ゆっくり重たい瞼を持ち上げると、見知らぬ部屋にいた。真っ白な壁と無機質な家具。窓もなく時計もない此処では正確な時間が分からない。腕時計も見当たらないし、唯一あった扉には鍵がかかっていた。どうにか打ち破ろうと体当たりしてみるも、頭がクラクラして力が入らない。――それは下校途中に起きた。いつものように蘭や園子と別れ、自宅に向かっていた時。気配もなく背後から口に布を押し当てられたのだ。抵抗するも驚きで一気に空気を吸い込んでしまい、意識が遠のいた。恐らくはクロロホルムだろう。顔は見えなかったが、監禁しているということは目的がある筈。誘拐であれば身代金目的だが、両親はロスにいるし周りに身内もいない。復讐であればとっくに殺しているだろうし。部屋の真ん中に配置されたソファに座り、一人考え込む。くそっ、と思わず悪態を吐いた。外界との連絡手段は一切ない。せめてアイツが気付いてくれればいいのだが。


「目が覚めたのですね」


突然聞こえてきた声に顔を上げれば、見知った人物が平然とした態度で部屋に入ってきた。そいつは何度か事件現場で遭った、快斗と同じ学校に通っている高校生探偵。


「……白、馬」
「お久しぶりですね、工藤君」
「ど、どうしてお前が…?…まさか」
「そのまさかです」


不気味な笑みを浮かべ、何の躊躇いもなく彼はそう告げた。


「俺を監禁してもメリットなんざねぇだろ」
「それがあるんですよ、僕にはね」
「え?」


先程とまるで表情を変えないまま、白馬は隣に腰を下ろす。一体どんな目的があるんだ、と不思議に見つめていると、突如として首に両腕を回してきた。あまりに突拍子もない出来事に困惑し、身体が固まる。性格からしてあり得ないことだったからだ。けれどその行動の理由はすぐに分かった。チクリと首筋に痛みを感じ、思いっきり体を突き飛ばす。見ればやはり彼の手には注射器があった。


「てめぇっ、何なんだよその手にあるモンは!」
「安心して下さい、即効性のある媚薬です」
「びっ…」


媚薬だとぉ!?と、開いた口が塞がらない。理由なんてどうでもよかった。こいつの行動の意図がまるで読めないことも。けれど媚薬を投与したわりには、性欲があるように見えない。どちらかと言えば自分を嫌悪しているような。そんな感じがしたのだ。


「まさか辱めるのが目的だなんて言わねぇよな」
「そのまさかだったらどうします?」
「ハッ、冗談はよしてくれ」
「冗談ではないですよ」


ぐるりと視界が反転したかと思うと、いつの間にか俺は白馬に押し倒されていた。光の加減かその表情はとても暗い。そしてその瞳は、明らかに憎悪が含まれている。


「僕はね、黒羽君を気に入ってるんです」
「……なるほど、そういうことか」
「ええ、そういうことです」


アイツは厄介な連中ばかり引き寄せるな、と此処にいない男を恨めしく思った。考えてみれば想像がつく。白馬は怪盗キッドに執着していた。勿論、黒羽快斗にも。それは単なる探偵の性だと思っていたが、どうやら彼の場合は違うようだ。


「一つだけ言っておくぜ、俺は何をされても快斗を手放すつもりはない」
「でしょうね、どんなことがあっても貴方達は離れない」
「?だったらどうして…」
「だからですよ」


肩を押さえていた手をそっと離し、白馬はその手で首を締め付けてきた。急なことで対応も出来ず、苦しさに呻く。


「だから貴方を壊すことにしたんです」
「…な、にっ…」
「心が壊れてしまえば、もう彼を縛るものは何もない。抜け殻になった貴方は、必然的に彼の中からいなくなるでしょう。傷付いた心を癒すのは得意分野ですからね」


ぎりぎりと首が締め付けられ、涙が目尻に溜まっていく。それに気付いたのか白馬は手を離し、必死に息をしている身体を抱きかかえてベッドに横にさせた。薄っすらとした視界の中で、彼が何をするのか理解する。乾いた笑みがこぼれ、昨日まで一緒にいた快斗の顔が思い浮かばれた。怖くない訳がない。けれど快斗が待っていてくれる。そう信じているから。だから絶対に、耐えてみせるよ。
此処にはいない彼に、そう誓った。

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