遠雷





耳を掠めたのは動乱の足音か





鬱蒼と生い茂る木々は深い。
故に守りとなる。

重くのし掛かり垂れ込める暗雲は、空が落ちるかのようで。
時折、稲光が雲間を縫って疾駆する。



やがて落ち始めた水は、彼の者の名を消し去り、行く手を阻む。






「千景ー!」

張り上げる声に応えは無い。
降り落ちる雨水を吸う大地は、次第に足を取ろうと躍起だ。



深い深い森は一族を守る砦。
その傍らで、迷い込んだ者を呑み込む。

「千景ーっ」

何度となく呼び掛ける声は、森に雨に飲まれ、返る声も無い。
黒雲を走る青白い龍は、時を置き、やがてゆるりと唸った。
早く探し出さねば。と焦る心を嘲笑う。

叩きつける雨は痛みを伴うようで、水を吸う着物はゆるゆると重量を増し、纏わりついて自由を奪う。
強雨を、木を、森を掻き分けていけば、煙る水霧の中に金を見つけ出した。

「千景!!」

貫く様な強い音に俯いた顔が弾かれた。
潤む紅が人影を認識すると同時に駆け出してくる。
ぬかるむ土は、幼子の足を絡め取り引きずり込もうとするのを、咄嗟に伸びた逞しい腕に抱き留められた。

「千景!無事で良かった」

小さな躯を抱き締めれば、冷たさのみで。

「あれほど森へ入ってはなりません。と申したでしょう」

咎める声色は安堵の色の方が濃い。
音を奪う豪雨音の中、耳元に微かに響くは小さな嗚咽。

「……すま…ぬ…」

躯を然り支え僅か離せば、白頬を流れ落ちるのは雨水混じりの涙。


紅が歪み雫が零れ落ちていく。



纏う着物は水を含みべとりと躯に張り付き、所々が裂けている。
見るも鮮やかだった白着は、その影もなく暗色に汚れていた。
金は先から水を滴らせ、白肌は赤黒色と泥に彩られている。

足元は既に肌の色を確認する事もままならぬ程で。


眼前にある姿は、空を覆う暗雲の如く、黒色に飲まれていくようだ。



龍が鳴く


遠く遠くでゆるく長く


空を震わせ
地を震わせ
低く低く這い響き


内臓を揺るがす轟音





雨は業
降り止む素振りもみせぬ

ぬかるむ血
泥濁に飲まれる足元





やがて時代は動き出す
そう遠くない先に


牙を向き、数多を切り裂きながらその腑に全てを呑み込んで





轟鳴の遠雷は


ゆるり、ゆるり、近づいてくる動乱の叫び






「随分と汚れてしまいましたね」

姿は、この子の行く末を暗示ているよう。

「………父様と母様に怒られる…」

小さな手が必死に袖を掴む。

「九寿が共に怒られましょう」
「九寿っ!」

微笑を浮かべ抱き込めば、冷たい幼躯がしがみつく。





願わくば


この子が呑まれてしまわぬよう



その祈りが叶わぬと知りつつも




願わずにはいられなかった

















数多の欲望と混沌。
雪洞に浮かび上がるは、業欲に染まる閉ざされた町。


「……新選組……駄犬共の集まりか」

傾ける盃の中がゆらりゆらりと揺れ動く。

「侍でありもせんくせに、仰々しくも声高らかに刀を振りかざすとは…」

こくりと喉が鳴る。

「…風間」

一瞥をくれる焔。
朱塗りの盃は潤いを失って、変わりに紅を湛える。


「…愚かしい」


言の葉と裏腹に

口許に引かれるは愉悦の笑み













  『 願わくば…   』




















110612



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -