「俺、真ちゃんの『トクベツ』になりたいんだ」
唯我独尊で孤立する彼を落とすためについた嘘。俺の言葉を聞いた彼はほとんど反応を示さなかった。唯一、ペリドットの宝石のような澄んだ黄緑の瞳がゆらりと揺れた。
いつの間にか本気になっていた
――……忘れもしない、いや忘れてたまるか。
相手ベンチから聞こえる声援。バスケットシューズの擦れる音。ダブルスコア以上の点差のついた得点板。俺らの中学はそんなに弱いチームじゃなかったはずだ。なのに……誰一人として希望を持ってるヤツなんていなかった。これ以上点差を広げないためファールをしながら止めるだけだった。ラスト10秒。俺は緑間のマークについていた。緑間にボールがきた瞬間、直感的に俺はスリーがくると思った。思いっきり右手を伸ばしブロックに入る。しかし緑間は俺のブロックなどなかったかのようにシュートを打つ。無駄のない洗練された動き。丁寧に放たれたボールは綺麗な放物線を描き、リングを通り抜ける。――…美しかった。こんなに綺麗なスリーを打てるヤツがいるなんて…。不覚にも俺は彼のシュートに魅了された。それと同時に「才能」とは何か、見せつけられた気がした。緑間のシュートは尊敬に値し、同時に俺に才能の違いを見せつけるものであった。当時、何でもそつなくこなしてきた俺にとってこの現実はとてもじゃないが屈辱的なものであった。一度はバスケを辞めようと思ったぐらいだ。あんな辛い思いをしたくない、何度も思った。しかしそれ以上に……緑間に俺を敵の1人として認めさせたいという思いが強かった。だからあんな負け試合した後でも俺は1人黙々と練習を続けられた。いつか見返してやる。そう考え、担任に無理だと言われたバスケの強豪校として有名な秀徳高校を受験した。最後の追い込みが効いたのか、俺は何とか秀徳高校に合格した。――……緑間に勝つためやってきた、なのに。
「帝光中学から来ました。緑間真太郎です。」
なんで……お前がここにいるんだよ。
緑間の姿を見た瞬間、俺の小さな目標がガラガラと音を立てて崩れていった気がした。あの時受けた絶望よりも大きな絶望が俺を包んだ。俺はどうすればいいんだ。それだけをずっと考えた。そして出した答えが「緑間も俺と同じ思いをすればいい」という答えだった。内容は違えど俺がお前から受けた苦しみを緑間に味わわせたい。結論を出した俺は緑間に苦しみを味わわせるため、緑間の親友になろうとした。もちろん「仮」の。俺に裏切られて苦しめ。顔には笑みを浮かべ、真っ黒な心の内は彼に見えないように、気づかれないように隠した。緑間も最初は俺の存在をうっとおしいと思っていたが、徐々にガードを緩め歩み寄ってきた。俺は焦らず、慎重に距離を確かめながら一歩ずつ確実に近づいていく。可哀想な緑間。俺にあとで裏切られるとも知らずに、緑間から見えない場所で俺は自分の計画が少しずつ進んでいることに笑みを浮かべた。そしてその計画を立てて1年半。俺は緑間に甘い蜜を与えた。俺は真ちゃんの「トクベツ」になりたい。友達の少ない緑間には嬉しい申し出だろう。緑間は何も言わなかった。しかし俺には分かる。彼が俺の言葉にどれだけ動揺しているか。その時点で俺の罠にかかってんだよ。俺はいつも通りの顔に戻し、緑間をからかう。あまりやりすぎると疑われっからな。あくまでも慎重にだ。
そうやって月日は流れた。気づけば10年以上緑間の傍にいる。そしてその緑間と俺の左手の薬指にはシンプルなシルバーの指輪が収まっていた。真ちゃんの身長に合わせて買った大きなダブルベッド。その隣にはバスケ部全員で撮った写真が飾られている。
「……懐かしいな」
「あぁ」
俺の隣で寝転ぶ緑間。三十路近いはずなのにいつまでも彼は綺麗なままである。それなりに年をとった彼は昔に比べて丸くなった気がする。ツンデレと呼ばれていた高校時代が懐かしく感じるぐらいに。俺が高校時代の写真を見ていると緑間がふとこんなことを口にした。
「そういえばお前…嘘をついてたな」
「なんの?俺が真ちゃんに嘘つくわけないじゃん」
「……『トクベツになりたい』とお前は言ったな」
どきり、緑間の発する言葉に俺は動揺した。確かに昔は緑間を憎んでいた。コイツさえいなければ、そう思っていた時もあった。でもそれは昔のことだ。今では緑間と共に人生を歩みたいと思っているし、緑間がいなければ俺は生きていけない。そう思うぐらい緑間に依存してしまった。
「――――なんでそれを嘘って言うの?」
「お前は本当に分かりやすい男なのだよ。あの時お前の『目』が俺に対して敵意むき出しだったからな」
―――そんなこと初めて知った。「高尾は本当に嘘が顔に出ないよな」と友人に褒められるほど嘘が上手だったはずだ。しかし緑間には見抜かれている。もちろん俺が口に出したわけではない。こんなこと口に出すなんて未練がましいようで恥ずかしいじゃないか。なぜ真ちゃんはそのことを知っているのだろう。
俺があまりにも驚いていたので緑間はふっと笑みを浮かべた。くしゃりと俺の柔らかい猫っ毛を撫でながら
「ずっとお前だけ見てきたからな」
中学時代、ラスト10秒まで諦めず右手を俺の持つボールまで伸ばしてきた男。カンマ1、2秒反応が遅れていれば俺のシュートは止められていただろう。男の目はまるで獲物を逃さない鷹のようだった。試合後もあの夕焼けのように胸に焼き付くオレンジを忘れることができなかった。――そんなこと誰が言えるだろうか。自分が人事を尽くすため選んだ高校にそいつはいた。俺を見つけた瞬間、あいつの視線が俺に向いた。俺が恋焦がれたあの目が。あいつが俺に仕掛けた罠、あいつの目を見た瞬間気づいてしまった。こいつの思い通りにならない、断ろうともした。しかし、俺はあえて了承した。なぜなら俺には勝算があったからだ。いつかこいつを俺のものにする。この自由な鷹を俺という糸でぐるぐる巻きにして逃げられないように。
高尾はふっと笑い、俺に口付けた。甘く、溶けてしまいそうなその口づけに酔いしれる。しばらくすると唇が離れ、高尾が俺に寄り添ってきた。
「……真ちゃんって『ワルイ男』だね」
「後悔してるのか?」
「ぜーんぜん!今の俺めちゃくちゃ幸せだもの」
絶望の淵に貶めてやろう。そう決めていた男にいつの間にか本気になっていた。罠に引っかかったのは俺、それとも――……?
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