※名前すらないモブキャラ視点です。突発現パロ幼少兄弟です。
ちょっと映画っぽく気取ってみて敗北したというお手本の様な失敗例イエース
今の彼とは付き合って5年になる。
大学の研究室の先輩だった彼と知り合い、地元が一緒だと知って仲良くなった。院に進んでから付き合い始め、お互い別々の企業に勤めてからもこうして隣にいる。
だが、自分ももう20代の半ばを過ぎた。
男性にはよくわからないらしいこの危機感も、正直言って切実なのだ。面と向かっては言わないけれど。この年齢に関する危機感や焦燥感、それに対する認識と価値観の違いで崩れていった恋人たちの話は周りにいくらでも溢れている。行動派の友人の中には、将来を考える気がないとわかるや否や、早々に次の相手を探しに入った子もいる。
強かだなあ、とは思うものの、一方で自分にはそんな強さはないな、とも思う。
彼の事は好きだ。愛している。一緒にいてこんなに心地いいひとはいない。
これからずっと、彼の隣で生きていけたら。そう思う。子供を連れた若い夫婦とすれ違い、未来を夢見ていろいろと想像を掻き立てられることもままある。
だけど、この右手薬指に嵌った指輪は、はずれもしないが左手に移る気配もない。
それとなく彼の胸の内を窺ってはみたものの、大した手ごたえはないまま、そこから何か取り返しのつかないヒビが入るのも怖くて、それ以上踏み込めないままでいる。全く、おっとりしているとはよく言われるものの、要するに臆病なのだ、私は。
そんなことをつらつら考えながら、ふたりホームで電車を待つ。
都会の駅は人の熱に溢れる。休日の昼過ぎで利用者もそれなりに多いものの、どこか無機質だ。電車も次から次へとやってきては、義務感丸出しで乗客を吐きだし、また飲み込む、それだけのように見えてしまう。
人がそこにいる限り、そこには一つ一つドラマがあってそれぞれ色んな力が働いて、それを動かしているということはわかる。それでもそんな風に斜めの視線でまわりを見てしまうのは、マイナスループに入った自分の思考が原因だ。
せっかく繁華街の方までわざわざ出てきたのに、早々に引き揚げてこうして帰路についているのも、それのせいでいまいち弾まない会話と微妙に重い空気のせいだ。もっとも、こうして気にしているのは私だけで、何を考えているのか今一わからないマイペースな彼は、もしかしたら本当に何も考えていないのかもしれない。ただなんとなくつまらないから帰る。充分あり得る。それも彼の長所だと笑って言える余裕は今の私にはない。
宙ぶらりんの右手が、ぬるい昼下がりの風に揺れた。
(……ちょっと混んでるな…。)
結局一言も話さないまま、ホームに滑り込んできた下り電車に乗り込む。車両を見渡すと、一つだけ席を残して後は全て埋まっていた。兄弟らしき少年が二人、10かそこらの年齢なのにぱっと見保護者もいないで座っているのが気になったが、あとは何の変哲もない昼下がりの電車だった。
特に何も言わないまま、ごくさりげなく彼はその一つの席へ私を促した。自分は、その前に立って吊皮をつかむ。
こういうところに私は惹かれた。昔からずっと変わらない。こんなに素敵な人に、いいひとに、私はこれ以上何を望んでいるのだろう。ますます自分が醜く思えて、私は小さくありがと、と告げ、そのまま俯いた。
すると、
右端の視界で何かが動いた。え、という彼の声で顔を上げる。
「ここどーぞ!すわっていいぞ!」
軽く反動をつけて座席から降り、くいくい、と彼のシャツの裾を軽く引っ張ってそう告げたのは、右隣に座っていた少年だった。
見たところ6・7歳といったところだろうか。車内だと言うのに短い黒髪に麦わら帽子をのせ、反対の手で膨れたリュックを前に抱えている。目元の絆創膏がやんちゃな性格を見た目から表現していて、夏休みのこどもはこうあるべきだ、というお手本のような子だった。
突然の出来事に私たちが二人とも戸惑ったままでいると、あ、いや、と断りかけた彼の言葉もそこそこに彼は身を翻し、
「よいしょ!」
更に隣の少年の膝に荷物ごと飛び乗った。
「…飛び乗ってくんなお前。いてーだろ」
「しし、ごめんな!」
文句を言いつつも背中からしっかり小さな体を抱きとめたのは、少年の兄らしき少年。弟と同じ黒髪だが、少々長めで癖がある。頬に散ったそばかすが鋭いイメージを和らげているが、その眼差しは年の割に凛々しい。数年もしたらきっと女の子がほっとかないだろうな、なんて図々しくも思ってしまう。
彼の荷物は足元にあって、膝を空けていたところをみると、弟の行動も想定内だったのだろうか。弟の頭の上から、ぺこ、とこちらに向かって軽く頭を下げるあたり、面倒見のいいお兄ちゃんだ。
「な、だいじょーぶだぞにいちゃん!座っていーぞ!」
ぱ、とそこだけ大輪の向日葵が咲いたような笑顔で、小さな少年が彼に向かって笑いかけた。
「……ありがとな。」
照れくさそうにはにかんだ彼が、ぽんぽん、と軽く少年の麦わら帽子をたたいてお礼を言い、そのままさっきまで少年が座っていた席に腰を下ろした。なんだかこっちまで嬉しくなって、ありがと、と彼越しに私からも言ってみた。
にひ、とまたひとつ誇らしげに笑うと、少年は兄に身を預けてくつろいだ様子で座った。特等席だなあ、なんて思って思わずくすくす笑いがこぼれる。
「…ん、あーエース!帽子取るなよっ」
「しー!バカお前うるせえ!邪魔なんだよ目の前で被られると!」
ほらちゃんと持ってろ、といって弟の頭から外した麦わら帽子をその小さな手に持たせる。自分はその上から一回り大きく腕をまわし、弟の小さな身体、それが抱えこんだリュックと帽子ごとさらに抱え込む。怒られ慣れているのか、兄のちょっときつめの言い回しもちっとも堪えていない様子で、弟はむしろご機嫌だ。
せっかくだから、ちょっとお話してみよう。
「…ねえ、兄弟なの?」
「おう!そうだぞ!おれの兄ちゃんだ!」
答えるのはやはり弟くんの方だ。
「そう、いいねえお兄ちゃん優しくて。」
「おう!でもなー怒るとボッコボコにされんだぞおれ」
「余計なこというなバカ」
「だってホントのことだもん」
ぺし、とむき出しの弟の額を軽くはたいて兄は押し黙った。けらけらと笑う弟は、いてー、なんて言いながらもやはり全く堪えていない。
「…二人だけ?どこまでいくの?」
「じいちゃん家だ!フタリタビなんだぞ!」
「おじいちゃん家はどこなの?」
「えっとー、………エース、おれたちどこまでいくんだ?」
「…終点まで。そこからはジジイが迎えに来るって」
「だって!」
あごを弟の黒髪にのせたまま、呆れたように溜息混じりで告げる兄。その言葉をそのままそっくり回答として丸投げした小さな少年に、また思わず笑いがこぼれる。仏頂面にも見える兄の方はおそらくちょっと照れているだけだ。ああなんて微笑ましい。なんていい兄弟だろう!
何だか久しぶりに心から笑った気がする。さっきまでの鬱々とした気持ちも、この二人が払ってくれたようだった。
と、視線を感じて顔を上げた。
彼が、まじまじとこちらを見ている、その視線だった。
「……? なに、どしたの?」
「…あ、いや。何でもない。」
「?」
変なの。
しばらく兄弟との会話はやみ、横目で彼らの動向を観察している間も、電車はガタゴトと音を立てて線路を進む。ふと窓の外を見ると、大分繁華街からは離れ、郊外の田園風景が広がっていた。さわさわと揺れる稲の緑の絨毯。真夏も盛りの青い空。ああ、今日はこんなに美しい日だったのか、なんて今更ながら気付かされる。半日あんなにぐるぐる考え込んで、もったいないことをしたな。
そこまで考えて、ここにきてちらほら空席が目立ってきたことに気がついた。これは、と思って意識を戻すと、
(…あら―――…)
すー、と健やかな寝息を立てて目を閉じていたのは、やはりというかなんというか、小さな少年の方だった。
(…寝ちゃった。ちょっと残念。)
でもかわいい。兄を信頼しきって身を預けているのがよくわかる。すると、眠る少年に配慮してか、低い声で彼が兄の方に話しかけた。
「…坊主、重くないか、弟。」
席を譲ってもらったことが、結局は少年の負担になってしまったことを申し訳なく思っているのだろう。それはもちろんそうだろうが、なんだかそれだけではないような意図もその問いかけには含まれているようで、でもそれが何か私にはわからなかったから、黙って少年の返事を聞いていた。
ちら、と視線だけ彼に当てて、兄は答えた。
「……そりゃあ、軽くはない。もう7歳だし、こいつ。」
そうか7歳か。「軽くはない」、か。
「…でも、おれは兄貴だから。こいつが重くなる分だけ、おれもでかくなるだけだ。」
だから平気。
そうぶっきらぼうに告げて、兄は眠る弟のつむじに口元を埋めた。それっきり、もう何も言わなかったし、そうか、と答えた彼も、もう何も言わなかった。
終点から5つ前の駅に近づくにつれ、見慣れた町の景色が広がる。ここが私たちの地元。そして、兄弟とのささやかな旅の終わりだ。
未だ弟君のきらきらした眼が閉じられているのは残念極まりないが、安らかな寝顔に免じてこのまま静かに去ることにする。
「…じゃあね、ほんとにありがとう。気をつけてね。」
電車が減速し始めたのを感じ、二人でゆっくり立ち上がり、兄の方に小声で告げる。弟を起こさないようにか、視線だけで返事をし、再びぺこ、と軽く頭を下げる。うん、いい男になるぞ、少年。
訳のわからない暖かさで満たされた胸の内を感じながら、明るい光に満たされた屋外のホームに降り立つ。隣の彼をふと見やると、ちょっと眩しそうな顔をして今降り立ったばかりの電車を見つめていた。
その視線を追うと、
少し照れくさそうに、ばいばい、と、眠ったままの弟の手首を掴んで軽く振る、幼くも頼もしい兄。プシュー、と音を立ててしまったドア越しに見ると、座っていた時は彼の影になって見えなかったその反対側の手は、
膝に抱えられた麦わら帽子とリュックの上で、しっかりと繋がれていた。
(……うん、元気出た。)
悩んでいても仕方ない。しょうがない、よくわからないところも何もかも含め、私は彼を愛している。それでいい。それだけでいい。
ホームに立って電車を見送ったまま、そう思う。風が吹いている。空は青い。線路は続いている。隣に彼。それでいい。
折角、そう吹っ切れて清々しい気持ちになって、デートの雰囲気悪くしてごめん、なんて素直に謝ろうとしていたのに。
何の前触れもなく、彼の大きな手が私の右手を握った。
とんでもなく久しぶりの事の様な気がして、は、と彼を見上げると、彼はまだ、続いていく線路の向こうを見つめていた。
「……なあ、あんな子供、欲しいな。」
「…え…?」
なんかおまえとなら、あんな風に生きていける気がする。
独り言のように呟かれたそれ。
ねえ、ちょっとそれって、
「結婚しようか」
風が吹く。
空は青い。
彼らを乗せた電車は、もう見えなかった。
電車恋模様百景
出発進行。
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