※宮田さまのリクより「ピンポンの二人のその後」
宮田さま、リクエストをありがとうございました。
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夏のにおいを乗せて、夜の風が横を通り過ぎた。
サボのいるリビングから漏れ出る光。それだけを頼りに暗い廊下をまっすぐ進み、ルフィの部屋のドアを開けた途端、空気の通り道をするりと吹き抜けていった風。
シャワーを浴びてきたばかりの身体には心地いいが、おれより先にシャワーを浴びたはずの背中が、大きく開け放った窓から空を見上げていたのに、おれは眉をひそめた。
「……またお前は」
「…ん、おかえり、エース」
半身だけ振り向いて小さく笑ったその身を覆い隠すのは、白いシーツただ一枚。
いくらこの時期とはいえ、つるりと滑らかな肩がむき出しで、夜風にあたるには寒々しい。つかつかと歩み寄り、そのまま乱れたままのベッドに乗り上げてうっすら冷えた肩を掴み抱き寄せる。
妙に楽しげに、小さく唇の端で笑うルフィ。真面目に聞けと、おれは下着一枚の自分を棚に上げて得意の小言を言う。
だってさっきまで散々思いのままに熱をぶつけて、手の力すら思うように入らないようなこの有様。しかも、これからおれの「唯一」になってくれるという大事な大事な相手だ。そんなヤワな奴じゃねえってことはもちろんおれが一番よく知ってるけど、それでも自分にできる最大限で大事にしたい、その気持ちを我慢する必要なんかないはずだ。
「寝てていいって言ったじゃねえか」
「なんかもったいなくてさ、寝るの。…な、今日いっぱい声出ちった。サボに聞こえたかな…?」
「ん?…あー、大丈夫じゃねえか。このマンション壁しっかりしてるし、さっき見たらサボまだ映画観てたし」
「そっか。…しし、ホームシアターあげといてよかったな?」
「お前それ絶対サボに言うなよ」
吐息でやわらかく笑ったルフィは、そのままくたりと力を抜いておれに身体を預けた。
首筋にのっかった頭の重みが愛しい。頬を摺り寄せて、滑らかな肌を味わうように撫でて。
枕元の時計の秒針が、小さく時を刻む。
あとそれが一周したら、ルフィの誕生日は、終わりだ。
しばらく無言のまま、それを見つめる。あと、ほんの数回。
「……最後。誕生日おめでとう、ルフィ」
「…ん、…ありがと。」
言葉じゃ伝わんないからと、抱き合っている間中何度も何度もそうしてくれたように、ルフィがおれの頭を大事そうに両手で包み込んでキスしてくれる。
いつまでたっても慣れない仕草で、それでも自分の意志に忠実なしたたかさで、甘く甘く唇を食んで、舌を絡めて吸い込んで。
思わず細い身体に回した腕に、ぎゅう、と力を込める。
キスの間にルフィの誕生日は過ぎ去ったが、それでもおれ達はふたりとも目を閉じたまま。
愛しくていとしくて仕方がない。抱いても抱いても収まらない、この愛しさをどう伝えればいいのか、おれにはもうわからない。
「……だからもう、どこにも行くなよ…。」
「…なにが、『だから』?」
「こっちの話。…もう無理だからな。もう絶対、離してあげらんねえからな。」
これからの全部の時間をかけて、こいつを愛すると決めた。この愛情を伝えていくと決めた。
愛していくと、誓った。だから。
そんな犯罪まがいのおれのセリフにも、ルフィは柔らかく声を零して笑った。
「……ずっと、こうしててくれ。おれ、ここにいたいから。エースに、ずっとこうやっててほしいから」
たった一言で、そのやわらかい笑顔で、あくまで自分で選んだのだと、おれの一抹の罪悪感をするりと浚っていってしまう。何も知らないふりをして、実はこいつにはすべてが見えているんじゃないか。そう思うのはこんな時。
尊敬にも似た気持ちを込めて、なめらかな額に口づける。
抱きかかえたルフィの膝の辺りで、ゆるく指を絡めて手を繋ぐ。
ルフィの左手で、銀色の輪が月の光を捉えて反射した。
それをなんとなしに二人で眺めていたとき、ルフィがふとおれの肩から顔を上げ、見上げた。
「……な、エースのは…?」
「…ん…?」
「エースの。指輪。」
「………え、」
「ないのか?」
「……う、ある、けど、」
「見せて!」
ええ、と渋るおれにルフィが縋る。
なんでだよなんで嫌そうなんだよ、と不満そうに膨らんだ頬を思わず右手で挟んでぷす、とつぶす。
「…だって、なんか恰好悪ぃじゃん…。お前にもらってもらえるかどうかわかんなかったのに、なんか、自分のまで持って歩いてる、とか…」
「じゃあなんで持ってたんだよ」
「……いや、なんつーか、お守り気分、というか、これだけ家に置いてくるのは、ちょっと、悲しい気分になるというか、幸先悪そう、というか…」
「なんだそれ。なんでそれがカッコワリぃの?いいから見せろ!」
まっすぐな艶々の眼差しに呑まれて素直にハイ、と返事をする。渋々腰を上げてベッドから降り、床に転がったジーンズのポケットからベルベットの化粧袋を取り出す。
王様モードのコイツにゃ勝てねえ。わかるだろ?
「…―――なんか、おっきい。」
「そりゃあおれのだし」
「なんかムカつく!!」
「なんでだよ」
思わず苦笑して頭を撫でたおれを小さくひとつ睨みつけて、ルフィはおれの手のひらからそれをつまみ上げた。
手のひらで転がしたり、ぶかぶかの指に嵌めてみたり、ひとしきりそうして自分の薬指に嵌ったものとつがいのそれを弄んだルフィは、満足したのか顔を上げて手を差し出した。
「ん」
「ん?もういいのか」
「ちがう。手。」
「…て?」
「手、出して」
「ん」
「ちがう。左手。」
え、と聞き返したおれにかまわず、ルフィはおれの左手を取り、手の甲を上に向けた。
一回り大きい銀色の輪を丁寧に持ち上げて、
「ル、フィ」
「……」
ルフィは、返事をしなかった。
黒い瞳が、硬い宝石か何かのように手元を見つめる。
細い指先が、ほんのかすかに震えているような気がした。
左手の薬指を、ゆっくりゆっくり通り過ぎてゆく、つめたい感触。
いや、つめたいのは、ルフィの指先だったろうか。
薬指の深いところで、指輪が止まった。
ほう、とルフィが止めていた息をついた。
同じ輝きを載せた左手で、ゆっくりそれをなぞる。両手でおれの左手を包み込んで、大事そうに握りしめてくれる。
「……やっぱり大きいな。エースの手」
すっごい時間かかったような気ぃする。
そういって笑ったルフィを両腕で捕まえて、おれはベッドに倒れこんだ。
どこまでおれを惚れさせりゃ気が済むんだ。おれの気も知らないで腕の中でけらけら笑うルフィが愛しすぎて、愛しくて愛しくて潰しちまいそうで、それでも一瞬でも離したら恋しくて死んじまいそうで、おれはもう声も出せずにベッドに沈み込んだ。
抱きしめたルフィの脈も、おれの胸を痛いくらいに打つ心臓の音も、同じ駆け足の速さ。
意識して呼吸をして、のどにつまる感情を吐き出して。
そうしてやっと、横倒しになって覗き込んだ、ルフィの顔。
澄んだ瞳でやわらかく笑う、おれの世界で一番大事な、恋人。
右腕で細い身体を抱き寄せて、左手は左手を捕まえて。指輪同士をつなぎ合わせるように、指を絡めて。
あいしてる。声には出さず、触れ合わせた唇の先で、唇の振動で伝えるようにささやいた。
おれも。あいしてる。エース、愛してる。
キスに混ぜてそうささやいたルフィの声が、空気に溶けて消えてしまわないように。おれは、その柔らかい唇を、ゆっくりと封じた。
「……―――二人で住む部屋、探そう。おれのアパートじゃ狭いだろ?」
「―――、え?ここに住めばいいじゃん」
「…え?…あー、いや、世知辛ェ話して悪いけど、おれここの家賃払える自信が」
防音も完璧でルフィが最中の声を気にすることもないし、セキュリティも完璧だし、駅からも徒歩圏内の割には静かで治安のいいきれいな街にあるこのマンションは、聞いたことはないけどそれなりにお値段も張るはずで。
学生2人暮らしのこいつらが住んでいるのも正直不思議に思ってたくらいのこのクオリティ。実はこいつらのジーサンってのも地方の地主か財閥の隠居かなんかじゃねえかと思ってたけど、それもどうやら違うようでルフィいわく「フツーの農家」らしいし、一体こいつらどういう、
「ここタダだぞ?家賃」
「は?んなワケ、」
「そうなんだって。だってこのマンションサボのだもん」
「―――――――――――――、は…?」
どうやらタダモンじゃなかったのは、おれのお義兄サマ兼親友のほうでした。
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「まーなんつーの、養育費代わりっつーか?ホラこないだ話したおれの実の親な、アウトルックグループって知ってるか?どうやらあそこの跡取りらしくて。まあとあるスジからの話じゃ経営危ないらしいけど、まあおれの知ったことじゃねえし、このマンションも成り行きで適当に買った割にはいい物件だし、定期的に収入入るし、税金は向こうが払ってくれるらしいし、もらえるもんはもらっとこうかなって、まあその程度?」
「『まあその程度?』じゃねえええええええええ!!」
ソファに優雅に腰かけたサボに向かって、おれは渾身の速球ストレートでクッションを投げつけた。
あぶねえなあ、なんて微塵も危機感のない声音でいい、あっさりと片手でキャッチしたサボは、隣でけらけら声を上げて笑うルフィにそれを手渡した。
「まあでも真面目な話、こういうことだからこの部屋使えよエース。お前ひとりが住むなら容赦なく家賃ふんだくってやるけど、ルフィと暮らすってんなら家賃なんか取れねえし、お前も悪い話じゃねえだろ?正直ルフィに一人暮らしさせんのおれがやだし、おれももうしばらくしたら引っ越さなきゃなんねえし、この上お前もルフィも新しい部屋探して引っ越すとなるとだいぶ手間だぞ」
「……そうですね」
ここは意地を張っている場合じゃない。よくよく考えなくてもこれ以上ない妙案だ。すみません、お借りさせていただきます、とおれはカーペットの上で神妙に頭を下げた。
いつものように高飛車な反応をするかと思われたサボは、だがしかしソファから腰を上げて、おれの前に膝をついて、言った。
「…遅くなったけど、おれの方こそ、だよな。」
「…?」
「ほんとに、一人じゃ何にもできねえ、まだまだ頼りない弟だけど。……ルフィを、よろしくお願いします。」
そうして深々と頭を下げたサボの姿に、おれは何も言えなくなった。
サボ、と呟いたルフィが、ゆっくりと立ち上がって、おれの隣に膝をついた。おれに肩を摺り寄せて、切なそうにその姿を見ているルフィ。サボの真摯な声音に、返す言葉を失ったおれ。
左側にルフィのぬくもりを感じながら、おれも頭を下げた。大事にする。その誓いを込めて。
同時に上げた顔を見合わせて、おれたちは笑った。照れくささと、それから、お互いあるべきところへ収まった、その安心感から。
「ということはだ、エース、お前引っ越しどうすんの?」
「んー、引っ越しっつー引っ越しはあんまりしねえかなー。もともと荷物ほとんどねえし、少しずつ荷物こっちに移動して住みはじめて、残りは時間見つけて会社の車使って自分で運ぼうと思ってんだけど、いい?ルフィも。お前の部屋に色々置かせてもらうと思うし」
「おれはいいぞ!」
「おー、おれもそれはいいんだけどさ。ちょっと提案っつか頼みがあって。お前、今使ってる家電とか家具、要る?」
「ん?んー、この部屋どこまで残すか次第」
ぐる、と部屋を見渡す。家具も家電もいい感じに生活感があって、使いやすそうないい部屋だ。でもサボがこれから一人暮らしするんなら、使い勝手のいいものを持っていきたいだろうし、この部屋も少々様変わりするかもしれない。と思ってたんだが。
「あのさ、おれこの部屋このままにしてこうと思ってんだよ。」
「えっそうなの!?」
「でさ、お前今使ってる一人暮らし用の生活用品、まるっとおれに譲ってくんね?」
まるっと!?
「あんなんでいいのかよ!」
「あんなんっつーか、充分じゃね?冷蔵庫も洗濯機もアレ結構新しいだろ?」
「…確かに2年前に買ったばっかだけど」
こいついつの間に見てたんだよ。コエー!
「じゃあ決まりだな!そうと決まればおれも引っ越しの準備始めねえと。秋学期編入だから、夏休みの間には引っ越し終わらせてえんだ。今度お前んちまでいろいろ見に行ってもいいか?」
「おー、来い来い」
よし、善は急げだ、と軽々と腰を上げたサボは、ちょっとネットで向こうの物件見てくる、と部屋に引き上げた。
「――エース、ホントにここで暮らすんだな。」
「な。…よろしくな、ルフィ」
しし、とくすぐったそうに笑って、ルフィはこちらこそオネガイシマス、と得意でもない敬語を使って言った。隣り合って座り込んだまま、どちらからともなくお互いに寄り掛かる。
つらつらとふたり、なんでもないことを話しながら、夜が更けていく。
こういう暮らしがこれから始まるんだと思うと、のぼせたように何とも言えずあったかい気持ちになる。きっとこういうのを、「なんでもない幸せ」って人は言うんだろう。
「あー、そしたらいよいよあのアパート引き払わなきゃなんねぇなあ」
「なー。さみしいな、エース。ずっとあそこで暮らしてたんだもんな」
「それもだし、お前ともなんだかんだあのアパートにいろいろ思い出あるしさ」
そうだな、とつぶやいて、ルフィはこてんと頭をおれの肩にころがした。おれの少しだけ寂しい気持ちに寄り添ってくれるようなその体温が、何だかひどくありがたかった。
きっとルフィも、あのアパートで過ごした時間を思い出してくれている。
ルフィに恋をして、何度も何度もあの狭い部屋でルフィのことを考えて、電話して。付き合ったあとも、いろんなことがあった。そのひとつひとつを、きっとルフィも思い出してくれている。
「ま、なんつってもあそこはお前の『初めて』の場所な訳だし、…ッてェ!!」
「台無しじゃねーかバカエース!」
少しだけ関係が変わっても、どうやら可愛いこいつをからかう癖だけは治りそうにない。
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