「聞いたかね芳川君、例の少年」
「あの六枚羽を出す程の能力者だったかしら?子供相手によくやるわね」
「子供だからこそだよ、彼は学園都市創立以来の逸材だ」


歓喜に満ちた声でそう話す男の瞳には、どろどろとした欲望が宿っていた。けれどそれは自分も同じだと一人笑い、芳川桔梗はパソコンの画面に目を移す。保護という形で暗い研究所へと放り込まれた少年。能力名は一方通行。直接会ったのは一度きりだが、何もかもが真っ白な少年だったのを彼女は覚えている。肌や髪の色にしろ、心にしろ。


『初めまして、わたしの名前は芳川桔梗よ』
『……初めまして』


交わした言葉はそれだけだ。しかし芳川はこの世界にいるからこそ分かる。少年は何も知らぬまま、理解出来ぬまま、大人の犠牲になるのだと。本来あるべき感情はいずれ消え去り、深い闇に毒されていくのだと。だからといって、芳川がどうこうするつもりはなかった。ここにいる限り、人間らしい感情など持ち得ない。例外などなかった。頭のネジが全て吹っ飛んでいるような連中ばかりだ。人間と疑わしい人間ばかりだ。そんな中で毎日過ごし、育てば、表の世界では隔離される人間になるだろう。ああ、と彼女は嘆いた。次に会う時はどんな色に染まっているのかと。


「久しぶりね」
「…確か、芳川…って名前だったな」
「よく覚えていたわね、会ったのは一回きりなのに」
「悪ィが記憶力はいい方でなァ。それで何の用だ。頭を切り開いてみてェか、投薬の実験台になってもらいてェか、それとも身体ァ弄くるかァ?」
「どれでもないわよ」


その言葉に少年は疑問符を浮かべた。ならば芳川は何をしに来たのだと。今まで一方通行に近付く研究者は、自分を好奇の目で見ていた。学園都市に七人いる超能力者の第一位に君臨する一方通行。様々なことに利用出来るその能力は、研究者のみならず、力を必要とする者にも狙われていた。だから闇から幾度も勧誘はあったし、研究をさせてほしいと、多額の金を積んで頼まれたこともあった。彼自身は強くなるという一点のみに固執していたため、邪魔にならなければ手は貸していた。今回も同じ。どんなことであれ、利益を齎すのなら、承諾するつもりだったのだ。なのに。


「研究所の近くにコーヒー専門店がオープンしたの」
「で?」
「行きましょ」
「あァ?何、何を言ってンだオマエ」
「確かあなた、コーヒー好きだったわよね?」
「…そりゃそォだが、オマエと行く理由にゃなンねェだろ」
「いいじゃないの、どうせ暇でしょう?わたしに付き合いなさい」


もちろんわたしの奢りだから、と付け足して、芳川は一人歩き出す。一方通行も断るに断れなかったためか、小さく舌打ちをした後、彼女の後ろをついて行った。


「感想は?」
「…まァまァだな」
「貴方って素直じゃないわねぇ」
「うっせェ」


大人しく座ってコーヒーを飲む少年をよくよく観察する。まだ幼さが残っていたあの頃とは違う。大人びた顔立ちと、変わらぬ中性的な体。必要最低限のモノ以外反射する能力で、髪や顔は真っ白。見るからに異質な彼は、やはり芳川の思ったとおりになった。


「(やはり例外などない、ってことか)」


少年がこれまで通って来た道は、普通とは違う。欲望が入り乱れた血生臭い道だ。あの少女達と同様、まともな感覚を持つ者がいない場所で過ごせば、徐々に毒され、おかしくなっていく。芳川は研究者の中では比較的まともな方で、表の世界に生きる人間とも関わりがある。他の連中にしてみれば芳川は浮いた存在なのだろうが、浮いているだけ光が差す場所に戻ることが出来るということになる。


「(もしも一方通行が望むなら、今からでも遅くはないのかしら)」


光がある世界で生きたい、普通という世界で過ごしたい、と思うのならば。触れられなかった、触れたかった、彼が望む世界に。けれど、と芳川は思う。暗闇にいた彼が光に触れても、様々な差に戸惑い、行き場所を失うのは目に見えている。苦しんで苦しんで、そうして知らなければ良かったと後悔するだろう。芳川が出来ることは、何もしないこと。全てを任せて闇に溶け込む少年を、ただ眺めていることだけだ。


「おい」
「…、…?え?」
「コーヒー冷めンだろォが」
「…ええ、そうね。ありがとう」
「人を誘っておいて、なァに思い耽ってやがる」


いつの間にか一方通行はコーヒーを飲み干したようで、空になったコーヒーカップだけがテーブルに置かれていた。おいしかったでしょう、と尋ねると、悪くねぇ、とこれまた素直ではない答えが返ってきた。一つ一つの子供らしい行動に笑えば、赤い瞳がじろりと睨む。他の研究者ならば震え上がる殺気も、芳川には可愛らしいものに見えて仕方がない。

 
「(いつかその時が来たら、)」


窓の外を眺める少年を見て彼女は思う。


「(キミのためにわたしの出来ることをしよう)」

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