「三途春千夜です」
 長い睫毛が生き物のようにびっしりと生えているのがこの距離からでもうかがえた。重たそうな二重瞼がじっとりとこちらを見下ろしている。きつい目元と肉のない頬、細く芯の通った鼻、櫻色の不揃いな髪、不健康そうな肌色に特徴的な口元の傷痕。
「はるちよ、」と思わず口にしてみたくなるほど美しい響きの名前は、確かに彼のために用意された名に違いないなと思った。
 名乗ったきり、彼は何も喋らない。すん、と音もなく玄関先で佇む姿は、先に聞いていた印象よりも随分とおとなしい。そのかなり奇抜な見た目からして「この俺様にテメェの世話係させるなんざいい度胸してんなメスガキこらァ」くらいは言われそうだなと正直思っていた。

 口に出しては言えないとある組織の首領。その幼馴染というだけで、こんなに良いマンションにひとりで住まわされて、しかも組織のナンバーツーにお世話される一般ピーポーの私。気に食わなくて当然だと思う。しかもこの春千夜くんは組織の中でもとくに忠誠心が強く、マイキーに心酔していると聞く。きっと、彼にとっては神様に等しい存在なのだろう。そんなひとが私なんかを目にかけているということ自体、そもそも理解できないのではないだろうか。だって、私自身そう思う。
 そもそも本来、彼は私に構っている暇などないはずなのだ。詳しいことは知らされていないが、ナンバーツーというポジションから察するに、組織の統括だけでなくマイキーの側近的な役割もあるのだろう。マイキーは私よりもよっぽど生活力がない。身の回りは全て部下に任せていると本人が言っていたから、要するに春千夜くんのお世話の対象に私が新たに加わったことで、面倒ごとが二倍にも三倍にも増えるわけだ。
 彼は毎日この家に来なければならないという。あと、私の望みはなんだって叶えてくれるらしい。何を隠そう私はマイキーに「三途春千夜呼び出し専用スマホ」を渡されている。彼はこのスマホからの呼び出しには真っ先に応じろという理不尽な命を下されているらしい。春千夜くんは発狂しても良いと思う。

 でも、こうして顔を合わせても春千夜くんは私に対して文句一つ垂れることはなかった。文句どころか声一つ漏らさないが、私は彼に興味津々だった。美しい見た目もそうだが、何よりこの家に来てからマイキー以外の人間に会えたのが初めてだったので、とにかく嬉しかった。春千夜くんと、是非お近づきになりたかった。

「春千夜くん……すごくかわいいね」
「アァ?」
 
 気に入られるにはとにかく彼を褒めなきゃ、と思った。しかし私はコミュ力がゴミ以下と言われるに相応しく、早速かける言葉を間違えたらしい。春千夜くんは地獄の底から這ってきたかのような恐ろしい声を上げた。しかし私は、彼が声を上げてくれたという事実にどちらかといえば勝利した気でいる。私は臆さず話し続けた。

「私ね、マックがすごく好きなんだけど」
「…………」
「ポテト食べたいから、一緒に食べよう?」
「…………………チッ、……買ってきます」

 人の顔ってこんなに歪むのかと思うくらい、春千夜くんは思い切り眉を顰めた。美形が凄むと迫力がある。はっきり舌打ちをしながらも恐ろしく素直に私の願いを叶えようとする春千夜くんが、何故かものすごく愛おしく思えてきた。春千夜くんには悪いが、私は既にかなり彼を気に入ってしまっている。

「わたしも一緒に行きたいなぁ」
「外に出すなと言われてるんで無理です」
「春千夜くんはわたしにパシられて悔しくないの?」
「……クソッ!………首領の……命令、なんで」
「ふふっ。春千夜くん、やっぱりかわいい」
「メスガキてめェ殺す」

 薄らと滲み出していた本性がとうとうあらわれた。私は勝ち誇ったように笑い、春千夜くんはハッと唇を噛み締める。今みたいに感情を吐露してくれる春千夜くんの方がよっぽど素敵だなと思った。しかし念のため、この家には沢山の監視カメラが付いていることを伝えておく。それを聞いた春千夜くんは怒った猫みたいにひっそり唸っていた。

「マックは月、水、金の三回にする」
「……………アァ」
「わたしが食べ終わるまでいっしょにいてほしいなぁ」
「……………ハイ」
「これからよろしくね、春千夜くん」

 ここに来てからずっと、背の後ろで固く組まれていた春千夜くんの手を私は無理やり引き寄せて、ぎゅ、と両手で握りしめた。
 この冷たくて固い手のひらは、ヒトを×しても多分私を傷つけない。今はされるがままの春千夜くんがいつか自分の手で私に触れてきてくれたら。そんな日がなぜか待ち遠しく感じた。



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