「天使とガラスのスニーカー」設定
※後半ぬるいですがR18でお願いします
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悲鳴と怒声を足して2で割ったような絶叫が、狭いアパートの屋根に反射した。
「……――――ッ…!!」
「エース元日誕生日!?まじで!?」
「…ハイ…」
「なんで教えてくれねェんだよエースのバカァァァァァァァアアアアア!!」
半泣きで首っ玉に飛びついてきたルフィにそのまま押し倒される。全く予想のつかないアイドル様の行動に常日頃から振り回されっぱなしのおれは、御多分に漏れず激しく床に後頭部を打ちつけて倒れこんだ。
サスペンスドラマならこれでおれの登場シーンは終わりであろう、ガン、という激しい音と衝撃がおれの脳みそを襲う。
ばかやろばかやろばかやろ、と脳天をおれの顎にぐりぐりドリルみたいに押し付けてぎゅうぎゅう力いっぱい抱きついてくるルフィは心底、心底可愛いが、後頭部の鈍痛とおよそアイドルらしからぬその腕の力におれは昇天寸前だった。
ああ、でも可愛い。あったかい。しんでもいい。
「エースのばか!起きろ!」
「ひっ」
ばちん、といい音を立ててルフィが両手でおれの頬を思いっきり挟んだ。痛い。
しかし、それによってしっかり目の覚めたおれは、改めてクリアな視界で目の前のルフィの顔を見てハッとした。
ルフィのきれいな大きい瞳が、いつもより艶々に潤んでいたからだ。
「…エースのバカ」
「はい…」
「あと2日しかねェじゃん!!」
「…はい」
「なんで教えてくんねぇの」
「……ごめん。教えなかったわけじゃ、なくて」
「じゃあなんだよ」
「…えー、と、ルフィ、のカウントダウンライブ、楽しみ過ぎて、おれもすっかり、忘れてて……。」
「………。」
「…ごめん…ルフィ…。」
盛大に頬を膨らませたアイドル様は、押し倒したおれに乗っかったままもう一度首に回した腕に力をこめると、そのまま肩のあたりに顔を埋めてしまった。
オタクの神よ、ルフィが涙目だというのに不届きにもときめきに胸躍らせたおれを裁きたまえアーメン。
「…ずりィ。そんなこと言われたら、怒れねェじゃん…。」
「……ごめん…」
「ライブのチケットだって、おれあげるって言ったのにエースもう買っちゃってるし。誕生日だって知ってたら、最前列だって関係者席だってプレゼントしてやれたのに。ていうかカウントダウンライブなんかなしにして一緒にいたかったのに!」
「…!」
「……フツーの人達みたいに、ケーキ買ったり、プレゼントあげたり、してやりたかったのに」
空っぽのまま床に投げ出していた手を、ゆっくり持ち上げた。
どくどくと脈打つ心臓はそのままだけど、ルフィはきっとおれのことを常に血圧高いか脈拍早い人間だと思い込んでるので気にしない。
しな、としおれたようにおれの腹に被さってしまっている背中。手のひらから腕のなかへすっぽりと収まってしまうその背中を、ゆっくりと抱きしめる。
「……ごめんな、エース。こういうの、きっとおれが最初に聞かなきゃいけなかったんだろ」
「…え、」
非難の色が消え、空気にすら溶けてしまいそうな声でルフィが言う。
顔を覗き込もうと身じろいたおれの首をぎゅうと更に抑え込み、嫌々をするようにルフィが髪を擦りつける。ふわりと清潔感のあるいい香りが漂う。本人ではなく、周りの人間が気を遣って磨いているのだろう、その髪の香り。
「…ごめんな。何にも知らなくて。当たり前のこと、全然あたりまえにできなくて」
「ルフィ、だって、それは」
「違うんだ。おれ言い訳にしたくねえんだ。仕事のこと。…エースのこと。」
ゆっくりと腕の力が緩む。おれの顔の横に手のひらをついて、ルフィが顔を上げる。
上に覆いかぶさっているせいで、顔が陰る。光を背にしたその角度が新鮮で、心臓がまた一つ高らかに鳴った。
そう、だって何の奇跡か知らないが、こんな位置からルフィの顔を見ることを許されたのはおれだけなのだから。
「…ごめん、エース。でもよかった、今日教えてもらえて。」
「ルフィ、」
「おれそばにはいらんないけど、ライブには来てくれるんだろ?」
「…うん。行く。絶対。」
「ん。……そーだ、終わったら、楽屋来てくれな!」
「え、うそ…。大丈夫か?」
「ナミに言っとく。パスも渡しとく。そんで、おれが一番はじめにおめでとう言うからな。」
「……うん。」
おれの返事に、やっと笑ってくれたルフィの嬉しそうな顔。
ありがとう。ごめん。そのどちらの言葉も今は違うと思った。
だから、おれは最近封印の外れた勇気というヤツを振り絞って、両手をあたたかい背中から動かした。
手のひらでルフィのやわらかいほっぺたを包み込んで、少しずつ自分の顔に近づけて、そして、
「…――なんでそこで止まるんだよ」
「……ごめん…。」
たぶん真っ赤になってしまっているのだろうおれの顔を見て、ルフィがけらけらと声をあげて笑った。
その透きとおるような頬も薄っすら桃色に染まっていることに気がつきはしたが、そのまま思いっきり抱きついてキスしてくれたルフィに身を以て応える以上、おれに術はなかった。
「……話変わるけど、エース。」
「…?」
「前髪伸びたな?」
「…ハイ」
「サボっただろ、カニちゃんとこ行くの」
「……。」
「明日いけよ。バイトない日だろ。おれ電話しちゃうからな!」
「……ルフィ、あさってじゃ、だめか?」
「む!なんで?」
「……明日、ルフィこないだ収録したっつってた早食い選手権のオンエアだから。しかもゴールデンタイムの年末2時間スペシャル。」
ぱちぱち、と大きな目が星屑すら飛ばしそうな愛らしさで瞬きをする。
かと思ったら、次の瞬間瞳をキラキラさせておれを見下ろし、満面の笑みで心底嬉しそうにくしゃりと笑う。すこしくすぐったいような、それでいてあったかく甘いような、そんな笑顔。ししし、といういつもの笑い声。
そんな顔で、しかたねえな、なんてほろりと溶けそうな声音で言われたら、もう抱きしめてしまうしかない。
******
「…――ルフィ、30分後最終確認行くわよ」
「おう!」
ノックの後、大して確認もせずに勢いよくドアを開けて、いつも通りにナミが言う。
鈍く、妙に大きく鳴った心臓を隠して、いつも通りに返事をした。
「……ルフィ、」
「ん?」
「…平気?」
片耳の下辺りにひとつにまとめた長いきれいな髪を揺らして、ナミがこちらを覗き込むように見ていた。
ロコツな心配や気遣いとか、そういうものではなく、そう、それはおれを信じてくれてるナミがほんの気まぐれに問いかけた、ただの「確認」。
「―――平気だ。おれだぞ?」
何も言わず、赤く塗られた唇の端をきれいに持ち上げてナミは笑った。
そのままあっさりと背を向けて楽屋のドアを閉め、慌ただしい通路の向こうへ消えていく。
その足音が消えたのを聞き届けて、おれは少しだけ重たく、ソファに腰掛けた。
今までの活動の中で最大級の大型ライブ。初めてのカウントダウンライブ。
ナミの赤いリップ。それはあいつがほんの少し気合を入れたいときのジンクスだと、おれは知っていた。
(……エース、もう来たかな…。)
ちら、と傍らに置いた携帯を眺めやる。楽屋入りする前に1通だけメールして、それにがんばれ、楽しみにしてる、と返信をもらったのが最後だった。
その文字を目でなぞるようにして見る。その言葉のひとつひとつをエースの声で思い出していたら、なんだか急に声が聞きたくなった。
迷いながら通話履歴を開く。
その一番上。マネージャーのナミも事務所の社長のシャンクスも追い抜いて、一番上で、一番先におれを待っててくれたような、エースの名前。
思わず、通話ボタンを押した。
「……、」
コールが長い。電車の中かもしれない。そうだったら迷惑なことをしてしまった。切ろうか。
そう思い始めた、7コール目。
『…――、ハイもしもし!…ルフィ…?』
「…、エース、」
周りに配慮したような、抑えた声。騒がしい周りを逃れて、足早にその場を離れる気配。
「ごめん、大丈夫か…?いまどこ?」
『ん、大丈夫。もう会場前にいるよ。おれこそごめん、すぐ出れなくて。ファンクラブの奴らと決起集会中だったから』
「え、そんなんあんの」
『あるある。今度動画見せようか。』
「ししし!うん見てえ!な、寒くねえ?大丈夫か?」
『大丈夫。おれたち慣れてるし。ルフィこそ、今忙しいだろ?』
「ん、今メイクとか衣装終わって、あと少しで最終リハ」
『……そっか』
そこで少し会話が途切れた。
エースは、どうした、とか、何かあったか、とか聞かなかった。
おれが話し出すのを、辛抱強くゆっくりゆっくり待って、おれの呼吸に耳を傾けてくれていた。
「…エース…?」
『ん…?』
「すぐ近くに、いるか?」
『…いるよ。ここにいる。傍にいる。ルフィのこと見てる。』
「……ん」
なんでだろう。怖くなんかないはずなのに。むしろ楽しみで楽しみで今すぐにでも走りだしたいくらいなのに、
「…エース」
『なに、ルフィ。』
何で、エースの声を聴いただけで、こんなに手が震えているんだろう。
「……エース」
『ん。』
「…おれ、だいじょぶだよな?」
受話器の向こうのエースが、少しだけ息を止めた気がした。
ほんの少しの間を置いて、いつもの通りの声で、いつもの通りのやさしい声で、エースが名前を呼んでくれた。
『……ルフィ』
「…うん」
『大丈夫。ルフィは大丈夫だよ。ずっと見てきたおれが言うんだから、大丈夫。』
「……、うん…。」
目を閉じて、エースの声に鼓膜を預ける。
『絶対大丈夫。今日も見てる。すぐそばにいる。』
「うん」
『がんばれ、ルフィ。』
「うん」
『……終わったら、会いに行くな』
「うん。待ってる。」
できることなら、今この瞬間ここにきて抱き締めてほしかった。
だけど、エースの体温はおれの中の色んなものをいつもぐずぐずに溶かしてしまうから、だから今はこれでいいんだと思った。
「――ありがと、エース。おれ行くな。」
『……うん。』
「終わったら、すぐ来てくれな。」
『うん。すぐ行く。』
「―――行ってきます」
『うん。……がんばれ、ルフィ』
それ以上声を聴いていたら、またずるずると会話を続けてしまいそうだった。
おれはひとつ深呼吸をして、うん、とだけ返事をし、またあとでな、と言って意識して動かした指で終了ボタンを押した。
がんばれ、ルフィ。
鼓膜を震わせたその声が、血を伝わっておれの身体をじわじわ満たしていくような気がした。
大丈夫。エースが言うんだから大丈夫。エースは嘘つかない。
ほんの少しの緊張や不安が、心地よい武者震いへと変わっていくのが分かった。
はやく、今すぐに、一分でも一秒でもはやく、あの光と歓声と音の渦の中へ。
最高の一瞬を、みんなへ。そして、唯一の想いを、たったひとりの人へ。
ルフィ、行くわよ。
ノックと共にナミがドアを開けると同時、おれは立ち上がった。
最高の夢を魅せる。そのための準備はできていた。
あとは、前を見るだけでよかった。
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