臆病者はどちらだ
(排球)

噛み合わない君との距離
同じ部活の先輩と後輩。それだけの関係で、それ以上もそれ以下もない。ただ、言うなら俺の幼馴染みと結構仲がよくてたまに家に来たりもして、世話好きなのか何なのかはよく分からないけど色々と面倒を見てくれていて、他の後輩たちよりは面倒を見られているかもしれない。それだけだ。

「黒尾遅いなー」
「…うん」

携帯から顔も上げずに頷いただけの俺に夜久さんはなにも言わず。チラリと見ればメールでもしてるのか携帯の画面をなにやらつついている。
ここは部室でもなければ、俺のでもましてや夜久さんの部屋ですらない。程よく散らかったクロの部屋。当の本人は飲み物を買ってくると出て行ったきり戻って来ていない。いつ出て行ったっけ、と呟きながら部屋の時計を確認する夜久さんにつられて同じように時計を見上げる。何時に出たのかなんて覚えてないからどれだけ時間が経っているのかは分からない。

「研磨、いつも何のゲームしてんだ」
「……これ」

時計を眺めながら首を傾げているといつの間にか夜久さんがベッドを背凭れにしていた俺の後ろにいた。驚きながらも振り向けばこれでもかと夜久さんの顔が近くにある。差し出した携帯を手に取り軽く操作する横顔を眺める。ぱっちりとした大きな目は女の子みたいだなって、初めて会ったときに思った。言ったら怒るけど女の子みたいな見た目とは裏腹に部内で一番男前で。あ、睫毛長い。

「どーかしたか?」
「…睫毛長いね」
「ん?そーか?」

片目を瞑って指の腹でそっと自分の睫毛に触れた夜久さんにドキリと胸が鳴る。まただ。夜久さんを見るとたまになる。病気じゃないけど、病気みたいなものだと思う。

「研磨のほうが長くないか?」

夜久さんの暖かい手が、指が、さっき自分のに触れたみたいに俺の目元に触れて驚いて瞑った睫毛にそっと触れられた。触れられていないほうの目を微かに開ける。

「っ、」

なんで、そんな顔するんだろう。たまに、極たまに俺の見ていないところで俺に向けられるその表情はひどく優しくて、愛おしむような。やめてよ、そんな顔するの。欲しちゃいけないのに、欲しくなる。決められたかのようにあるその距離を、たまに無視するのはやめて。
夜久さんの手をそっと取って目を開ける。さっきの表情とはうって変わって、ちょっと驚いたそんな顔。

「ごめん、触りすぎた」
「…、大丈夫…」

取った手が熱い。俺の手が熱いのか、夜久さんの手が熱いのか。分からないけど、繋がったそこから体全体が熱くなっていくのは分かった。
遠くで、だけどはっきりと玄関の開く音がした。それだけでクロが帰って来たんだと分かる。手を離して、夜久さんがベッドから降りて、部屋のドアが開くのはほぼ全部同時だった。

「わりぃ、遅くなった」
「遅すぎ。腹減った」

クロの持つコンビニのビニール袋を覗き込んで笑う夜久さんはいつもの夜久さんだ。目を逸らして、携帯ゲームを開く。後輩と先輩の関係。俺が後輩で、夜久さんが先輩で、それ以上でもそれ以下でもないって思っている。
何かを壊しそうで動けない
疎らな人々の中で、1つだけ飛び抜けた変なトサカ頭を見付けて足を止めた。動く人々の間から、その横にプリンカラーを見付けて今日も危なっかしく俯いて歩いているなと小さく息を吐いた。

「こら研磨。歩きながらゲームしたら危ないだろ」
「っ、……夜久さん」
「おはよう、研磨」

とんっ、と軽く触れた研磨の肩は一瞬大きく揺れて俺だと分かると安心したように小さく笑った。おはようと小さく返ってきた言葉が嬉しくて研磨の黒髪の部分を撫でた。

「夜久くん、俺に挨拶は?」
「今日も素晴らしい寝癖だな」
「ドーモ」

黒尾、研磨、俺と横に並んで学校までの道を歩いて行く。他愛もない、普通の話をしながら、だけど俺はこの時間が1日の中で一番好きな気がする。曖昧なのは仕方ない。部活だって好きだし、学校自体もそれなりに好きなのだから、結構一番とかは決めにくい。
でもきっと、一番好きだ。わくわくするというかどきどきするというか。多分、横に彼がいるからだろう。すぐ横を見れば金色が揺れ、眠いのか周りが気になるのか丸くなった背にくわえてゲームをしているわけでもないのに顔も少し俯いている。

「…夜久さん、どうかした?」
「んー?」

少し見ただけなのに、気付く研磨は流石というか何というか。さして変わらない位置にあるはずなのにこちらを見上げているように思うのは心配そうに揺れているからだろう。そっと研磨の腰に左手を添えて、右手で肩を後ろへと押してやればまるで驚いた猫のようにピンっと背筋を伸ばした。

「猫背」
「う…クロもじゃん……」
「あれはもう手遅れだからな。研磨もああはなりたくないだろ?」
「おい」
「……うん、まあ」
「ちょっと」

何なのと研磨の頭をわしゃわしゃと、ぐっしゃにした黒尾。それが嫌だったらしい研磨はその手を逃れ、さっと俺の後ろへと移動した。そして俺の制服を握り締めた。
ああ、かわいい。
黒尾のほうを見ればにやにやと厭らしい笑みを浮かべていて、そりゃ研磨も逃げたくなるわなと思う。そのまま、研磨に軽く服を引っ張られてまた歩き始めた。

「そーいや今日英語の小テストだっけ?」
「それ明日。今日は数学だろ?」
「マジか、範囲知らねぇわ」
「範囲もなにも今やってるとこだよ」

それ以外は出ねぇよと言うとどこやってたっけ?と首を傾げられた。お前それでも主将かと、3年かと言いたくなるのは堪えて一発蹴りを入れておく。

「小テストあるの?」
「おー。3限目にな。半分以上点取らねえと課題だかんな」
「…ふーん…がんばってね」

掴まれたままの服を強く握られた気がする。小さく笑った研磨の、今俺と繋がっているその手を握れたら良かったのだけれど。そんな勇気もなにもない俺はまた猫背になる研磨の頭をありがとうとそっと撫でた。
臆病者はどちらだ
「…楽しそう」

何が、とは聞かなかった。
いつも落ちている目の先は足元でも目の前にいて話しかけている俺ですらない。研磨の見つめる先にいるのはレシーブが嫌だと駄々をこねるリエーフにやきをいれている夜久。
大層な眼差しで、とにやにやとする俺に気付いたらしい研磨は猫みたいな瞳をこちらへと向けてきた。

「……なに」
「べっつにぃ」

そんな俺の態度が気に入らなかったらしい研磨はむすっとあからさまに不機嫌を丸出しにしてこちらを見上げる。夜久に向けていたものとは全く逆なそれがなんだか面白くて、今度はくくっと笑う俺に研磨は気持ち悪いと眉をひそめた。

「なんなの」
「気になるなら行きゃいいだろ」
「…やだよ。邪魔したくない」

邪魔って、別に大事な話をしている訳ではないし、誰がそこに割って入ったところでなんの問題はない。何か勘違いをしているような研磨を見れば上を向いていた目線はすでに下へと下がっていた。
そんなコイツに深いため息を1つ。ぴくりと肩が揺れた。

「もうさ、てっとり早く好きっつえば?」
「…なんで」
「どういう意味で捉えられようと、言えば少しは楽になるんじゃねぇの」
「やだよ。先輩として、じゃないもの」

俺のは、と呟く声が聞こえた気がした。
研磨の目がちらちらと向こうを見たあと、少しだけ泳いでまたこちらを見上げる。

「……暑いから、外行ってくる」
「おー」

少し早足で体育館の入口へと向かう背中を見送りため息をもう1つ。そのまま先ほどの研磨の視線の先を見ればリエーフを解放したらしい夜久と目が合った。

「あれ?研磨は?」
「外の風当たって来るって」
「今日暑いしなー」

近づいてきた夜久がこちらを見上げる。研磨と話すときと大して変わらない身長差。じっと見る俺を不審に思ったのか、眉間に皺を寄せてなんだ、と一言。似た者同士か。

「なーんも」
「あんま研磨に変なこと吹き込むなよ?」
「吹き込んでねぇよ」
「どーだか。さっき研磨、すっげえ嫌そうな顔してただろ」
「見てたのか」

あ。
しまったとばかりに漏れた言葉は確認しなくても、だ。睨み付けてくる夜久が可笑しくて笑いそうになるのを堪えるもやっぱり無理で口許を手で隠しても肩が揺れる。

「もう言っちまえばいいのに」
「はあ?」

ガラ悪く睨んでくる夜久を無視して先ほど研磨に言った言葉と同じことを言ってみる。

「……後輩としてじゃないから。そっちの意味で捉えられたらどうも出来なくなる」

あ、そ。と適当に相槌をうてば居心地が悪くなったのかこちらから離れて他の後輩の元へと早足で行ってしまった。
どちらも人の気持ちにはある程度敏感だと思っていたけれど。いや、本当は気付いてる?だけどまあどちらにせよ、どちらも自分から動く気はないらしい。

「どっちもとんだ臆病者だな」
この30センチメートルは海より深い
なんでこうなったんだっけとまるで他人事のように、冷静に考える。
床に寝転ぶ俺の上に、馬に乗るように、所謂馬乗りでいる研磨。場所は黒尾の部屋。なんで黒尾はいないんだっけ。ああ、おばさんにおつかいを頼まれて、本人がいない部屋でごろごろしてて。いつもみたいに研磨が来て、それで、どうしたっけ。冷静にって言ったけど全然冷静じゃなかった。めっちゃ心臓ドキドキしてる。
俺の顔の横に手をついて腕をピンと伸ばして体を支える研磨との距離はそんなに近くはないはずなのに。じっと見つめてくる研磨の瞳から目が逸らせず、見つめ合ったままで何分経っただろうか。それともまだ数秒しか経ってないとか。いやまさか。

「…夜久さん」

ぼそりと溢れた言葉。何かを耐えるような、熱を含んだような、よく分からないけど、だけど何かを込めたように俺の名前を呼んだ研磨はいつもよりも少し怯えたようなそんな表現を浮かべていた。

「研磨」

そんな研磨に、大丈夫だと言うように、同じように名前を呼ぶ。体勢はあのまま変わっていない。そのまま手を動かして、腕を伸ばして。そっと研磨の頬に触れればほんのりと暖かい。

「や、くさん…夜久さん…夜久さん」

片手で触れていた頬にもう片方の腕も伸ばして包み込むように触れれば何度も何度も研磨が俺の名前を呼ぶ。このまま、もっと近づけたなら。そんな考えが浮かんで、消す。こんなにも近いのに。たった数センチの距離はどこよりも遠い気がする。

「けんま…」

そろそろ。もうじき黒尾が帰ってくる頃だろう。俺のこの気持ちを知っているアイツがこんなところを見たら何て言うか。俺をからかうならそれはそれで蹴っておくのでいいけど、研磨までからかわれたらと思うと結構いい気分ではない。
だから触れていた頬から手を離して退いてもらおうと研磨の胸を押す。鼓動が、手を通して分かる。俺と同じ早さ。

「…ごめん、夜久さん」

なにが、そういう前に起き上がった研磨に腕を引かれてすっぽりと腕の中へと包まれて首筋に熱い吐息がかかった。
ああ、もう。優しい良い先輩でいたいのに。抱きついたままの研磨の背中に腕を回せば一瞬だけ体を揺らしたけど離れるなんてことはなかった。
いつか好きだと言えたなら、笑って答えてくれますか
別に、我慢出来なかったから押し倒したってわけじゃない。クロの部屋に行ったらいつもみたいに夜久さんがいて、それがなんだかなあって。仲が良いのはよく知ってるし友達ってことも理解してるし、それに嫉妬してるとは思わないけれど。クロはおばさんにおつかいを頼まれたって夜久さんが教えてくれて、そのまま当然のように隣に座ってきて、嬉しいような、なんとも言えない気持ちになって、それで。
夜久さんの上に乗ればきょとん、と大きな瞳に俺が映る。ああ、ダメ。我慢出来なかったからじゃなかったはずなのに、これじゃ我慢出来なくなりそう。

「…夜久さん」

我慢しなきゃと思って出した言葉は目の前の彼の名前で。なんだかすごく泣きそうな気持ちになっていたら夜久さんが俺の頬に触れてきて俺の名前を呼んだ。

「研磨」

夜久さん、夜久さん。ねえ、触ってもいいの?俺は夜久さんにとって、ただの後輩なんじゃないの?なんで何も言わないの?なんで怒らないの?期待しちゃうから、期待させるようなこと、しないで。

「けんま…」

頬に触れていた手が、押し返そうと俺の胸を押す。いつもより、普通よりも速くなる鼓動が伝わった気がする。

「…ごめん、夜久さん」

夜久さんが何かを言うよりも前に、起き上がって夜久さんの腕を引く。その勢いのまま抱きしめて、首元に顔を埋めれば夜久さんの匂いがした。
もう、可愛い後輩とは思ってはもらえないかな。
怒られて、もしかしたら殴られたりもするかと思ったけど、そっと背中に回された腕は確かに俺を抱きしめていて。
本当、好き。好きだよ、夜久さん。今はまだ伝えられないけど、いつか、きっと、言えたなら笑って答えてくれるかな。

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