Le ciel croche | ナノ

 ――ルフィとニーナが声を揃えて名を呼んだその青年――エースは、声の主二人を振り返ると、目を丸くして楽しげに笑った。

「おおっ!? なんだなんだ、懐かしい顔がもう一人居ンな! とにかくコレじゃ話もできねェ。後で追うから、お前ら逃げろ。こいつらはおれが止めといてやる。行けっ!!!」

 海軍大佐とその部下たち数十名を前に、エースは堂々たる様子で立ち塞がる。その言葉にぐるりと踵を返したルフィは、驚く仲間たちの背後を指し示して叫んだ。

「行くぞっ!!」
「え!? 何、あいつ誰なの!?」
「……あとで説明するけど、だいじょぶ。味方だし、すごい強いから」
「えっ!?」

 駆け抜けるルフィに疑問の声をあげるナミに、ニーナがフォローを入れつつ軽く背中を押す。
 各々驚きからは抜けきれていないが、それでも好機には違いない。ルフィを先頭に駆け出す麦わら一味は、ひとまず海軍を撒くことを第一に走り出す。猛然と進む足は止めないままに、ウソップはビビを振り向いて声を掛けた。

「ビビ、次はユバって町に行くんだろ!? こっちでいいのか!?」
「ええ! このままさっきの海岸目指して走って、船に乗り込んで!」
「船に乗る!? 島を出るのか!?」
「ううん、船で河から内陸へ入るの…そしたら、その先は砂漠よ! 『ナノハナ』に寄ったのは、必要物資の調達のため!」

 幸いにも、泊めた船からナノハナの町はそれほど離れていない。ビビの指示を受けてしばらく走れば、すぐにメリー号の姿が見えてくる。

「急げ急げ、海軍が来るぞっ!!」
「乗り込んでイカリを上げろ!!」
「やー、まさか、こんなトコでエースに会うとは思わなかったな。しかもニーナも知り合いだったとはよ」
「んん、あたしも驚いた……何年ぶりだろ」

 元来た道を振り返り、器用に後ろ向きに走りつつ、ルフィがけらけらと笑い声をあげる。互いに相手とエースとの繋がりを知らなかった二人は、追いかけると言った彼を心待ちにしてか、この状況でも表情が明るい。
 さっさと乗れと促すウソップに返事をして、ビビに手紙を託されたカルーの出立を見送って。ようやく全員揃って船を出してから、ルフィは説明を待つ仲間達にエースの正体を告げた。


 *


「兄ちゃん!?」
「さっきの奴は…お前の兄貴なのか!?」
「ああ。おれの兄ちゃんだ」

 エースのお陰で海軍の追随もなく、無事に出港したメリー号。海岸沿いに進んでいるため、航行も至って安定している。
 なんてことなしに答えたルフィに、全員が顔を揃えた甲板は案の定驚きに包まれる。一同の疑問を代弁したゾロがルフィとニーナを見比べた。

「まァ別に、兄貴がいることに驚きゃしねェがよ。何でニーナとも知り合いで、この"偉大なる航路"にいるんだ」
「海賊なんだ。"ひとつなぎの大秘宝"を狙ってる」
「あたしは、一人旅してた時に船に乗せて貰ったことがあってね。もう随分前だけど」
「不思議なモンだなー、まさか、こんなところで繋がってるとは」
「そうだねえ。そういえば、弟がいるって言ってたような気がするけど、まさかルフィだとは思わなかったよ」
「へェ……」

 初めて知った思わぬ縁に、二人は互いに感心する。波音だけが穏やかに響く中、ルフィは昔を懐かしむように、続く言葉を口にする。

「エースはおれより3つ上だから、3年早く島を出たんだ」
「しかし、兄弟揃って"悪魔の実"を食っちまってるとは…」
「うん、おれもびびった」
「ん?」
「昔はなんも食ってなかったからな。それでも、おれは勝負して一回も勝ったことなかった。とにかく強ェんだ、エースは!!」

 勝ったことが無い、と口にしつつも、悔しがるどころか兄を誇るように言うルフィ。今まで何度も彼の強さを目の当たりにしているだけに、ナミとウソップが揃って息を呑む。

「あ…あんたが、一度も…!? 生身の人間に!?」
「やっぱ、怪物の兄貴は大怪物か」
「んん、今や有名人だもんねえ」
「有名人?」
「うん」
「そ〜〜さ、負け負けだった、おれなんか。だっはっははっはっは! でも、今やったらおれが勝つね」
「それも根拠のねェ話だろ」

 過去の敗北を笑って話すルフィは、それでも今は勝つ気でいるらしい。
 ニーナの言葉を拾ったチョッパーが疑問形で繰り返すが、その"答え"は、彼女が口にするより先に、自らメリー号にやって来た。

「お前が――誰に勝てるって?」
「わっ」
「「!」」

 海から突然飛んできた訪問者に、ルフィがどさっと欄干から落ちる。
 一瞬前までルフィが座っていたそこに居たのは、つい先程、麦わら一味を逃がしてくれたその人だった。

「エ〜〜〜〜〜ス〜〜っ!!!」
「よう」

 ルフィの大声に軽い調子で答えたのは、まさに今話題にしていたルフィの兄・エース。ちょうど一味が全員集合しているところに現れた彼は、まずはぺこりと頭を下げる。

「あー、こいつァどうもみなさん、ウチの弟がいつもお世話に」
「や、まったく」

 丁寧な挨拶に同様に頭を下げつつ、口にする内容は遠慮が無い。待ちに待った兄の登場に、ルフィは笑顔で口を開いた。

「エース、何でこの国にいるんだ?」
「ん? 何だ、お前ドラムで伝言聞いたわけじゃねェのか」
「ドラムで?」
「あー、いいさ別に。大した問題じゃねェから。とにかくまァ、会えてよかった。おれァ、ちょっとヤボ用でこの辺の海まで来てたんでな。お前に一目会っとこうと思ってよ。そしたら、予想外の再会まであったってワケだ」

 ルフィの問いに答えたエースは、そこまで言うと、おもむろにニーナの方へと向き直る。

「よう、久しぶりだな、ニーナ! まさかお前がルフィの船に乗ってるとは」
「ふふ、久しぶり」

 にかっと音のしそうな人懐こい笑顔は、兄弟だと知った後だと確かに似たところがある。つられて頬を緩めるニーナに、エースは僅かに目を細めた。

「へェ、随分雰囲気が変わったな」
「うん?」
「はは、気にすんな。いやァしかし、世間ってのは案外狭いモンだな。ついこの前、お前の兄ちゃんに会ったばっかなんだ」
「えっ、ほんと?」
「「「えっ」」」

 ぽろりと零れた呟きは自ら軽く流して、そうだそうだと思い出したようにエースは話題を変える。彼の思わぬ発言に、ニーナを含め全員が目を丸くした。

「なんだなんだ、ニーナにも兄貴が居んのか!」
「ニーナちゃんのお兄様ッ!?」
「うん、10歳年上の、海賊やってる兄がいるの。でもエース、知り合いだったの?」
「うんにゃ、そん時が初対面だ」

 唐突な新情報に驚きの声が上がるが、当のニーナは特に隠すでもなく、至ってさらりと答えを返す。面識は無かったというエースは、改めてニーナの顔をまじまじと見て、左目の下をとんとんと叩いた。

「全然似てねェもんで、最初は気付かなかったんだけどよ、話の流れでな。あー、でもやっぱ兄妹だなァ、探せば共通点があるもんだ。目許のほくろとか」
「……ほくろ?」
「ハハッ、お前みたいに3つもあるわけじゃねェし、分かんねェか? たまたま酒場で一緒になったんだが、よく喋る気さくでイイ奴だな!」
「んん……? あっ、あー……うんうん、そうだね。元気だった?」
「そりゃもう。楽しい酒が飲めたぜ」

 若干タイムラグがあるニーナの反応も大して気に留めず、エースは楽しげにからからと笑う。そんな二人を横目で見ながら、サンジが眉を寄せつつゾロにひそりと問いかける。

(おい、10歳上の兄っつー事は、もしやあの時の……)
(……あいつか? おれは顔見てねェんだ)
(おれだって、暗くて大して見えてねェよ……クソッ、お兄様かもしれなかったんなら、ちゃんと確認しとくべきだったぜ……!)
(………)

 ――二人が揃って思い出したのは、ローグタウンまであと僅かという所で、夜更けの大海原のど真ん中に突如現れた一人の青年。
 謎めいた雰囲気を持つ彼のことは、結局今に至るまで、二人は他の誰にも話していない。彼が仄めかしていたニーナの"事情"も、彼女の口から直接語られた。今このタイミングで掘り返す事でもないだろうと、ゾロはそれ以上言葉を返さず口を噤む。
 彼らのひそひそ話など知る由もなく、エースは話の相手をルフィに戻していた。

「ルフィ、お前…ウチの"白ひげ海賊団"に来ねェか? もちろん、仲間も一緒に」
「いやだ」
「アハハハ…あー、だろうな、言ってみただけだ」

 からからと笑い声をあげるエースは、元より答えは予測済みだったらしい。彼の所属を耳にして、ウソップがハッと目を瞠る。

「"白ひげ"って、やっぱその背中の刺青、本物なのか?」
「ああ。おれの誇りだ…」
「じゃあ、まさか、さっき、ニーナが言ってた、有名人、って」
「んん、エースは今、"白ひげ海賊団"の二番隊隊長だよ」
「ヒイィ、隊長だとォ!? やっぱり大怪物だ!!!!」

 恐る恐ると言った様子でエースに問えば、落ち着いた調子で返ってくる答え。先程のやり取りを思い出したウソップがニーナを振り返ると、彼女もまた、事も無げに追加情報を口にする。
 かの海賊王、ゴールド・ロジャーと同じ時代を生きた大海賊・白ひげ。その彼が率いる大連隊の一角を担う隊長と言えば、一線級の海賊団の長に値する。予想を遥かに上回る大物っぷりに、ウソップは驚きを隠せない。

「"白ひげ"は、おれの知る中で最高の海賊さ。おれは、あの男を"海賊王"にならせてやりてェ。…ルフィ、お前じゃなくてな…!!」
「いいさ! だったら戦えばいいんだ!!」
「………」

 エースの言葉にはっきりと言い返すルフィには、恐れも迷いも微塵もない。周りの仲間たちをちらりと見ても、誰から否定の声が上がるでもない。目が合ったニーナも、一度ルフィの背中を見てから、再びエースと視線を合わせてゆるりと微笑う。
 そんな弟と仲間たちの様子を見て、エースは静かに口角を上げた。

「オイ、話なら中でしたらどうだ? 茶でも出すぜ」
「あーいや、いいんだ、お気づかいなく。おれの用事はたいしたことねェから」

 欄干にしゃがみこんだままのエースにサンジが声を掛ければ、エースはひらひらと片手を振って軽く答える。用事、という言葉を口にした彼は、ごそごそとポケットを漁ると、小さな紙きれを取り出しルフィへ投げた。

「ホラ、お前にこれを渡したかった」
「ん?」
「そいつを持ってろ! ずっとだ」
「なんだ、紙切れじゃんか」
「そうさ。その紙切れが、おれとお前をまた引き合わせる」
「へ――…」
「いらねェか?」
「いや…いる!!」

 放り投げて渡された紙をカサカサと開いて確認しても、それはただの白い紙。裏も表も走り書き一つないが、ルフィはその紙をしっかりと握りしめる。

「できの悪い弟を持つと………兄貴は心配なんだ」
「………」
「おめェらも、コイツにゃ手ェ焼くだろうが、よろしく頼むよ……」
「!」

 “兄”の顔で笑ったエースは、弟の仲間たちの顔をぐるりと見渡すと、すっと欄干の上に立ち上がって背を向ける。悪魔の実の能力者であるはずの彼は、そのまま海に向かって飛び降りた。
 降り立った先は、“偉大なる航路”を行くには随分と小さな一人用の舟。てきぱきと出港準備を始める兄に、ルフィは驚きの声をあげる。

「ええっ!!? もう行くのか!!?」
「ああ」
「もうちょっとゆっくりしてけばいいじゃねェか!! 久しぶりに会ったんだし」
「言っただろ、お前に会いに来たのはコトのついでなんだ」

 欄干から身を乗り出すルフィの隣に、ニーナも近付き並んで立つ。メリー号に繋いでいたロープを回収したエースは、ロープを巻く手を止めて海の向こうへ視線をやる。

「おれは今、“重罪人”を追ってる…。最近”黒ひげ”と名乗ってるらしいが、もともとは"白ひげ海賊団"の二番隊隊員。おれの部下だ。海賊船で最悪の罪…奴は“仲間殺し”をして船から逃げた。隊長のおれが始末をつけなきゃならねェってわけだ」
「………」
「そんなことでもねェ限り、おれは"この海"を逆走したりしねェよ」

 エースはまとめたロープを舟の収納部へ仕舞うと、メリー号を見上げてニイッと笑った。

「次に会う時は、海賊の高みだ」

 兄を見下ろすルフィは、もう彼を引き留めることなく静かに口角を上げる。
 兄弟間の話は、おそらくこれで終わりだろう。出立を察したニーナは、エースを見下ろしひらひらと手を振った。

「エース、ありがとう」
「ああ。じゃあな、ルフィ、ニーナ」
「おう!」

 右手を上げて答えると、エースは愛船をぐっと踏みしめる。両足を炎に変えれば、舟のエンジンがブオオと音を立てた。
 メラメラの実の能力を動力としたその舟は、エースが右足に重心を掛けたその瞬間、すうっと前方向に滑らかに進む。それを合図にするかのように、舟後部に取り付けられた三つの噴射口から、勢い良く大量の水が噴き出した。

「ウソよ…ウソ………!! あんな常識ある人が、ルフィのお兄さんな訳ないわ!!」
「おれはてっきり、ルフィにワをかけた身勝手野郎かと」
「兄弟ってすばらしいんだな」
「弟想いのイイ奴だ…!!」
「わからねェもんだな…海って不思議だ」
「ちょっとみんな…」
「ふふ……確かにね」
「ニーナさんまで!」

「またな―――――っ!!!」

 麦わら一味の様々な声に送られながら、エースの小舟は、大海原の水平線へと消えて行った。





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