「あ!」


どこか聞き覚えのある声に反射的に振り向けば、大きな瞳と視線が交わった。
キラキラと輝く金髪に色とりどりのピアスを付けた、いかにもチャラそうなホストまがいのその男は、私を見つめたまま口の両端をやんわりと上げ、ゆっくりと猫のように目を細めた。


ああ、これはまた厄介な相手に出会ってしまったなあ。



「わーぐうぜーん!オフィスがこの辺だって聞いてたからここのコンビニに寄ってみたんだけどね、まさか会えるとは思わなかったよ嬉しいなぁ!ねぇ、これってかなり運命的だと思わない?」
「こんにちはごきげんようさようなら」



私は手に取った紙パックのカフェオレを棚に戻し、急いで店内を後にした。
……最悪だ。午前中ずっとパソコンとにらめっこ状態だったから、気分転換にと思ってわざわざ外に出てきたのに。これじゃあ気分転換にならないじゃないか。貴重な昼休みが台無しである。



「ちょっとちょっと名前ちゃーん!」



店を出て少し歩けば、慌てたように駆け寄って来る足音と、私の名前を呼ぶ大きな声。彼が追ってきたと理解するのにそう時間はかからなかった。
あれだけの態度を取ったっていうのにどうして追いかけてくるのだろうか。公衆の面前で、しかもあんな大声で名前を叫ばれては無視するわけにもいかない。舌打ちしたい気持ちをぐっと我慢して、私はその場に立ち止まった。



「……付いて来ないでくださいよ」
「いやー名前ちゃん歩くの速いねえ!やっと追い付いた!」



人の話を無視してにこにこと胡散臭い笑みを浮かべるこの男は、私の行き付けの美容院で働く私の担当美容師だ。
見た目も中身もチャラいけれど腕は確かで、何冊かの有名な雑誌に紹介される程の腕前だ。「イケメン美容師」として紹介された事もあり、今やお店は斉藤さん目当ての客で賑わっている。顔も良くて腕も良いとなれば、世の女性達が放っておく筈がない。現に、さっきから何人かの女の子がチラチラと私達を見ているし。



「てゆーかさ、せっかく会えたのに逃げるなんて酷くない?」
「斉藤さんこそ。このストーカーみたいな行為いい加減やめてくれません?」



ふふ、なんて薄く笑って、彼は私の言葉を軽く受け流した。

いつもそうだ、この人は。

女の子なら誰にでも優しくて、思わせ振りな態度を取って。告白されれば今みたいに上手く受け流して何事もなかったかのようにして。人の心には簡単に踏み込んで来る癖に、自分の心には頑丈な壁を作って誰にも足を踏み入れさせない。なんて卑怯な男なんだろう。



「この後暇?暇ならそこのカフェでランチ、」
「嫌です無理です仕事です」
「即答!?うう…せめて最後まで言わせてよー」



がっくりと項垂れる斉藤さんを無視して、私は再び会社に向かって歩き出す。するとあっという間に立ち直った斉藤さんも、当然のように同じ方向へと歩き出した。付いて来るなって言ってるのに。



「ねぇ、今度はいつお店に来るの?」
「当分行きませんよ。先週切ったばっかりですから」
「そっかぁ…それは残念だなあ」



ほら、またそんな事言って。誰にでも同じ事言ってる癖に。眉尻を下げて寂しそうにしてたって騙されない。てゆーかこの人美容師辞めてホストになった方がいいんじゃないかな、マジで。



「そうだ。名前ちゃんにこれあげる」
「え?」
「じゃじゃーん!僕の特別指名券!これさえあればいつでもどこでも名前ちゃんの元に駆け付けちゃいまーす!」
「……は?」
「っていうのは冗談でー。これ、うちの店の優待券。本当はこれを渡したくてあのコンビニで待ってたんだよね。名前ちゃんは僕の特別だからさあ」
「……なに、言ってるんですか」
「とりあえずうちの店に来なよ。いつでもいいから。ね?」
「だから、私先週……わっ!」



急に右腕を強く掴まれ、何事かと顔を上げれば真剣な表情をした斉藤さんが私を見下ろしていて、心臓が激しく波打った。視線を逸らしたくても、斉藤さんの目がそれを許してくれない。掴まれた右腕が異様に熱くて、どうにかなってしまいそうだ。



「おいでよ。僕、ずっと待ってるからさ」



そう言うと、掴んでいた右腕をあっさりと離し、彼は持っていた優待券を私の手に握らせた。そしてまたいつもの胡散臭い笑顔に戻って「ちなみにその券今月までだから。期間内に使わないともったいないよ?」と付け足す。私の心臓はまだバクバクと煩くて、頭が上手く回らない。だからだろう。私はゆっくり、首を縦に振ってしまった。



「じゃ、これから予約のお客様が来るから僕もう行くね。来るの、楽しみにしてる!」



満足そうに笑ってそれだけ言うと、彼は今来た道を駆け足で戻って行った。その背中を小さくなるまで見送って、溜め息をひとつ。
渡された優待券をポケットに入れて、私も会社へ戻るため歩みを進める。
今月、空いてる日ってあったっけ?頭の中で来週の予定を確認する。うん、木曜日頃なら行けそうだ。それまでにはきっと、ぐしゃぐしゃに乱された私のこの気持ちも落ち着きを取り戻しているはずだろう。


別に、彼に会いたい訳じゃない。ただ単純に、せっかくもらったこの券を無駄にするのが勿体ないだけ。ただそれだけなんだから。




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