仕事に追われる日々が続き恋愛する余裕も気力も失い掛けていた頃、転機は訪れる

ひょんな事から学生時代に憧れていた彼と再会を果たしてしまったのだ



伸びて来た髪を切りたいという衝動に駆られるも金銭的な余裕は無く、同じ職場に勤める同僚に腕はともかくとして安い店は無いかと窺いを立てた所、安いかどうかはともかく美形が居るよ等と薦められては確かめたくなるというのが女の性というもので、面食いな彼女が薦める位だから間違い無いだろうと期待は生まれ、募って行く

美形という単語を聞かされては、お金云々は抜きにして確かめたくもなるだろう。何だかんだ言いつつ私も女なのだから好奇心に勝てる訳も無くて

それを切っ掛けに彼の勤める店に脚を踏み入れたのが三ヶ月も前の話。再会すると同時に、あの頃のときめきが蘇るなんて事は無かったが再び友好関係を結んでしまえば2度目の恋に落ちる迄、そう時間は掛からなかった



気分転換に飲みに行かないか等といった彼からの御誘いメールを貰った今、舞い上がらざるを得ない

今夜はどうかといった返信を返した所、直ぐに返信はやって来る

良いよという一言だけで単調なものだったが嬉しい事に代わりは無くて

化粧を直すべきか否かなんて事を考えながら自分の姿を女子トイレの鏡に映すのは、何時以来だろうか

億劫でしか無かった仕事も捗る事、捗る事。彼を待たせる訳には行かないからとハイペースで仕事を熟したものだから終業を終える頃には、すっかり疲れきってしまった

楽しみが控えてるというのに、これではいかんとコンビニに立ち寄り滋養ドリンクを買う辺り年齢を感じさせる。未だ若いつもりで居たのだが身体は正直だ

約束の場所である店先に佇む彼の姿を見付けるなり、つい先程迄感じていた筈の疲労は何処へやら。いとも容易く、あっさりと吹き飛んで行ってしまう

『御免、待った?』

「ああ、30分は待ったな」

1度は言ってみたかった台詞を口にすれば、期待していた台詞とは異なる応えが返って来る

一瞬にして、ときめきはサヨナラを告げた

『嘘!』

「嘘に決まってんだろ」

本気にし狼狽えたと言うのに、してやったりといった表情で笑まれては悔しさも滲むというもので、それと同時に懐かしさも沸き相変わらずだと微笑ましくもなろう

変わって無い

「何、ニヤけてんだよ 気持ち悪いな」

思わず頬が綻んでしまうのは彼が変わって無い事が嬉しいからなのに

会えて嬉しいというのもあるが

一緒に居る事が当たり前だった学生時代とは違い互いに社会人となった今、極僅かな限られた時間にしか会えない

会うのがやっとなのだから遊びに行くなんて事は到底無理だろう

彼の勤める店には定休日がある様だけど私が勤める会社にそんなものは無いし休みの希望日を出したとしても確実に通る保証も無いのだから

優先順位は決められている

上司だけ狡いと泣き寝入りするしか無いのだ



彼に促されるままに入店を遂げれば目の前に拡がる光景に驚愕した

寂れた外観とは裏腹に内装はこれでもかという位にお洒落だったから

取り扱いは洋酒のみという事だがウイスキー・ブランデー・ワイン・カクテルといった品書きの中から選ぶとなれば凄い量となる故に先ずドレを飲むかと迷う羽目になる

オリジナルカクテルという項目を見付ければ興味は其方に流れて行ってしまったが

この店オリジナルならば此処でしか飲めない

それ則ち限定もの。コンビニ等に陳列されてる期間限定商品というものにも弱いが、此処に来てもそれが炸裂する事になろうとは



結局全種制覇は叶わなかった

夜も更け時計の短針が2を指した事から、明日は互いに仕事だし今日はもう帰ろうという話が彼の口から持ち上がったのだ

タクシーで帰る事になるも酔いを冷ましたいからと途中で降りる事を宣言すれば、仕方無いから付き合ってやると面倒臭そうにしながらも家迄の道程を一緒に歩んでくれるのは真夜中に女独りを出歩かせる訳にはいかないといった彼なりの優しさなのだろう

酔いが良い具合に廻った身体は火照ってはいるが、冬が間近なだけあって風は冷たく徐々に徐々に冷やされて行く

私の住むアパートが、もう直ぐソコ迄迫って来ればもう少し彼と一緒に居たいなんていう何とも自分勝手な思いが沸いて来るが、彼を引き留める理由も言い訳も見付からない上にそんな権利も無いからと自らの思いに蓋をしようとしたその時、隣を歩んでいる彼の手が私の手を掠めて来たかと思えばキュッと手が握られ、瞬間には心臓は跳ね上がり甘苦しい思いで胸が占められて行く

彼の意図はどうこう考えるよりも先に意識すれば、ドキドキと鼓動は高鳴り暴れ回っているというのにも関わらず私の手は勝手に動き、ちゃっかりと彼の手を握り返して行くものだから何をやってるんだと思わされてならない

かと言って離す気にもなれないから困ったものだ

だから、ほら

アパートに辿り着いたというのに、歩みも止めたというのに彼の手を離せないでいる

未だ一緒に居たいだなんて事思っても口には出来ないし我儘が通る関係でも無いのも解ってる。なのに私の手は彼の手を離したがらないのだ



学生時代、友好関係が崩れる事を恐れ出来なかった告白は卒業後に私を苦しめた。未練だけしか残らず、やっぱり言っておけば良かったと後悔の念に捕われ身動きが取れなくなり就職しても引き擦って引き擦ってようやっとの事で苦い思い出に出来たというのに再び巡り会い、2度目の恋に落ちてしまった。同じ過ちは繰り返したくは無いし頃合いだろう

『鉢屋に聞いて欲しい事があるからもうちょっと付き合ってくれる?』

「それは別に良いが、このままでか?」

彼の前に回り込み向かい合う形で話を切り出せば了承を得るも手を繋いだままでいる事を指摘される

このままで居る方が私としては都合が良い

途中で尻込みして鉢屋から逃げない様にする為の枷だ

『今から言う事は酔っ払いの戯言でも無ければ冷やかしでも無い』

こう言えば彼も真摯に受け止めてくれるだろうと踏み言葉を連ねて行く

学生時代好きだったという事、告げなかった事を後悔したという事、諸々全部の話を包み隠さず打ち明けて行けば、真顔で居た彼の表情に動揺の色が浮かび始める。話を終えた所で彼から視線を外し手を離そうとすれば、それは彼の手に依って遮られる

「言うだけ言って逃げるつもりか?」

『最初から答なんか求めてないもん』

そう、最初から言い逃げするつもりで居たのだ。だけどそれは彼の手に依って阻まれてしまった

私の直ぐ後ろには自分の部屋が在る2階へ続く階段が在るというのに手首を掴まれてしまったんじゃ踵を返し逃げに転じる事も出来ない

「駄々っ子か、お前は」

聞きたく無いものは聞きたく無いし、答を聞く度胸は最初から持ち合わせてない為に後退りながら振り解こうと試みるも全く以って歯が立たず、それ程迄に手首を強く握り絞められている

まるで離す気が無いと云わんばかりに

地味に痛いんですが

「良いから聞け」

『否が応でも聞かすつもりでしょうが…っつうか、マジ痛いから離してくんない?』

「離したら逃げるだろ」

痛いっつってんのに、コイツはもう

睨み付けても効かないし、せめて力緩める位してくれたらどうなんだろうか…っつうか、もう解ったからサクサクふって自由にして欲しい

俯き加減で溜息を吐いて居れば闇に深さが増す。と言うか掴まれていた手がグイッと引かれ私の身体はすっぽりと彼の腕の中に納まってしまっていた

「さっきの答なんだけどな…俺も苗字が好きだったよ。そんで、今もお前と同じ気持ちだから」

『冗談』

腕の中に納める事が出来たからだろう。掴まれていた手は退き背に廻されている

彼からの告白も素直に受け止める事が出来ず、そんな都合良い話があるものかと否定の言葉を掛ければフッとした息が耳元で吐かれ、あまりの擽ったさに身を揺らす

「生憎だったな 今回ばかりは冗談じゃないし巫山戯ても無いよ」

密着していた身体が離れ、額にコツンと彼の額が重ね合わされては妙な羞恥心が沸いて来る。ちょっと近過ぎやしませんか

これ程迄に恥ずかしい事は無いだろうに真っ直ぐに向けられて来る彼の眼差しから目を逸らす事が出来ない。かと言って見詰め合ったままで居るのも気恥ずかしく徐々に徐々に顔に熱が集まって行く

酔いは何時の間にか冷めていた

今あるのは羞恥だけ

彼から目を逸らせば照れてるだ何だのと指摘され面白がられる事だろう。そう解ってはいても目を逸らさずには居られない

こんな甘い雰囲気は慣れないし恥ずかしいし、何か嫌だ。出来る事なら逃げ出したいとすら思えるのだから

「…名前」

俯くなり名前を呼ばれては心臓が跳ねる。煩わしいと思える位に

彼が今迄に私の名前を呼んだ事があっただろうか…否、無い。今が初めてで昔から先刻迄、一度たりとも無かった

嗚呼、もう心臓が壊れてしまいそうだ。それ程迄に心臓がドクドクと脈打っている

妙な緊張感も生まれ、顔が上げ辛い

『解ったから…いい加減、離して』

うー…と唸りながら胸板を押すもビクともしやしない。離してと促しても離す気も無いみたいだしで参った

「キスさせてくれたら離してやる」

選択肢が無い様な気がするのは気の所為でしょうか

この甘い雰囲気から逃れたいと言うのにソレから逃れるには先ず解放されないと話は始まらないのだが、解放されるにはキスが必要だとこの方はおっしゃいましたか?

無理、死ぬ。爆発する

得をするのは彼だけ

嫌だ嫌だと駄々を捏ねた所で無駄な足掻きでしか無い

顎を彼の手に依って持ち上げられ強引に唇を奪われてしまっては

遠慮して重ね合わせるだけのキスに留めてくれていようが何だろうが、おかわりも求めて無いというのに顔の角度を変え何度も何度も口付けられては遠慮してくれてるだなんて事は微塵も思えないし御腹一杯だし、本気で爆死しそうなのですが

生憎と私は彼を止める術を持ち合わせてはいない

されるがまま、耐え抜くしか無いのだ



「…なぁ、名前」

『何』

「泊まってって良いか?」

漸く終わったかと思えばコレだ。抱き竦めて言う事じゃ無いだろうに

泊まるとか泊まるとか泊まるとか…絶対無理

ブンブンと首を横に振っても聞き入れてはくれないらしい

さっきから同じ問答が繰り返されている

私が首を縦に振る迄この押し問答は続くのだろう



(なぁなぁ名前。思い付いたんだけどさ)(あー…もう、今度は何よ?)(いっそ一緒に住まないか?)(…冗談)(否、マジで)





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