聞こえてくるサイレンの音、闇夜を羽ばたく白鳥、月明かりだけが映す人影。屋上に辿り着いた時、世間を騒がす怪盗は静かにこちらを見た。ただの偶然だったのだ、警部である父親が追う犯罪者を見つけたのは。音もなく傍のビルに舞い降り、そっと宝石を月に照らして。此処で自分が捕まえてやろうと。普段は毛嫌いして現場にすら近寄らないが、こんな機会を逃す訳にもいかない。自分では絶対に敵わないけど、でも会わずにはいられなかった。


「こんばんは、お嬢さん」
「…貴方が本物の、怪盗キッド?」
「本物の怪盗キッドですよ、中森青子さん」


音も立てずフェンスから飛び降り、口元に笑みを浮かべる。逆光で顔を見ることは出来ない。けれどその気障な台詞も、冷涼な気配も、何もかもが本物だと告げていた。どくん、と胸が高鳴る。大嫌いな奴なのに、今すぐ手錠をかけてやりたいのに。身体は動こうとしなかった。


「お父上の代わりに、貴方が私を捕まえに来たのですか?」
「そ、そうよ、青子がアンタを捕まえてやるんだから!」
「…女性に追われるのは嫌いではありません、が」


コツコツと足音を鳴らし近付いて来る怪盗に、自然と後ずさる。しかし次にコツン、と音が聞こえた時。青子はキッドの腕の中にいた。


「もう怪盗キッドは現れませんよ」
「……え?」


顔を上げることが出来ない青子はふと何処かで感じた温もりに首を傾げた。それはいつも傍にいた彼の、大好きな彼のものとそっくりで。


「か、いと?」


思わず口にしてしまった名に自分でも驚くが、それ以上に驚いたのはその固有名詞にキッドの身体がピクリと反応したことだった。以前父親は幼馴染の黒羽快斗が、怪盗キッドではないかと疑った。けれどそれはただの変装で、疑惑は晴れたのだ。なのに、こうして身近で感じていると嫌でも分かってしまう。怪盗キッドの正体に。


「…誰かと勘違いしているようですね、お嬢さん」
「もういいんだよ、隠さないで」
「!」


咄嗟に離れようとする彼の腕を掴み、シルクハットを取る。月明かりでよく表情は見えないが、その唇にそっと自分のを重ねた。


「怪盗キッドがもう現れないなら、青子に捕まってくれるよね?」
「……、…いいえお嬢さん、私は怪盗キッドですよ」
「え?」
「貴方が私を捕まえるのではなく、私が貴方を盗みます」


ニッと不敵に笑った彼は怪盗キッドの仮面を被る幼馴染そのものだった。それに笑い返すと首に手を回し、相手もそれに応じて青子を横抱きにした。屋上に近付いて来るパトカーやヘリコプターが目に入るが、彼はそれをものともせず、青子を抱きしめたままハングライダーを開く。夜空に羽ばたいた鳥は、そうして二度と姿を見せることはなかった。

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