夫か?」

ふと顔を上げたルフィが腕の中から問いかける。明後日は休みを取って、ルフィと二人で出掛けることにしていた。社会人のおれと、学生のルフィとでやっと合わせられた休み。平日だけど、ルフィは15時で授業が終わる日だからそれから遊ぶ約束だ。出かけるといっても、ちょっと前に話題になっていたアクション映画を見て、夕飯食べて帰る位のもんだが、記念すべきルフィとの、いわゆる初デートだ。

「ダイジョーブ。何かあっても全部蹴っ飛ばして休んでやる。」
「えーそれはなんかダメだぞー?おれエースがクビになったらショックだもん」

ルフィはこの配達員という仕事が結構好きらしい。というか、この仕事をしているおれが、結構、好き、らしい、というか。つーか自分で言うのってすげえ照れる!!

「冗談だって。うちは社長が出来た人だから、ほかの業者よりか働きやすいんだよ。一回休み入れたらそうそう無茶な仕事は入れられないはずだから。」

たとえ仕事入れられても押し付けられる出来たチャラ男の同僚もいるしな、とは言わない。

「『オヤジ』かあー!いいなー、おれも会ってみて―なー。」
「いつか飲み会来いよ。オヤジも絶対お前みたいなヤツ好きだし。」

断言できる。オヤジは絶対ルフィを気に入る。ていうかそのまま「おれの息子になれ」とか言いそうで怖い。そもそもルフィの場合同僚の間でも人気者になりそうだ。つーかなる。絶対なる。飲み会来いよとは言ったものの、ちょっとそれは考えものかもしれん。

「……と、そろそろ行かなきゃだな。次の配達時間指定なんだ。」
「そか。んー、仕事中に会えるのは嬉しいけど、やっぱちょっとさみしいなー。」
「……………帰ったら電話するな。」
「ん、待ってる。頑張ってな。」

ほんのちょっとの沈黙の間におれが何を耐えたかは以下省略。
最後にもう一度思いっきり抱きしめ合う。戯れにちょっと左右にルフィの華奢な身体をゆすってやると、肩のあたりでルフィがくすぐったそうに小さく笑ったのがわかった。あー、可愛いなあ。
肩にルフィが額を軽く擦り当てたのと、それに応えておれが滑らかな黒髪を撫でたのが終わりの合図。ゆっくり身体を離すと、ルフィは握ったままだった右手を開いてネームプレートを出し、ちょっとだけ危なっかしい手つきでおれの左胸のポケットにクリップで留める。おれは「白ひげ宅配便の配達員」に戻る。

「じゃあ、行くわ。毎度ありがとうございました。またよろしくお願いします。」
「うん、ゴクロウサマでした!気をつけてな!」

最後にもう一度だけ手を触れ合わせる。そして背を向けてドアノブに手をかけ、そのまま扉を開けて出て行く
…つもりだったんだけど。

「あ、ちょっと待った!」
そう呼びかけたルフィの声に、振り向いたか振り向かないか微妙なタイミングのそのおれに、
一瞬だけ、頬にやわらかな感触が触れて離れて行った。

「……いってらっしゃい!がんばってな、エース!」

ほんの少しだけ赤みが差した満面の笑みでそう送りだしてくれたルフィに、おれが一体どう答えたかは覚えていない。にーづまか、これが世に言う新妻か、なんて訳分からん思考で頭ん中がいっぱいだったことと、エレベーターを降りた途端よろけて壁にぶつかったおれを警備さんがちょっとびっくりして見ていたことだけは覚えている。


******


「お?なんだルフィ、もう帰んのかー?」
「あら何、珍しいわね―」
「おう!ごめんなウソップ、ナミ!またな!」

講義が終わった途端にかばんをひっつかんで立ちあがる。まだテキストやらプリントやらを仕舞い込んでいる途中の友達が、すこし驚いたようにこちらを見上げていた。いつもならこのままだらだらと雑談したり、他学科のゾロやサンジと合流して学食になだれ込みやっぱり雑談したりが多いのだが、今日はどうしてもそれができない事情があった。

「なんだルフィ、デートか?」
「しし、当たり!」

ニヤニヤしながらそう問いかけるウソップに、いつものように笑って軽くそう返す。冗談だと思ったのだろう、へーへー早く行けよ、なんて笑いながら手を振る彼らに、それならそれでいいやと笑って手を振り返す。後は脇目もふらずダッシュだ。足取りは軽い。
家に帰って荷物を置いたら、エースが迎えに来てくれる。大好きな、憧れだったあの「配達のにいちゃん」との、初デートだ。

「あのルフィも冗談が言えるようになったかー。どうせ兄貴と焼き肉食いに行くとかだろ。」
「……冗談、ねぇ…?」
「?」

ふーん、と何か意味ありげに笑うナミを振り返って、ウソップは首を傾げたが、一直線に帰路を走るルフィには、今は全く関係のないことだった。


家のカギを開け中に飛び込み、真っ直ぐ部屋に向かってかばんをベッドに放り投げる。兄は今日も研究室で不在だ。最低限財布と携帯だけあればいいから、小さいナイロン地のカラフルなボディバッグ一つで充分だ。あとはリビングに戻ってソファに座り、そわそわしながら約束の時間を待つ。大学とエースの家はルフィたちのマンションを挟んで反対側だったから、仕事中以外はバイク移動のエースに、マンションまで迎えに来てもらうのが最短なのだ。
楽しみで楽しみで飛んで帰ってきたから、約束の時間までに結構時間が余ってしまった。待ち切れなかったから、「もう着いたぞ」ってメールしようかな、なんて思っていたそんな時だった。

ピンポーン、と明るい音を立てて、インターフォンが鳴った。
画面にはいつもと違う格好の、いつもの端整なそばかす顔。待ちびと来たる!

「エース!」
『お!?いた!!ちょっと早く着き過ぎちまったからまだいねえかなと思ってダメもとで押してみたんだけど、正解だったな』
「ありがと、おれも思ったより早く帰ってこれたんだ!待っててな、今行く!」

慌ててバタバタと部屋を出て鍵を閉め、エレベーターに向かって降りるボタンを連打する。もうドキドキとわくわくで心臓が破裂しそうだった。エレベーターで降りる間もそわそわしっぱなしだったから、同乗者がいなくてホント良かった!

「おっちゃん行ってきます!」
「おう、さっきのいつもの『白ひげ』の兄ちゃんだろ?遊びにいくんかい?」
「そー!」
「気を付けてなあ」
「ありがとー!!」

警備員のおっちゃんに手を振ってエントランスを飛び出した。
外の眩しさにちょっと目が眩んで、目の上に手をかざして辺りを見回すと、駐車場でバイクにもたれて立っていたエースが、ちょっと笑って手を振っていた。七分袖の黒いインナーに細かく柄の入った半袖のグレーのポロシャツを合わせて、下はちょっとゆるいカーゴパンツ。裾は茶色い革のブーツの中におさまっている。ビンテージっぽいこれも革のベルトは、初めてうちに遊びに来た時も付けていて、古着屋で一目ぼれして買ったと言っていた。アクセサリーは、仕事中に使っているものとは違う、真っ黒な時計だけ。
制服を着ていてもルックスがいいのは知っていたが、私服の彼は余計に見慣れなくて、ルフィはぎゅうう、と絞られるような胸の痛みに耐えなければならなかった。言ってしまえばカッコイイ。このひとがおれのコイビトなんだ、と思ったら、なんだかもう叫び出したいくらいの衝動で進退ままならなくなってしまった。何も言えなくなったルフィは、思わず外なのも忘れて広い腕の中へ飛び込んだ。
熱烈大歓迎だな、なんてエースはからからと笑っていたが、人の気も知らないで、とルフィが少しだけ憎たらしく思ったのは、完全にやつあたりみたいなものだった。


******


「はいどーぞ。」
「やった!ありがとーエース!」

ただのコーラなのに、こんな風に喜んでくれるともうなんでも買ってやりたくなる。シアターの入場時間まであと少しあるから、ゆっくり飲み物を買って、近日公開の映画のポスターを見て回ったりして時間を潰す。

「あ、このマンガウソップが読んでた。映画化するんだー」
「マンガの実写って当たり外れ激しいからなー。どうだろうなこれ。」
「なー実写で思いだした、エースドラゴンボーイの実写みたことある?」
「ないなー。おれ原作ファンだからもう予告編でアウトだったもん。」
「あはは!やっぱりなー!でもあれ別物として見るなら結構面白いぞ、突っ込みどころ満載で」
「ホントかよ」
「友達と文句言ったり突っ込んだりしながらネタとして見るなら超面白い!」
「それ面白いって言うのかあ?」

確かに、なんて言いながらルフィは楽しそうに笑っている。そんな彼を見ているだけでこちらまで幸せな気持ちになるから、この子のこういうところはほんとすげえなあと改めて思う。あったかい気持ちで、ポスターを見ている頭一つ分小さいルフィを改めて見遣る。

襟ぐりの広い、ゆったりしたベージュのセーターの中に、赤いチェックのシャツ。セーターの丈が少し短くなっているから、シャツの裾がだらしなくない程度にほど良くのぞく。セーターの袖も半端丈で、シャツのボタンも空いているから、ほっそりした手首や首元がきれいに見えている。茶色のチノパンの裾は捲り上げられていて、足元の黄土色のマウンテンブーツの赤い靴ひもが鮮やかに映える。背中に回されたカラフルなボディバッグは、サボに誕生日プレゼントとして買ってもらったと言っていた。

できたばかりの、小さなこいびと。大事な大事な子。こんないい子がよくぞおれを好いてくれたもんだと、感動すら覚える。一度は諦めようとした。終わりにしようとした。でもこの子が、逃げようとしたおれの手を掴んでくれたから、本気で向き合ってくれたから、おれは今こうやってこの子の隣で笑ってられる。

「…、エース…?」
「…あ、ごめん」

自分でも驚くくらい無意識に、小さな頭を撫でていた。人前で嫌だったかな、と思って慌てて手を浮かすと、ルフィはそんなおれの心配をよそに、嬉しそうに笑って言った。

「んーん、平気。おれエースに撫でてもらうのすきだぞ。」

そういうと、片手で浮かせたまんまのおれの手を捕えると、自分の頭に重ねた。そのまま、おれを見上げて笑うと、エースの手、おっきくてすきだ、なんてやさしい声で言う。抱きしめそうになる手を抑えて、ゆっくりゆっくりその黒髪を撫でるのは、なかなか精神力のいることだった。




ドガシャ――――――ン!!!!という大音響と共に、主人公は敵が上から落としてきた自動車の下敷きになる。ヒロインの悲鳴が大きく響く。

「……ッ!!!」

(………!!)
(エース!!!!笑うなよっ!!)

抑えきれず震える肩に気付かれたらしい。だって仕様がない。笑うタイミングではないことは重々承知だが、大音響で急展開が訪れるたび、その細い肩を跳ねさせていちいち律儀に反応を返す隣の恋人がかわいくてかわいくて仕方がないのだ。小声で抗議したって、そんな照れた赤い頬で言うだけ逆効果だ。

とはいえ、大事なシーンであることはおれもわかっているから、呼吸を整えてごめん、とジェスチャーと目線で謝り、佳境を迎えているスクリーンを指差した。素直にそれに従ったルフィは、みるみるうちに不安げな表情で物語にのめりこんでいった。おれとしては、こんなのもうパターンで、後々主人公はカッコイイ復活を遂げるのが大体読めていたから、隣のルフィを見ている方がよほど興味深かった。

どんなふうに物語に入りこんでいるのかな、と思った。愛する女性に正体を明かせない、切ない境遇の主人公に感情移入しているのだろうか。それとも、目の前でひそかに想いを寄せる主人公を失った(と思っているであろう)ヒロインに?

ルフィの事だから、もしかしたら、目の前でおれがこんなことになったら、なんて考えてくれているのかもしれない。自意識過剰だろうか。でも彼自身が言っていたのだ。おれだめなんだよな、大事な人が死んじゃうシーンとか。サボとかじいちゃんとか友達とか、エースとか、大事な人がこうなっちゃったらって重ねちゃって、無駄に辛くなっちゃうんだ。そう言っていた。

そうこうしているうちに敵がヒロインに言葉で追い打ちをかけるから、ルフィの表情はますます固いものになっていく。野郎、ルフィにこんな顔させやがって、なんて少々的外れな感想を抱きながら、右手をルフィの座席に伸ばして、身体の横で握られていたルフィの手を、肘置きの陰に隠れて包み込んだ。
ぱ、と驚いてこちらを向いたルフィに、口の動きだけでだいじょうぶ、と告げ、目線で再びスクリーンを見るよう促した。
その瞬間、主人公は積み上がっていた車を両手で持ち上げて華々しく復活した。どうやら強化したパワースーツの威力で無事だったらしい。そうならそうでもったいぶらずに出てこいや、と思ったが、それは物語の盛り上げのためには必要な演出だとわかっている。横を見れば、ルフィの肩の力も抜けてほっとした表情をしていたから、結果オーライだ。

すると、盗み見ていたつもりのルフィが思いがけなくこちらを向いた。ちょっとびっくりしたおれに向かって、嬉しそうににっこり笑う。そのまま固く結んでいた拳を開いて、おれの手に指を絡めてもう一度繋ぎ合わせた。よくよく考えたら、手を繋ぐのもこれが初めてだった。ほっそい指だな、強く握ったら折っちまいそう、と思ったら、自分からしたことなのに今更のように動悸がし始めて、後はもう映画が終わるまでルフィの顔が直視出来なかった。

シアターの一番後ろの席だったこと、客入りのピークは過ぎて周りにあんまり人がいなかったこと。それを理由に、映画のエンドロールが終わって明るくなるまで、おれはルフィの小さな手を離さないでいた。

大事にしよう。もう絶対あんな風に泣かせたりしない。二度とおれからこの手を離したりしない。そんな決意を、小さく秘めて。


******


「あーもう終わりかあー!エースといるといっつもあっという間だ―」
「…いちいち可愛いこと言うなよ…」
「へ!? 何が!!」
「ハイハイもう無意識だってわかってる!」

ぐりぐり、と思いっきりその黒髪をかき回してやる。ぎゃー、なんて悲鳴が聞こえたが、おれのこの自制心に免じたらこれぐらいは許されるはずだ。
映画の後、肉が食いたい、というルフィのリクエストに合わせて、すき焼きがうまい店に連れて行って夕飯を食べた。幸せそうに食べるルフィを見ながら、おれも一人じゃない夕飯を満喫した。
ビール飲みてえな、と呟いたおれに、飲まないのか?いいぞ飲んでも、とおれに気を遣い多分電車で一人帰るつもりでルフィは言ったが、出来る限り長く一緒にいたくて、そんなつもりはさらさらないおれは、お前乗せんのに間違っても事故れねえよ、と言い訳しておいた。が、そのあとちょっと俯いて無言だったルフィが何を思っていたのかはよくわからないままだ。

店を出た後バイクの後ろにルフィを乗せて、マンションまで送ってきたはいいものの、背中に感じた体温とか、今日初めて繋いだ手の感触とか、なんだかいろんなもんが名残惜しくて、こうやって裏の公園のベンチでぐだぐだ話している。

「…でも、ほんとにありがとなエース。夕飯おごってもらっちゃったし…。」
「社会人ですから。お前はそんなん気にしなくていいの。デートで使う以外に楽しみなんてほとんどないし。」
「……うう、アリガトウゴザイマス…。」
「いーえ、どういたしまして。おれも楽しかったよルフィ。ありがとうな。」

ふるふる、と首を振るルフィ。そのままちょっと笑いあって、なんとなく沈黙した。沈黙が気まずくなくて、むしろちょっと心地いいのなんて、この子しかいない。
と、秋の夜風がすうっと吹いて、ルフィがちょっと首元をすくめたのが分かった。

「…、ルフィ、寒いか?」
「ん、ちょっとな。でも平気。もうちょっと、」

こうしてたい、と続けた声は、聞こえるか聞こえないか瀬戸際の本当に小さな声だったけど、おれの耳はこれまたしっかりとそれを捉えていた。ルフィに風邪を引かせないためだから、と心の中で誰に聞かせるでもない言い訳をして、おれは辛抱堪らなくなった気持ちを行動に移すことにした。

「……、エース…」
「ん。お前に風邪引かせたらサボに怒られるからな。」
「…しし、なんだそれ」

小さな体を、夜風から守るようにすっぽり包み込む。小さな笑い声は、この鎖骨の辺りでささやかに響いていた。愛しいって、きっとこういうことだ。守ってあげたい。この子を悲しませる全ての事から、この腕で包み込んで囲い込んで守ってやりたい。

「…エース?」
「…ん?」
「……おれな、多分エースより前からエースのことすきだった。」

え、という声は声になっていただろうか。

「…春にな、こっちに引っ越してきたばっかの時、エースここでベビーカーの赤ちゃん運んであげてただろ?」

ああ、そう言えば、と言われて初めて思いだしたようなささやかな出来事だった。特に深く考えたわけではなかった。配達の帰りで、もう手ぶらだったから。その程度の気持ちでやったことを、この子は見ていてくれたのか。

「…おれ、おれ、たぶんあの時からエースのこと見てた。もしかしたら、無意識に計算してエースと仲良くなろうとしてたかもしんない。」

ポロの胸元を握る小さな手が震えている。声が潤んでいる。ルフィが泣いてるかもしれないのに、おれは胸がいっぱいで、喉に色んな言葉がわだかまって、どうしても動くことができなかった。

「エース、…エース…!おれ、おれ、ほんとにエースが好きだ…!おれ、ずっと前から、エースとこうなりたいって思ってた…!!」

ごめん、エース、おれエースが思ってるほどきれいじゃない。ほんとにおれでいいのか。
そんな風に、真摯な覚悟で言ってくれるこの子以上にきれいな奴なんて、どこを探したっていやしない。

溢れ出る気持ちそのままに、肩口に埋められたルフィの顔に顔を寄せる。近づく気配に気づいたのか、ルフィが潤んだ瞳のまま、は、と顔を上げた。
正直言って、思いっきりがっつきたかった。だけど、ルフィとの初めてのキスだ、と思ったから、食らいつきそうになる自分を必死で抑えつけて、全部覚えていられるように、出来るだけゆっくりゆっくり、やさしく近づいて、

表面だけを、しっとりとやわらかいその唇に、押し付けた。

触れた瞬間、胸元にすがるルフィの指先が、ぴくりと小さくおののいたのがわかった。それでも、嫌がる素振りも見せずにいてくれたから、そのままもう少しだけ強く、唇を押し付けた。

ほんの一瞬のようでも、永遠ほどに長い時間でのようでもあった。
心臓の辺りから、熱い熱い血が動脈を通って全身に駆け巡っていくのがわかった。一度だけやわらかく食んで、ゆっくりと離れた。至近距離で見つめあって、腕の中のルフィの涙が止まっているのを確認して、今度はもっと強く、攫うようにしてキスをした。
それが2度目。顔の位置を変えて噛み付くように3度目。4度目は、酸素を求めて思わず開いた唇を割って、逃げる舌を絡め取った。

ん、と漏れた声にすら煽られる。湿った音を立てて絡まる舌がどうしようもなく甘くて、気持ちよかった。もう止まらなかった。強く抱きしめるこの腕の力は、もしかしたらルフィの細い身体には痛いほどかもしれない。それでもどうしても、そんな風に食らいつくようにするしか、この愛しさを伝える術をおれは知らなかったのだ。

「んぅ…っ、えー、す、…ん…!」

ルフィの吐息交じりの声が息苦しさに切迫してきたのを感じてやっと、おれは渋々ルフィを解放してやれた。未練がましく唾液に濡れた、荒い息をつく唇をなめたのも、ほぼ無意識というか本能に近い。

「……なあルフィ。おれだってずっとこうしたかったよ。こうやってルフィを抱きしめたいと思ってたし、キスしたいと思ってた。なあ、おれがそんなこと思ってたって知って、お前嫌だったか?こうなったこと、後悔するか?」

凶暴ですらある感情のままに畳みかけるようにそう問いかけると、みるみるうちに、またルフィの目が潤んでいく。それでも瞳を逸らさずに、ふるふる何度も何度も首を振る。いやじゃない、うれしい。うれしい。声にならない声で、必死にそう伝える腕の中のこの子を、どうして愛さずにいられるっていうんだ。
深呼吸を一つして暴れ出しそうな心を落ち着ける。そのまま額をルフィのそれに合わせて、努めて穏やかな声でルフィに語りかける。

「おれだってそうだ。嬉しい。ルフィ、ありがとう。ずっと見ててくれたんだな。すげえ嬉しい。教えてくれてありがとう。ルフィとこうなれてよかった。ルフィに会えてよかった。」

ルフィ、ルフィ。大好きだからな。

そう告げた声は、我ながらどうしようもなく甘くて、自分にこんな芸当ができたのかと、後あと思わず赤面するぐらいの代物だった。
もう泣かせないって、さっき腹を決めたはずなのになあ、なんて考える思考もどこか薄っぺらく思ってしまうくらい、静かに頬を滑り落ちるルフィの涙は、きれいだった。







うわあああああまああああああいなんだこれえええ!!!

白ひげ社長白ひげ社長、お宅の下っ端が仕事中にお客に手ぇだしていちゃいちゃしてますよ―――!!!!
ちくしょうエースまじそこかわれ(本音)