ああ、殺られる。
 家康は己の手から宙に弾き飛ばされた槍を見ながら、そう思った。
 敵の槍の穂先が肉迫する。
 ギラリと光る先端に見えるのは遣い手の恐怖、憎悪、鬱屈、興奮・・・。
 身体が動かなかった。考えることもできなかった。
 目も閉じれなかった。
 突き殺される、その刹那の刻。
 視界の端に、白銀(しろがね)の風が舞い込んだ。
 敵兵の槍は家康に届いた。しかし、けら首から先が切断され、穂先だけが腹を外し太腿を守っている草摺を突き刺したに留まった。それでも槍の穂先は鎧の裏をかき家康の腿肉を穿った。たまらず家康は痛みに唸った。
 だが、敵兵はそれを掻き消すほどの大音声で絶叫していた。
 ことの成り行きが飲み込めず、痛みを堪えて上半身だけ身体を起こし、敵を探せばすぐ隣にいた。地べたに仰向けに転がって、白い羽織に鉄の具足をつけた若武者に踏み潰されていた。
 白い羽織の背中には、見慣れた下がり藤。
「みつ、なり・・・」
 家康は自分が助けられたことをようやく知った。
「たすけてくれぇ、たすけてくれえぇっ!」
 胸の辺りを踏まれている敵兵が、三成を見上げて命乞いする。血と鉄とは異なる異臭が、微かに家康の鼻をついた。
 身も世もなく泣き叫びながら敵兵は失禁していた。完全に戦意を喪失しているの。いや、それ以上に死に怯え震える敵兵の心情が家康の胸に生々しく伝播した。
「やめろ、三成ーっ!」
 反射的に助命の声を上げたが、それは三成の耳を素通りした。
 三成は白を振り上げ一閃させる。
 断末魔の悲鳴が、家康の耳を劈(つんざ)いた。
 三成の白が敵の喉笛を切り裂き、戦場の空に血の華が咲く。
 咲いて、一瞬の後には散っていった。
 散華の花弁は、珠となって顔にぱたぱた降り注ぎ、家康の視界を赤く滲ませた。
 もう、この近辺で生きているのは三成と家康の他に誰もいなくなった。
 白い羽織を翻し振り返った三成は足を投げ出して座り込んだままの家康を睥睨した。
 目を凝らせば白いと思っていた羽織は所々血泥と土で汚れ、裾の布は綻びていた。
 三成は血刀をさげ、一歩二歩と歩み寄り、無言のまま家康の傍らに立った。
 目が合うと、次は自分が殺されるかもしれない、と家康は思った。
 それ程、険しい目をしていた。
 しかし、家康の予感とは裏腹に三成はゆっくりと家康の前に膝を突き白を脇に置いた。その視線の先には、家康の太腿に突き立っている槍の穂先があった。
「歯を食いしばれ」
 三成がゆっくりと槍の穂先に手をかけると、一息に家康の腿の肉から鉄塊を引き抜いた。
「ぐ・・・あぁっ!!」
 刺さるより、抜ける方の痛みの方が強烈であった。
 しっかりと噛み締めた歯の間から、それでも悲鳴が吹きあがった。
 全身の毛穴から汗がどっと吹き出し、熱していた身体がどんどん冷たくなっていくのを感じた。
 沈む夕焼けが辺り一面を、馬や人の屍の山を、罅割れた大地を、死臭の漂う空気を、三成と家康を、朱で塗りつぶしてゆく。
 撤収を告げる陣太鼓の音が聞こえたような気がしたが、身体はやはり動かなかった。
 それでもなんとか立ち上がった。
 その家康の身体を、三成が支えた。
 三成の華奢な肩に寄りかかり、半ば引き摺られる形で家康は戦場を歩いた。
 夕日に押されるようにして歩く二人の重なり合った影が、地とその地の上に累々と転がっている屍を舐めるようにして黒々と伸びている。
 さまざまな想いが胸を去来した。
 眼前に迫った敵の刃。
 救われた己の命。
 慄き震えながら、許しを乞う叫び声。
 それを躊躇いもなく屠った白刃が血に濡れて・・・掬えずに、己ばかりが掬われて。
 それでも、こうして生きている。
 いや、生かされたのだ。
 三成に。
 家康は頬を血と涙で濡らしながら嗚咽した。
 力が、足りない。自分は、こんなにも無力だ。
「三成・・・弱くてすまん」
 家康を支えている三成の身体も、時折がくりとのめるように傾いた。
 家康の耳元に、荒い息遣いが聞こえてくる。
 三成も、心身供に疲弊している。限界いっぱいのところなのであろう。
 それでも、家康を離さなかった。
「馬鹿が・・・豊臣に、弱卒はいらん」
 息が途切れ途切れであった。
「ワシ、強くなるからな・・・強くなるからな」
 今日のことは、忘れないぞ、三成。
 声を詰まらせる家康に、三成は「ふん」と鼻を鳴らすと、ずり落ちかけていた家康をその細い肩に担ぎなおして再び歩き出した。
 家康は白皙を夕映えに染める美しい横顔を横目に戦場を歩いた。
 本陣にたどり着くまで二人はそれ以上何も言葉を交わすことはなかった。





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