(3/3)
「よーし、準備できた!エース、これそっち運んでくれ!あとこっちも」
「おー」
「サボおれはー?」
「わしはー?」
「ルフィはハシと皿!ジジイはビール冷蔵庫から出して!食いもんには触るな!ふたりとも!」
「「へーい」」
台所では完全に力関係が入れ替わるらしい。モンキー家のある意味わかりやすいピラミッド図を興味深く観察しながら、おれはすき焼きの鍋を居間に運ぶ。胃袋の支配者は強大だ。
「よし、準備できた!ジジイ、いいよ」
「そうか!では!」
頂きます、と妙に礼儀正しく頭を下げたのは一瞬。そこからは仁義なき戦争が始まった。戦争と言うにふさわしい戦争が。
休みなく鍋の中身と酒をつぎたして、テレビの番組を入れ替えたりチャンネル権を争ったりしながら、大みそかの夜はゆっくりと更けて行く。バラエティーにゲラゲラ笑ったり、ジイさんがしばらくハマっていたらしい連続テレビドラマの出演者に大盛り上がりしたり。
去年は仕事終わりにひとり牛丼屋に入って、牛丼と年越しそばのセットを食っただけだった。だけ、というにはそのあとのルフィのサプライズに感動させられすぎたが、ひとりじゃない大みそかというのも、実はいつぶりかちょっと思い出せないのだった。
「ジジイちょっと飲みすぎじゃねえ?」
「なんじゃエース、今日ぐらい好きなだけ飲ませろ!」
「いっつも好きなだけ飲むくせに。いいよエース、どうせ言ったって聞かねェんだし」
「いやでもマジで身体には気をつけろって。うちの社長も言っても聞かねェんだよなー」
そうこうしてるうちにポンポン酒の瓶が空き、ついに清酒の空き瓶が一本追加されたころ、ジジイは焼酎の瓶を抱いてごろりと横になったまま、大いびきをかき始めた。
しばらくはそのまま放ってテレビを観ていたのだが、日付の変更線が近づくにつれて、ルフィがそわそわし始める。その理由を知っているおれは、申し訳ないやら可愛いやらで苦笑するしかない。
と、そこでサボがゆっくりと立ち上がってルフィの頭に手のひらを置いた。
「……さて、おれは風呂にでも入ってくるかな」
「え?でも今からじゃ年越し風呂だぞお前」
「いいよ別に。男磨いて新年迎えますよ」
「よっく言う、いって!」
ナルシストもいいとこの発言に思いっきり顔を歪めて言うと、ばし、と容赦なく背中を蹴られた。
けらけらと笑いながらそれを見ていたルフィが、ありがとサボ、とその顔を見上げて言う。おそらく気を遣ってくれているのだということは、ルフィも、そしておれもわかっていた。
サボは何も言わずに、やわらかく笑ってルフィの頭を撫で、ジジイを起こさないように静かに廊下に出て行った。一瞬沈黙が落ちた部屋に響くTVの音声が、年明けまであと五分のリミットを告げる。
隣でこたつにあたっていたルフィが、おれのすぐそばまでにじり寄ってくっついた。こたつの中で手を探り、こっそり指を絡めて手を繋ぐ。
こちらを見上げて、しし、と嬉しそうに笑ったルフィが可愛くて、おれも笑う。
「エース、今年もいっぱいありがとう、な。」
「……おれこそ。ありがとう、ルフィ。」
うん、とはにかんだルフィがそのままおれの肩に頭をころりと預ける。手を繋いだまま、肩に乗っかる小さな頭の重みを感じたまま、刻一刻と刻んでいく時を追う。
そうして、カウントダウンが始まった。画面の中で集まった観衆が声を合わせて数えだす。今年も残すところあと、三秒、二秒、―――一秒。
「―――ルフィ、明けまして、」
おめでとう、と言いかけたおれを頭から丸ごと抱き締めて、ルフィがキスをした。
「…―――!」
しゃべりかけていたその口に、つるりと滑り込む薄い舌。唇の隙間から漏れる湿った吐息。髪に潜り込む細い指。
驚きの波が愛しさと喜びに変わるまで、そう長い時間はかからなかった。
「―――ん、…っ」
「――――、」
一生懸命なのがわかる、いつまでたっても慣れない舌の動き。こちらから捕まえて、絡めて吸って舐めまわす。最後に一つちゅるりと音を立てて、おれたちはキスを解いた。
「…――エース、誕生日、おめでとう。」
「……うん。ありがとう。」
「おれのこと、家族にしてくれて、ありがとう。」
「……おれこそ。家族になってくれて、ありがとう。」
「今年もよろしくな。」
「うん。こちらこそ。」
「おれがいっぱいいっぱい、いーっぱいしやわせにしてやるからな」
「はは、男前。もう十分幸せだけど」
「全然だ。エースはいっぱい色んなことガマンしてきたから、だからもっとしやわせになるんだ。いっぱい、いっぱい。」
「……―――、……うん…。」
ありがとう、ともう一度、ルフィにだけ聞こえるようにささやいた。
照れくさくて、ルフィの黒い艶々の瞳を直視できない。額を合わせて、目を閉じて、腕の中のルフィの感触をひとつ残さず噛み締める。やさしいにおいや、あたたかな体温や、やわらかい声を。
「エース、……エース。生まれてくれて、ありがとう。」
掠れそうな呼吸を、ひとつ深く息をしてごまかした。
痛いくらいに震える心臓を隠して、ゆっくりと目を開ける。吐息の触れる距離で、やわらかくぼやける視界の中で、きれいにきれいにほほえんだルフィ。
言葉では伝えきれないありがとうを込めて、今度はおれからキスをした。ルフィのやわらかな頬を両手で包み込んで、触れる唇の先から丁寧に滑り込ませる舌までも、全てに神経を通わせて。
深く深く、穏やかな長いキス。激しくはないが、どこまでものめり込むように深く、満たされたキス。
だからおれは気付かなかった。
―――――焼酎の瓶を抱いたまま、気持ちよさそうに居眠りをしていたジジイが、TVから聞こえる新年を祝う花火の音に目を覚ましたことに。
「……お前ら」
背後からの地を這うような声に、おれたちは瞬時に石のように固まって身動きが取れなくなった。
あの瞬間の背筋の凍りつくような感覚は、きっと一生忘れられないだろう。
「ン何やっとるんじゃお前らァァァァアアア!!」
振り返りきる間もなく吹っ飛ばされたおれたちをよそに、サボが風呂場であーあ、と呟いてため息をついたとか、つかないとか。
***
最悪の事態だった。
ついにじいちゃんにバレてしまった。おれとエースのこと。あれだけサボに隠し通せって言われてたのに、台無しになってしまった。最悪だ。
おれとエースは神妙に膝をついてじいちゃんの前に二人並んで座っていた。ちなみにすでに二、三回吹っ飛ばされて、おれもエースもヨレヨレだ。
「どういうことか説明せい!」
だけどいずれは通らなきゃいけない道だってことは、おれもエースもわかっていた。
エースは最初からじいちゃんに言うつもりだった。ただ、じいちゃんがどんな手ごわい相手か知らないままにエースが言おうとしてたから、サボがまだ早いと止めたのだ。遅いか早いか、それだけだ。
ちゃんと言わなきゃ。ちゃんと、おれがちゃんとエースのこと好きで、大事で、家族なんだって。
「じいちゃん、あのな、」
口を開きかけたおれの前に、すらりと長い腕が伸びた。横に座ったエースが、前を見据えたまま、おれを押しとどめていた。サボは黙って、後ろの壁に腕を組んで寄り掛かっている。思わず言葉を飲みこんだおれのかわりに、エースが口を開く。
「……説明が遅くなって、申し訳ありませんでした。一緒に暮らしている、ってのは、言ったと思うけど、こういう意味で、ルフィとお付き合いさせてもらってます。」
「普通じゃないのはわかってる。……それでも、おれは、ルフィとずっと一緒にいたいと、思ってます。」
エースがゆっくりと床に手をついた。
「理解してもらおうとも、許してもらおうとも思ってねェ。いつか、受け容れてもらえたらとは、思うけど、それは簡単なことじゃねえと、思うから。……ただ、ジジイの前で、これだけは、言いたかったんだ」
手をついたまま、エースがゆっくりと顔を上げた。険しいじいちゃんの視線を真正面から受け止めて、逸らさない。
ちょっとの迷いも、揺らぎも何もない、まっすぐな横顔。おれの大好きな、凛と強い、エースの眼。
「―――ルフィを愛してます。ルフィが、大事です。大事な家族だと、思ってます。」
「大事にします。幸せにします。―――ルフィの傍に、いさせてください。お願いします。」
背筋を伸ばしたまま頭を下げて、エースは静かに言い切った。
思わず泣きそうになるのを下唇を噛んでこらえて、おれはじいちゃんを見上げた。何も言うべき言葉はなかった。言いたいことは全部エースが言ってくれた。おれは、ぶっ飛ばされても何があっても、エースの傍にいるだけだ。ここにいるだけだ。それだけでいい。
じいちゃんの厳しい目を見つめてから、おれも思いっきり頭を下げた。
「―――わしが駄目だと言ったらやめる程度の覚悟なのか」
「やめねえ。殺されかけても何しても、ルフィが望んでくれる限り、おれはルフィの傍から離れねェ。」
エースは、即座にすっぱりと言い切った。
「……だけど、知っててほしかった。何にも知らなかったおれに、ルフィが教えてくれた。家族がどんだけあったかくて、大事で、大事にしなきゃいけないものか、ルフィが教えてくれたから。だから、ジジイにだけは、受け容れてもらえなくても、憎まれても、……知っといて、欲しかった。」
零れそうな涙を、頭を下げたままおれは必死でこらえた。
エースがどんな気持ちで今の言葉を言ってくれたか、痛いくらいにわかったからだ。いろんなものを奪われて、失くして、諦めて、我慢してきたエース。だからこそ、何が大事か誰よりわかっているエース。
エースが好きだ。エースの傍にいたい。今まで当たり前だったその気持ちが痛いくらいにおれの中で膨らんで、今にも溢れてしまいそうだった。
「何度でも、言うよ。殴られても投げられても、おれは何度でも、頭下げに、来るから。」
「―――ルフィの傍に、いさせてください。お願いします。」
長い長い沈黙の後、じいちゃんは長い長い溜息をついた。
そして、ワシにはようわからん、と言った。
「わからん。男同士じゃぞ、お前ら」
「……うん。」
「わしはひ孫の顔が見たい。」
「………………それ、は、本当に、申し訳ないと、思ってる。おれもそうだったけど、おれと、出会わなきゃ、もちろんルフィは普通に女の子と付き合って、そういうことに、なってたんだと思うし、」
エースが視線を落としてそんなこと言うもんだから、おれは思わずじいちゃんの前なのに、エースの手を掴んで握りしめた。
それに気づいてこっちを振り向いたエースに、おれは思いっきり首を振った。言葉は出なくて、こういうとき何を言ったらいいのかもわからなかったけど、エースにそんなことだけは言ってほしくなかった。
おれだってもちろんじいちゃんには悪いと思うし、コドモうんぬんはエースだって同じだし、じいちゃんの手前、エースがおれよりずっとずっと申し訳ないと思ってくれてるのもわかってる。
わかってるけど、それでも根拠も理由も何もなくたって、おれは絶対エースと出会ってエースのこと好きになってたし、エースに会えなかった人生の方がよっぽどつまんなかった。
おれは絶対エースのこと世界で一番しやわせにしてやるって思ってるし、おれだってエースといなきゃ絶対絶対しやわせになんかなれない。そういうのを全部、じいちゃんにはわかってもらえなくても、世界中の誰にもわかってもらえなくても、エースには、エースにだけはわかっていてほしかった。
多分ギリギリの涙目になってしまっているおれの眼を、黙ってじっと見つめていたエースが、静かに笑って、それからゆっくりと頷いた。
うん、大丈夫。わかってる。ごめんな。
そう言ってくれた気がした。
「―――ハイ、そこまで!」
パンパン、と突然大きな音がした。思わずびくっと肩を揺らして振り返ると、今までずっと腕を組んで黙って立っていたサボが、手のひらを合わせてにっこり笑っているのだった。
「ジジイ、こいつらのことは実はおれもずっと前から知ってたんだ。黙っててごめんな」
「……フン、そんなことだろうと思ったわい」
「ごめんって。……エースは前にこっち来た時にもう言おうとしてたのを、おれが止めたんだ。ジジイは絶対、わからねえっていうと思ったから。」
サボは、おれを挟んでエースと逆隣に膝をつくと、神妙に頭を下げて、ごめんなさい、と言った。
「……まあ、でもこれがベストっていうか、これ以上どうにもならねえと思うんだよ。ジジイも、お前らも。」
「どうしたってジジイにはわからねえことだと思うし、こいつらも、認めてもらおうとかわかってもらおうとは思ってねえんだし。ジジイが、誰が何と言おうとこいつらは別れねえ。ただ、ジジイに嘘つきたくなかったから、ただ知っといてほしかったって、それだけなんだよこいつら。ほんと。」
サボはすげえ。おれが言いたかったこと、エースが考えてること、何で全部わかるんだろう。おれはポカンと口を開けたまま、サボの穏やかな横顔を見ていた。きっとエースも、横でじっとサボのことを見ていたと思う。
「だからさジジイ。屁理屈だって思うかもしれねえけど、孫がもう一人増えたくらいに思っておけばいいんじゃねえかなって、おれは思うんだよ。」
「エースはルフィの家族で、そんでおれはエースのことも兄弟だと思ってる。なあ、それってもう、おれたち家族ってことだろ?……ジジイももう、エースのこと孫だって、そう思ってるだろ?」
はっとして、おれはじいちゃんを振り返った。
低く唸りながら、腕組みをして顔をしかめて、今サボに言われたことをじっと考え込んでいる。
「―――うーん…。……ん?あ、そっか」
突如妙に軽い調子でそう言うと、じいちゃんはぽん、軽く手のひらを拳で叩いて、しかめっ面をやめた。
「エースはルフィの家族」
「うんうん」
「サボの兄弟」
「そうそう」
「ということはワシの孫!」
「イエスイエス」
「ならいいよ」
「なんっっっでだよ!!」
今度はエースが吠えた。あんまりにもじいちゃんがあっけらかんと言うものだから、拍子抜けしたのが一回転して何か腹立った、とあとで言っていた。
「難しい事はようわからん!とりあえずどうにもならんことはわかったので、あとはお前ら好きにせい!エース、お前はもううちの孫なので!盆も正月もちゃんと帰ってくるように!以上!わし寝る!」
だんだんだんガラガラばしん、と大きな音を立てて、じいちゃんは嵐のように居間を去った。
しばらくぽかん、と口を開けたままその背中を眺めていたおれとエースが、ぎこちなく顔を見合わせてお互いに何か言おうとした、その時。
「あ、忘れとった」
「「「何っだよ!!」」」
バシーン、と無駄に大きなアクションでまたじいちゃんが戸を開けた。
「バカ孫ども!明けましておめでとう!それからエースお前誕生日じゃろ!おめでとう!以上!」
ガラガラバシーン。言いたいことだけ言い捨てて、じいちゃんはまた台風のように去って行った。ドスドスドス、と無駄に大きな足音が廊下の奥へ去って行って、やがて聞こえなくなった。しばらく身構えていても静寂に変わりがないことを確かめて、おれたちはやっと息をした。
「……結局どういうことな訳…。」
呆然とつぶやいたエースに、サボは結果オーライってことじゃねェ?と妙に明るく応えた。
「ま、でもこれで」
ぽん、とおれの肩に手をかけて、サボはゆっくりと立ち上がると、またおれたちふたりの前に真正面から座りなおした。
「全部が認められたわけじゃないけど、一応、家族公認の家族ってわけで。……よかったな、エース。ルフィ。」
おめでとう。
多分色んな意味をひっくるめて、サボがニッコリ笑ってそう言った。ぽん、と両手を使っておれとエースの肩を叩く。その感触でやっと時間が動き出したような気がして、おれとエースは今度こそお互いの顔を見合わせた。
絆創膏を貼ったそばかすの散った頬。まだちょっと現実味のないようなぼんやりとした眼。ぶっ飛ばされた時のまんまの、ちょっと乱れたクセのある髪。それがなんだか愛しくて、よくわからなかったけど好きだなあって思って、おれはよくわからないまま、いつもみたいに笑った。
それを黙って見ていたエースが、一瞬ぎゅ、と心臓絞られたみたいな顔をしたあと、ちょっと照れくさそうに笑った。今思えば、もしかしたらあの時、エースはちょっと泣きそうなのを我慢していたのかもしれないけれど、思いっきり強く強く抱きしめられたおれは、それ以上エースの顔を見ることができなかったのだった。
***
「―――忘れもんないか?ルフィ」
「んー、多分ある!から後で送ってくれ!」
「甘えたことを言いおって!」
「オイそれ運ぶのおれだろ」
「ししし!」
暗い深夜の駅前。夜行バスが止まったバス停。その脇でハザードランプをつけて停まる軽トラ。
相も変わらず街灯は控えめで、その反動みたいに上空の星空はキラキラと星がひしめき合っている。見上げたおれの吐く息が掴めそうなほどに濃く白い。ピンと張りつめたように凍る空気は、冷たいながら数日前とは少し違う。どこか親しみすら覚えるようだった。
「雪止んでよかったなー。この程度ならあんまり遅れたりしないだろ。」
「これをこの程度と言うか…。あれ、お前いつだっけ、戻るの」
「あさっての飛行機。ちゃんと飛べばだけど」
「そっちの心配したほうがいいんじゃねーの」
「あはは、だよなー」
わざわざ見送りに出て来てくれたサボが、全然心配もしてなさそうな顔でからからと笑った。こいつのことだから、一日や二日飛行機が飛ばなくてもいいような日程を組んで来ているのだろう。こいつが予想外のことにおろおろ戸惑っている姿なんか想像できない。もちろん、ルフィ絡みのこと以外、という限定条件付きではあるが。
今回のことだって、なんだかサボの手のひらの上で事が収まったようで、感謝こそすれど何となく気に食わない。多分、そういうのもちゃんとわかっていて、こいつはこの貴公子スマイルを浮かべているのだ。それがわからないほど、おれたちの付き合いも浅くない。
「―――まあ、何だ、……ありがとうな、色々と。」
「……おう。」
「気ィつけて帰れよ。」
「お前もな。仕事頑張れよ」
「任せろ。―――おっと、」
笑ってサボに応えた丁度その時、何かもぞもぞしてるな、と思ったおれの右腕をつかまえて、脇の下からひょこ、とルフィが顔を出した。
「エース、バスもう出るって!」
「おっと、マジか。……ところでお前、なぜそこから」
「なんとなく!」
「だよな」
ししし、と妙にご機嫌で笑ったかと思うとあっさりおれから手を離し、ルフィはサボに飛びついた。ぎゅう、と正面から抱きついて、またなサボ、と名残惜しそうに頬を摺り寄せる。
うん、またなルフィ。そう言って抱きしめ返し、ゆっくりとその黒髪を撫でるサボは、ルフィにだけ見せるあのやわらかい笑みを浮かべている。
兄弟のしばしの別れを邪魔しないように静かに振り返ると、おれは後ろで大あくびをかましているジジイの正面に立った。
「―――ジジイ、」
「んあ。……おうエース、もう出るぞ早く乗らんか」
「いや、うん、あのさ。……えーと、」
いざ相手を目の前にすると、言いたいことの欠片も出てこない。こういうとき、不器用な自分が情けなくなる。ありがとうとかごめんとか酒飲み過ぎるなよとか、それからやっぱりありがとうとかごめんとか、言いたいことがたくさんありすぎて身動きが取れなくなる。
そんな自分にいら立ちながら、俯き加減に黙り込んでしまったおれは気付かなかった。
しばらくそんなおれを黙って見ていたジジイが、これまたルフィにそっくりな顔でにかりと笑って拳を振り上げたことを。
「「あ、」」
「――――!……い、ッッッてェェェエエ!何すんだこのゴリラジジ、」
「また来い!エース!」
言いかけた文句も呼吸ごと飲みこんで、おれははっと顔を上げた。
「盆も正月もちゃんと帰ってきてわしの手伝いをしろ!いいな!」
次来た時にはその腑抜けたツラごと叩きなおしてやる。
そう言って、ジジイは大口を開けて豪快に笑った。
「―――おら行け!ほかのお客さん待ってるぞ!」
呆然としたままのおれの背中を思いっきり押したのはサボ。ホラ早く早く、とルフィの細い肩を掴んでバスに押し込む。そのままおれもバスのタラップを登りかけ、そして、足を止めた。
お邪魔しました?
お世話になりました?
いや、違う。言うべき言葉は、―――おれが、言いたい言葉は。
「――――ありがとう、ジジイ!サボ!……行ってくる!!」
ルフィが横から思いっきり抱きついてきた。行ってきます、と大きな笑顔で手を振る。
白い息を吐きながら、ジジイがまた大口を開けて、愉快そうに笑う。サボが片手をポケットに突っ込みながら、笑って手を振る。
雪崩れ込むように座席に座って、窓際のルフィごと抱え込むようにして窓から外をのぞく。
動き出したバス。ボディービルダーみたいにわけわからんポーズを決めているジジイ。それを意にも介さずひらひらと手を振り続けるサボ。だんだん遠くなっていく、二人の影。
駅の明かりがだんだんと遠く見えなくなって、やがて街並みも暗く静かになったころ、おれは力の抜けたようにずるずると座席に座り込んだ。
妙に早い呼吸と鼓動をもてあまし、そこにあったルフィの手を、訳も分からないまま手探りで握りしめる。
ゆっくりとおれを振り返ったルフィは、少し潤んだきれいな眼で、笑っていた。
「――――ルフィ」
「ん…?」
「……ありがとう。」
静かな車内で邪魔にならないように、ルフィにだけ聞こえるようにささやいた。
じっとおれを見つめていたルフィは、何も言わないまま眠くなった振りをして、おれの肩に寄り掛かった。目を閉じたその小さな顔が、嬉しそうに緩んでいたのを、おれは確かに見たけれど。
勢いで尻に敷いてしまったひざ掛けを片手で何とか引っ張り出して、繋いだ片手を隠すようにルフィにかける。こっそり黒髪を梳いてやると、指を絡めた左手が、きゅうと握り締められた。
「えーすー…?」
「ん…?」
「着いたら、初詣いこう」
「うん」
「それから、誕生日プレゼント、買いに行こうな」
「それはあとでいいよ。……帰ろう、うちに。」
「……しし。」
うん、と小さく頷くと、もぞもぞと身じろいでルフィはおれに寄り添い直した。
そのまま静かな寝息を立て始めるまで、そしておれもそれにつられて眠りに入るまで、おれはルフィの手を離さないでいた。
おれの誕生日はもう数分で終わろうとしていた。ひとりじゃない誕生日。家族と一緒の、誕生日。
雪道をがたがたと走るバスに揺られながら、左側のルフィの体温を愛しく愛しく味わいながら、おれは夢現に明日からのことを考えた。
着いたらその足で初詣に行って、そしたらさっさと部屋に帰って、家中のカギと言うカギをかけて携帯の電源も全部切ってルフィをベッドに放り込もう。今度こそ、誰にも邪魔されないように。お預けを食らいまくったぶんのツケが溜まっている。がっつかないように気を付けて、ありがとうのかわりに丁寧に抱こう。
一眠りして起きて時間があったら、前からルフィにリクエストしていた靴を一緒に見に行こう。
ああ、その前に無事着いたぞって連絡しなきゃ。
あたたかなバスの中、揺られつつゆっくりと眠りに落ちながら、おれはやさしくぼやけていく意識の中でひとつ決意した。
次に、帰るときは。今度、厳しくもあたたかい、あの家に帰るときは。
――――「ただいま」って、言ってみよう。
ウェルカムホームピンポン
エース、お誕生日おめでとう!
帰る場所の愛しさを一番よく知っているであろう彼に、世界一の「おかえり」を。
いちばんのしやわせを!
20140106 Joe H.
遅刻うんぬんより2014という数字に震える
今年もよろしくお願いいたします。
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