血蝕





宵闇。
統するは、金色に輝く穴。
降るは、露なる月光。


包む闇と淡なる月明かりは、体に、心に、心地よい。
最も内なる、本能から沸き上がるような高揚感と身の軽さ。
同時に引き裂くような痛みを生むのは、己が内の『人』なのか。

満月光が照らす夜は、幾許か明るい。
提灯を持たずとも宵道を迷いなく歩めるのは、月明かりだけのせいではない事を知っている。


ああ……勘弁してくれ


細い路地道。土方は静かに歩を止めた。
脇道からはそぞろに数人の浪人が現れる。
目立つ人切り色の羽織でも纏っていれば事もなかっただろう。
高い思想も、掲げる志の上に成り立つものも無い、軽率な物取り程度。
抜き身の刀身がぎらつく光に囲われても、身の危険など微塵も感じない。

それよりも

己が内に秘めた者が頭をもたげはじめる危険。


頼むから…
おとなしく引いてくれ

ここで、俺に
刀を振るわせないでくれ


血を


ああ………



―――――血が――――







煙る血飛沫。
狭い路地は、足下の路を、囲う屏を鮮やかに彩っていた。
血染めの路に転がるは骸。中央に蹲る只一つの生は、獣のような呻き声を上げていた。
生暖かい温度を伴って、鼻腔を擽っていく堪えがたい誘惑の香り。
喉奥は焼け付き、酷い渇きと飢えに体全体が渇望する。


  血  を   と―


堪えるように胸ぐらを掴んだその指の爪が、激しい血の衝動に胸元に食い込んでいく。
眼前に垂れ下がる己の漆黒の髪が、白色へと変貌を遂げていく様を見るその瞳は赤に染まる。
血に囲まれ、返り血を浴びた自らの体からも匂い立つ芳醇な血の芳香。
ぐらりと頭が揺れ、どろどろと思考が溶けていく。
強烈な渇きと飢えと痛みに、無意識に、転がる赤の塊に手を伸ばした。

「無様だな。所詮は紛い物。地に這いつくばりもがく様さえ見るに耐えん」

背後の闇からその黒色を引き連れるように響いた低音は、嘲笑を色濃く宿し踏みにじるような嘲りは、溶けた脳髄に直接響いた。
瞬発的に伸ばした手を引き、悲痛を訴える体を無理矢理引き起こして立ち上がると、土方は背後を眼光鋭く振り返った。
赤い境界を挟んだ向こう。闇夜に浮かぶは月と同色の髪を持つあらざるもの。

「苦しいか?」

口端に張り付いた笑み、変わらない嘲りの色のままの問い掛け。

「うる、せぇっ」

苦痛に詰まる喉から、無理に吐き捨てるように返せば、白い顔が俯いた。笑みを刻む口許だけが白に刻まれ、喉奥でくぐもった笑いが落ちる。ふっ、と掻き消える様に姿が消えたかと思えば、白い足袋が乗る草履の先が、足元の血溜まりに小さな円を描いた。
目の前に音無く降り立ったのは、赤の境界の向こうに居たはずの鬼。

「――っ!」
「それ程に苦しいのなら、飲めばよかろう」

伸ばされた手が胸ぐらを掴み強い力で引き寄せられる。
互いに後少しで触れ合う程の距離で顔を付き合わせる。

「飲めば……」

眼前にあるは、整った端整な顔。月光の元では白い肌はより青白く透き通るように夜に浮かぶ。

「楽になるのだろう?」

正面に座する瞳のその色は、血を彷彿させ目が離せなくなる。
輝く血色。渇望する血を現すその瞳。

「…だま、れっ!」

なけなしの理性で、飢え渇く喉から声を絞り出すが、血と混同するような血色の瞳に本能から囚われて、惹かれて、視線を外すことが出来ない。
弧を描く口許が歪んだ気がしたその次に、鼻腔を掠めたのは甘美な香り。
芳香の出所、風間の口端が朱に彩られていた。
噛み切られた唇の端からは鮮やかな鮮血が溢れる。
薄く開いた唇から赤い舌が覗き、先端に溢れる血を乗せる。そのままゆっくりと、乗せた血を舌先で唇に伸ばして見せるその様に、視線が囚われる。

ごくりと土方の喉が鳴った。

夜の闇に包まれる月光の下、眼前にあるは、白い肌、淡く揺らめく金の髪、整った美しい顔。
舌先で口端から唇に引かれる血は紅を塗ったようで、倒錯的で、艶美な美しさだ。

目の前の妖艶さに魅せられて、茫然と身動きが取れずにいた土方の、掴まれたままだった胸元が僅かに引かれた。同時に風間が顔を寄せる。
柔らかな感触は直ぐに離れ、後に残るしとりと濡れる唇。風間の唇から移された血の強烈な香りが鼻を突き、ぐらぐらと脳が揺さぶられ目眩がする。
離れた柔らかな感触は、間を置かずに再度戻った。今度は深く、しかりと重なる。
否応なしに風間の血が唇から口腔へ、舌へ、喉へと落ちる。その香りも味も、至高の如く甘美な血の滴る甘露の雫で、理性の箍など即座に吹き飛んだ。

口腔内に、舌にと拡がり、喉奥へと流れ落ちていく朱蜜は、甘く甘美な魅惑の味で本能へと響く。
狂う程の官能的な血の味に加え、柔らかな唇の感触が合わさり、頭から足先、体内の奥底までがじんと痺れる。
細身の体に腕を回し、腰を引き寄せ後頭部を固定し身の内に抱き竦める。


濃厚な血の香りと甘露の血雫。
熱く蕩けるような風間の口腔内、唇、舌。

絡み合わせ、唾液と血が混じるのが口端から零れ落ちるのも、風間の口内へ落ちる血雫さえも惜しいと、舌で絡めとり風間の舌ごと啜り上げ飲み込む。

吸血と口付けの境もわからない、深く濃密な欲に呼吸さえも忘れて溺れるように貪る。
もっと、と求め、突き動かされる本能のまま鬼の回復力で塞がったその傷跡に、再度歯を立て切り裂き、真新しい傷を抉るように溢れる血を舐め取っても、風間は抵抗一つせずおとなしく腕の中におさまっていた。

口付けを交わしながら血を啜る。
抜け落ちた白色の髪が元の黒を取り戻す頃には、融けた思考から正気に戻る。
状況を理性で理解すれば、土方は気まずそうに風間から離れ、その顔を見ることが出来ずに視線を地に落とした。
互いに黙す、流れる沈黙を先に破ったのは土方だった。

「……なんで、俺に血を与えた…」

問いは静かに響くだけで返答は返らない。

風間は気高い。
鬼としての己に、その純血の血に持つ、誇りの高さをよく知っている。
人間を忌み嫌い、羅刹を紛い物と呼び嫌悪する彼が、気高く誇り高い純血の己が血を自分に与えたのだ。

「……風間」

落とした視線を漸く上げて顔を見れば、そこには当初張り付けていた嘲りは無かった。
答えを返さず、ただ黙す風間の表情は、その感情も、思考も、意図も読み取ることが出来ない。

「風間」

再度その顔を見つめ問い返すも、血の色をした瞳が真っ直ぐに見つめてくるだけ。
答えはない。

静かに、緩やかに風間が後ろへと下がる。

「―待てっ!」

逃したくない、と内から沸き上がる強い衝動に彼を求め手を伸ばす。
静かな夜と闇と同様の、沈黙と音の無い鬼は、答えること無く背後に控える深い闇へと溶け込むようにその身を消した。
伸ばした土方の手はただ虚空を掴むだけ。


「風間ああぁぁぁ!」


最後に目に焼き付いたのは、真意の読めない白い表情と濃密な血色の瞳。


追うように叫んだ彼の鬼の名だけが静寂の中に響くだけだった。


















101027

斬番1666

リクありがとうございました!

ご希望頂いたものに、沿えてるのかどうなのか…な感じなんですが
羅刹と言えば血、吸血。とばかりにちょと趣味入って好きに色々やらかした感が…すみません。
こんなんですが、少しでも楽しんで頂けてたら嬉しいです。

8/14にリクをくださった方のみお持ち帰り可



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