「エース」
「んー?」


「エース、エース…、エースなぁ……。」

「……?」



酒の残り具合を確かめていた兄は、返事をしたにも関わらず意味なく繰り返される己の名前に首を傾げた。

その第一声にもくれないままだった視線を、ついに弟に向ける。

「エース。」
「…はいそうですが、何か。」


意味もなく返答が畏まる。
不可解極まりない。
弟は何をこんなに自分の名前を連呼するのだ?


「エースの父ちゃんはさーあ、何でエースって名前つけたんだろうなぁ」

漆黒の瞳と漆黒の髪。
同色のシャツにスラックス、ギャルソンエプロン。

自分達兄弟は全く同じ色を持っているのに、なぜカウンターの向こうに座る弟はこんなにも幼く写るのだろう。

さーあ、って、お前。
つーかカウンターの拭き掃除は終わったのか。

「…って、は?名前?おれの?」
「そー」

こいつの思考回路に脈絡が無いのはいつもの事だ。
今更突っ込んだって仕方ない。
構わず瓶の内容確認を再開する。

「んーさぁなぁ。クソ親父の考えなんざわかりたくもないね。」
「まーたエースは父ちゃん悪く言うー」
「ほっとけ。……まぁ、女だったら『アン』ってのは聞いたことあるからな。単純にアルファベットの一番頭使いたかったんじゃねーの。」


なんだそりゃ、なんて弟は朗らかに笑うが、あながち間違いでも無いとエースは思う。

直接会ったことは無いにしろ、彼を知る人達から聞いた話では、エースの父はあまりまどろっこしいことを考える人間ではなかったようだから。

そう、どちらかと言えばこの弟に近いと。

「むしろおれぁ、お前の名前を誰がつけたか気になるね。」
「おれ?なんで?」

確認終了。
残り少ないものもあるけど在庫は確認してるから大丈夫だろう。

カウンターを挟んで弟に向き直る。

「お袋さんはみたことねえから何とも言えねえけど、もし付けたのがあの恐持ての親父さんだったら、一体どんな顔してこんなかわいらしい名前付けたかなーと思って。」

「そっか、エースは父ちゃんがおれ連れて来た時顔見てるんだっけ」

「あんまり覚えてねえけどな。イメージだけ残ってる。」

ジジィが付けたんじゃないことは確かだから、普通に考えたら確率は1/2だ。


「確かになぁー。ちぇー、『かわいらしー』だって。
いいなぁ『エース』って、格好いいよなー。エースにぴったりだ」
「……そりゃどうも」

この天然タラシめ。

手元に目を落としてマドラーやカクテルピンを揃える。
断じて照れ隠しなんかじゃない。断じて。


…しかし、確かに不思議なものだとは思う。
エースはほかの何者でもない「エース」だし、ルフィだってもちろん「ルフィ」だ。
ルフィが「ルフィ」でなかったら、その彼はルフィなんだろうか。

(…やべえ哲学みたいになってきた)

やめやめ。

「……まぁ、お前はそう言うけど、おれはいい名前だと思うぞ、お前の名前。」
「…そーか?」
「おう。きれいな名前だなーと」


そこまで言いかけて何気なく顔を上げた途端、弟はぱち、と音がしそうな瞬きを一つ。

やべ、おれ今何言った?


「……エース」
「………んだよ」
「ちょっと顔赤い」
「ほっとけ」


けらけらと笑う弟が憎たらしい。言っとくけどお前がちょっと照れてるのだってバレてんだからな。

「ありがとーエース。おれエースに名前呼んでもらうのがいちばんすきだ。」

「……。」

何のわだかまりもなく素直にそう言える弟は、その中身と同じく名前まできれいだ。
構えていた自分が馬鹿らしくなる。


お前の素直さを見習おう、ルフィ。


カウンター越しに手を伸ばして、そのままスツールに腰掛けた弟の首裏を引き寄せる。
目を軽く見開いて、何か言いたげにこちらを見るルフィの顔も、すぐに焦点を結べなくなった。
目を閉じて、おれの名前を呼ぼうとして開きかけたのだろうその唇を、自分のそれでゆっくり塞ぐ。

しっとりと冷たい唇を、2、3度やわらかく食む。

そのうち頬に手を添えて口づけに応えてくれたから、彼もその目を閉じているのがわかった。


「……おれも、お前の声で呼ばれるのが一番すきだ。…ルフィ。」


唇の触れる距離で低く告げる。
夢見心地のようにこちらを見つめていたルフィが、それを聞いて心底嬉しそうに笑う。
その笑顔のまま、エース、なんて可愛く呼んでくれるもんだから、もっと聞きたい気持ちも踏ん付けてもう一度口づけた。



クソ親父のセンスも、なかなか悪くはないかもしれん。



(………しかしカウンター邪魔だな。こっち来いよルフィ。)
(だめだエース。こっちの掃除終わってねーもん)
(馬鹿お前やっぱりか!お客さん来ちまうぞ!!)




   




ベルベットキス=ドライジン+生クリーム+バナナリキュール+パイナップルリキュール