「三途の川っての、見てきた」
「ぶっ」


珈琲を飲んでいる最中に思わぬ話をされ、噴き出しそうになった。幸いなことに病室には僕と虎徹さんしかいない。間抜けな顔を見せずに済んだが、それでもしばらく動揺は隠せなかった。多分、誰かがお見舞いに来てもポーカーフェイスは無理だろう。


「悪ぃ、大丈夫か?」
「いきなり何を言い出すかと思えば…、冗談にも程があります」
「いやいや冗談じゃねぇから!本当だよこれ、事実だって事実!」
「そうですか。…で、見てきた感想は?」
「信じてねぇだろお前!」
「信じますから」


口を尖らせてぶーぶーと文句を垂れる彼を無視し、話を続けるように促す。するとしばらく間を置いてから、虎徹さんは口を開いた。いつの間にか表情は真剣なものへと変わっており、僕もつられるように顔を引き締める。


「気付いたら凄ぇ花畑にいてさ。全部花ばっかりで、俺はそこに寝転がっていた。そうして辺りを見回して、遠くに川が見えたんだ。あ、俺は死んだのかって思った。戦線離脱してお前もみんなにも申し訳ないなって。でも来ちまったもんは仕方ねぇし、川を渡ろうと思ったわけよ。で、歩き出したら手を掴まれた。……友恵がいたんだ。友恵がただ笑って、川とは逆方向に引っ張ってって。穴があったんだ、真っ黒な穴。不気味で嫌だななんて呟いたら、友恵がその穴に俺を突き落としたの。にっこにこの笑顔で。落ちる瞬間聞こえたよ。帰れって。そのまま暗闇に飲まれて、また目が覚めたら此処に戻っていた」


嘘だとは思えない内容に言葉が見つからず、部屋は沈黙に包まれた。鮮明な記憶の中には確かに妻の姿があって。あの時、痛みで気絶したのではなく、本当に虎徹さんは死ぬ一歩手前だったのだ。それを友恵さんが救ってくれて、楓ちゃんの危機に間に合うことが出来た。
―――僅かながらに震えている手を握り締め、僕は聞いてはならぬだろう質問をした。


「友恵さんと一緒に、いたいと思いましたか」
「……そうだな、…うん、思ったよ」


左の薬指に嵌められている指輪を愛おしそうに見た彼から、思わず目を背ける。


「でも、」
「え?」
「俺はまだ死ねないから」
「…死ねないとは、どういう…」
「だって此処には楓が、バーナビーがいるだろ?」


綺麗に笑った彼はとても温かくて、とても眩しくて。差し伸べられた手を取ると触れたところから熱を感じた。冷え切っていたはずの体が徐々に温められていく。彼の優しさに触れられなければ生きていけない自分が酷く醜く感じた。

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