「………俺が何言いたいかわかるよな、エース。」
黙ってむくりと起き上がる。
その拍子に、唇の端から顎へ血が一筋垂れるのがわかった。
普段は飄々としているこの男の、こんなにも激昂した姿をみるのはこれが初めてだった。
「……ルフィ、は…?」
「車で寝てる。ちょっと騒ぐつもりだったからな、病人にゃ悪いがそっちのほうが静かでいいだろ。」
その通りだ。
自分と同じかどうかはわからないが、確かにこの男もルフィを愛している。
「…お前、一体何考えてる。」
「……あんたにゃわかんねえよ…。」
「わかるかボケ。就活だろうがなんだろーが、それを言い訳にあんなにルフィを追い詰めて泣かすようなヤツの気持ちなんかわかるかよ。」
言い訳。その通りだ。
エースが何を考えているかわからないと言うこの男こそ、きっと誰よりもエースの気持ちに気付いている。
就職、安定した収入、弟の選択肢の保障。
全部建前だ。
だが一体どうしろというのだ。
なにかの拍子に、弟を欲望のままに組み伏せそうなこの両手をもてあまし、「いい兄」を演じろと?
「……もう限界なんだよシャンクス。おれは、あいつを傷付けたくない。大事にしたい。」
「………あいつを守るためには、おれが離れるのが一番安全なんだ」
ここまで言ったんだ、わかれよ。
いっそ投げ遣りだった。
もう、何もかもが面倒だった。
「………『おれのせいなのかな』って言ったんだぞ、あいつ。」
俯いたまま目を見張る。
静かな声音で男は続けた。
「声も噛み殺して泣きながら言うんだよ。『おれ、いないほうがいいんじゃねーかな』って。」
あいつ?この話の流れであいつと称するのは一人しかいない。
あの、ルフィが?
「……お前にゃ劣るがな、俺だってあいつと長いこと一緒に過ごしてきたよ。喧嘩してわんわん泣くとこも、進路やなんかでこっそり悩んでるとこも見てきたよ。」
「……だけどあんなん初めてだった。あんなに苦しんでるルフィを見るのは初めてだった…!!」
拳の痛みよりも何よりも、激情を押し殺して絞り出した様な、その言葉の一つ一つが胸をえぐった。
あいつが言ったというのか。幼いときから太陽の様な笑顔を絶やさなかった、あの弟が。
自分など、いないほうがいいと?
「……俺は知らなかったよ。あいつの、ルフィの内側に、ものっすごい奥の方に、あんな脆いトコがあるなんて知らなかった。本当は寂しがり屋で独りは嫌で、誰かに側にいてもらわないと生きていけない、そういう部分があるなんて知らなかったよ。」
自分の背中を追い掛けていた、あの頃のルフィがフラッシュバックした。
他に頼りがいない。
行かないで。独りにしないで。
エース、エース、側にいて。
幼いルフィの泣き声が、頭の何処かで響いていた。
「…そういうの、お前わかってたんじゃねえのかよ。あいつには、ルフィには絶対的に愛してくれる誰かが必要なんだって」
「お前だけは、わかってたんじゃねえのかよ……!!」
そうだ。
泣き虫で甘ったれで愛されたがり。
親に捨てられた、そんな気持ちを胸の奥底に蓋をして隠して。
愛されたくて笑う。
疎まれないように強く振る舞う。
そういう弟だ。
そんな弟を、エースは心底愛した。愛していた。
生来の素直さも、他人を想う強さも、脆さも弱さも引っくるめて
愛して、いた。
だが今となっては、
(おれじゃなくても、いい。)
愛されたがりの寂しがり屋は、多くから愛されるに足る内面の美しさを持っている。現に、今目の前にいる男も、形はどうあれ彼を確かに愛する一人ではないか。
「……でももう、それはおれじゃなくても」
「『おれじゃなくても』?てめェよく俺の前でそれ言えたな。」
笑えるほど弱々しい反論はすかさず一蹴される。
目の前の男の怒気が一段階上がった気がしたが構わない。今更拳の一発や二発、同じ事だ。
「…何だっつーんだよ、事実だ。おれがいなくたってルフィは、」
「あいつが倒れるほど思い詰めてる理由を考えろよ!!お前だからだろ!!あいつの側を離れてるのが他でもねェお前だからだろうが!!!まだわかんねぇのか!!!!」
弾かれたように顔を上げた。
この時になって初めて、エースは赤髪の男の顔を見た。
「……シャン、クス」
なぜ、この男はこんなにも悔しげな目をしているのだろう。
「………これ以上何もいうことはねぇよ。これでわかんなきゃもう遠慮しねぇ。あいつが何処に行こうが俺が絶対連れ戻す。お前は指くわえてみてりゃいい。」
そう吐き捨てて男は踵を返した。眠るルフィを抱き上げにいくのだろう、車に向かう足取りは荒い。
その背中が、余りに大きく見えた。
ブラッディサムの宣戦
ブラッディサム=ジン+トマトジュース、お好みでレモン、タバスコ。同レシピウォッカベースでブラッディマリー。
テキーラベースで、ストローハット。
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