「ねえ研磨くん」
「何」
「また告白された」
「……ふーん。良かったね」

 いつも通りのテンションで、いつも通りの返事をもらった。隣の席にいる研磨くんは、手元のゲーム画面に夢中で目線すらよこさない。これもいつも通りだ。

「可愛いから、一目惚れしたんだって」
「へえ、前と同じだね」
「前と同じなの」
「……うん」
「それ以外に取り柄ないかな、私って」
「……まあ、それが一番光って見えるんじゃない」

 聞き流しているようで、案外ちゃんと話を聞いてくれている。私が研磨くんに愚痴る理由はこれだ。

 研磨くんとは一年の時から同じクラスだ。物静かな一匹狼くんで、休み時間もお昼もずーっと自分の席でゲームをしているような男の子。その風貌からてっきり私と同じ帰宅部志望かと思いきや、なんとバレー部に入っているというから驚いた。研磨くんと話すようになったキッカケは、自分と同じ匂いがする人だと直感的に感じたからだ。

 自分で言うのもアレだが、私はとにかく容姿に恵まれていた。顔と愛想さえ良ければ自然と人は寄って来たし、幼稚園、小学校、中学校とも友達づくりに苦労した覚えは一切ない。でも、中学時代は悲惨なものだった。最初は友達だと思っていた子たちから、ある日突然ハブられたのだ。原因ははっきりとはわからないが、恐らく私が、中学で一番モテていた先輩から告白され、それを断ったことだろう。要は妬みだ。思春期真っ盛りの女子グループなんて、くだらない要因ひとつで簡単に関係性を破壊されてしまう。その時すでに悟りを開いていた私は、それから友達との仲良しごっこをやめ、無駄に愛想を振り撒くようなこともやめたのだ。

 中学でそんなことがあったせいで、高校では女友達ができなかった。いや、入学当初はそれこそ女子のグループから声を掛けてもらったこともあったが、正直もう、群れること自体がこの上なく面倒くさかったので、断り続けていたらいずれ誘われなくなった。
 そんなこんなで、私は同じ一匹狼を貫く研磨くんに声をかけたのだ。一人は楽だが、時折寂しいこともある。適当な話し相手が欲しかった。それに相応しいと思ったのが、クラスの中でただ一人、研磨くんだけだった。

 彼は最初、路地裏に住む野良猫のような警戒心をむき出しにしていたけど、彼のやっていたゲームの話題を出してみたら、割と素直に話してくれるようになった。それが一年生の秋頃。二年でも奇跡的に同じクラスになれたので、私は基本的に研磨くんのくっつき虫をしている。彼のそばが一番楽だ。研磨くんはウザいかもしれないけど、そんな素振りはされたことがないので、きっと平気なのだと思い込んでいる。

「わたしこんな陰キャなのに」
「見た目は完全陽キャでしょ。髪明るいし。顔派手だし。制服適当だし」
「髪でいえば研磨くんもじゃん」
「……俺の見た目の話は関係ないでしょ」

 ミルクティーブロンドとプリン頭の金髪。側から見れば柄の悪そうな二人組だが、クラスの皆は私たちの本質を既に理解してくれている。この時点で、中学よりよっぽどマシだ。静かにしていれば誰も絡んでこない。だからこそ高校は、それなりに楽しく過ごしていた。陰湿なイジメもないし、何より気の合う男友達がいる。いまだに女の子には苦手意識があるけれど、私がぼっちでいても誰も何も気にしない。それくらいの環境が、じゅうぶんに心地よかった。

「研磨くんはさー、好きな人とかいないの?」
「……あのさ。いると思う?」
「いたらめっちゃヤダけど」
「だろうね」
「わたし研磨くん失ったら終わる」
「……はあ」

 ああ、今のはちょっとウザそうな溜息だった。この話はもう終わろう。研磨くんは大体いつもこんな感じのローテンションだけど、話しかければちゃんと聞いて答えてくれるので、好きだ。もちろんそこに恋愛感情はなく、ただ、気の合う友達としての好き。それは、研磨くんも理解しているだろう。

「てか、もうすぐインターハイ?だよね。研磨くんは出るの?」
「……うん、まあ」
「そっか。練習大変そうだもんね。わたしあんまりバレー知らないけど、研磨くんのこと応援しに行きたいな」
「……別に、来てもつまんないと思うけど」
「そこはちょっとくらい喜んでほしい」

 もちろん、研磨くんにそんな反応期待していない。ちょっと言ってみただけだ。
 研磨くんいわく、うちの学校のバレー部はなかなかに強いらしく、今年は全国出場も狙えるレベルらしい。まさかそんなバリバリの運動部に研磨くんが所属しているとは思えなくて、最初は耳を疑った。他のバレー部員と比べると研磨くんは身長も高くないし、何より華奢だ。すごい猫背だし、バレー部どころか運動部にすら見えない。そもそも私は、実際に研磨くんがバレーをしているところを見たことがないので、機会があれば見てみたいと思っていたのだ。仲良くなればなるほど、その気持ちは強くなった。

「まあ、でも……なまえがきたら、喜ぶやつはいるかも」
「え?なに?どゆこと」
「可愛い女の子、応援に来てたら、調子出そうなやつは何人か居る」

 ……うん? と固まった。今、研磨くんは「可愛い女の子」と言わなかっただろうか。それが自分の事を指しているとわからないほど鈍くない。そのような意味合いの言葉を間接的に言われたこともあるが、そんなストレートな物言いを、研磨くんがするのは初めてだった。
 
「本当に来るつもりなら、詳細送るけど」
「………」
「なまえ?」
「あ、うん。ごめん、送って」
「……なに、どうしたの」

 そこで研磨くんが初めて顔をこちらに向けた。私は、咄嗟に目を逸らす。その反応に、研磨くんが怪訝な表情をするのは見るまでもなくわかった。

「別に、なんでもない」
「……ふーん。ま、ならいいよ」

 それきり、研磨くんはまたゲーム画面に視線を戻した。すっかり興味を失ったみたいだ。私はスマホを眺めるフリをしながら、平静を装うのに必死だった。なんか、心臓が苦しい。



***




「あ、」
「…………あ、研磨くんの、バレー部の」
「そーそー。この前試合見に来てくれた……なまえちゃん?」
「あ、そうです。……えっと」
「黒尾」

 そう、黒尾先輩だ。
 昼休み、購買でパンを買って帰る途中の廊下で偶然出会った三年の先輩。黒尾先輩は研磨くんを呼びにたまにうちのクラスに顔を出したりするので、顔はよく覚えている。研磨くんと違って、背も高いし体もがっしりしていて、いかにもバレー部っぽい感じだ。だだ、私はこの人のことが、なんとなーく苦手なのである。
 でも、仮にも研磨くんと仲良くさせてもらっている身としては、知らんぷりはできなかった。先に彼に気がついたのは私だ。すれ違いざまに会釈をすれば「あ、」と声をかけられて、思わず立ち止まってしまった。そのまま通り過ぎる予定だったのに、うっかりだ。

「応援ありがとなー。負けちまったけど」
「あ、いえ。……勝ち負け関係なく、すごかったので」
「あ、そう? ……んじゃあ、研磨はどうだった?」
「え? 研磨くん、ですか」
「そーそー。あいつがバレーしてるの初めて見たろ? どうだった」

 どう、って。何でそんなこと聞くんだろう。
 黒尾先輩はにやにやと笑いながら、私の行手を塞ぐように立っている。彼と一対一で顔を合わせ、その上、会話をするのなんて初めてだ。それにしては気安く話しかける人だなあと思った。まあ別に悪い気はしない。

「研磨くん、汗とかかくんだって思いました」
「ブッ!!……っくく、ああ、そう」

 素直に感じたことを答えれば、何やらツボに入ったらしい。黒尾先輩は吹き出して腹を抱えながら、笑いを堪えていた。

「でもさ、もうちょっとこう……かっこよかったー!とかさ、ない?」
「え、……うーん」

 黒尾先輩、自分のことならともかく、なぜ研磨くんの評価が気になるのだろうか。彼の意図がよくわからない。こういう何だか飄々としたところが、多分苦手なのだ。変なことを答えないようにしなきゃと考えを巡らせる。

「研磨くんは、大体いつもかっこいいですけど」
「……お?」
「バレーしてる時も、ゲームしてるときとそんなに変わらないというか」
「……おー」

 私の中では当たり障りのない回答をしたつもりだ。でも、黒尾先輩は虚を突かれたかのような反応だった。
 別に特別なことは何もなかった。でも、応援しに行けたのは良かったと思う。あんなに動いている研磨くんは初めて見たし、チームの皆にもすごく頼りにされている様子が応援席からでも見てとれた。でも、バレーをしている研磨くんは、大好きなゲームに夢中になっている時とあんまり変わらない。冷静に攻略方法を探しているような、そんな感じだった。研磨くんが自分の話をすることは少ないけれど、ゲームと同じくらい、バレーにもちゃんとハマってるんだなと思った。
 友達の好きなことを知れるのは良い。私は友達が少ないからこそ、研磨くんのような存在を大事にしたい。大事なひとのことは何でも知りたい。それは当然のことだろう。

「研磨くん、ちゃんとバレーも好きなんですね」
「……なまえちゃんにはそう見えた?」
「え?違うんですか」

 黒尾先輩は「ああ」だか「うーん」だとか、煮え切らない返事をした。まあ、私にはそう見えたってだけだ。研磨くんに確かめたこともないし、バレーの話も数えるほどしかしたことないから、実際のところはわからない。

「あの、わたしそろそろ、」
「ああ。悪いね、引き止めちゃって」

 いい加減お腹が空いてるし、黒尾先輩と話すのはそわそわするから嫌だ。はやく立ち去りたいと催促すると、黒尾先輩は意外にもサッと道を開けてくれた。

「あ。昼飯、何買ったの」
「へ? アップルパイです」
「……へえ。ピッタリじゃん」

 去り際によくわからないことを言われたけれど、会話を終えたかったのでスルーした。ぺこりと頭を下げてから、早足にその場を立ち去る。ああ、なんか無駄に緊張した。早く教室に帰って、さっきのことを研磨くんに話したい。……話相手、もともと研磨くんしかいないけど。

 ガサガサと購買の袋を揺らしながら、二年生の教室へつながる階段を一段飛ばしで上がっていく。さっき黒尾先輩と話していて、そういえば研磨くんには、試合の感想を直接伝えてなかったな、と思い出した。その日の夜メールで「お疲れ様」とは送ったけど、試合には負けてしまったし、励ますような上手い言葉が出てこなかったのだ。
 ここ数年、人と関わる機会が少なすぎて、コミュニケーション能力が随分低くなった気がする。その上愛想の良さも失いつつあるから、そのうちモテなくなるだろう、と何となく思っている。別にモテたいわけじゃないからいいけど。
 でも、さっきの黒尾先輩には、もう少しちゃんとしておけば良かった。研磨くんと近しい先輩だし、悪い印象を与えるのは嫌だ。苦手意識が全面に出過ぎて、ぎこちない話し方になってしまったことを少し反省した。その辺りは、研磨くんにもちゃんと断っておこうと思った。



 教室に戻ると、研磨くんはいつも通り自分の机で一人、ゲームをしていた。最近発売されたばかりのゲームだから、余計に夢中になっているのだろう。私もいつものように研磨くんの隣の席を借りて、買ってきたミルクティーとアップルパイを机の上に広げた。

「ねーねー研磨くん、さっき廊下で黒尾先輩と喋ったんだけどさー」

 ストローのビニールを剥がしながら前置きなく話しかけると、バッ!とゲーム画面から勢いよく顔を上げた研磨くんとばっちり目があった。ぱち、ぱち、と二人して目を丸くする。

「……は?」
「え、」
「……なんでクロ?」
「え、いや……たまたま、廊下ですれ違って、それで」

 研磨くんは本気で驚いたような、というか焦っているような、そんな顔をした。その態度に私も少し動揺して、しどろもどろに答える。すると研磨くんは少し間を置いてから、また視線を下に向けた。今の反応、何だったんだろう。

 でも、それきり研磨くんは何も言わなかったので、私は話を続けた。

「なんかこの前の試合の研磨くんどうだったーって、聞かれてね」
「……それで、なまえはなんて答えたの」

 ──おや? やはり研磨くんの様子が変だ。いつもなら、「ふーん」とか「へえ」とか、適当な相槌を打つだけで、質問なんて返してこない。黒尾先輩絡みだから、だろうか。明らかな違和感を持ちながらも、アップルパイをもぐもぐと齧りながら答える。

「えっとね、……研磨くんかっこよかったです!って答えたよ」
「……はぁ、うそだね」
「え、何で」
「どうせ、「走ってるとこ初めて見た」とかでしょ」

 研磨くんはすべてお見通しである。ほぼ図星をつかれて、さすがに笑ってしまった。研磨くんは怪訝な顔をしたので、すかさずフォローに入る。

「いや、でも研磨くんってバレー上手いんだね。わたしバレーのことよく知らないけど、ちゃんとすごいのわかったよ」
「まあ、負けたけどね」
「でも、またチャンスあるんでしょ? それに研磨くん来年もあるし、わたしまた応援しに行きたいな」
「……ま、三年になっても続けてるかはわかんないけどね」
「えっ、どうして」

 驚いた。その発言を聞く限り、研磨くんはもしかしたらそこまでバレーに執着していないのかもしれない。だとしたら、黒尾さんが微妙な反応をしていたのも頷ける。
 なんだか少し、残念な気持ちになった。


「研磨くんが真剣な顔してるの、わたし好きなのにな」


 ゲーム然り、バレー然り。淡々と獲物を狙う息を呑むほどの静けさは、見ていて心地が良い。
 研磨くんの発する空気感は独特だ。まわりからすれば、主張がなく、辺りの空気に紛れてしまうほど薄く霞んで見えるのだろうが、私はその、角のない溶け込むような儚さが、たまらなく好きなのだ。

「あのさ」

 下を向く研磨くんの旋毛をにこにこと眺めていると、不意に顔を上げた研磨くんと目があった。熱のない静かな瞳だ。じ、と見つめて、何かを訴えようとしている。

「あんまりそういうの、言わない方がいいと思う」

 ちく、と肌を刺すような冷たさがあった。研磨くんの塩対応には慣れているが、今のは少し違う。拒絶の意味合いが強く含まれており、私は肝を冷やした。
 今の発言のどれかが、研磨くんの地雷を踏んでしまったらしい。

「なまえは何とも思ってないかもしれないけど」
「……あの、研磨く、」
「俺は割と、気にする方だから」

 研磨くんの口数が普段より多い。声のトーンも低く、早口だ。これはもしかして、怒っているのだろうか。研磨くんの怒りなど見たことがないから断言はできないが、機嫌を損ねているのは明らかだった。

「け、研磨くん。わたし何か気にさわること、言ったのかな」
「……まあ、別に、こんなの、今日に限ったことじゃないけど」
「え?! ご、ごめん……わたし、ほんとわかってなくて、あの」
「わかって言ってたら、もっと嫌だ」

 どんどん空気が悪くなっている。もちろん私が悪いのだろうが、いまだに原因がわからない。そのせいでもっと、研磨くんの不機嫌さが増している。
 一年弱一緒にいて、こんな雰囲気になったのは初めてだった。だからめちゃくちゃ焦っている。怒鳴られているわけでもないのに、研磨くんのことがすごく怖い。喉の奥が熱くなって、じわじわと嫌なものが込み上げてくる。

「研磨くん、あの」
「本当にわかんないみたいだから教えるけど」

 震える声を遮って、研磨くんがいう。
 重なり合う視線。無機質な瞳に感情の炎が灯る。

「俺はなまえのこと、仲良い友達としてみてるわけじゃないってこと」

 軽々しく、好きとか言うのやめなよ。
 そう言い残して、研磨くんは席を立った。無言で見送る私の頬は、燃えるほどに熱かった。


天使を殺めた午後

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