Le ciel croche | ナノ


 ──アルバーナ西門付近。一人の男が、猛然と駆ける超カルガモの行く手を阻むように、進路の真正面に立ち塞がる。
 超カルガモは走る速度を落とすこともなく、進む方向を変えることもない。やがて、十メートル程度の間合いを残して、男が待ち構えるそこへと辿り着き、足を止めた。
 ひらり、超カルガモの背から、フードを目深に被った人物が飛び降りる。軽やかに着地したその人に向かって、男は上機嫌で声を掛けた。

「……まさかとは思ったが、本当に二段構えだとは思わなかったよ。やるじゃないか、王女様」
「それはどうも。でもね……残念、ハズレ」
「!」

 ばさり、脱ぎ捨てられたマントの下から現れたのは、アラバスタ王国王女・ビビ──ではなく、海賊・麦わら一味のニーナ。
 男が覗いた双眼鏡の狭い視野の中ではためいた、空色のポニーテール。王女が来る事を予想していれば、確かに見紛う決定的な特徴だが、この距離で対峙すれば、別人であることは疑いようがない。
 男は驚きにぽかんと口を開くが、やがてそこからクツクツと笑い声を漏らす。

「ふふ……ははは、アッハッハ、こりゃ驚いた! その髪もカルガモも良く似てたもんで、てっきり王女かと思ったが……成程、三段構えか、面白い! いやァ、連中は麦わら一味はせいぜい6人だと思っていた。ここまで隠し通すとは、上手い事やったもんだ」
「連中……?」
「それに……いや、ちょっと待て、まさかとは思うが、しかし……確かによく似ている……もしそうなら……ハズレどころか、とんだ大当たりじゃないか……?」
(……なに、こいつ)

 その行動は間違いなくバロックワークスのものだが、どこか言動が怪しい男。戦いを仕掛けてくる様子もなく、朗らかに独り言を漏らし続ける。
 ニーナは用心深く様子を窺うが、男はなおも独白をやめない。

「いやまだだ、落ち着け、確証はないからな。先走り過ぎはよくねェ、期待しすぎもよくねェ。この距離じゃ流石にな。……なァお嬢さん、もうちっとこっち来てくれねェか?」
「えぇ?」
「なんだなんだ、悲しいな、そんなあからさまな敵意を向けられると。まあ、じゃあ、そのままでいいから。ちょーっと聞いてくれよ」
「………」

 彼女にしては珍しい、呆れと警戒の入り混じった引き気味の声が漏れる。そんな冷たい対応にもめげずに、男はニーナに向かって意気揚々と話を続ける。

「確かにおれは、連中がカルガモ達を追っかける中、二段構えを想定してこの場に残った。しかしそりゃァ別に、王女を抹殺するためじゃあないんだよ」
「……?」
「おれは別に、王女やこの国がどうなろうが、どうでもいいんだ。何が起こるか、どっちに転ぶか、その過程と結果が見たいだけでな。その行く末には興味があるが、連中のように積極的に介入する気はない」
「どういうこと……?」
「単に、面白い事が起こるかどうかと、予想の当たり外れを楽しんでるだけさ。もし現れたのが王女だったとしたら、そりゃあ読みとしちゃアタリではあるが、そこから先が無いからな。結果的にはハズレ寄りだ。ここに来といてなんだが、おれァむしろ、自分が王女と会っちまうよりは、むしろ反乱軍とかち合ったらどうなるかを見たいね。そっちの方が断然楽しそうだ」

 国の乗っ取りを目論むバロックワークスの一味とは思えぬ物言いに、ニーナは更に警戒の色を強くし男を観察する。
 ──上半身裸に短パンの、砂漠に不釣り合いな露出度をした細身の男。日に晒されよく焼けた腕や足、胸などの見える範囲に、下っ端達が入れているお馴染みの刺青は見当たらない。その代わりに左腕に堂々と鎮座しているのは、東の海で見た覚えのある、稲妻を模した髑髏のマーク。
 ニーナの視線の行く先を察して、男は歓喜の雄叫びをあげる。

「おや、これに気がついたな! ということは、ハハッ、なんてこったァ! やっぱり大当たりだ!」
「……?」
「そうとも、おれはバロックワークスの社員じゃない。いわゆる食客ってやつさ。面白そうだったんでな。そうしたら、ああ、なんて驚きだ。おれは君を知ってるぞ! もう一度会いたいモンだと思ってたんだ! ……なァ、ニテンス・カーヴのお嬢さん!」
「!」

 男の口から飛び出してくる情報量とその内容に、ニーナは僅かに眉根を寄せる。
 彼女の反応が薄い事など全く気にせず、男は高揚した様子でマイペースに語り続ける。

「まさかこんなところで再会できるとはな。なーるほど、ということはやはり君も海賊だったか。ほらみろ、やっぱり単なる観光客じゃなかった。しかし、あの時と髪の色が違うが……まァ、あの王女の囮役だもんな、それに合わせて染めた、っつーのが普通なんだが。いやはや、おれの仮説は万が一よりも更に可能性の低いものだが、この状況だと少しは期待してしまうよ」
「………」
「もし、もしもだ。本当に君が、ニテンス・カーヴの奥の奥まで行って帰ってきたんだとしたら。おれが想定している存在だとしたら。その色は力の放出を示していて、力が尽きりゃ色が落ちるはずだ。ああでも億が一、本物だったらバチが当たるか? ま、それも一興だろう。どんなバチが当たるかも面白そうだ」

 自らの思考の全てを口に出しているかのように、男の語りは延々と続く。所々に気になる単語を拾いつつも、ニーナは表情を崩さず、無言で男の様子を窺っている。
 ──この男は、ニーナがエルフィンである可能性を疑っている。

「おれァ海賊・ライトニング一味のバラク。言った通り、今はバロックワークスの食客だ。貰ったコードネームは、Mr.バースデー。食客だからペアの女性は宛がって貰えなくてね。ごねたらよォ、数字の代わりに女性名をやるから、これで我慢しろとさ! アッハッハ! 面白いから承諾したよ!」

 刺青を示しつつ名乗りをあげた男は、ニーナに向かって、まるでエスコートでもするかのように右手を差し出した。

「おれァ、知らないことを知るのが趣味なんだ。その点で、君はとんでもなく興味深い! 一戦お相手願おうか!」
「……誰と勘違いしてるか知らないけれど、あたしにあなたと戦う理由はないよ」

 対するニーナは至って冷静で、バラクを見据えて静かに首を横に振る。

「こっちは急いでるの。あなたはむしろ、ビビと反乱軍がかち合うところを見たいんでしょう? それなら、邪魔しないで」
「いやいやいや、お嬢さん、話聞いてた? おれの方に理由があるんでね? ……まァでもそうだな、これは確かに、おれ側だけの理由だ。君の方にも理由が必要なら、与えてやろう」

 回避できる戦闘であれば、ビビの方に加勢に行きたい。駄目元で告げてみれば、バラクは大仰に肩を竦める。

「そうだな……お嬢さんが今ここに来たって事は、王女は更に後からやってくるわけだ。いやあ、本当は反乱軍とのご対面も見てみたかったんだが、そう言われちゃ仕方ねえ。天秤に掛けりゃ、君への興味が断然上回る。……君が相手をしてくれないなら、王女は、おれが仕留める」
「………」
「食客とはいうものの、ある程度、目に見える手柄をあげとかねえと立場がねえしな。これでどうだい?」

 先程までの演技がかったテンションとは打って変わって、バラクは身に纏う空気を一気に鋭く冷たいものにする。
 喋りは道化のようでも、その実力は侮れない。ましてや、ニーナがエルフィンである可能性を疑われている。
 彼の言う『力が尽きれば髪の色が落ちる』という指摘は、残念ながら当たっている。解放状態では、ラクリマ・マレから力を取り出す変換速度は上がるが、激しい戦闘をしながら、長時間維持し続けるのは難しい。その上、エルフィンを疑われている以上、ラクリマ・マレを使うのには危険が伴う。

(解放状態は維持しつつ、短時間で片を付けたい。ラクリマ・マレは使えないから、体術だけか……どうかな……。足場の悪い砂漠だし、相手の実力も分からないし)

 色々と難易度の高い、避けられない戦闘を予感して、ニーナは僅かに逡巡したのち、フルートケースを腰から外す。それをルルーに預けると、渋々といった様子で仕込みピッコロを手に取った。

「……仕方ないな。ルルー、ちょっと離れててね」
「クエ……」
「おっ、やる気になってくれたか! さて、そうしたら、君が何者なのか、確かめさせてもらうとしよう!」

 バラクの言葉が終わるより先に、ニーナは真正面から彼に向かって走り出す。自分に向かってくるニーナの姿を見て、バラクは零れる笑みを抑えきれないといった様子で、ゆるゆると頬を緩ませる。
 正面突破と見せかけて、懐に入るか入らないかの距離で、ニーナはぱっと右に身を翻した。
 仕込みピッコロを両手で握りしめ、首筋を狙って一閃。振り抜いたそれをバラクは避けることなく、左手一本で止めにかかる。
 キーの並ぶ側面側で殴ろうとしていたニーナは、腕が動いたのを見た瞬間、ピッコロを握る向きを変えた。

「っ!」

 隠しナイフが仕込んである先端を、掌の中央に突き立てる。
 普段であれば、そこで鋭い痛みに固まる相手の鳩尾を的確に狙いに行くところ。しかし、ピッコロが相手に触れた瞬間、ニーナの身体にびりりと衝撃が走った。
 予想だにしていなかったそれに、握り締めたピッコロは何とか手離さずに、咄嗟に後ろへ飛びずさり間合いを取る。

「へぇ、見た目に反して中々の攻撃だ。うっかりしていたら、次の鳩尾一発でノックダウン、だったか?」
(確かに触れた感覚はあった……自然系(ロギア)じゃない、けど、能力者……?)
「ハハッ、面白いだろう? おれの能力は『バチバチ』さ。静電気じゃ人は死なないが、『ゴロゴロ』の下位互換だと侮らない方が良い。たかが静電気でも、扱いによっちゃ象でも気絶させられる」

 ニーナが悪魔の実の能力を警戒した途端、バラクは自ら種明かしを始めた。先程ナイフを突き立てられた左手をボールでも握るかのように丸めれば、文字通りバチバチと音を立てながら、指の間を目に見える静電気が走る。
 彼の動きを警戒しつつ、衝撃が走った両手を確かめれば、ニーナの掌は季節外れの紅葉のごとく色付いている。軽く開閉してみれば、その度にぱちぱちと静電気の名残が音を立てる。予想以上に影響が残るのを確認して、ニーナは視線をバラクに戻した。

「君の打撃は見た目より随分効きそうだが、おれは何もしなくたって、君が打った瞬間に自動でカウンターが決まる。さあ、どうする? もし遠距離戦が出来るっていうなら、是非見せてほしいものなんだが」
「……よく喋るね」
「アッハッハ、楽しいからな! ああ、おれは今とても楽しい! さあ、楽しく我慢比べといこうじゃないか!」

 待ち構えるように両手を広げるバラクに対して、ニーナはふう、と小さく息を吐くと、先程と同様に正面切って駆け出した。

「っ!」
「なるほどっ、静電気ぐらい我慢する方を取ったか、おおっと!」

 顎、首筋、こめかみ、額、仕込みピッコロの先端で、急所を狙った突きを次々と繰り出す。バラクは愉しげな笑い声をあげながら、左右の掌で捌いていく。手首、肩口、脇の下、体勢を崩せばその度別の急所を狙う。
 打撃が捌かれる度、ばちりばちりと音を立て、それなりの電気が二人の間に流れるが、ニーナは表情を変えず攻撃の手も緩めない。
 ふっと姿勢を低くして、次に狙うは肝臓。両手で突きを決めようと狙えば、バラクは初めてひらりと身を躱した。

「!」

 躱されることまで読んでいたのか。ニーナはそのままくるりと身軽に側転し、バラクの背後を取る。膝裏を思い切り叩き込めば、彼はついにその体勢をぐらりと崩した。
 膝から崩れ落ち、降りてきた頭の耳の後ろ、乳様突起を狙ってもう一撃。痺れる両手を何とか握って思い切り突く。
 その瞬間、彼に与えたはずの打撃と同等、もしくはそれ以上の電撃がニーナを襲った。

「ぐっ!」
「……っつぅ!」

 突きの反動にしては不自然なほどの衝撃。二人揃って弾き飛ばされ、砂地を転がる。
 砂に両手両膝をつくバラクが、片膝をつき、わずかに目を瞠るニーナを見て、にやりと笑った。

「いやぁ、やるねぇ。まさか、その細腕から繰り出される突きがこんなに効くとは。やっぱり只者じゃないだろう? しかしね、おれの方もやられっ放しとはいかないな。静電気は、君が帯電すればするほど強くなるんだよ。涼しい顔を保っちゃいるが、気付いてただろう? 君がおれを打てば打つほど、返ってくる反撃も大きくなってるって」
「………」
「それだけじゃないぞ」

 先程の打撃が効いたのか、ややふらつきながら立ち上がったバラクは、初めて自分からニーナに攻撃を仕掛ける。掴みかかろうと跳んで来た彼を、身を捩って避けた、次の瞬間。
 ──ニーナのブーツの少し上、僅かに肌が露出しているその部分に、バラクが投げた釘がぱちりと触れた。

「……っ、あああぁっ!!!!」

 バリバリバリ、とても静電気が起こしたものとは思えない、乾いた空気をつんざく高音。まるで雷に打たれたかのように、ニーナの身体は仰け反り宙を舞う。

「悪いな! ライデン瓶って知ってるか、お嬢さん! 溜めに溜めといたとっておきさ!」
「うっ……はぁ……」

 どさりと砂漠に投げ出された彼女は、痛みと衝撃に表情を歪めつつ、ゆらりゆらりと近付いてきたバラクを見上げる。釘はとっくに地面に転がっているが、ニーナの周りには未だ、目視できるほどの静電気がバチバチと音を立てている。
 動けないニーナを見下ろしたバラクは、満足げに目尻を下げつつ、穏やかな声で語りかける。

「さあ、このへんで降参してくれ。おれの静電気は特殊でね。流れる度にどれだけ痛くても、痛みと共に君の身体から放電したわけじゃない。溜まり続ける一方さ。つまり、おれに触れるたびに、さっきより強い電撃が流れちまう。試してみるかい? ほら」
「っつぅ!」

 言いつつニーナの腕を撫でるように触れれば、それだけで小規模な雷が発生する。
 襲い来る電撃を歯を食いしばって耐えるニーナに、バラクは困ったように眉根を寄せた。

「我慢強いな。大の男でも悲鳴を上げ続けるはずの代物なんだが。しかもまだまだ強くなるぞ。そろそろ気絶するぜ。おれは君の正体が知りたいんでね、話が出来なくなるのは困るんだ」
「っ……はぁ……はぁ……」
「まだ髪の色は抜けないか。単に染めているのか、頑張っているのか。どっちだろうな。早く教えてくれ」

 相変わらず饒舌なバラクも、身体のふらつきを抑えられてはいない。確実にダメージは与えているが、彼の言う事を信じるのであれば、これ以上の打撃攻撃はむしろ逆効果。
 痺れる頭を奮い立て、どうしたものかと思考を巡らせば、その時、砂漠を吹き抜ける一陣の突風が吹いた。

「うおっ」
「!」

 ばさり、先程ニーナが脱ぎ捨てたマントが空を舞い、バラクの顔面に張り付き視界を遮る。
 風にはためく布地をぽかんと眺めていたニーナは、突如はっと息を呑んだ。

(そう、そうだ、静電気! 肌の露出部分……布……それなら……!)

 これまでの戦闘条件から閃いた、一か八かの一発勝負。腹を決めたニーナの行動は、電流のように早かった。

「はあっ!」
「ぐはっ!」

 来るかもしれない反動は覚悟の上で、バラクの鳩尾目掛けて、マント越しに鉛入りブーツの踵を一閃。
 見事に決まった下段の回し蹴りは、相手を倒すに十分な威力だった。

「……………」
「はぁ、はぁ……」

 ──布越しになれば、静電気は各段に威力を弱める。バラクの露出が多かったのも、ニーナを打った雷のような衝撃も、直接肌に触れていたのが原因。
 予想は見事に的中し、既に十分なダメージを喰らっていたバラクは、急所への豪快な蹴りで完全に伸びた。
 白目を剥いて動かなくなったバラクを尻目に、思わぬ形で役立ったマントを回収する。蹴りを入れた場所を確認すれば、そこにあるのは叩けば落ちる砂汚れだけ。

「はぁ……はぁ……ははっ……」

 すとん、と軽く尻餅をつき、ニーナは砂漠に座り込む。風に流れて肩に掛かったポニーテールの毛先には、薄い飴色が見え隠れし始めていた。
 するりとゴムを引き抜けば、ウエーブヘアがさらりと広がる。ビビとよく似た空色を保っていた髪は、砂漠の風にゆらめきながら、徐々に明るい胡桃色へと戻っていく。
 使い手が倒れたおかげだろうか。砂に触れた両の掌から、身体に溜まっていた電気が抜けていくのを感じながら、彼女は大きく溜息をひとつ。 

「『武器なんざ使うまでもねェ、腹蹴って倒せ』ってね。……ふふ、まあ、武器は、まあまあ、使っちゃったけど……ワニの方がよっぽど、強敵だったよ……」

 ラクリマ・マレを使わず得た勝利に小さく笑うと、ニーナは駆け寄ってきたルルーに向かって、ひらひらと片手を振った。





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