ひょごっ!と右腕のすぐそばの空気が鋭く切り裂かれる音で恐怖に拍車をかけながら、名前はひた走っていた。 傍から見ればさぞ滑稽であろう…慌てふためく顔からは汗が吹き出で、ローブの端をはためかせながら全力疾走する魔法使いの姿は、大道芸よりも笑いが取れる。 だが生憎、状況に笑みをこぼせるほど余裕を持った傍観者はいない。並走するトールギスでさえ、いつもの小癪な態度はどこへやら。前後へ振られる手足が見えぬほどフルパワーで、粗末な石の廊下を駆け抜けていた。 薄暗い石の遺跡を逃げ回る無様な魔法使いと騎士に、しかし現実は更なる苦難を振り掛ける。 ひょご!と背後から前方へ…また再び空気が切り裂かれた。二人の体のそばを、それなりに質量のある物体が高速で通り過ぎたのだ。 後ろから前へ高速移動したそれを横目にちらりと姿を捕らえ、ようやく名前は正体を悟る。 拳大の、石だ。しかも魔力でコーティングされた、当たれば骨の一本や二本、簡単に粉々になりそうな代物である。最もそれらは魔法をかけられていなかろうが、対象物を二、三ヶ月は再起不能に出来そうであるが−−−、ひゅご! 場違いに考察し始めた脳を嘲るかのごとく、今度は頬すれすれを石つぶてが飛ぶ。「ひぃぃぃ!」と心からの声を出し、名前は隣にいるトールギスを呪った。 事の始まりはそもそもは本日の早朝。上機嫌の友人トールギスから持ちかけられた話からだった。 ラクロア郊外にある我が家を訊ねてきた嵐の騎士の…人間ならばにやあ、と口元を歪めて『いかにも』な笑みを形作っている姿によぎる嫌な予感。胸中をげんなりした感情に浸されながら、名前は不安とともに友人が口を開くさまを見守った。 「山脈のふもとの洞窟に遺跡が見つかったんだが、お前を調査に連れて行ってやらんことはないぞ」 「いやいいよ。今日は休みだ、休みは休む為にあるんだから私はのんべんだらりとさせて頂くよ」 「怠け者め。貴様のカスみたいな魔力をこの俺の探索の手伝いに役立ててやろうと言っているんだから、大人しく『はい、わかりました、同行させて頂きます』の三つの言葉で返事すればいいんだ」 「何処の女王様だ。素直に『態度がでかい故に他に友達がいないので名前さんのお力をお貸しいただけませんでしょうか』と言って頭を下げれば同行することを考えることを考えてやらんこともないけど」 「考えることを考えるとは何だ、かんっぺきに行かん気ではないか。大体貴様口ばかり達者で芸が無い不良魔法使いとラクロアで噂になっていたぞ。このままでは本当に仕事が無くなるなぁ。転職を考えた方がいいのではないかぁ?」 「なんだとこら、お前言っちゃいけないことがあるだろこら表出ろ」 「何だとは何だ?返り討ちにしてくれる」 という会話の後、血で血を洗う戦いを−−−繰り広げたわけではないが、二人は件の遺跡へと赴いていた。 名前ははじめは同行する気などさらさら無かった。が、したり顔のトールギスの「とあるスジから手に入れたマジックアイテムとグリモワールを数冊譲ってやろう」との甘言に釣られた。 その誘惑に負けたことを後悔したのは、洞窟探索を開始してから数分後…遺跡と思われる内部に侵入してすぐである。 たいまつを片手に奥へと続く長い廊下を二人で進んで、ふと同時に違和感が鼻先を掠めた刹那。ひょおおん!と飛来してきた石つぶてが隣を歩いていたトールギスの顔の脇を擦った。 両者腐っても、騎士と魔法使いである。頭の中で鳴り響く警鐘に従い、踝を返し、全速力で来た方向へ駆け出す。 その背中を追うように、更なる石つぶてが軍を率いてやってきたのはすぐ後であった。 いまだ続く全力疾走の最中、ちぃっ!と肩越しに背後を振り向いたトールギスが忌々しげに舌打つ。 「名前〜!!何なんだこれは〜っ!!」 「何なんだってアレでしょ!罠!トラップ!侵入者撃退!」 「トラップだとぉ…?マナ!マナを感じるではないか!?マジックトラップか!」 だろうよ!と告げることは出来なかった。ひょおおん!と腕の脇を通り過ぎた石つぶてに気を取られたからだ。名前も、ちっと行儀悪く舌でスタッカートを奏でる−−−後ろから前に飛んでいった今度の攻撃に加算されたマナが、先程よりも僅かに高まっている。この遺跡…否、もはやダンジョンだろう…の設計者は随分粘着質のようだ。侵入者を撃退するまで、トラップが力をあげていく仕組みに違いない。 隣を走るトールギスもレベルアップしていく罠に気づいたようだ。苛立った表情のまま背後を凝視している。 このまま彼とここで精も根も尽き果て共倒れ−−−なかなか笑えない運命に頬を引くつかせた。 「何とか解除出来ないかな〜。トールギス、魔法障壁出せない?」 「は?貴様が出せばいいだろう。何のために連れてきたと思ってる」 「私は壁か!…、ともかくお前が抑えてる隙に私が解けるかどうかやってみるから」 「…」 トールギスが今ひとつ舌打った。なかなか腹の立つ顔をしていたが了承はしてくれたらしい、すぐさまくるりと振り向き、強大なマナを包容する魔方陣を眼前…石つぶてが出迎える方向へ展開させる。同時に、名前も立ち止まり、背後をかえりみた。 刹那響く、ガガガガガ!と壁に石がぶつかる連続音。実力だけで言えばラクロア騎士団に劣らない彼の魔力の壁だ。軽い仕事をこなすかのごとく彼の作り出した障壁は、魔法の弾丸をやすやすと受け止める。侵入者に鉄槌を下そうとする意地の悪いトラップなど、物の数ではない。 頼もしい魔方陣の向こう側から、名前はじっくりと観察思考する。−−−いまだ石つぶては勢いを増し飛んできていた。長く続くこの廊下には一直線に飛ぶトラップは有効だろう。仕掛けられている場所は、廊下の一番奥、壁際だろうか…とまで考え一度そこで首を横に振る。 (……、ただの待ち伏せ型じゃないな。追跡機能がついてる、かな。弾数も今のところ切れそうにないし) 逃げる途中でたいまつは落としてきてしまったから、暗闇に慣れた目でも数歩先が見えづらくなっている。だがもとよりマナは目で見えるものではなく、感覚として感じるものだ。暗闇の先、先の先を名前は目では無い感覚でじっくりと観察した。 すっと息を吸うと湿った空気が鼻腔を通り、脳に浸透していく。その空気を通して暗闇の中にある悪意あるマナを拾う。すぐそばで蔓延しているトラップの正体が頭の中で鮮明に描かれていく。 二、三回息を吸い吐く間に、名前の頭の中にはトラップの概要はすべて頭の中に入っていた。 「トールギス、わかった」 「ふん、随分時間がかかったな。もうろくしたのではないか?」 「だからお前そういうこと言うから…いやもういい。もうちょい、そのままで」 憎たらしい相手に憎たらしく返して名前は、ふうと肺から空気を追い出して、壁に手をつく。じりじりとした魔力をそこからも感じた。 精神を集中して、眼前で鳴り響く攻撃と防御の不協和音も遠くへ閉め出し、深く深く息を吸う。 「七曜万象に宿りしマナよ−−−、」 詠唱は一瞬−−−壁伝いに魔力を流し込み、ばりり、と軽い痺れのような感覚が手のひらから伝わる、瞬間だった。 己の声がほの暗い廊下の空気へと反響して消える前に、あれほどトールギスの魔法障壁を撃ってきた石つぶては、びりりと止んだ。同時に、がしゃん、がしゃん!という、何かが落下し激突する音も響き渡る。 −−− 「こんなものがずっと着いて来たわけか…」 「傷つけないでよ、研究用に持ってくんだから」 小馬鹿にする口調でトールギスは、地面に倒れ伏したそれらの一つに不遜な態度で足を乗せている。背後であたりに散った部品をためつすがめつ眺めていた名前は、肩越しに振り返りながらその行動を咎めた。ふん、と楽しげに嵐の騎士はその残骸から足を離す。 たいまつの代わりは持ってきていないし、また再びトラップが発動しないとも限らないので、魔法で光源を作り出した−−−その下に照らし出されるもの。 転がっている歯車と金属片のかたまり…マナを動力源に動く、追尾型マジックトラップの成れの果てだ。球いボールのような体から腕が二本伸びていて、それで天井にぶら下がり、頭の上についている発射台から魔法をかけた石つぶてで攻撃するらしい。ずいぶんと手の込んだ精巧な作りだった。すでに動かなくなったそれが、何体も足元に転がっている。 名前は彼らに電撃系の魔法を壁越しに流し込み、動く歯車たちを壊したのだ。ダンジョン内に湿気がこもり、壁や床もしっとりと湿り気を帯びていたおかげで成功させることが出来た芸当だ。トラップ自体にも侵入者を追撃する以外に特殊な魔法をかけられていなくて本当に良かったと思う。 人の頭ほどもある球体をひっくり返し、名前は一つ嘆息した。 「ねえ、トールギス…ここってさ、勝手に探索してもいい場所なんだよねえ」 「…何故そんなことを聞く?」 「いやあさ…ほら、ここ」 持っていた球体を裏返し、ぐい、とトールギスの眼前へ突きつける。一枚の金属プレートを魔法で丸く加工したのだろう継ぎ目の無い球体の裏側には、くっきりと、見覚えのある模様が刻まれていた。 ひくっ、と頬がひくつく。 「ラクロア王家の紋章に、私は見えるがね」 「…ふん」 「いや『…ふん』じゃないよ、お前何さらっと不法侵入に加担させてくれちゃってるの!?」 「よく見ずに入った貴様が悪いんだ」 「お、ま…っ!!−−−ハァ。それ詐欺だからね。訴えれば勝つからね」 と、言おうとも、諦めきった口調では効果など皆無。もともと訴え出る気などないのだろうと言わんばかりにトールギスも目を細めているが…その通りである。本音を語ってしまえば王家の魔術師が作り出したダンジョンに道徳と倫理観が家出をしそうなのだ。うずうずとよくない好奇心が先ほどから疼いており、この先に何が待ち受けているのか早く進みたくなっている。 −−−しかしまあ、それは己の魔術師としての好奇心。本来ならば、用がなくてはこのような洞窟に入り込むことはないだろう。王家の遺跡があると知っていれば、なおさら足が向かなくなるに違いない。 それは背後にいる嵐の騎士も同様だと思っていたのだが…きゅ、と名前は、向ける視線をにわかに鋭くする。 「トールギスさんったら、こんな所に来て何を考えていらっしゃるの?」 「……」 不真面目な己の口調ととげのある視線を真正面から受けて、すい、と彼の怪しげな光が宿る瞳が逸らされた。ひらり、とたなびくマント。呼応するように、ぐ、と体に伝わってくる重力が強くなる。 それはトールギスから発せられる、明らかな殺気。言葉にしなくても「聞くな」という拒絶は雄弁に伝わる。ぴりりとした雷撃に似た感覚を全身に浴びながら、名前は一つ、「ひどいなあ」と嘆息した。 「信頼されてないんだ、私」 「…」 「ま、いいけどね。あーあ、トールギスを許せる懐のふかああい女なんて私だけだと思うんだけどなあ」 「は?」 殺気が弱まり、訝しげな声がこちらに向かってかけられた…が、名前はもうそれにはかまわず、再び球体を観察し始める。疑問符を多分に含んだ気配がこちらの首筋を打って来たが、全てを語ってやるつもりは無い。 トールギスがラクロア王家や騎士団に、何かほの暗い感情を抱き始めたのは気付いている。おそらくそれは、あまり質の良くない感情だ。もしかしたらこれがきっかけになって彼が良くない道へ進むことになるかもしれない。 彼が歩くそこは茨の道…そうなったら名前は、己がどういう行動をとるか痛いほどわかっていた。 (お前を受け入れない国ならくそくらえだ…って思ってることわかってほしいんだけどなあ) 先ほどのきょとんとした様子からして−−−こちらが胸に抱く感情など、髪の毛の先ほども理解してくれていないのだろう。案外彼は、名前のことも替えのきく壁くらいにしか思ってくれていないのかもしれない。 「まあ、今はそれでもかまわないんだけど〜」 「?さっきから何だ」 「べっつに〜」 だらりとした口調で背後からの質問を流しながらも、名前の顔はにっこりと微笑んでいた。 トールギス−−−プライドが高くて、口が悪くて、辛辣な、不器用で哀れでなんて愛しくて可愛い人。来いと言われれば、自分は簡単に祖国に背を向けるだろう。 |