(藍・4)


「何も脅してるわけじゃねえんだ。何も知らねえって言うんなら、ちょいと二階に上がらしておくんねえ。何も出て来なきゃおとなしく帰らせてもらいまさぁ」

 にたにたと粘つくような笑みを浮かべて、筆頭に立つ男はあくまで低い腰を保ってそう言った。いくら言葉尻が丁寧でも、煙管のヤニで黄色くなった歯をちらつかせ、右手を反対の袖に隠したその立ち姿は、どうみても堅気の人間では有り得ない。煙管をふかす左の袖に忍ばせている匕首を、いっそ丁寧に撫でくりまわしているであろうその指先の気配。見咎めて、白ひげはつと片眉を上げた。
 後ろの濁った眼をした男達数人はともかく、この蛇のような眼をした男はたちが悪い。
「そりゃあ突然こんなガラの悪い野郎どもが押しかけちゃあ、そちらさんも気分がお悪いでしょう。おれたちも本当ならこんなことしたくねえんだが、お勤めとあっちゃあ仕方がねえ。ちゃっちゃと終わらせて帰りますんで、ね、親方。どうぞここはひとつ、」
「ごちゃごちゃよく回る口だな小僧。人の店にずかずか乗り込んできやがっておいて、そっちの手の内は見せずじまいじゃ割に合わねえだろうよ。後ろ暗ェことがねえってんなら、その袖の中のもん出して見やがれ。」
 座敷にどっかと座りこんだまま、ぶれも揺れもしない声で淡々と言ってのけた白ひげに、男はぴくりと神経質そうにまぷたを動かした。面倒くせえジジイだ、と口の中で何か言ったようだったが、店の上り框から上を塞ぐように立つ職人達に拾われるようなヘマはしない。
 堂々巡りの問答にしびれを切らした後ろのゴロツキが苛立ちを顔に出し始めた、その時だった。

「―――いってえ!何すんだよこのやろ、」
「うるせえよい!てめェの胸に手ェ当てて考えてみろってんだよい!」
 だんだんだん、と一気に騒々しくなった奥の方に、思わず全員が振り向いた。ただひとり、白ひげだけがニヤリと笑って顎をぐい、と上げた。
「おうエース、遅ェじゃねえか。おめえのお客人をおれたちでもてなしてやってたとこだぜ」
 マルコと共に姿を見せたエースは、後頭部をさすっていた手もそのままに、物々しい雰囲気で店を埋め尽くす男たちをぐるりと見渡した。かと思うと、にやりと口の端をあげて笑って見せた。

「……すまねえオヤジ。呼んだ覚えもねえ客だったもんで、化粧に時間がかかっちまった」
 
 ふてぶてしく冗談を言って見せたエースに、職人たちからはどっと笑いが起きた。
 男前だぞエース、客の相手してやれ、と飄々と冗談を飛ばす兄弟子たちに小突かれながら、エースは淡々とした歩みで前へ出た。上背のあるエースが上り框から見下ろすとぐっと見栄えも圧も出る。だがしかし、エースはそれを鼻にかけるでもなく、黙って板の間に膝をついた。
「……お待たせして申し訳ございやせん。ご用向きをお伺いいたしやしょう。………川岸賭場の、御一行さん?」
 微かに唇の端を持ち上げて、掬い上げるように見上げたエースの一言に、男たちがざわついた。
 あの薄く粘ついた笑みを引っ込めて、先頭の男が口を開いた。
「…―――ほお。俺の顔をご存じたァ、聞いてた話とちょっとばかし違うようだねェ。あにさん、何モンだい。」
 表情の消えたその声音に怯むでもなく、エースは穏やかな笑みを浮かべて応えた。
「なに、伊勢屋さんから聞いてるんでやしょう。ただのしがねェ傘職人です。あんまり育ちも頭もよくねェもんで、むかぁしちょっとばかし馬鹿をやってただけでさあ。」
「そりゃあ嫌味のつもりかね。堅気の職人さんは、賭場の番頭の顔なんざ知らねえで生きてくもんだぜ、若ェの」
 まあ、逃げも隠れもしねえでここに行儀よくのこのこ出てきたってことは褒めてやるべきだね。
 そう口の中で呟いたかと思うと、男はがん、と派手な音を立てて下駄を履いたままの片足を板の間に乗り上げた。一瞬で張り詰めた場の空気に、白ひげの職人たちの顔がびりりと強張る。
 妙に生白い顔をエースにぬるりと近づけて、男は言った。
「弟を出しな。ここにいるのはわかってんだよ。悪いこたぁ言わねえ、小僧っこ一人だしゃあ済む話だ。下手なことしなさんな」
 ふう、と煙管の煙を真正面から吹きかけられても、エースは眉ひとつ動かさない。過去が過去なら、すでに暴れ出してやくざ者の一人や二人、雑巾さながらに伸しているところだろう。
 弟弟子の意外にも静かな背中を見せつけられて、マルコは内心舌を巻いた。
「まったく、あんなガキ一人どこにでもいるだろうに、伊勢屋の旦那の道楽にも困ったもんだ。……おっといけねえ、表向きはお嬢さまの婿殿か。」
 後ろを固める手下連中に聞こえるように吐き捨てられた台詞に、下卑た笑い声が低く満ちた。
「おれたちも好きでやってるわけじゃねえし、同情する気持ちもねえわけじゃねえけどよ。まああの『若様』にも悪い話じゃねえはずだぜ。どのみちおん出されるなら、少しでもいい暮らしができるところを選んだ方が賢いじゃねえか。その点、おめえの弟はうまくやったと思うぜ。」
 その低い笑い声の波が引かぬうちに、エースが静かに口を開いた。
「…………それで?」
 一瞬で笑い声のさざ波が消えた。
 明らかに凍りついた場の空気にも怯むことなく、エースは睨みつける男の目線を真正面から受け止めた。その硬質な黒の瞳に、迷いはない。
「……口のきき方に気をつけな若造。おめえさん、自分の立場がわかってねえようだな。」
 カツカツ、と土のついたままの下駄を店の板の間に叩き付け、男はこれ見よがしに土の固まりを落として見せた。後ろの職人たちがそれを見て怒りに青ざめるのを満足げに眺めて、煙管を深く吸い込んだ。
 ただ一人、明らかな挑発に顔色一つ変えないエースが気に入らなかった。ふう、と煙をもう一度吹きかける。目の前の男が感情に任せて暴れ出せば、こちらの勝ち。そう踏んでいた。
「おれたちの機嫌を損ねたら、こんな貧相な店すぐに潰れっちまうぜ。もう一度言うよ。弟をだしな。そうすりゃ店には手を出さずに、」
「随分と芸のねえ脅し文句だな。つまらねえったらありゃしねえ。」
「………あん?」
 いっそ朗らかでさえある声音で、笑い混じりにエースが言った一言に、今度は賭場の男たちの顔色が変わった。
 笑いを引っ込めて下から掬い上げる様に睨みつけると、エースは音も立てずにすらりと立った。
「聞く価値もねえから帰れって言ってんだよ。ろくな断りも入れずに他人様の店にずかずか土足で乗り込んできやがって、仮にも江戸の渡世人が聞いて呆れらァ。」
「なんだとてめェ!」
 気色ばんだ男たちがざわりと前へ踏み出した。そのまま雪崩れ込もうかという彼らを一歩で押しとどめたのは、その後ろに、「白ひげ」の職人たちが壁のように立ち並んだからだった。
「この店に、おれの弟に手ェだすんなら、半端な覚悟じゃ足りねえっつってんだよ。あんたらみてェな下衆どもにあいつを渡して見逃してもらおうなんて考える馬鹿はここにゃいねえんだ。分かったらさっさと帰りやがれ!」
 修羅場は何度も通ってきたはずだった。今回も、ほんの少し脅しをかけてやればすぐに終わる程度の仕事のはずだった。上背も風格もある職人たちに上から見下ろされ、思いがけず怯んだ男たちは懐に手をやった。
 脅しが効かぬとみるやいなや奥の手の隠し刀に手をかける、それはあまりに軽率な仕草だった。
「……黙って聞いてりゃこの青二才が、痛い目見なきゃ」
「その匕首を抜くんなら!!」
 これまであくまでも控えめな声音を保っていたエースの、腹に響くような怒声に思わず手練れの男たちも手を止めた。
「その懐の刃を抜くんなら、あんたら、それなりのもん賭ける覚悟があるんだろうな。」
 守るものがある、覚悟を決めた男の気迫は、覚悟なきものの刃を止めるには十分だった。
「……この店はなあ。オヤジが小刀一本で叩き上げた店なんだ。」
 奥に座ったまま、白ひげは身動き一つしなかった。自分が口を出す必要などないと、知っていた。
「てめえの脚で、腕で運んだ竹を、小刀一本で割って、節を削って、骨を組み上げて。腕のいい紙職人を雇う金もねえから、自分で梳いて染めて渋を塗って貼りあげて、そうして作り上げた傘を売って、ここまで叩き上げた店なんだ。」
 口には決して出さない男だ。だが、師でもあり育ての親でもある男の舐めた辛酸を、苦渋を、職人たちは腹の奥底で知っていた。その大きな手で、自分たちを守り育てるための壁を立て、屋根を組み、帰る家を与えてくれた。
 この店は、師の人生そのものであり、父の愛情そのものだった。
「ここで、おれたちの前で!てめえそのナマクラの匕首、出せるもんなら出してみやがれ!!」
 びりびりと空を震わせたエースの怒声が、男たちのからだを凍らせた。
 そのエースの両脇を固める息子たちの広い背中を眺めながら、白ひげは、この店を立ち上げたその日のことを思い出した。
 自分自身家族がなかった。住み込みで働きながら腕を磨き、やっと小さな長屋をひとつ借り、この手で板切れに墨で書いただけの看板をかけた。
 作るなら傘が良かった。冷たい雨を、凍みる雪を遮り、ほんの少しでもいい、安らいだ気持ちを持ってもらえたなら。そうしてまた雨が止んだら、上を見上げて、胸を張って歩いて行けたなら。
 この店は、家族同然の店にしようと思った。身寄りのない子供を引き取って、手に職をつけさせて、奉公ではなく、それぞれが帰るべき場所に、居場所にしようと思った。家族が欲しかった。
 その日の飯にも困る暮らしをしてきた者。
 罪を犯さねば生きて来られなかった者。
 ここにたどり着いたときには棺桶に片足を突っ込んでいた者。
 大切なものを全て奪われ、涙も出ず、心を凍らせていた者。
 その息子たちは今や、立派な一人前の男となった。守るべきものをそれぞれの背に背負う、覚悟ある男となった。
 いつの間にか、自分にも届こうかという背丈に成長した息子たちの背中を眺めながら、白ひげは満足気に微笑んだ。

「……まったく騒々しい。表まで声が聞こえていますよ。ずいぶんと物騒なお店だこと。」

 場違いな、と表現してもいいような、到底この時この場には似つかわしくない静かな女の声が、重苦しい様な沈黙を割った。
 思わず男たちが振り向いたその先で、外海屋の女将そのひとは、絵にかいたような白い顔をぴくりともせず立っていた。早朝の空の色をそのままうつしとったかのような薄青の小袖。エースは、図らずもルフィが昨夜くれた、甕のぞきの手拭いを思い出した。
「……外海屋の、」
「これぁこれぁ、奥様。伊勢屋の旦那からお聞きになったんで?ご安心を、今若様を返していただくようにこの人らにお願いしていたところで……。」
「それはそれは、うちの店のことで他人様にご苦労をおかけして申し訳ございません。……『お願い』というには、随分賑やかですのね。」
 愛想もへつらいもなく、飽くまで冷やかにするりと言ってのけた奥方の一言に、男の蛇のような生白い顔が引きつった。かつかつと淀みのない足取りで土間をひしめく男たちの間をまっすぐに進むと、そのしゃんと伸びた背筋に気圧された男たちが草を分けるようにざわざわと道を開けた。
「……奥様、」
「白ひげの親方にお詫びを申し上げに参りました。失礼いたします。」
 思わず狼狽えて膝をついたエースには一瞥もくれず、奥方は確固とした足取りで店へ上がり、つかつかと白ひげが腰を据えるその前へ歩み出た。
 かと思うと、美しい所作で膝を折り、誰が止める間もなく、静かに床に指をついた。
「……この度は、うちの店のことでこのようなご迷惑をおかけし、申し訳のしようもございません。お許しください。」
「奥様!いけねえ、外海屋の奥方様がそんなこと、」
 思わず声を上げたエースを押しとどめたのは、白ひげの大きな掌のただ一押しだった。
「……この程度、馬鹿息子どもの後始末で慣れておりまさ。息子らの兄弟喧嘩で店が潰れかけた時にくらべりゃあ、この程度大したこたぁねえ。ただな、あんたともあろうお人がここまで足を運んで職人風情に頭下げるなんて、本来ならあっちゃならねえことだ。本題は別にあるんだろう。違いますかい。」
 どこまでも穏やかな白ひげの声に、顔を上げぬまま奥方は目を閉じた。そのままほんの少しの間何かを思案し、覚悟を決めるような間のあと、口を開いた。
「おっしゃるとおり、お詫びしなければならないことがもう一つあるのです。……恥を承知でお頼み申し上げます。この度の夫婦傘の注文を、取り下げさせて頂きたいのです。」
 その言葉に目を見張ったのは何もエースばかりではなかった。後ろに控える兄弟子、そして土間に押し掛けたごろつき達までもが、思わず一瞬声を失った。
「―――な、」
「……奥様、そりゃあどういうことだい。この期に及んで、まさか祝言自体なかったことにしようってんじゃねえだろうな」
男の剣呑な地を這う声にも眉ひとつ動かさず、奥方はさらりと応えた。
「そのまさかです。本来このお話は伊勢屋さんと私ども外海屋とのお話だったはず。そこに何をどう取り違えたのか旦那様の『お友達』が乗り込んでいらっしゃって、仮にも新郎の兄上のお店にまでご迷惑をおかけするなど聞いたこともございません。お相手のお嬢様には何の非もございませんけれど、致し方ありません。伊勢屋さんにはこのままこの足で出向いて、丁重にお断りさせて頂くことにいたしました。」
 もはや次ぐ言葉も出ない外野をよそに、奥方はゆっくりと面を上げ、正面から白ひげを見つめた。そのどこまでも実直なまなざしの奥に、白ひげは彼女の主としての矜持と、そしてどこか諦めにも似た清々しさを見た。
「―――つきましては親方。改めましてお願いを申し上げます。このお話は、なかったことに。」
 エースは、そのやり取りをどこか遠いところで交わされているような心持で聞いていた。
 あのどこまでも頑ななはずの彼女から、ありえない言葉を聞いた。エースが到底信じられないのも無理はなかった。
 奥方自身もそれを承知だったのだろう。つとエースを振り向いた奥方は、何の起伏も振れもない調子で言った。
「―――今朝、息子と話をしました。……外海屋を、たたむと。」
 思わず息を呑んだエースもよそに、周りがざわりとおののいた。
 東町に江戸の始めから構える大店。外海屋が店をたたむ。その意味がわからない江戸の男たちではなかった。
「…――奥様、」
「貴方は知っていたのでしょう。……あの子はもう決めていました。『外海屋は、おれの代で終いだ』と。」
 それは、エースが聞いた一言一句たがわぬサボの言葉だった。
 きっと、同じように、畳に膝をつき、背をしゃんと張り、面と向かって伝えたのだろう。あのまっすぐな、穏やかな瞳で。
 それを思い出すかのように、奥方は、どこか遠くを見ていた。
「――――少し、楽になりました。」
 奥方は、それ以上語ろうとはしなかった。ただぽつりと、誰に聞かせるでもなくそう言った。
「…………申し訳ないことをしましたね。あの子にも、――――貴方にも。」
 無防備な声だった。幾重にも幾重にも重ねた鎧を脱ぎ去り、ようやっと息ができた。その軽さがさみしくも、心細くもあるけれど、ようやっと、息をつくことができた。
 そんな、声だった。
 なぜだかはわからない。わからないが、エースはその声を聞いて、目の奥が熱くなった。
「…――――っ、」
 言葉にできず、エースは思わずその場で両手をついて頭を下げた。
 エースの心のうちから、自然と生まれた動作だった。
 細い肩だった。きりりと結い上げられた髪は艶が薄れ、目元の影は隠せない。
 女ひとり。主人に先立たれ、大店の跡取りたる息子を抱え、隙あらば足元をすくおうとする輩から店を守った。どれだけ重かったろう。どれだけ苦しかったろう。守るものができてようやっと、エースはそれに気が付いた。
 詫びなど要らない。そう言葉にすることすらできなかった。
 ただひたすらに、頭を下げた。畏敬。謝意。遣る瀬無さ。そのどれでもあって、どれでもなかった。この時の感情に付ける名前を、エースは知らない。
 奥方は、もう何も言わなかった。


 それからいくばくもしないうちに、彼女は賭場の男達を連れて白ひげの店を立ち去った。
 その足で、伊勢屋へ向かうという。柄の悪い男達と歩かせるのが心配で、おれも参りますと思わずエースは言った。
「なぜ貴方がついてくるのです?年寄り扱いは不要です。」
 取りつく島もなかった。
 だがそのしゃんと伸びたままの背中に、エースはどこか安心した。相も変わらず、あたたかくも、優しくもない、どこか遠いその背中に向かって、もう一度深々と頭を下げた。
 薄青に包まれたその背中。きっともう、二度と見ることはない。
 奥方の背中が見えなくなるまで表で見送った後、店の中に戻ったエースは、階段の途中で膝を抱えてうずくまるルフィを見つけた。
 自らを抱きしめるように力の込められた手が白い。黒髪が、肩の震えに合わせて揺れていた。
「あの子にも」、と彼女は言った。その声は決して大きくはなかったが、けれどきっと、弟に届いた。
 エースは何も言わず、ルフィをゆっくりと抱きしめた。凍り付いてこびりついた過去。それがゆっくりと温かく溶けだしたかのような弟の震える吐息を、腕の中に大切にとじこめた。

 それから一刻もしないうちに、エースとルフィは白ひげを発った。
 あの伊勢屋が黙ってうなずくとも思えない。時間があるわけではなかったが、それにしても、兄弟弟子や友人たちとの別れはずいぶんとさっぱりしたものだった。
「じゃあな、ルフィ。道中変なもん拾って食うんじゃねえぞ。」
「落ち着いたら文の一つでもよこしなさいよ。この恩はいつか返してもらいに行きますからね。」
 まるで箱根の物見遊山にでも行ってくるかのような気安さで、ルフィの仲間たちは手を振った。チョッパーだけが、心配そうに何度も何度もルフィの行李を覗いて、渡した薬が入っているか確かめていたが、それでも二人を見送るわけでもなく、明日にはまた会えるといった風情で白ひげの門戸をくぐった。
 だからルフィも、いつものように笑って手を振った。またな。また明日な。そんな風に。

「なんだ、まだいたのかよいエース。早く行けよい木戸が閉まっちまうよい」
「あ、おいエース、出るならついでにこれ届けてくんねえ?」
「ルフィと二人っきりだからってがっつくんじゃねえぞぉ。ちゃんとじっくり手順を踏んで、いってえ!!何すんだこの馬鹿!!」 
 エースの兄弟子たちも、皆いつものように忙しく店の中を行き来しながら、ついでのように声をかけていくだけだ。面白がってからかってくるサッチとは軽い殴り合いまでした。きっとこんな暮らしが明日もずっと続いていく。そんな気がした。
 白ひげですら、じゃあ、オヤジ、と切り出したエースに、おう、行って来い、とどこか近所へ遣いに行くかのような返事を返すだけだった。
 だからエースもいつものように笑って言った。「おう、行ってくる」、と。
 荷物だって、元々多いわけではない。文字通り身軽ななりで「傘職白ひげ」の表に立つと、エースとルフィは互いの顔を見合わせた。
 お互いの目の中に、こどものころのような隠し切れない高揚感を見つけて、思わず声を挙げて笑う。
 皐月の空は青く遠く、どこまでもすこんと抜けている。同時に一歩を踏み出して、歩き出す。
 
 ふたりは知らない。
 仲間たちが去っていった路地の奥から、ウソップやナミやチョッパーのそれに似た泣き声が聞こえてきたことも。
 何気なく手を振った兄弟子たちが、そのままその手で目元を強く強く押さえたことも。
 ふたりは、知らない。知らないことになっている。それでいい。目元が熱いのは、きっと空が眩しいせいだ。
 ふたりはもう、振り返らなかった。