merry christmas宗教無法国家日本。 とはよく言ったもので、12月ともなれば街も人もクリスマスへと加速する。 幼い頃はそれは嬉しかったこの行事。 恋人のいる身の大人になっても楽しみなことには変わり無いが、残念なことに12月は年の瀬。 加えてクリスマスは国民の祝日に制定されてはいないわけで。 毎日嫌というほどの書類やらメールやら電話やらに追われ、家に帰れば眠るだけ。 しがないサラリーマンの年末などそんなものだ。 時計の針は定時をとっくに過ぎているのに、土方は目の前のPCにかじりついていた。 デスクの片隅には缶珈琲の空き缶が数本無造作に置かれ、両側には書類という名の紙の束やらファイルやらが積み重なっている。 静かなオフィスに携帯の着信音が鳴り響いた。 キーボードを叩く手を止めずに放置していれば随分としつこく鳴り続ける。 根負けしてディスプレイを見れば『風間』の文字。 「……なんだよ。今忙しいんだよ」 『第一声がそれか、貴様』 耳によく馴染む低音の声が機械の向こうから流れてくる。 「何の用だよ。早く言え」 『……随分な言い様だな。……まあいい。24日、空けておけよ』 「はぁ?何言ってんだてめぇ、仕事だ」 『休めとは言っとらん。定時で上がれ。』 「それが出来りゃぁ今こんな時間に会社にいねぇよ!」 『そんなものどうにかしろ』 風間は恋人だ。 傍若無人で不遜。高圧的で我儘。 かなり難有りな性格だが、付き合ってみると意外に可愛い一面を持っていたりもする。 何だかんだでほだされてしまって、恋人同士の今の関係にある。 「お前なぁ…無茶言うなよ」 『無茶など言っとらんだろうが』 「俺は一介のサラリーマンなんだよ!なんでも自由に出来るお偉い大企業の社長さんとはわけが違うんだ!」 『そんなもの関係ないだろう?ともかく定時で上がれ。何時もの場所で待っている』 「おい!てめぇ人の話を聞け!俺は行かねぇからな!」 「千景!わかってんのか!?おいっ!」 聞き分けの無い、相変わらず一方的な風間の態度に、多忙な毎日に只でさえ苛ついていた気持ちが増長されて、土方はそのままぶつけるように捲し立てた。 返事の返らない携帯から流れる音は、ツーツーと規則的な機械音だけだった。 風間とは正直住む世界が違うと思う。 一介のしがないサラリーマンである自分と、トップクラスの名だたる一流大企業の社長である風間。 現金は持ち歩かないだの、移動は全て車だの、財布の中に平然とブラックカードが入っていたときにはさすがに引いたぐらいだ。 今だってこうやって己の物差しだけで話を進めてくる。 盛大なる自由を手にする風間と、様々なものに縛られる自分ではズレが生じる。 土方は治まらない苛つきに舌打ちをし、飲み掛けの、何本目かになる缶珈琲を一気に煽った。 やはりというかなんというか。 風間が一方的に約束を取り付けてきたその日は、朝から目まぐるしい程忙しかった。 仕事に追われに追われて、気付けば終業のチャイムなど何時鳴ったのかさえわからなかった。 ようやく一息、と休憩室で自動販売機から何時も通りに珈琲を一つ買ったところで、ふと約束を思い出した。 「まさかなぁ…待ってねぇだろ」 今朝、どう考えても行けそうに無いことは予測出来ていて、勝手に取り付けてきた約束ではあるが、それでも行けない旨はメールを送った。 返事は無かったが。 携帯を開いても、この時間になっても返信は無かった。 もう一度、今日は行けないという内容のメールを風間に送ってみる。 「あいつも馬鹿じゃねぇし…」 家に帰っているだろう。と納得させると、土方は残った仕事を片付けるためにデスクへと戻った。 今までに無いんじゃなかろうか。 こんなスピードで仕事をしたことは。 ともかく、どうしても片付けなければならない物だけを優先して終わらせると、コートを引っ掴んでオフィスを後にした。 自社ビルの正面入口に辿り着く頃には既に走っていた。 入口の自動ドアが完全に開くのを待ちきれず隙間をすり抜け駅まで走る。 どうしても気になって仕方がなかった。 乗り込んだ電車の中で開いた携帯には、相変わらず返信は無い。 最初から行けないと言った。 今朝だって、休憩時だって行けないとメールを入れた。 居るわけがない。 約束の時間からもう何時間経ってると思っているんだ。 あいつだって馬鹿じゃない。 身勝手な約束だ。 守らなければいけない義理はない。 いない。きっといない。 そう思う心がとても強くあるのに、なぜか反比例して早く早くと急くのだ。 目的の駅の階段を駆け降りて、とにかく走る。 滑るように横を流れていく街は、きらきらと色とりどりの光を散りばめて輝く。 耳を撫でる特有の音楽は、済んだ音階で神を讃えている。 仲睦まじく体を寄せ合って幸せそうに歩く恋人達の脇をすり抜け、幸せな空気に包まれたクリスマスイブの街を駆ける。 今日が何の日か知らないわけじゃない。 その日を指定してきた風間の気持ちが分からなかったわけじゃない。 ただ、大人になって現実社会に飲み込まれて どこかで、仕方ないじゃないかと理由を…理屈をつけて どこかで…穴埋めすればいい…だなんて……… いつもの場所 決まって待ち合わせはそこを指定してくる風間。 殺風景で、何もない、ただ広いだけの区画整理の公園。 あるのは簡素なデザインの時計が一つ。 真夏の猛暑も、冬の極寒の中でもここなのだ。 何処か店でも入って待ち合わせようと何度か言ったが、風間は頑なに譲らなかった。 理由を聞いたこともあったが、答えは貰えなかった。 街を彩るイルミネーションの光も届かない、冷ややかな街頭の白い光がぽつぽつと落ちる。 静かな空間に自分の足音だけ。 走り続け上がった荒い息が止まった。 急に止めた呼吸の為なのか、はたまた目に映った光景のせいなのか。 こんなに胸が苦しいのは… 冷たい白色の光がぼんやりと落ちて照らす 殺風景な整備された植林とコンクリート、簡素なベンチ 静かに静かに足を進めて近付いた 「まだ待ってたのか?」 背を丸めて座る姿。立った位置から見下ろす形では、俯く顔は金の髪に隠されて見えなかった。 「行けねぇって言っただろ」 「貴様を待っているわけではない」 「…へぇ、そうかよ。大企業の社長さんを寒空の下で待たせるなんざなかなかの強者だなぁ。てめぇを待たせる、俺じゃねぇそいつはどんな奴なんだろうな?」 さらりと返された平素な声に、瞬間湧いた苛立ちが口をつく。 自分が吐いた皮肉が闇に吸い込まれれば、あとは静かな沈黙が続くばかりだ。 ずっと無かった返信の様に、風間からの返答はなかった。 ベンチに腰掛け、俯く風間は動かない。 膝の上に置かれた両手は、この寒い夜に手袋も嵌めていなくて、いつも白い指先が赤く染まっていた。 きっと冷えきっていてとても冷たいことなんて容易に想像できる。 随分と冷え込む日に、何故手袋をしないのか前に訪ねたことがあった。 理由を言おうとしない風間に執拗に食い下がり、根負けして渋々と理由を小さな声で口にした事をぼんやりと思い出していた。 「千景…」 苛ついた心などあっという間に消え去っていて、皮肉を口にした自分を恥じた。 土方は風間の前にしゃがみこむ。 俯いていた顔が見えれば、無表情の中の紅い瞳がやっと土方を映した。 「すまねぇな…千景」 「何故謝る」 「何故って…」 「貴様は二度も来ないと連絡を寄越したろう?」 「…お前、メール読んでたのかよ」 淡々と言葉を紡ぐ形の良い薄い唇は、色を失って白くなっている。 手と同様に、その顔も頬もひどく冷たいのだろう。 「だったらなんで…」 「俺が勝手に待っていただけだ。勝手に此処にいるだけだ」 「……」 「勝手に、そうしたいと思ったからそうしただけだ。お前が来ることはなかったのだ」 「…すまねぇ」 「何故謝る。お前が謝る必要はない」 「ごめんな…千景」 「だから、何故謝るのだ」 「俺が謝りたいから勝手に謝ってんだよ」 伸ばした両手で風間の頬を包んだ。 持っていた手袋は鞄の中に仕舞われたままで、手袋を嵌めていない手に、更にはマフラーもなく、コートの前さえも閉めていなかった己の格好に、どれだけ自分に余裕がなかったのかが分かる。 外気に晒され冷えているはずの己の掌に包んだ、風間の頬の方が更に冷たくて胸が痛んだ。 「どこか痛いのか?」 辛そうに眉を寄せる土方に風間は静かに問い掛ける。 「馬鹿やろうっ」 堪えきれなくて胸の中に風間を掻き抱いた。 強く強く抱き締めた体が、纏う服事芯から冷たく冷えきっていて泣きたくなった。 肩に風間の頭が寄せられて、頬に触れる柔らかな金糸も冷たくて 「……暖かい」 ぽつりと無意識に零れた風間の声に、更に体の内へと抱き締める力が増した。 最初から無下に断った。日々の忙しさに追われ早々に諦めて、どうにか努力をしようとしなかった自分がたまらなく情けなかった。 「土方……お前が…」 クリスマスに向けて浮き足出す人に街。 幸福という名の色と音に染まる世界。 思いを馳せ、幸せや喜びを顔に浮かべて行き交う人々の波。 「そばに…」 いたらいいと思った。 いたいと思った。 「ただ…傍らに居てくれたら…幸せだと思ったのだ」 あの空気を、あの空間を、この聖なる夜を ただ愛しい人と共にいれれば―― 悴んだ唇からぽつりぽつりと零れ落ちる風間の声に、答える術を持てなくて。 「千景……すまねぇ……」 もう何度目かになる言葉と、その身を強く愛しく抱き締めることしか出来なかった。 「謝らなくていい。謝るな。お前は悪くない」 頭を土方の肩に置く風間の表情は見えないが、耳許を擽る心地よい小さな低音は、微かに笑っているようだった。 見上げた夜空に向けて、佇む時計の指す時間はまだ今日の終わりを告げていない。 「千景、たいしたことは出来ねぇが、行こう」 体に回した腕を解くと、鞄からマフラーを取りだし風間の首にしっかりと巻く。 「ともかく、暖まんなきゃな」 土方は一度微笑んで見せ、手を握って立たせると風間の片手に自分の手袋を嵌め、片手は握って自分のポケットの中に仕舞い込んだ。 握った風間の手は氷を握り締めてる様に冷たくて、早く暖めてやりたくて何度も何度も握る手を組み替えて余すとこ無く触れた。 冷えすぎてうまく動かない風間の手が、それでも小さく握り返してくるのにたまらない幸福に満たされた。 明日はゆっくり過ごそう 携帯の電源は切って 買い物は手を繋いで一緒にいこう 一日中寄り添って過ごそう 傍らに ただきみがいる それだけで とてもしあわせなんだ * merry Christmas * 101223 |