会社のロゴが入ったワゴンカーを降りて、背伸びがてら空を見上げる。
いい天気だ。配達日和。まぁ一般的には暑い部類に入る気温だが、どしゃぶりの雨や吹雪よかありがたい。
駅にも近いこのあたりは、オフィスやマンションや公園が雑多にならない程度に集まった程よい町だ。
半袖の制服には「ポートガス・D・エース」とおれの名前が入った名札。
腰には小銭やら何やらが詰まった小さいバッグ。
車の後ろを開けて荷物を抱える。いつものお得意さんだ。
おれは宅配便の配達員の仕事をしている。
意外とこの仕事は女性受けがいいらしい。まあ力仕事だし、体力や筋肉は付く。それに笑顔。これ大事。
そんなわけで、オフィスレディやら受付のお姉さんやら、同僚の間でもちらほらとそういう話は聞こえてくる。
斯く言うおれも、つい数か月前まではこの仕事が御縁で知り合ったコと付き合ったりしていた。
先に言っておくが一人暮らしの女子大生のお客さんとかじゃない。
同僚のサッチが仕事で仲良くなった受付嬢と、そのお友達との合コンに引っ張られただけだ。
仕事上でそういうことがあると、おれとしてはどうしてもだめになった後のことが気になってしまう。
付き合う前から何を、と言われることもあるけど、実際問題として非常に後味悪いというか、やりにくいし。
何より件の彼女には付き合って2週間で指輪を迫られたものだから、しばらくそういうことには関わりたくない。
今は仕事が楽しいからいいのだ。体力的にも問題はないし、お得意さんとかに顔覚えてもらったりし始めて嬉しい。
今からいくお客さんもそう。
今日は部屋にいるだろうか。
******
大学入って1年目。心配性のじいちゃんは、田舎から毎週のように野菜やら米やらガンガン送ってくる。
野菜に至っては土ついたまんま、っていうか土ごとダンボールに詰め込まれてる。
おれ一人ならまだしも、こっちの大学に入った兄ちゃんも一緒に住んでいるのだから、そこまでしなくても死んだりしないって言ってんのに。
まぁサボは助かるって言ってるし、実際に料理すんのはおれじゃないから問題なし。
おれの目下のミッションは、送られてくる荷物を受け取ってハンコ押して野菜を冷蔵庫にぶち込むこと。以上!
ピ―ンポーン
「お、きたきた!」
最近じゃ来るタイミングまで覚えたから、その時間帯には部屋にいるようにしている。
おれは読んでいたマンガをベッドに放り出し、インターホンに駆け寄った。
「ハイもしもし!」
『どうも、宅配便です。』
「ゴクローサマです!!ちょっと待ってな!!」
******
(ちょっと待ってな、だって。今日も元気だな―。)
思わず一人笑いを零す。
郊外に建つこじんまりとしたマンション。
警備室に笑顔で挨拶を入れてエントランスを通る。警備さんとももはや街中で会っても挨拶するレベルの顔見知りだ。
エレベーターで5階、降りて左の506号室。
もう一回ベルを鳴らさなくてもいいようにドアを少し開けてくれている。両手塞がってるからありがたい。
「こんにちは!白ひげ宅配便でーす!」
「はいはい!」
とたとたとた、と足音を立てて中から少年が一人。
「にいちゃん、今日もありがとな!ご苦労さん!」
笑顔がまぶしい。いい子だ!外の暑さもなんのその!
「いーえとんでもない。毎度ありがとうございます。」
いつもなら荷物を渡した後、軽く雑談を交わしながらハンコをもらい、お客様控えを渡す。
そうして今日も、ささやかな癒しの時間は終わる、
はずだったのだが。
「!!? お、重!!!!!!にいちゃんこんなん持って上がってきたのか!!?」
渡そうと手から力を抜いた瞬間、少年が悲鳴じみた声を上げた。
「いや、エレベーターだしな。でも確かに今日は重かった。大丈夫か?」
「う、ん、なんとか…!」
手離すぞ。うん。と声を掛け合い、そろそろと少年に荷物を任せる。
文句を垂れつつよたよたと玄関の奥に向かう。
ふとその覚束ない足元をみると、彼のにしては大きめのスニーカーが、
「……!!!!」
「っ、あぶねッ!!!!!」
がたがたがたん!!!!
大きな物音を室内に閉じ込めるように、玄関のドアがぱたん、と閉まった。
******
…ものすごい音がした。それはもう真下やお隣さんは何事かと思うレベルの。
「ってー…、やっぱだめだったか。おい、大丈夫か!?」
「……、あ、だ、いじょうぶ、…です…。」
兄のスニーカーをふんづけてバランスを崩した自分を、いつもの配達の兄ちゃんは荷物ごと受け止めてくれた。
びっくりした。中身大丈夫かな、と頭のちょっと浮ついたとこで思う。
何しろ身体は今まで感じたことのない感覚に襲われていたから、荷物のことは二の次なのだ。
頭を守るように回された堅い腕。
頬に押し付けられた厚い胸板。
二の腕を掴む大きな手。
兄のものとは違う、ほんのわずかに漂う香り。
そばかすの浮いた端整な顔が、近い。
(…、あ、れ?)
なにこの動悸。
びっくりしただけにしては、なんていうかこう、甘い、
(顔、熱い…!)
******
おもわず受け止めたはいいものの、予想外の展開に頭がついていかない。
バランスを崩した少年を荷物ごと抱きかかえ、倒れこまないように壁に己の身体をぶつけるようにして座り込んだ。
そこまでは良かった。
問題はそこから今のこの状況。
ぱち、と音がしそうな感じで目があって以降、客である少年の黒い瞳から視線が逸らせないのだ。
きれいな眼だな、と思った途端、抱きとめたその体の意外な柔らかさとか、腕をまわした肩や掴んだ二の腕の細さとか、その頬のなめらかさとかが強烈な感覚となって肌から脳へ駆け巡る。
要するに、
(この子、こんなに可愛かったっけ…?)
イエス、フォーリンラブ。つまりそういうこと。
******
「ありえねええええええええ!!!水って!!ダンボール一杯全て水って!!!」
じいちゃんめ!!道理で重いわけだ!!
どうやら山の湧水をペットボトルに汲んで送ってきたようだ。
夏だから水分はこまめにとるように。
豪快な字で書かれた手紙も同封されていた。ちなみにチラシの裏だ。
ため息をひとつ。はぁ。いつもより数倍疲れた。
………顔の赤みはそろそろ引いただろうか。まだ熱い気がする。
おれは頬に片手を当てる。
さっきの出来事を考えると、普段はちょっと重たく感じるじいちゃんの愛も、まぁよかったかな、なんて思えちゃうから恐ろしい。まぎれもなく、これはあれだ。惚れた、というやつだ。
「ポートガス・D・エース……。」
あのにいちゃんの名前。名札に書いてあるから覚えた。
実は、あのにいちゃんが気になってたのは今に始まったことではなかった。
弁解しておくが、何もはじめからそういう狙いだったわけじゃない。
きっかけは、何気ないことだった。
うちのマンションの裏には公園がある。緑もあって、噴水なんかもあったりして、ちょっとした散歩にはぴったりのきれいな公園。
そこに難癖をつけるとすれば、マンションから公園に行くには、ほんの少し長い階段を登らなければならないこと。
傾斜は緩やかだが、いかんせんお年寄りなんかには荷が重い。
その日も、ベビーカーを押したお母さんが、階段の前で立ち止まって公園を見上げてた。
大学を午前中で引き揚げたおれは、その現場にたまたま遭遇した。
赤ちゃん抱き上げてもらって、おれがベビーカー運んであげよう。そう思い立って一歩踏み出したとき、あの「エース」がマンションから出てきた。
そのままあのにこやかな笑顔でお母さんに話しかけて、ベビーカーと階段を一度ずつ見遣った。
かと思うと、手に持っていた伝票の機械をポーチに突っ込み、ベビーカーごと赤ちゃんを持ちあげて、そのままわしわし階段を登って行った。
かっけぇ!超いいやつ!そう思った。
頭を下げるお母さんに、ちょっとわかりにくいとこにあるスロープの場所教えてあげて、またあの「爽やか」を具現化したような笑顔で笑う。
そんな彼を見て、いつもの配達のにいちゃんだ、とわかっていたおれは、話してみたいな、どんな奴なのかな、仲良くなれたら嬉しいな、なんて、思っていたのだ。
「……次の配達、いつかなぁ……。」
次の配達の時は、こないだは助けてくれてありがとうって、ちゃんと言わなきゃな。
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予想外だ。完全に予想外だ。お客さんとのそういうハプニングなんか求めちゃいなかったのに!!
そう嘆く頭の反対側で、惚れちまったもんは仕方ねぇ、こうなったらこの立場を利用してとことん仲良くなってやる、なんて考えてる自分もいる。
お客さんの上に、相手は男。しかも学生っぽい。上にばれたらかなりまずい。
とはいえ、これからの仕事が楽しみになったことは決してマイナスではないはずだ。
なんといってもあの子に会えるんだから。
開き直りは早い。うん。こうなったら報われないにしろとことん仲良くなってやる。
いつもの担当区域の常連客に届いた荷物を見、ガッツポーズを決めるエースに同僚たちが首を傾げるのは、それから3日後のことだった。
ピンポンブレイカー
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