黒田は童に話しかける様子が伺えなかったので、大谷が声をかけた。
「やれ、童よ。それは主の父親か?」
 童は目の前に人がいることすら気がついていなかったのだろう、顔を上げて童は余すことなく晒しで固められた身体の上に具足を纏った大谷の姿を見るなり小さな肩をびくりと震わせ死体を強く抱きしめた。表情に恐怖と嫌悪が浮んでいて、大谷は愉快な気持ちになった。父親を亡くして、失意のどん底にいる子供にまで恐怖される我が身が、可笑しかった。大谷からしてみれば、親を亡くし片腕を斬られた童の方がずっと不幸だというのに。
 この童には、死しか残っていぬというのに。
「どうした?それは主の父親ではないのか?」
 大谷が重ねて訊けば、童はカクカクと頷いた。
「母親や兄弟はおるのか?身寄りはおるのか?」
 今度は左右に首を振って、そして再び泣き出した。
 はやり、この童には死しか残っていないではないか、と大谷は密かに唇を歪めた。
 これでは、生きていても仕方あるまい。見れば、怪我も浅手ではなさそうだ。殺してやらねばなるまいよ。ああ、手間だ。手間。
 このような手間は、この戦の御大将に任せるのが吉ではないかと思いつき大谷はほくそ笑んだ。
「やれ、かわいそうなことよ。幼きものがたった一人残されるとは無情なことよな。さらには、その腕の怪我も浅くはなかろう。ほんに、かわいそうよな・・・・・・」
 大谷は童を見下ろし、猫撫で嘯いてから押し黙ったままの黒田に向かい神妙な顔つき口ぶりを作って見せた。
「孤児が戦国の世で生きていく術はなかろうて。このままでは飢えて死ぬか、腕の傷を膿み腐らせ死ぬか・・・・・・どちらにしても酷なことよな。ここで楽にしてやるのが情けというものであろう?黒田殿」
 しかし、黒田は未だに無言だった。無言で童をじっと見つめている。
 大谷はそれに焦れた。
 この手緩い男ならば子供を連れて帰ると言い出すかもしれぬ。それではつまらぬ。あの黒田が頑是無い童を慈悲だと言って斬り殺す姿が見たいのだ、と舌打ちするのを噛み殺したところで、ようやく黒田の大きな身体が動く。黒田は父親だったものに縋り付いている童の前に立った。
「大谷。情けは人のためならずっていうのは、本当だな、おい」
 黒田の意図が読み取れず、大谷は黙して成り行きを静観した。
 黒田はおもむろに柄に手をかけてすらりと長刀を抜いた。童は自分よりも二回りも三回りも大きい黒田を呆然と見上げた。顔は、恐怖に引き攣っていた。
 大谷は己の口元が緩むのを感じた。
 黒田がギラリと光る刀の切っ先を子供の目と鼻の先に突きつけた。ヒィッと悲鳴をあげて童は骸を離して反射的に顎を引いて身体を後方へと反らした。
「答えろ、父親が死んだのが悲しいか?」
 童は瞬きもせずに涙と水洟で汚れた顔で大きく頷いた。
「斬られた傷が痛いか?痛いのはいやか?」
 それにも同じように頷いた。
「斬らないで、ほしいか?」
 黒田が刃先をつぅっと動かし、ピタリと童の首筋に当てた。童は首を動かして意志を示すことを封じられて、うぅっと呻いた。
「どうした、坊主。このまま小生に斬って欲しいか?痛いのはほんの一瞬だ。瞬きの間に小生がその首を落としてやると約束しよう。ここで小生に斬られてしまえば、あとの心配はなにもないぞ?ん?」
 頷け、頷け、童よ、頷け。どうせ、生きていたところで幸せにはなれぬ。誰も主を必要としておりはせぬ。怪我をしていたら、掏児にすらなれぬ。どう生きる糧を得る?生きていたら、我と同じくらい不幸になるぞ。ここで死ぬるが、幸福よ。
 そう、大谷は心の中で囃し立てた。
 童はのろのろと黒田を見上げて、細い声でこう懇願した。
「し、しにたくない・・・・・・いたいのはいやだ」
「生きていると斬られるより痛いこともあるぞ?」
「やだ、やだ!死にたくない。生きていたいよぉっ!」
 汚い顔をくしゃくしゃにしてわぁっと童が泣き喚いた。
「なら、行け。死んだ者に取り縋ってピィピィ泣いてないで、その屍を乗り越えて生きろ!」
 黒田は童の眼前でビュッと刀を一振りし、その前髪の毛先をぱっと斬って散らした。
 童は涙を拭いながらよろよろと立ち上がって、父親の死に顔に手を伸ばし、その目を閉じさせると、腕を押さえながら覚束ない足取りで黒田と大谷、そして父親のもとから走り去っていった。
 黒田は小さな背中が小遠ざかっていくのを厳しい眼差しで見守っていた。
「小生は、生かすぞ、大谷。お前さんの言うとおりこの先、あの坊主一人で生きていくのは大変だろうよ。もし、生きていくのが辛くて苦しくて厭になったら、自分で死にゃあいい。小生が殺してやる道理なんぞない。可哀想だから殺してやるなんてぇのはな、驕り以外のなにものでもないんだよ」
「・・・・・・」
 まるで自分が苦しみに耐えているかのように歯を食いしばる黒田に大谷は言い様のない無い苛立ちと胸の高鳴りを覚えた。
 もう、自分の企みがうまくいかなかったことはどうでも良かった。むしろ、そのようなことは念頭になかった。
「どんな目にあっても、どんなふうになっても人間は自分自身の力で考えて生きてくしかねぇんだよ」
 ただ、ただ、黒田官兵衛という己と対極の生き方をしている男の存在に痺れるような衝撃を感じていた。
「そう、睨みなさんなよ・・・・・・。あの坊主が可哀想だから殺せというのはお前さんの優しさだ。それが本心か偽りかはわからんが、小生は否定しないさ。そういう考えもありだろう」
 大谷は絶句した。呆気にとられたと言っても過言ではない。心の中で馬鹿にされていた男に、ここまでされるとは思っていなかったのだ。しかし、ただ黙って聞いていていることは耐えられない。反論の言葉を捜していると、黒田は刀を鞘に納めると、踵を返し大谷に背を向けて歩き出した。帰陣するつもりなのであろう。大谷も仕方なくその背中を追った。
 大谷の何歩か前を行く夕日の赤い光を浴びた黒田がまるで独白のように呟いたのを、大谷は聞き逃さなかった。
「生憎だが、小生は情けなど持ち合わせてなくてね。どれほど生きているのが辛くても、小生は・・・・・・お前さんを殺したりはせんからな。最後まで生きてもらうぞ、大谷」
 大谷は息を呑んで己の鼓膜を振動させる黒田の声の最後の一音までを聞き終えると、灼熱した。
 熱病が身体を犯すよりもずっと激しく、黒田は大谷の心と躰を焼き焦がした。
 黒田の指摘は、隠蔽していた己の知らなかった・・・・・・己の気がつきたくなかった真実に触れてしまった。惨めな自分自身の心を、黒田に突きつけられたのだ。
 大谷は止め処なく溢れてくるモノにぶるぶると震え、目眩く心地に胸を押さえ喘いだ。
 これ程の屈辱と嘲りを受けたのは、生まれて初めてだった。
 大谷は顎を引き、面頬と眉庇の狭間から見上げるように上目遣いにその広く大きな背中を睨めつけた。桑染の陣羽織に縫い取られている褐返の雲文様までが憎く、恨めしかった。
 おのれ、おれの、黒田官兵衛・・・・・・!よくも、我を辱めてくれたな。やれ、覚えておれよ。いつか必ず、主が我にしたことを、我が主に返してくれよう。





back top

「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -