※※※Caution! R18※※※


(2/3)


「……ただいま!風呂あがったぞエース」
「おう、おかえり」
 自分の声に振り向いた兄の向こうの画面を見た途端、濡れた髪をタオルで拭きながらルフィは吹き出した。
「……っぶっは、何コレ、どういう状況だよ」
「やべーよな、ゲストの無駄遣い。お前あと1分早く帰って来いよ、今の全員アウトマジ見たほうがよかった」
「まじか!くっそー見たかった」
 言いながらソファーに座る兄のすぐ足元のカーペットに座り込むと、ちゃんと髪乾かして来い、と大きな手がタオルを奪う。荒っぽいながら不器用な優しさが垣間見える兄の手つきが、ルフィは好きだ。
 くだらないバラエティー番組を心底楽しそうに観て笑っているその笑い声だとか、そばかすが親しみを誘う人懐っこい笑顔だとか、そういう何気ないところを見ては、好きだなあと思う。
 ルフィは比較的好きだと思ったら好きだとすぐ口に出して言うほうだが、こういう関係になって数年たった今では、何を今更、と照れた兄に笑い飛ばされてしまうことの方が多い。だからもうすぐ来る彼の誕生日には、ルフィにできる精一杯で、今にも溢れ出してしまいそうなこの気持ちを、どうにかしてエースに伝えようと決めたのだ。
 タオルに包まれた頭を、すぐそばにある兄の膝に預ける。
 どうした、といいながら兄がその大きな手で頭を撫でてくれるのが嬉しくて、膝に頬を擦りつけてみる。猫みてえ、と言って笑うその声がまた嬉しくて、ルフィも笑う。
 どうしたと聞きながら、答えを始めから求めてなどいなかったであろう兄は、食べたままの鍋や皿やそばの器、ビールの空き缶が転がるローテーブルに長い腕を伸ばし、ロックのラムが入ったグラスを手に取った。
 何となくその行方を眼で追いながら、ルフィは兄を見上げた。
 ゆったりと背をソファに預けた兄が、テレビを観ながらゆっくりとグラスを口に運ぶ。唇にダークラムが流し込まれ、香りを楽しむ様な間のあと、ごつごつとした喉仏が動くのが見えた。
 キスしたい。
 衝動的にそう思った自分に慄いて、ルフィは思わず兄の膝から顔を上げた。
「? どうした」
「――――、あ、いや、なんでもねえ!……風呂!エース風呂入って来いよ!」
「え〜〜?何だよ急に、おれまだ見てんだけど」
「いーから!お湯冷めちゃうだろ!」
 慌てて離れたルフィが明らかにうろたえているのを見て、エースは一瞬不思議そうな顔をした後、途端ににやりと悪い顔で笑った。そう、いつもルフィのことをからかって喜んでいる、あの時の顔だ。
 ことりと小さな音を立ててグラスをテーブルに戻すと、エースはルフィが逃げないように両手で肩を掴んで詰め寄った。
「……なんだお前、怪しい。何か隠してるだろ」
「な、にもねえ!」
「うそつけよ。何?」
「何でもね、ちょ、エース近い近い!近い!!」
「ほらルフィ君お兄ちゃんにいってごらん?言わないとチューすんぞ」
「〜〜〜〜っ、ば、っか!も、いー、から、行けっ!」
 ニヤニヤしながら猫なで声で近づいてくる兄を必死で押しのけると、意外なことにエースはけらけらと朗らかに笑いながらあっさりと引き下がった。番組もちょうどCMに入り、グラスも空になっていいタイミングだったのだろう。
 しょうがねえ、とか何とかいいながら立ち上がった兄は、ちゃんと髪乾かせよ、ともう一度ルフィの頭を撫でてドアの方へ歩いて行った。
 かと思うと、何かを思い出したように振り向いて、言った。
「―――ルフィ、もっかい一緒に入るk」
「早く行けっ!」
 ルフィが渾身の力で投げたクッションを軽々片手でキャッチしたエースは、からからと声を挙げて笑いながらそれを軽く投げ返し、リビングを出て行った。
 兄が2階の自室に入って着替えを手に取り、再び1階に降りて風呂場に入って行ったのを音で探って聞き届けた後、ルフィはやっと警戒を解いてソファに崩れ落ちた。
「……ヤバ、かった……。」
 相手の体温に飢えているのはルフィだって同じだった。自分で言いだした手前、こんなところでうっかり欲情してしまったのがバレたら、全ての計画が台無しになってしまう。
 ああ、だけど。酒を共にしている時の兄は、どうしてあんなにも。
(………カッコイイんだって……。)
 ぎゅうう、と甘く縮んだ心臓そのもののようにクッションを抱きしめて縮こまったルフィは、深い深い溜息をついた。兄の朗らかな笑顔を思い出して、そして、寝室に隠してある小さな包みのことを思った。いや、正確には、それを渡した時の彼の顔を。
 きっと喜んでくれる。早く、その顔が見たかった。
(早く、あしたになれ。)
 時計は、午後11時丁度を指していた。

「たーだいまー」
「あ、おかえ……、なー!服着ろよバカ!今何月だと思ってんだ!」
「着てるよ」
「上もだ!バカ!」
「だってあちーんだもん。なんだお前、何を今更」
 見事な上半身を惜しげもなく晒したままエースはリビングに戻ってきた。ルフィに言った手前髪は乾かしてきたようだが、タオルのない分首元にかかる指輪を通した細いチェーンが妙に目立つ。
 ルフィの気も知らないで、何でもない様な顔をして手に持っていたTシャツをソファに投げ出すと、エースはそのままキッチンの方へ歩いてゆく。
 やっと身体の疼きを鎮めたばかりだというのに、目の毒極まりない。努めて視界に兄の逞しい身体が入らないように、ルフィはテレビの画面を睨みつけた。
「……ルフィ、そっち氷まだある?」
「あ、うんあるぞ。さっき足したばっか」
「さんきゅ」
 言いながらエースは、ウイスキーと炭酸水の瓶を手に取った。この炭酸水も、こだわりの強いエースがわざわざ仕入れたヨーロッパ産の天然炭酸水だった。正直ルフィには、コンビニで買ったペットボトルの炭酸水との違いがわからない。ただ、これを言うと兄はこれだからお子様は、という顔をして憎たらしく笑うので、ルフィは口に出さないことにしている。
「エース、ハイボール?」
「ん?うん。お前は?」
「おれもー」
「おー」
 戸棚を開けて、大きめのグラスを片手に二つ。反対にガラスのボトルが2本。大きな手でいかにも軽々とそれらを持ちながら、エースはソファに戻ってきた。
 その兄に向って、ルフィは両手を差し出した。
「ん」
「ん?何、作ってくれんの?」
「うん」
「マジかやったぜ」
 心底嬉しそうに笑うと、エースは手に持っていたグラスをルフィの差し出した手に預けた。ボトルはテーブルの上に置いて、どさ、とソファに身を預ける。いや、預けようとした。
「あ、エースタンマ。あれ取ってくれ」
「あれ?」
「電気ブラン」
「……へえ?」
 面白そうな顔をしたエースは、だが深く言及することなく黙って下ろしかけた腰を再び上げ、酒が並ぶ戸棚へ向かった。あまり頻繁に出ることがない瓶を棚の奥の方から引っ張り出して、再びルフィの隣へ戻ってきた。
「どーぞ、店長」
「どーも、店長」
 冗談交じりの掛け合いに声を立てて笑って、エースは今度こそソファのルフィの隣に身を沈めた。
 ルフィのすらりと細い手が、砕いた氷を二つのグラスに詰めてゆく。カラン、カラン、と涼やかな音が聞きたくて、リモコンでテレビの音を下げる。
 静かに注がれたウイスキーが、氷を伝ってグラスの底に琥珀色の層を重ねる。蓋を開けた途端勢いよく中の気体を弾けさせた炭酸水が、琥珀色を豊かな黄金色に変えてゆく。
 いつもならここでほぼ終わりの手順に、今日はもうひと作業が加わった。ブランデーベースのレトロなリキュールを、上からほんの少し。マドラーで、均一に混ざる様に丁寧にステアする。
 耳に心地よい氷と酒の声を聴きながら、エースは自分の膝に頬杖をついて弟の横顔を眺めていた。
 10代のころから少しも変わらないと思っていた弟は、しかし少しながら確実に子供の頃の未熟な甘さを捨て去り、磨かれた鉱石のように少しずつ少しずつその輝きを増してきたように思えた。
 美しいと称するにふさわしいその一面を、ふとした瞬間の横顔に垣間見る数が増えた。
 少し伏せられた瞼を縁取るけぶるような睫毛。部屋の明かりをやわらかく跳ね返す艶やかな黒髪。触れたらほろりと溶けそうな頬。どこまでも透明な黒の瞳。
 無意識に、胸元の指輪に触れた。弟の胸元にも揺れているであろうそれ。こうして彼の隣に在れる今を、想った。
「―――ほい、完成。どーぞ。……エース?」
「あ、おう。サンキュ」
 思わず見惚れていたことには気付かれずに済んだようだ。鈍い弟は、ハイボールブームの火付けとなったCMのテーマ曲を鼻歌で歌っている。ご機嫌なそれに思わず笑いながら、グラスを持ち上げて弟へ。得意げに笑う弟のそれと合わせると、カチン、と星屑でも散らしそうな音が立つ。
 グラスに口を付けると、口に含む前に、華やかな芳香が鼻先を舞った。
「…………お前ほんとにうまくなったなァ」
「うまい?どれ」
 素直に驚いて弟を振り返ると、ルフィはすん、とグラスの香りを嗅いでから一口含んだ。うん、いいじゃん、と何でもないように言ってみせるが、弟のこの香りや味の組合せに対するバランス感覚はもはや天才だとエースは思う。
 分量を量りもしないでこの絶妙なバランスを生み出すのは天賦の才能だとしても、この弟があのリキュールを飲んでいるところなど久しく見ていない。一体いつこの発想を、
「―――ルフィ。」
「んー?」
「お前これ誰に教わった。」
 エースの言葉に、明らかにルフィの表情が凍りついた。嘘などつけない弟。恐る恐る、といった様子でこちらを振り返るその眼が泳いでいる。自分の顔がだんだん温度を失くして行っているのがわかる。
 逃げられる前に、弟の腰を跨いで動きを封じ、両手で囲い込んだ。
「―――電気ブランなんて飲むの男だろ。誰だ。」
「う、」
「……シャンクスか。二人で飲んだのか。おれ聞いてねえんだけど」
「違う!シャンクスもいたけど教えてくれたのはベンだ!」
「ベン?お前いつベンと飲んだんだよ。それこそ聞いてねえんだけど」
「う……。」
「おれに言えねえようなことなのか」
「違う!違う、けど」
 言葉に詰まってしまった弟が、エースの肩越しに何かをちらりと見た。誤魔化しているのかとも思ったが、それにしてはごくごく小さいアクションだった。
 その目線を追って後ろを振り返ると、時計の針があと15分で今年が終わることを示していた。ということは、あと15分で新年がやってくる。ということは、エースの誕生日もやってくる。
(……あ、)
 誕生日。
 ベンとシャンクス。
 エースには秘密の席。つまり。
「…―――なんとなくわかった」
「ちゃんと言うからあと15分待ってくれ……。」
「いいだろう」
 鷹揚に言ってやると、エースはルフィの上からどいた。あーもう、といいながら顔を両手で覆っている弟が可愛らしくて、その肩を抱き寄せた。
 一瞬とはいえあらぬ疑いをかけてしまった謝罪の気持ちを込めて、そのつむじにキスをする。
「……エース、服着ろよ」
「どうせもう少ししたら脱ぐのにか」
「………。」
「我慢できねえんだろお前」
「ちが、」
「いいじゃんもう。ほら、あと12分」
「やだ!だめだからな!」
「チッ」
 一度決めたら頑なな弟だ。それ以上の無駄な問答をやめてエースは黙ってグラスを口に運んだ。
 エースがそれ以上手を出してこないことを確かめて、ルフィも酒を口に含んだ。かと思うと、エースのむき出しの肩にやわらかな髪が押し付けられた。左側の体温と、最愛の弟の手で作られた酒を味わいながらの夜は、なんと芳しいことだろう。
「……さっきのジジイの電話、すげえ笑ったな」
「ししし、めっちゃ笑った。今どこって聞いたら座標言ってきたもんな」
「わかんねえっつーのな」
「とりあえず大西洋ってことしかわかんなかった」
「はは」
 テレビの音はほとんど聞こえないが、それでよかった。互いの声を聞きながら、刻一刻と今年が終わってゆく。
「………お前の親父も、……あいつも、今どこにいるんだろうな」
「―――うん。」
 あいてえな。小さく肩のあたりで弟が呟いたその相手は、きっと父親のことではない。
「……きっと生きてる。生きてりゃ絶対会えるさ。いつか必ず」
「ん。そうだな。」
 それ以上、エースも、弟ももう何も言わなかった。
 何も言わなかったが、首筋に擦りつけられるなめらかな額の感触で、肩を抱く手のひらに加わった力で、ふたりにとっては充分だった。
 音の届かないテレビ画面の中で、何処かも知れない雑踏が映し出される。カウントダウンを待つ人の群れ。画面の時報が、残り1分を告げる。30秒。10秒。
 どちらからともなく、グラスを置いた。
 こちらを見上げる弟が屈託のない顔で笑っているのを見て、エースも微笑んだ。これが今年最後の弟の表情であることに、また自分もそれに笑顔で応えられることに安堵して、目を閉じた。
 あと、5秒。
「…―――、」
 しっとりとやわらかな唇をふさいだ後は、両腕でしなやかな身体を抱き締めた。
 触れるだけではなく、激しくもなく、ただ深く味わうようなキス。奪うのではなく、与え合うように舌を絡め、甘噛みする。ルフィの手のひらがエースの胸に触れ、首筋を撫でる。
 カウントダウンは最早必要なかった。
 最愛の相手の一番近くでその瞬間を迎えることができた。その事実だけで、充分幸せだった。
 小さな水音を立てて、二人はキスを解いた。
「……エース、誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう。」
「1年ありがとう」
「こちらこそ」
「今年もよろしくな」
「うん。よろしくな」
 くすぐったいようにして笑う弟に、もう一度キスをする。今度はやわらかく、触れるだけのキス。
 感謝の気持ちを伝えたいから。そして、理由はもう一つ。
「……早速だけどルフィ君。おれもう限界」
「………ハイ……。」
 これ以上深いキスは、止まらなくなるからだ。
「場所は選ばせてやろう」
「無条件にベッドで」
「よし」
 答えるや否や、エースは弟を腕に抱え上げた。悲鳴じみた声が上がろうが知ったことではなかった。
「ちょちょちょ、エース!歩く!歩くって、」
「なんだかんだ言って逃げられたら困るからな。いいから黙って運ばれろ。」
「逃げねーって言ってんのに!」
「あ、ルフィ電気消して」
「ハイ」
 結局、ルフィが地に足を降ろすことはなく、そのまま寝室に直行し黒一色のベッドに放り込んでエースもその身体に覆い被さった。
 くすくす笑いながらされるがままの弟が愛しくて可愛くて、髪に頬に額に、至る所にキスを落としながら果物を剥くように服を剥いでいく。パーカー。Tシャツ。ハーフパンツと下着も、それぞれ一枚ずつ丁寧に。
 そうして弟が身に着けているものは、チェーンに通した指輪ひとつだけになった。
 極上の獲物が自ら食われるのを待っているようなその様にごくりと喉を鳴らして、エースはゆっくりと身を屈めた。