「――!」

 目を開ければそこは見覚えのある場所だった。ざざ、と波の音が聞こえる。黒い、海。重くうねるそれは、全てを飲み込もうとしているかのようだ。

 デジタルワールドであり、デジタルワールドではない場所。彼女がここへ来るのは、これが初めてではなかったが、再び来るつもりなど毛頭なかった。なのに。

「なんで、私、」
「簡単なことだ」

 黒い海を前に尻餅をつきそうになるのをなんとかこらえ、足を後ろにぐっと踏み込むと、名前は振り返った。

「あなたがやったの、ダークナイトモン」

 ダークナイトモン。名前は、彼が自分に向けるその全て見透かしているような言動を嫌っていた。何分ひどく居心地が悪い。どうせ何も知らないくせに、と心の中で悪態をつくのもお決まりになってきた。

「確かに呼んだのは私だ。だが、それに応えたのは他ならぬ君自身じゃないか、名前」

 まただ。何も知らないくせに、そうやって。名前があからさまに顔をしかめても、ダークナイトモンは変わらずあの射抜くような視線を投げかけてきていて、彼女はますます苛立った。

「認めない、か」

 彼が言い終えるのと同時に、ぐら、と視界が歪んだような感覚に陥り、名前は頭を抱えた。高速で再生されるその映像は、紛れもない彼女自身の記憶だった。

 頭の中を、心の中をぐちゃぐちゃにかき回されるような不快感。そして、忘れたい過去を見せ付けられる恐怖。耐え切れず、名前は目を瞑った。見たくない、思い出したくない――!

「やめて!!!」

 名前はたまらず叫んだ。もはや悲鳴に近いそれは足元の砂に吸い込まれていく。途端、記憶はぴたりと止み、視界を遮断した彼女が感じるのは自身の心臓の鼓動と、重苦しい波の音だけだった。

「もうやめて、私だって、わかってた、あの中にいちゃいけないって、私は、そういう人間なんだって」

 ぽつり、ぽつりと口からこぼれていく弱音。ダークナイトモンはそれを聞くと満足げに目を細めた。「そう、君はこちら側だ」それが聞きたかったと、言わんばかりに。

「私だけが君を、受け入れられる」

 たたみかけるようになされた囁きは、紙に落とした黒いインクのように、じわりと、ゆっくりと彼女の心の中に広がっていく。

 闇が彼女の心を染めるのに時間はいらなかった。さあ、おいで。その声に、名前は力なくうなずく。ふらりと彼の後ろをついていく彼女の目には、何の希望もなかった。




The darkness calls.

「絶望の淵に沈む君はとても美しい、名前」