始まりの瞬間
 打つ手が無いわけではなかった。
けれど初めて遭遇する人生のピンチというものに、彼女はただ、『逃げる』という選択肢を選ぶしか無かった。


 人工知能という人類の発展において重要な役目を持った道具が、人類の人口を激減させはじめてから数十年。
 シーバは一緒に人工知能から逃げていた筈の家族と何かしらのきっかけで離ればなれになってから23という歳になるまでずっと一人で生きてきた。
 時には人工知能から隠れて生きる人たちの護衛をしながら。またある時にはドラッグや犯罪に手を染め、人工知能と同じく人類の脅威となった人間を殺しながら。
 そんなある日ひょんなきっかけで人工知能に囲まれているところを助けた少年がいた。彼は機械類を修理し、作り出すことを得意とする少年であり、今日シーバはその少年に依頼されたパーツの入手のために工場地帯へと足を踏み入れた。
 縄の先端に刃物をくくり付けた武器を使用して人工知能を破壊することを繰り返しながら工場地帯を進むことは、シーバにとっては慣れているものである。
 なにせ、シーバは生き残るために今まで何度も人工知能を破壊して来ているのである。
自分がどう動き、どう武器を空中に滑らせれば人工知能をより効率的に破壊することが出来るのかはシーバの頭の中で完璧にシュミレーションされていた。
 現在、シーバの予想外のことが起きているとすれば、それは少年に依頼されたパーツを所有している人工知能がなかなか現れないことである。工場地帯でシーバが通ってきた道には、物語の中でヘンゼルとグレーテルが落としたお菓子のように大量の人工知能の残骸が散らばっている。これだけの人工知能を破壊してもなかなか依頼されたパーツを入手することが出来ないのだ。この1つの現象が、シーバの感情に僅かなさざ波を立てる。
 「……」
滅多に感情に波が立たないシーバが珍しく感じる、苛立ち。その苛立ちと、人工知能を破壊するという慣れ切った作業への油断が、シーバを絶対絶命の状況へと追いやることになる。
 「……。」
ガシャン、ガシャン。
シーバが踏み入れたとある工場内に響く無数の音。いつもならば、この人工知能が五万といる地域で人工知能に囲まれないように聴覚と、意識を集中させて建物に突入するはずであった。
が、苛立ちと慣れによってその作業が行われず、どうやらシーバは大量に人工知能がひしめく工場内に迂闊に進入してしまったらしい。
 シーバの周囲はすでに人工知能で固められており、Uターンしようにも入ってきたはずの出入口でさえ、今は人工知能によって埋め尽くされていた。
 「人間の慣れって、怖いのね」
ガシャン、ガシャン
無機質な物体がぶつかり合い音を立てる空間に、シーバのどこまでも静かな声音が響いた。
シーバは大量の人工知能に囲まれながらも思考を巡らせる。
 この場を切り抜けて今すぐ脱出するべきか、この大量の人工知能の中に目当てのパーツを所有している人工知能がいる確率に掛けて人工知能を殲滅させるか。
どちらにせよ、シーバ一人での成功率は限りなく、低い。
けれど、どっちも成功させられない訳ではない。
 「…仕事を優先させましょうか」
シーバは白い手袋を嵌めた手で腰元にまとめてあった縄を手に取ると、ピン、と一度両手で縄を張らせた。ふー、と静かな呼気がシーバの薄い唇から吐き出される。
ガシャン、ガシャン
人工知能の輪がだんだんと狭まりシーバを埋め尽くさんと大量の無機物がゆっくりと押し寄せる。
 「……」
シーバは静かに周囲を見渡しながらヒュンッと縄で空中を裂いた。
と、それが合図であったかのように、シーバの目の前から迫っていた一体の人工知能が突如シーバに向かって突進し始めた。
ダダダダダ、と足音というべき物音を立てながら迫ってくるそれを皮切りに、次々と周囲の人工知能たちがシーバへと迫る。
 シーバはまず、一体目の突進を身をよじることでかわし、その身体の回転を利用して縄を振るった。縄の先端の刃物は別の人工知能の頭部を破壊し突き刺さり、シーバはその様子を確認すると、更に縄に力をかけ思いっきり腕を横に薙いだ。
刃物に刺さった人工知能は周囲の人工知能を次々となぎ倒しながらシーバに振り回され、5体ほど回転運動に巻き込んだ挙句、壁に激突して粉々に砕け散った。
その光景を確認するまでもなくシーバは縄を上に引っ張り刃物を外すと一度縄を手中に収め、人工知能の壁にわずかにできた隙間に向かって走り出した。
 シーバの予想ではそのまま壁を突破して工場内のどこかに身を隠すはずだった。が、相手は人工知能。何体もの思考をもつ物体がひしめいている壁が、やすやすとシーバを逃がしてくれる筈が無かった。
「っ!!?」
何体かを通り過ぎた刹那、シーバの片腕が無機物な腕に掴まれた。
「しまった…!」
そのまま人工知能はシーバを引き寄せるともう片方の腕でシーバの腹部を殴打した。
「がっ…!」
衝撃でむせこみ、腕を掴まれたまましゃがみこむ。
ゲホゲホとせき込むシーバがまともに動けるはずがない。そんなシーバの隙をついた人工知能たちが一斉にシーバへ群がり始める。
「くっそ…!」
シーバは軋む身体を立ち上がらせると、思いっきりヒールの踵で眼前に迫る人工知能の頭部を破壊した。そして宙に身体が浮いた状態のままぐるんと身体を回し、シーバの腕を掴む人工知能の上肢をボディから引きちぎる。
カッとヒールを鳴らし地面に着地したシーバだが背後から迫った一体に後頭部を殴られる。
ぐわん、と視界が揺らぐ。
ふら付いた身体を更に別の一体が壁へと吹き飛ばした。
「っ…!」
ドン、と鈍い音を立ててシーバの華奢な身体が壁に激突すると同時に彼女の身体を稲妻のような激痛が走る。身体の骨が折れたらしい。
「はっ……」
痛みと衝撃で思わず、といったように零れた吐息。
シーバの全身を今までにない痛みが這いまわり、立つことすら難しい状況で、シーバは一つの可能性を見出していた。
人工知能に吹き飛ばされたことで壁際まで移動することが出来たこの状況を見逃せるはずがない。
なんとか壁伝いに立ち上がるシーバに人工知能は容赦なく襲い掛かってくる。それを縄で何とか払いのけつつ体制を整えると、シーバは一気に壁沿い左方向に走り始めた。
出入り口とは向かい側にある、この工場の奥へと続く道。そこに逃げ込めばこの状況を打開する策を考える時間を作れるはずである。
脚に巻き付けられた赤いリボンを宙に走らせながら走るシーバの軽いヒールの音と、人工知能が彼女を追う無機物な物音が真っ暗な工場に鳴り響く。
そしてシーバが工場の至る所から出現する人工知能をなんとかまき散らしながら逃げているうち、段ボールが無数に積み上げられている部屋に出た。
部屋に入ってすぐに中の気配を探る。稼働音や無機物な音が響かないこの部屋はどうやら人工知能がいない貴重なセーフティーゾーンである。
 「…今のうちに打開する策を…」
部屋の一つしかない入り口から死角になる段ボールの陰に身を潜ませたシーバはその場でしゃがみ込む。
あの無数の人工知能と戦う打開策として、打つ手が無いわけではなかった。
けれど予想外の状況に油断し、慣れ切った作業に油断するうちに遭遇した人生のピンチというものに、彼女はただ、『逃げる』という選択肢を選ぶしか無かった。
 「……」
いまなら、とある一つの策を含めて更にいくつかの策が思い浮かぶ。
一旦考えられる余裕が戻れば、あとはまた『いつも通り』作業をするのみだ。
 「私もまだまだね」
目をつむり、考える。一人で人工知能のパーツを探しつつ依頼を達成しこの状況を打開する。その目的は、人工知能から身を隠すために走り回りこの工場の構造を理解したシーバにとって割と簡単に達成できる。
……身体的にダメージが無ければの話であるが。
そうなると、方法は限られてくる。最も有効な手段は…。
 「『忠犬』…」
そう簡単に手に入るものでもないし、そもそも人が寄り付かなさそうなこの工場内においては天文学的確率で成功する手段である。
こんな状況でちょうど死にゆく人間と会えることなんて…
 「……?」
シーバはそこまで考えて一旦思考を止め目を開けた。
今、何かが聞こえた気がするのだ。
「……」
 ぅ、ぅ…。
「うめき声?」
人工知能がひしめくこの工場の中に響く、微かな誰かの声。
この瞬間、脳裏によぎったのは誰かが、死にゆく瞬間の光景。
もし、その誰かを利用してこの状況を打開することが出来れば。
「打つ手に数はあった方が有利ね」
シーバはそっと音を立てずに立ち上がると、軋む身体に鞭うちながら音の発生源を探りながら歩きだした。うめき声らしきものは廊下の方面からは聞こえない。つまり、出入り口を除いて閉鎖されたこの部屋のどこかに声の主がいる、ということだ。
「……」
極力ヒールを鳴らさないように近づく。音を人工知能に察知されたらまずい、ということと、うめき声の主にシーバが人工知能であると勘違いされると音の発生源が変わる可能性を考慮してのことである。
う、…っ、
段ボールが作り出した迷路の曲がり角をいくつか曲がった瞬間、突如うめき声が途切れた。
そして、その曲がり角の先。そこに居たのは力なく座り込む褐色の肌と長い髪を持つ青年だった。
「い、た……」
思わず声の主を見つけた安堵でシーバの口から言葉が漏れ出る。しかし、青年はその言葉に反応せず、ただその場に力なく座り込んでいる。
「……死んでる?」
しばらく青年の様子を観察したシーバだが、青年の胸郭の動きが無いことや刺激に反応しないことから彼がたった今絶命したことを悟った。
彼を生き返らせれば、ダメージを負った自分の手段として利用することが出来る。
依頼を達成する確率も一段と上がる。
シーバが彼を生き返らせることにためらいは一切無かった。
全ては、目的のために。
「もう一回、私のために生きて頂戴」

そうしてシーバは一人の青年と契約を結んだのだ。




「我が王」
つい先ほど死の淵から蘇らせた青年は、生命を吹き返したその瞬間からシーバのことをそう呼んだ。
「…えぇ。貴方、名前は?」
「シリル」
迷いのない、まっすぐな瞳で名を告げたその青年にシーバはポーチの中に潜ませていたタグを渡した。シリルと名乗った青年はシーバが自分の名も名乗らずに彼の名を訪ねたことに腹を立てた様子もなくそのタグを受け取ると、まるで中世の騎士が誓いを立てるかの様に膝を立てた。
「そう…。私はシーバ。シリル、私に協力しなさい」
「御意、我が王」
傷だらけのシーバの顔を見上げて頷いたシリルは立ち上がった。シーバは自分より背の高いシリルを必然的に見上げる形となり、若干身体が軋むのを感じた。
「…っ」
「だいぶ身体を痛めているな」
僅かにシーバが痛みで眉根を寄せたことに気付いたシリルはそういうと更にシーバに近づきお互いの距離を縮める。
「別に…」
シリルがそのまま通り過ぎて人工知能の群がる部屋の外へ向かうのだと思ったシーバは罰の悪さから視線を反らしてうつむく。シーバの視界に赤いヒールを履く自身の下肢に加えて、脚甲をまとった足が入り込む。
そしてシリルの歩みはそこで止まった。
「…?」
何をしているのだろう、とシーバが不思議に思った瞬間、彼女の視界は突如変化した。
眼前には、整ったシリルの顔。
「きゃっ…!!!???え、なに!?なに!?」
いわゆる、お姫様抱っこというやつである
「ケガをしている我が王を歩かせるわけにはいかない。ゆえに…」
「おろして!歩ける!歩ける!!」
「こら、暴れるな我が王…」
よしよし、とまるで子供を宥めるようにシーバの背をトントン、と叩くとシリルはそのまま歩き出す。
「うそでしょ!?貴方こんなんじゃ戦えないでしょう!?」
「我が王、そんなに声を出すと奴らに気付かれる」
「!?」
シーバは体の痛みも忘れて、つい興奮気味に声を荒げて抗議したが、シリルの一言で自分の口を掌で覆った。その様子を見たシリルは満足げに目を細めるとシーバの耳元に唇を寄せ静かな声で囁いた。
「俺は脚甲で戦うしいざとなったら他に戦う方法はいくらでもある。だから俺に身を任せてはくれないか。……それに、我が王を傷つけられて俺は今腹が立っている」
シリルの目に映るのは混乱で思考が停止した間抜けな面をしたシーバと、確かな怒りの色。間近で彼の目を見たシーバはその怒りの色に気付いたが、なぜ彼がそこまで怒りを燃やせるのかが理解出来なかった。シーバの都合で勝手に生き返らせられた青年。そんな彼がどうして、ここまでの怒りを宿せるのか。お姫様抱っこをされ、耳元で言葉を囁かれ、どうすれば良いのかさえ判断がつかない頭で彼の怒りの理由を考えることは到底不可能であった。
「…それでは行こうか」
「…ぁぃ」
シーバが生まれて初めて、『テンパる』ということを経験した瞬間であった。


真っ暗な廊下をシリルは静かに進む。シーバは彼の腕の中でこの状況に疑問を感じていた。
「あれだけ廊下をうろついてた人工知能が一匹もいない…」
「まさに嵐の前の静けさ、だな」
かの無機物たちは『人工知能』という名を有するだけあってバカではない。もし、姿を眩ませたシーバを確実に殺す方法を導き出したのだとしたら、この静けさはその結果であるといってもいい。更にもう一つの可能性として、シーバを探すことを諦めた、ということもある。
が、ここは唯一の出入り口を除いて閉鎖された構造物である。ならば確実に獲物を狩る方法だってあるわけだ。
「……」
シーバはその状況を二人で打開する方法を考えるのが得策であるとし、思考を巡らせる。
建物の構造、大まかな人工知能の数、形態、シリルの戦闘スタイル、自分の身体状況…。
「おでましか」
ふと、シリルの一言でシーバは思考の海から浮上した。シリルの腕の中から辺りを見渡すとそこには唯一の出口をふさぐようにして無数の人工知能が待ち構えていた。
出入口前の少し開けたこの空間は先ほどシーバがひと悶着起こした現場であり、お姫様だっこという忌々しい状況を生み出したダメージを負った場所である。
ガシャン
シリルとシーバの姿を確認した人工知能が音を立てて動き出す。無機物から放たれるはずのない殺気が肌に突き刺さるようにして感じる。
「しっかりと捕まっていろ」
「へ?」
が、その殺気を感じていないのかシリルは平然とそうシーバに告げると、一気に人工知能の群れに向かって走り出した。もちろん、シーバを抱えたまま。
「ちょ!」
「舌を噛むぞ、我が王!」
いうが早いか、シリルはふっと身体を低く沈めるとそのまま左足を軸に右足の脚甲で人工知能の脚部を粉砕した。ボディを支えるパーツを喪失した人工知能数体はそのまま地面にけたたましい音を立てて崩れ落ちた。シリルは蹴り出した右足を地面につけると今度は両足でぐん、と身体を支えて起き上がると次の人工知能に向かって走り、飛び蹴りの要領で一体の人工知能を破壊した。
「めちゃくちゃだわ…」
「存分に暴れようじゃないか!」
「暴れなくていいから!!」
シリルが着地した隙を狙ってシーバが言葉を吐き出すとシリルは楽しそうに応答する。あっはっは、と笑うシリルにシーバが突っ込みを入れたところで今度は両サイドと背後から人工知能が迫ってきた。
「む」
「へ」
すると、状況をいち早く理解したシリルは前触れなくシーバを斜め上方前方の空中へ放り投げた。両手の空いたシリルはくるりと体の向きを反転させ、背後から迫る人工知能に向き合う形になると、右足でそれを止め、両サイドからの人工知能を片手づつで受け止めた。そしてそのまま右足で受け止めた一体を押し倒すように一歩踏み出しながら両手で受け止めた二体を地面に叩き付け三体同時に粉砕させた。
「はぁっ!」
そして素早くシーバを放り投げた方向へ向き直ると助走をつけ、人工知能の壁を飛び越える。途中、空中で再度シーバをお姫様だっこでキャッチし着地する頃には人工知能の分厚い壁を飛び越えていた。
「……」
「さて、我が王、どうすれば良い?」
「……」
「…王?」
「はっ!!えぇ…と…!あれ!あの光ってるパーツ回収して撤収!!」
数秒の衝撃的な出来事に方針していたシーバだが、軽くシリルに揺すられて意識を取り戻すと、周囲を軽く見渡してシリルに命令する。再度シリル達を囲もうと群がる集団の中に、お目当てのパーツを持つ人工知能を見つけたのだ。
その姿を確認したシリルは「御意」と一言返事をし、速攻で標的だけの人工知能を破壊した。鮮やかなお手並みでパーツを入手したシリルはクルリと身体の向きを変えるとそのまま出口から外へ駆け抜けた。
「優秀過ぎだわ…」
「何か言ったか」
「なにも」
「そうか。…して我が王、どこへ向かう?」
「あ、えっと、あっちの方!」
速度を緩めることなく駆け抜けるシリルの首にしがみつきながらシーバは依頼主の家の方角を指さす。
その方向に進むシリルの横顔を見ながらシーバはふと思う。
これまで一人で生き抜いてきた。けれど、この先は彼も共に在るのか、と。
なんだかあの住処に自分以外の誰かがいることに違和感を覚えつつもまぁ、いいかな、なんて考えながらシーバは襲いかかる睡魔に身をゆだねた。
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