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「…―――よっしゃ制覇!!食った―!!」
「だー休憩!腹破裂する…!」
「んまかったー!!」

最後の獲物を食い終えて、おれたちは石の上に座ったまま歓声を上げた。最後のターゲットは列の端っこにぽつりと並んだ飴屋で、色とりどりに艶々と光るりんご飴やべっこう飴がガラス玉か何かのようにきれいだった。それを見つめながら、きれいだな、とつぶやいたルフィの瞳のほうがきれいだ、なんてそんな歯の浮くようなセリフは絶対に言えなかったけれど。

いろんな形で透き通ったべっこう飴は、マネージャーさんやスタッフへのおみやげにする、とルフィが束で買った。
今食い終わったのは赤く艶々に固められたりんご飴。ひとつの店で2品まで、という当初のルールから、いつのまにか一人1品食べなければならない、という風にすり替わってしまった縛りのせいで、おれも数年ぶりにベタベタの手を我慢して食うことになったのだ。
飴屋のおっちゃんが、おめでとう、といっておかしそうに笑っているのに、ルフィもピースサインで答えている。妙にまっ赤な飴玉が似合うルフィはともかく、おれみたいな野郎があんなかわいらしい食い物を必死になって食っているのはさぞかし滑稽だったろう。

でも、キラキラ光を反射する飴にみとれるルフィは、掛け値なしにかわいかった。それを見られる場を提供してくれたおやっさんには、感謝はしても文句は言えない。

「……――、ルフィ、金魚下に置くなよ。水出ちゃうから」
「ん?うお、やべやべ金魚死んじまう!」

慌てたように目の高さまで金魚の入ったビニール袋を掲げたルフィは、心配そうに中を覗き込んだ。
水の中には、小さな小さな赤い金魚が一匹と、これまた小さな黒い出目金が一匹。壊滅的な技術力で、次々とすくい網の紙を破っていったルフィ。ついにその猶予が最後の一枚となったとき、半分涙目で見上げられたおれが勝負に出ないわけにはいかなかった。

(…―――一匹じゃかわいそうだ…!エース、エースあの黒いの!)
(どれ!?)
(ああそれそれその下の違う違う、うんそれ!)
(これじゃなきゃダメか!?うお割れる!!)
(これがいい!一番仲よさそうだったもん)
(どこらへんが!?あ、やべえ!!)
(うわーまだダメだ頑張れエース!!)

浴衣姿の子供らを押しのける勢いでギャーギャー騒いだ挙句、やっとのことですくいあげたのがこの2匹だった。おれだって十数年ぶりもいいとこだし、自信なんか全然なかったけど、ルフィの喜ぶ顔が見られて嬉しい。
袋の中でくるくる泳ぐ小さないきものをじっと見つめたルフィは、そのまましばらくその姿に見とれていたようだった。

「…――ルフィ、そろそろ行くか、最後。」
「――!線香花火!?」
「おう。」

うん、と勢いよく満面の笑みで頷いたルフィに笑って、おれは腰を上げた。片手に下げたコンビニのレジ袋の中には、買ったばかりの線香花火が一束と、虫よけスプレー、それからライターが一つずつ。
ああは言ったものの、おれも半信半疑で入ったコンビニには、もうすでに花火一式が並んでいて、花火ってこの時期から売ってるんだなあ、と安堵しながらルフィと二人で感心した。

「…、ルフィ?」
「ん!」

金魚の袋と、おみやげのべっこう飴が入ったビニール袋をそれぞれの手首に下げた両手。
それをおれのほうに差し出して、ルフィが笑った。どうやら立たせてくれということらしい。でも、それって、
「エース!」
「…。」

おれの戸惑いも全部そのまなざしで断ち切るかのように、ルフィがおれをまっすぐに見上げて笑った。
鼓動が伝わりませんように。手のひらの熱に気づかれませんように。おれは祈りながら、ルフィのすんなりとしなやかな手を握り、引いた。

「よっと!」
「…、」
「さんきゅエース!なあ花火どこでやんの?」

そのまま何事もなかったかのようにするりと手をほどいて、ルフィは身を翻した。
ほんの一瞬握っただけの、やわらかな手の感触が残っていつまでもじんじん疼いていたのは、どうやらおれだけのようだった。

******


「…―――う、わ――!!すげえ、エースなんでこんなとこ知ってんの!?」
「一応地元だしな。途中学校通ってきただろ。おれ中学あそこだったんだ」
「まじか!すげー!」

神社を出て、すぐ外の坂を登る。そのまま路地をまっすぐ。しばらく歩くと、遊具も何もない小さな公園と展望台に出る。そこからは、にぎやかとは言えないまでも、あったかい街のあかりがちらほらと見える。今日歩いた商店街のアーケード。さっきまでいた神社の、宵宮の明かり。なんでもないはずのそれらを、ルフィは何か特別な、大切なものを見るかのように眺めていた。

「―――ルフィ、虫よけすんぞ」
「うんよろしく!」

スプレーを使い切る勢いでルフィにかけると、自分にも適当に。待ちきれない様子でそわそわしているルフィに苦笑して、線香花火の袋を開けさせる。

「…ん、エースこれどっちに火付けんだ?ひらひらのほうか?」
「あ、そーかルフィ知らねんだな。こっち、火薬入ってるほう。」
「ここ?……、あ、うわ、ついた!!」
「やけどすんなよー?」

まず練習な、勝負はそのあとだ、とか何とか言って、ルフィが揺らさないように真剣な目で線香花火の火を見つめた。
ゆっくり燃えた火薬がとろりと溶けて玉になって、じわ、と大きくなっていったかと思うと、弾けるようなささやかな音を立てて火花を散らし始めた。ルフィの指先にも、おそらく小さくジリジリと振動が伝わっていることだろう。

きれいだな、とルフィがつぶやいた。飴屋の屋台の店先で、艶々光る飴を眺めていた時と同じ声音で。

―――ルフィのことなら何でも知ってると思っていた。
出ている番組は全部チェックしているし、ライブも、ラジオも、雑誌だって手に入れて、ルフィに関する知識をとにかく仕入れて覚えて。そうすることがファンとしての誇りであり義務だと思っていた。なによりもそれが価値のあることだと思っていた。

でも、そんなものは全く意味がなかったんだと、今は痛いくらいにわかる。
何も知らなかった。おれは、ルフィのことを何も知らなかった。
あの細い体でいっぱいいっぱいになるまで頑張っていること。ときどき疲れて逃げたくなることもあること。赤いものが好きなこと。金魚すくいがへたくそなこと。
飴屋の店先に並ぶ艶々の飴や、光にかざした金魚や、ささやかな街の夜景、それから、線香花火。
きれいなものを見たときに、どれだけその瞳がきれいに輝くか。

ルフィが好きだ。
ちりちりと音を立てて燃える花火を眺めるその横顔を見ながら、おれは今更のようにそう思った。
知らなかったルフィを知っても変わらない思い。知らなかったルフィを知って更に強くなった想い。今までとはどこか深さも色も違う、想い。

それがどうしようもなく、切なかった。
忘れそうになる。この子は違う世界で生きる人間なのだということ。
体温やその手の感触を知って、忘れそうになる。おれが、ただの一ファン、たまたま少しだけそばにいられる時間を得ただけの、その他大勢のうちの一人だということを。

この一束の線香花火。これが終われば、この幸せな時間は終わる。
好きだ。その想いも、伝わらないまま。

「……、…エース…?」
「…、」

ふとルフィが顔を上げた。知らず近づいていた距離に気づいたのだろう。花火を握りしめたまま横顔に見とれていたおれを、怪訝そうにきょとんと見上げる。
そのくちびるに視線が釘付けになる。すぐにでも、その頬に触れることができる距離なのに。

「……あ、おちた」

じじ、と音を立ててくすぶったそれが、ぽとりと落ちた。それにはっとして、慌てて距離を取る。
おれ、今何しようとした?いやいやありえない。「ルフィ」はアイドルだ。みんなのものだ。勘違いするな。期間限定の、「一日デート」なのだから。

「次から勝負な!…あ、おれこっちがいい」
「……ん?うん。――おいルフィ、おれを風よけにしてんだろ」
「あ、ばれた」

しし、と楽しそうに笑ったルフィは、そのままいそいそと次の一本に火をつけた。それにならって、おれも火をつける。
細心の注意を払って、火の玉が落ちないように気を付ける。少しでも長く燃えるように。少しでも長く、ルフィと一緒にいられるように。いつの間にか勝負はなくなって、おれたちはふたりとも、じっと火花を見つめていた。

そうして、ゆっくりゆっくり、一本ずつ、その束を細く細くしていった線香花火。ルフィの手に残っていた、その最後のひかりのひとしずくが、落ちた。


「――――おしまい、だな。」
「……そうだな。」

花火のしかばねのような残骸をビニール袋に収めてから、ゆっくり静かに、ルフィが立った。もうよろけることも、おれの手を借りることもない。
それを追って、おれも立った。ルフィは、あのきれいな目でまっすぐおれを見て、微笑んでいた。

「…今日は本当にありがとう、エース。」
「……いや、おれこそ…。」
「うんにゃ、おれがお礼を言うほうだ。いっぱい助けてもらって、いっぱいいろんなもの見せてもらって、すげえ、すげえ楽しかった!」
「…うん、よかった。」
「ほんとに、ありがとな」
「…おれも、ありがとう。ほんとに、楽しかった。」
「うん。…金魚、よろしくな。」
「…ん」
「猫背、やめろよ。もったいねーから。」
「ん」
「……。」
「……。」

言葉が、途切れた。何をいったらいいかわからない、というわけじゃない。言うべき言葉なんかもう決まっていた。ただ、どうしてもその前に何か言いたいことがある、だけどどう言ったらいいかわからない、という感じで、ルフィが何か言葉を探しているようだったからだ。

辛抱強く、ルフィの言葉を待つ。

「―――エース」
「…ん?」
「ごめん、最後のわがまま、きいて」

そう言って顔を上げたルフィは、さっきまでの穏やかな微笑を捨てて、どこか切羽詰まったような眼をしていた。
最後のわがまま。ルフィの頼みならなんでも聞こう。そう思って、次の言葉を待っていたのに、


「――――キス、したい」


どくん、と心臓が鳴った。
それを皮切りに、次々と大量の血が動脈に押し出されていく。
ルフィは今、何を言った?

「…ごめん…!エースがそんなつもりないことも、ただ弟みたいに思ってくれてるだけだってこともわかってる…!気持ち悪いだろうけど、これで、最後の思い出にするから、」

だから。そのまま続けられずに俯いたルフィ。
頭の中が真っ白だった。震える黒髪から、目が離せなかった。こんなの、2次元の世界でしかあり得ないはずだった。だけど、ルフィは今ここにいる。おれの前にいる。今この瞬間だけ。
どうせもう会えないなら、一時の気まぐれで終わるくらいなら。

ゆっくりと、頬に手を添える。
は、と弾かれたように顔を上げたルフィの眼が、揺れている。だけど、その頬のやわらかさにおののいたのはおれのほうだった。

ドラマや映画やアニメでよく見るように、ゆっくり近づいて、

(―――お前ルフィがなんて呼ばれてるか知らねえのか。『国民の弟』だぞ。)

(もっとがんばらなきゃだめだなあ)

(そういう世界で生きてるのはおれだ。おれがこの生き方を選んだんだ。いまさら逃げ出そうとは思わねえ。)


(――――きれいだな)


「…―――エー、ス…?」

血を吐く思いで、その肩をつき離した。手のひらの細胞が、血管が、弾けてしまいそうだった。
ごめん。呻くように、言った。

「―――ごめん。けど、やっぱり、だめだ。おれと、ルフィは、住む世界が違うから。」
「ルフィは、これから、もっともっと、広い世界へ、おれの手の届かない高いとこへ、行くんだと思うから」

「……おれなんかより、いいやつに、これからいっぱい出会うんだと、思うから。」


部屋に引きこもって、暗い世界を鬱々と生きていた、少し前の自分に戻る。
ぶくぶく暗い深海に沈んでいく。結局、外見が変わっても何も変われなかった。ヘタレで、いざとなると弱くて、臆病なおれ。ルフィの思い出になんか、そんな価値なんかない。

「――――、わかった。…ごめん、やっぱきもちわりーよな!ゴメンな後味悪くして!」
「…!!ルフィ、」
「ほんとにごめん!これで、最後。お別れのハグくらいは、許してくれよな。」

とす、と控えめに飛び込んできた細い身体。胴体に、一瞬強く強く腕が巻き付いた。
胸に直接響く、くぐもった声。

「ごめん。ありがとう。楽しかった。幸せだった。……しあわせ、だった…!!」

――――くぐもっているだけか?本当に?

「……ありがとう、エース。あえてよかった。…元気でな。」

ばいばい。
その声に、ぎゅう、と心臓が握りつぶされるように痛んだ。ゆっくりとルフィが離れ、顔を上げないまま、目線も交わさないまま、ゆっくりと背中を向けて歩き出す。

華奢な背中が、遠ざかっていく。違う世界へ向けて、戻っていく。離れていく。

これでいい。これでいいはずだ。ひと時の夢。それが覚めるだけ。
…こんなにも、あっけなく?

何も、変わらなかった?
少し背筋を伸ばすだけで、こんなにも目線が変わることを知ったのに。
ルフィの体温を、手の小ささを、肩の細さを知ったのに。
こんなにたくさん、きれいなものがあることを知ったのに。

それを教えてくれたのは、全部全部ルフィなのに。
ルフィに、会えたのに?

変われなかった?違う。変わることを怖がっているだけだ。知らないものを恐れているだけだ。
変われ、今すぐ。
――――まだ魔法が解けるには、早い。

走り出す。ルフィの背中を追いかける。その華奢な肩に手をかけて、思いっきり引き寄せた。
驚いて振り向いたルフィの眼から、ひかりの筋が一筋流れていたのを、おれは確かに見た。
見たが、それを拭ってやる余裕もなく、そのまま、今日何度も触れたいと思ったそのくちびるに、キスをした。

「…―――!!」

ただ自分のそれを押し付けるだけ。テクも経験も何もない、童貞オタクの大勝負。その思いがけない柔らかさに心底ビビったおれは、ものの2秒で弾かれるように離れてしまった。

やった。やってしまった。ルフィが、目をまん丸くしてこっちを見ている。今触れたばかりの唇が、きす、と声もなくつぶやいたのが見えた。
ああなんてもったいないことをしたんだろう。一世一代なら、もっとあの柔らかさを感じていたかった。もっとも、そんなことを考えている余裕なんか、何度やりなおしたってないのだろう。

「―――――――、」
「……お、え、ルフィ!?」

ぼろぼろ、と大粒の涙が、呆然としたままのルフィの眼から突如大量に溢れ出した。
あまりの出来事に、おれは心底うろたえて俯いたその顔を覗き込む。

「ご、ごめん、やっぱり嫌だったよn」
「〜〜〜〜んなわけないだろばか!!なんで、どこまで自分下げるんだよ!!」

「こんな、こんな好きになっちったのに!!」

そのまま胸に抱きついてきたのがルフィだと、おれの脳はしばらく認識できなかった。
タガが外れたように、わああん、と声を上げて子供の様に泣くルフィを、おれは半ば呆然としたまま、おそるおそる抱きしめた。

「やだエース!これで終わりなんて嫌だ!」
「る、ふぃ、」
「思い出になんかできねえ!も、もっと一緒にいたい!…いっぱい、しゃべって、いっぱい、いろんなとこいって、…手、つないだり、ちゅーしたり、…ぅ、…当たり前のこと、一緒にしたい…!!」
「……、」
「エースがいい!一緒にいたい!…一緒に、いたい…!!」

ああオタクの神様、タイムリミットは過ぎました。それでも魔法が解けないということは、これはおとぎ話ではないのだろうか。魔法では、幻想では、ないのだろうか。
腕の中のこの子を、思いっきり抱きしめていいのだろうか。

神様からの返事はなかったが、たまらずぎゅう、と腕に力を込めても、ルフィが泡になって消えてしまうようなことはなかった。そのまま、じわじわ力を込めて思いっきり抱きしめた。全身の血が猛スピードで血管を巡っていく。今おれがロケットだったなら、大気圏どころか太陽系だって超えていく。
好きだ、好きだ。ルフィが好きだ!

「うう、…どうしよ、エース、…っ、おもいでに、しようと思ってたのに、…、」
「ルフィ」
「だめだ、どうしよう、こんなの、こんなに、好きだなんて、思わなかった…!」

「どうしよ、今日、会ったばっかりなのに」

やっぱりこんなのだめかな。そうしゃくりあげる合間に、必死で問いかけるルフィ。当たり前の感情も、当たり前の日常も、これから知っていくルフィ。
おれでいいならいさせてくれ。きみの隣にいさせてくれ。情けなくても、ネクラでもオタクでもキノコでも、ルフィが望んでくれるなら、おれは変わっていくから。自分以外の奴が今日みたいな幸せを味わうことなんて、もう黙ってみていられそうにないから。

今日会ったばかり。確かにそうだが、そんなのどうだっていい。
だっておれは、

「ルフィ、好きだ。」

ぼろぼろと涙を零したまま、ルフィが顔を上げた。出会ったばかりで恋に落ちた。それを不安に思うなら、

「出会う前から、好きだった。」


手首にぶら下がった金魚が笑う。
さあ、魔法は解けた。夢は終わり。ここからほんとの、恋をしよう。





使





皐月さん!大変長らくお待たせいたしました!
おかしいな、もっとギャグを望まれていたような気がするしそれを目指していた気がするのにいつの間にこんな こんなことに

素敵なリクを本当にありがとうございました!楽しかったです!!

20120622 Joe H.


そろそろこの企画の本来の目的を見直すべきだとは思ってる