巷でいう好色というのとは違うと思うのが、ワシは人と肌をあわせるのが好きだ。 おなごを抱くのも、前髪の若衆を抱くのも同じように好きだ。 快楽、というものにあまり重きを置いていない。相手の肉体の中に摩羅を入れるのは、強い快感があるので嫌いではないし、ワシの存在自体を欲しがられて、受け入れられた気持ちになるのがいい。けれど、もっといいのは素肌で素肌を感じることだ。 人肌のぬくもりというのは、他の何者にも変えがたい。生きている人間の暖かさは、ワシを安心させてくれる。 まどろむが如く穏やかなときには柔らかに、激しく昂ぶっているときには熱く、人間の身体の温度は変わる。熱したり醒めたりするのを自分の素肌で感じるのが好きなんだ。。熱を発することは、なによりも生きている証だ。 でも、ワシは抱かれるのは苦手だ。 苦手というより好きではないというのが本当のところだ。ワシは寝子になってされるよりも、自分から相手に働きかけて、できるだけ相手の喜ぶことをしてやる方が性にあっているんだ。実際、幼い時分に尻を慣らされたのだが、碌々気持ちいいと思わなかったし、どうやらワシの身体は頑なだったらしく、相手が無理と判断してやめてしまったほどだ。されるのはよほど向いていないのだろう。それに、世辞にも美童とはいえないワシを相手に菊花の契りを交わしたいという物好きも殆どいなかった。 今では随分とうがたってしまったワシを抱きたいという者はいない。 正直なところ、今ワシを抱きたいというものが現れたとしても・・・困る。 どう考えても抱かれるのは無理だ。あの筆舌に尽くしがたい嫌悪感に耐えられる自信はない。 契る相手には、当然なにかしらの情がなければ駄目だと思う。 ワシの相手になるものの多くは、ワシのことを心から慕ってくれるものばかりだ。当然、ワシも相手のことが好ましいと思っている。 優しくしてやりたい、気持ちよくしてやりたい、慰めてやりたい、守ってやりたい。暖めてやりたい。一人ではないとわかってもらいたい。 そういった暖かい気持ちが常にある。 けれど、ワシには激しい恋着というものはない。時折そういう気持ちをワシに向けるものもいるが、ワシは誰か一人のものになることはできない。誰か一人の特別になることはできない。けれど戦国の大名には多くの妻や寵童がいるのが当然だとわかっているので、ワシを独占しようというものも最後には諦めていく。 実のところ、肝心要はそこではないんだ。 ワシが誰か一人のものにならないのは、三河の総大将である徳川家康だからじゃない。 ワシ自身に、そのもののために全てを捧げてもいいと思うほどの気持ちがないからなんだ。かわいそうなことをしているという自覚もある。今まで肌を合わせた者たちを軽んじているのではない。そうではないのだけれど・・・そういった乞い焦がれるような相手は、多分他にいる。たったひとりだけ、そういう男がいる。 他の人間に感じたことの無い複雑で不思議な熱情をワシは石田三成に対して抱いている。 端的且つ即物的に言うならば、ワシは三成になら、抱かれてもいいと思っている。 もし、三成がワシと契ってもいいと言うならば、ワシは抱くのでも抱かれるのでもどちらでもいい。 喜んでこの身を差し出すだろう。 三成になら、独占されたい。誰よりも熱い眼差しを向けられたい。何度だって名前を呼ばれたい。 ワシは、三成の肌の温みを知りたい。三成の生をこの身体を通して感じたい。情を通わせたい。 そんな愚にもつかぬことを考えているわけだが、絶対に三成とはそのようなことにならないだろうし、万が一そうなったとしてもワシの身体自体が三成を受け入れることが出来るかどうかはわからない。 何より、こんなことを軍義の最中にその雪白の横顔を見ながらなんとなく考えていたことが三成に知られたならば、きっと斬りかかってくるだろう。 ワシの気を惹き付けてやまぬ男は、そういうやつだ。 ついつい、小さな笑い声が漏れてしまうと、三成がこちらに流し目をくれた。 ジロリとひと睨みされて、ワシは肩を竦めた。 やれやれ、また怒らせてしまったようだ。後が大変だ。 大きな声じゃ言えないが、それも嬉しかったりするんだけどな。 了 |